水あめ

三津凛

第1話

いやに生温かい風が吹いてくるな、と思ったそばから重たい雨が降ってきた。

私はなるべく雨を防げそうな木々の下を走って駅まで急ぐ。

けれどあっという間に滝のようなゲリラ豪雨になっていく。白い制服の下の下着が透けて見えそうな気がして苛々してくる。真っ黒な積乱雲が、蛇のとぐろのように空で渦巻く。

ふと屋根のせり出した店を見つけて、飛び込む。ほんの少しだけガラスの引き戸が開いていて、見たところ駄菓子屋みたいだった。薄暗い店内には店番すらいるのか怪しい雰囲気が漂っている。

濡れた制服や髪をハンカチで拭きながら私は雨に濡れないように身を乗り出す。水たまりがあちこちにできて、波紋がひっきりなしにできる。

遠くの方で雷が鳴る音がして、私はしばらく動けないことにため息をつく。

特にすることもなくて、そっと暗い駄菓子屋をのぞいてみる。

スーパーのお菓子売り場ではみないような古いデザインの飴やガムの包み紙が、日に灼けて薄くなっていた。

おばあちゃんの家の箪笥みたいな、かび臭い香りがする。

引き戸に手をかけて、そろそろ開けると微かに擦過音が響く。すると熊が身を起こすようにお婆さんが奥から顔をだした。

「いらっしゃい」

私は驚いて後退った。お婆さんは無言で私を見ると、汚れたパイプ椅子を引きずってレジ台の前に座った。

そして促すようにちらりと私を見ると、皺の寄った新聞紙をゆっくり開いた。私は仕方なく大きな音を立てて引き戸を開けると、店に入った。


店内は狭くて、古いお菓子たちが迫ってくるような圧迫感があった。知らないメーカーの見たこともないクッキーやラムネが沢山並んでいる。

10円、20円、と手で走り書きされた紙が箱の前に貼られていて、留めるセロテープが茶色に変色していた。

適当に見ている振りをしていると、どことなくセピア色に沈んだ店内の中で色鮮やかな一角を見つけた。

隅に追いやられるようにして置かれたそれは、水あめだった。青や赤や緑の原色に染められた水あめが、暗い店内の中でステンドグラスみたいに身を寄せ合っている。

お婆さんが新聞紙の端からそっとこちらを窺う。

丸い容器の半分ほどの量に入れられた水あめが鈍く光っている。短く切られた割り箸が一緒に添えられていて、私は昔同じものを見たことを思い出した。


子どもの頃にスーパーでこれと同じものを買ってもらったっけ。

上手く食べられずに飽きて遊ぶうちにテーブルをベタベタにして、かなり怒られたことを思い出す。水あめの味なんて全く覚えてなくて、乱暴に拭かれた口元や手のひりつきだけが妙に鮮明に蘇る。

水あめって、どんな味なのかな。

私は緑色の水あめを手に取って、引き戸から漏れてくる薄い光にかざしてみる。人工染料で塗り固められた緑の向こうから雨の飛沫が見える。

懐かしさが胸の奥で膨らんで、気が付いたらお婆さんの前に水あめを置いていた。

「30円ね」

お婆さんは新聞紙を畳みながら眠そうに言って分厚い掌を差し出した。

私は小銭を渡して外に出ると、水あめの蓋を開けた。

雨はまだやまない。

添えられた割り箸を切り離して、緑色の水あめに突っ込む。ぐるりと容器の中で円を描くようにして水あめを掬って口に含む。安っぽい甘味料の味がして、奥歯に飴がひっつく。口の中が粘つく。奥歯にひっついた飴を舌で舐めとりながら、こんな味だったのかなと不思議な気分になる。

お世辞にも美味しいとは言えない味に私は眉根を寄せる。

さらにひと掬い、ふた掬いして食べてみても薄い人工的な甘さの後にしつこい粘つきが口に広がる。喉を引っかかりながら飴が滑り落ちていく感覚に嫌なものを感じて、そばに置かれたゴミ箱に容器ごと私は捨ててしまった。

まだしつこく甘さが口に残っていて、ペットボトルの水を勢いよく飲み込んでそれを洗い流した。

上手く食べられなかった水あめの味はこんなものだったのか、と私はがっかりして空を仰いだ。

まだ雨は止む気配がない。

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水あめ 三津凛 @mitsurin12

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