扶桑花の物語
ピクルズジンジャー
✾
互いの
当学園の女生徒たちによってひそやかに語られ続ける
演劇部のスター候補として注目を浴び続ける太陽のように明るい少女と、その演劇部で小道具係として誰よりもこまやかな心をくばる健気な少女。互いに憧れ惹かれあいながらもその胸の内がわからず臆病になる二人の少女をもどかしく思うあまりか、さまざまな幻を用いて己が体である木の下でめぐり合わせた
悪戯に翻弄されるあまり一時はあわや仲たがいをする寸前までに陥った二人は様々な試練を乗り越えて、互いの胸の内を伝えあい、互いの指輪を交換しあう
さて、今回お話致しますのも学園の敷地内に咲く花に纏わる物語でございます。
赤、あるいは黄色、薄桃色――まるで異国の踊り子のドレスを連想させるその花びらの形状は情熱、激しさを見る者の胸に宿すかのようです。
しかし当学園の
この島に学園が作られるよりはるか以前よりこの地に根を下ろし背を伸ばし、いかにも私こそこの学園の真の女王であるという風情で女生徒たちを見守る
今から語りますこのささやかな物語は、とある月の美しい夜、眠りに落ちるのが惜しく思われ月光浴としゃれこみながら真夜中の散歩を楽しんでいた折にたまたま出会った恥ずかしがり屋の
その少女はせんだって、長らく憧れていた上級生とあの
陰からひそかに憧れていた美しい上級生も、自分と同じ気持ちを自分に対して抱いてくれていた――。それは少女にとってこれ以上ないほど幸せであった筈なのに、なぜか少女の胸は悲しみで張りさけんばかりだったのです。
その理由は――
「私は大丈夫よ。ようやく巡り合ったあなたという半身を残して先に逝ったりするものですか。だからどうか、笑顔をみせてちょうだい」
そう言い残して、上級生は恐ろしい侵略者の暴れる土地へと参られました。
これはこの学園に通う女生徒達にとって避けられぬ宿命です。
一体いつのことからなのか、この世の外にある世界から恐ろしい怪物たちによって地球人類の生存が脅かされるようになったこの世界で、唯一恐ろしい怪物たちを倒すという能力を持つ
そもそもその少女が上級生に憧れたのは、舞台上で歌い踊るのと変わらない華麗さで恐ろしい怪物を斬り倒すその姿に目を奪われたのがきっかけだというのに――。
思いが通じ、晴れて魂の半身となってみればそれより前に想像していなかった不安と悲しみが少女に襲いかかったのです。
恐ろしい侵略者と相対するということは少女の半身が危険な目に遭うのと同じであること、半身に出撃の呼び出しがかかると五体満足な姿を見られるのは今日で終わりなのではないかと恐ろしさに身が震えてしまうこと、慕い憧れていた相手と思いが通じあった後にはそんな苦しみが待ち構えていることを少女は知りえませんでした。
半身が島を後にした後に残されるのは身を刻まれるような寂しさであるというのも、指輪を互いの左手薬指に
こんな時に限って学園のそこここには和かな
何よりも、ほんの数日我慢して半身の無事を祈りながら帰りを待てばいいだけなのにそれすら出来ず、寂しさと罪もない女生徒達への嫉妬で振り回される、醜い自分が情けなくて悲しくてしようがありませんでした。
ほんの暫く前に見ていたムシのいい無邪気な夢を裏切って、現実の自分はひどくみっともなくて不恰好。
こんな私にあの方は愛想を尽かしてしまうかもしれない……。
寂しさは少女を、ちょっとしたことでも明るく笑う野の花ような明るい娘から、笑顔の少ない憂いに囚われた娘へと変えてしまったのです。
憂いの精に取り憑かれた娘を慰めるのは太陽ではなく月の光。
半身が戦場へ飛び立ってから太陽が二度上っては沈んだ日の夜のこと、眠れぬ少女は部屋を出てそっと散歩に出ることにしました。月光の雫をこの身に浴びれば醜く淀んだこの胸の詰まりをすっかり取り除けるかもしれない、少女はそのように思い立ったのです。
空にかかるのは冴え冴えと明るくも、胸に憂いを湛えた少女にも優しいお月様です。その日の天にかかる月は優しい銀色で、そして丸く満ちておりました。
ああ今日は満月だったのか、少女は空を見上げて初めて気がつきました。
南の海にあるこの島では満月は特別なものでした。
珊瑚が卵を産み、蟹や亀といった生き物も子孫を残さんと島のあちこちに上陸する──かような不思議な現象を引き起こすのが満月の輝き。もちろんこれは生物学や天文学をお勉強なさった方にとってはきちんと説明がつけられる、不思議でもなんでもない事象でございましょう。
であるならば、満月が潮の満ち引きにそして生き物たちに影響を及ぼすのと同じように、学園の女生徒達や花々に何らかの働きかけをするのも魔法や神秘ではなく合理的に説明のつく現象なのか──。
ともあれ明からかな満月の下で、少女はこの学園のものではない古い制服を着た娘と出会ったことは確かなのです。校舎と宿舎の間にある小さな庭に植えられた、
少女はその娘の姿を認め、自分と同じように眠りの精が訪れない女生徒と出会ったのかと考え、そしてすぐに違うと気づきました。
丸くて広い額を覗かせて長い髪をきりりときつく編み、古めかしいセーラー服を着た娘は明らかにこの島の、この時代の住人ではありません。まるで百と五十年は飛び越えて来たようなそんな風情であったのです。
そして少女は、友が囁いていた噂話を思い出しておりました。
曰く、満月の夜この島では不可思議なことが起きる。学園の誰かが、何かがみた夢が満月の魔法にかかってかりそめの
かつて少女の胸に浪漫の種を植え付けたその噂話が、不思議な娘を前にして芽吹きするすると育ったのです。
あなたも眠れなくなったの、と。
「ここはどこ?」
古い制服の娘は反対に尋ねます。そしてくるりと回って自分の姿を検めました。セーラー服にサージのスカートを穿いた自分が信じられぬと言わんばかりに目を丸くしています。
「私はどうしてこの姿で、ここにいるのかしら。砲撃は? 怪我をした方達は? みんなは? ──それに何よりどうして私は壕の外にいるのかしら」
目につくもの、自分の身に起きたこと、それらが全て不可解で仕方ないといった風情で古い制服の娘は少女に問いかけます。
一拍の間をおいて少女は──気づいてしまいました。
古い制服を着た娘が一体どこからここに来たのかを。
制服の娘の傍にある
少女達のおばあさまのそのまたおばあさまがうら若き乙女であったころ、一つの戦がありました。その戦も地球上で飽かず繰り返された人類の愚かな営みの例にたがわず、各地でさまざまな悲劇をもたらしました。
理事長がこの島に持ち帰ったこの花の故郷は、負傷した兵士の看護をするという形で戦闘に参加することを命じられ――そして、その多くが儚い命を散らせた少女達がいた土地でした。
「どうして理事長先生はこの島にこの花を持ち帰ろうとお決めになったのかしら?」
花の来歴を知ったある日、少女の半身となる上級生はその傍らを歩きながらぽつりと零されました。
「悲しい記憶を知っているこの花は、未だ戦いに駆り出される私たちを見て何をおもうのでしょうね。乙女が戦に駆り出されるような、そんな悲しい光景を二度と見たくはなかったでしょうに。……可哀想な花」
偉い方は時に残酷な決定をお下しになるのね。
半身はその時、少女がその場にいることを忘れたようにそう口にされたのです。
目の前にいる娘がなにものであるか、少女は理解しました。その上で出来ることは、微笑みを静かに保つことだけでした。
「ここは随分静かだけど……。ああそうね、ここはきっとそういう所なのね」
制服の娘も、自分の身に起こったことを、そしてなぜ月光の魔法に導かれたのかを悟ったようでありました。そこには悲しみも絶望もなく、ただ粛々と己の定めを受け入れたような静かな明るさがありました。
「だからきっとちゃんとスカートを穿いたきれいな身なりで、奇麗な月の下にいることができるのね。――あなたがそうしてくださったの?」
制服姿の娘は少女に微笑みかけました。
「私ったら、酷い恰好だったでしょう? 泥まみれの血まみれで……。最後の瞬間には轟音で耳が砕けそうだったわ。――実際砕けていたのかもしれない、耳だけじゃなくどこもかしこも――。そんな私をこんなに綺麗に整えてくださるなんて、恐ろしかったのではありません?」
いいえ、と少女は答えました。
あなたはここに来た時からすでにその姿でした。きっとお月様のお計らいです。
少女は答えて、にこりと微笑みます。先ほどの笑みよりなめらかで優しいものであればと願いながら。
制服姿の娘も微笑みを返します。そしてあたりを見回して茶目っ気のある口ぶりで付け足しました。
「天国も天使も、お話で聞くのとはずいぶん様子が違うのね。まるで学校みたい。あなたも女学生のようだもの」
月光に導かれる前の娘はきっと日ごろから冗談を絶やさないような茶目な少女だったのでしょう、クスクスと楽しそうに笑います。ここが世界が平穏であったなら決してたどり着けぬ場所であると分かっていながら。
「ああ、天国が学校のようだなんて知っていたらあそこにいた友達を皆お誘いしたのに。あの方たちは私よりずっと学校やお勉強が大好きだったのに私一人だけここに来てしまうなんて。――あらいけない。私一人がここにいる、きっとそれでよかったのよ。一人がいやだというだけでここにお友達を招こうとするなんて、それは決してやってはならないことだわ」
お茶目な娘は軽い調子でそう付け足し、小さく首を左右に振りました。
寂しいからという理由でお友達をここに呼んではならない、口ぶりそのものは冗談めかされていたものの、その口調は強くきっぱりとしたものでした。
寂しさを自分一人で抱え込む。娘のその姿は、少女の胸に刺さりました。寂しさと悲しさをもてあまし、ここしばらく微笑むことを忘れた少女の胸が痛みます。
と、同時に寂しさをその身に封じようとする娘の姿をみて、別の痛みに襲われたのもまた事実。
寂しくて良いのです。あなたは遠く離れた故郷からお月様に招かれて、距離も時間も飛び越えたはるか遠くのこの果てる島までいらしたのです。寂しくて当たり前です。
ですからどうぞ、ここでは強がらないで。
少女は伝えました。
しかし古い制服の娘は、微笑を浮かべて小さく首を左右に振るのみです。
「いいえ、それはなりません。それを口にしてしまえば、私はきっとどうにかなってしまう。そうすれば今度は内側からばらばらになってしまう」
内側からばらばらになってしまう。
その言葉が少女を突き動かしたのでしょう。気づけば少女は古い制服の娘を強く抱きしめておりました。やせ細った体の内側におしこめられたものを解き放ってもその身が消して砕けぬように、それを思って腕に力を込めました。
少女は娘に、もう我慢をしてほしくはなかったのです。
本来ならこの世にはいてなはらない娘の肉体を、少女はありありと感じることができました。骨の硬さを直に感じるほど、肉の薄い体でした。それでも温かく、人の血潮を感じることのできる体でした。
今この腕の中にいる娘は確かに生きていた、それを信じることのできるものでした。
急に抱きしめられて古い制服の娘は戸惑ったのか、しばらく体を強張らせておりましたが、じきに体中から力を解きました。その体に封じ続けていたものは溶けて流れて、満月からしたたる銀の雫に洗い清められたかのようです。
そしてそれは少女にとっても同じでした。
夜更けの学園にまで届く潮騒が数回、少女も娘も身を離します。そしてお互い顔を見合わせてつい噴き出してしまいました。元々二人とも、笑うことが好きな性分だったのですから。
「――ここも素敵だけれど、できれば私、一目故郷の町を見たかったわ。私が家族みんなで楽しくすごした、あの時の町を」
制服の娘が舌を覗かせながら言います。
それくらいの望みなら自分でもかなえてあげられるかもしれない、少女は考えて
少女は妖精の女王様に命じます。制服の娘から聞き出した名前や故郷の町の情報を伝え、在りし日のその姿を目の前に表すようにと指示をします。小さくうなずいた人工の精霊は一度頷くと手にしていた杖を一振りしました。
きらきらと杖から光がこぼれ、目の前の景色が一変しました。
戦が堪えぬ上に外の世界から来た怪物まで訪れるようになった時代を反映ししてのことでしょう。写真や情報、当時生きていた人の証言から地球上から失われた光景を拡張現実上に再現する技術の精度は増すばかりなのは、皆さまご存じの通り――。
ほんの一瞬で二人の前に、制服の娘がかつて暮らしていたという町が現れました。石垣と石畳の続く道に赤い瓦の屋根を持つ家々、その道を行き交う人々、坂から見下ろせる青い海。
石畳の上からこぼれるように枝を茂らせ、大輪の赤い花を咲かせる
制服の娘が生きていた時代には影も形もなかった技術による、ただ幻を見せるだけの魔法ではありました。
……自分は良かれと思ったことだけれど、まやかしをみせることが制服の娘を傷つけはしまいかと、少女の胸に後悔が湧いたのはかつての南国の姿が現れてからのこと。
それほど制服の娘の目は輝いていたからです。そして石畳の上を歩く制服の少女たちの後ろ姿を見かけると、その場から駈け出しました。――さん! と友人らしき方の名前を呼びながら。
少女が止めるのも間に合いません。
今目の前にあるのは拡張現実上の幻、
そのことに思い至らなかった少女は後悔に襲われ、自分の軽率なふるまいを呪いながら娘の後ろ姿へ手を伸ばします。
しかし、少女は目の前の光景をみて目を見開きました。制服の娘の声に気づいた少女たちは振り向いたのですから。人工知能がこしらえた影でしかない少女達であるはずなのに。
そして駆け寄る娘に気づくと満面の笑みで迎え入れます。どこにいらしてたの? 探したわよ、そういった声も聞こえました。
制服の娘は、石畳を歩く少女達に追いつきました。しばらく立ち止まって、はあはあと乱れた息を整えます。
そのあとは皆と一緒に、白い石畳の上を皆と一緒に歩きだしました。制服の娘は何か冗談を口にしたのでしょう、周りの少女たちが声を上げて笑います。華やいだ笑い声が遠ざかります。
さっきまでともにいた少女のことはもう振り向きません。
その背中を見送って、少女は微笑み小さく手を振りました。
曲がり角の向こうに少女たちの姿が見えなくなって一呼吸の後、
地球上から失われて久しい、南の町の光景は霞の様にきえました。
代わりに現れたのは、寄宿舎と校舎の間に作られた見慣れた小さな庭のみ。
制服の娘の姿もそこにはありません。
ざざん、ざざん……。潮騒の音が優しくくりかえされておりました。
残された少女は考えます。拡張現実上に表した幻の町並みにどうしてあの少女は入り込むことができたのか――。
しかしすぐに理屈をつけることを止めました。百と五十年近い時間と空間を越えて満月に招かれてこの場に招かれた少女がいたのだから、あのかりそめの町並みが本来あの娘が行く場所への入り口となってもおかしくはない。
それも全て満月の魔法。
一日花であるため萎んだ
ざざん、ざざん……。潮騒が少女にようやく眠気をもたらします。
唇に笑みを浮かべた少女は、その足で宿舎にもどりました。その胸には悲しみも不安ももうありません。
少女の半身は数日後、無事に帰ってきました。それが嬉しくてたまらないと少女はしばらく半身にぴったりとくっつき片時も離れようとせず、周囲をあきれさせていたと
それでもあの満月の夜にあったことは半身には決して語らないようだと、彼女は私に囁きます。臆病で恥ずかしがり屋、情熱的な見た目に反して潔癖な気性をもつ彼女は、半身の目の届かぬ場所で少女が見知らぬ娘と抱擁をかわしたことを胸に秘めていることをよく思ってはいないようでした。私は苦笑いをしてしまいます。
少女のふるまいが倫理的に正しいかどうか、それはこの物語を読んだ皆様方の判断にゆだねることにいたしましょう。
ともあれ少女はそれ以来、半身と離れ離れになっても昔の様に寂しさの虜になることはなくなったようです。
寂しくて辛くてどうしようもなくなった時は、ひそかにこの
さて、臆病で恥ずかしがり屋で潔癖な
また皆さまに当学園の女生徒たちの物語をお話できる日を、私も心待ちにしております。
それまで皆さまどうぞご自愛くださいませ。
扶桑花の物語 ピクルズジンジャー @amenotou
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