7+0.5話 少女アリアナの見聞録 前編


 ずっと考えていました。

 罹患りかん者を殺すことが本当に正義なのか、殺す以外に彼らを救う方法はないのか、そもそも黒憺病こくたんびょうとは何なのか。ですが、そう一朝一夕に答えが出るような問題ではありませんでした。

 だからこそ、悔しかったのです。私が感じていることが正しいと証明できなかったことが、救えたかもしれない人々の命を救えなかったことが、堪らなく、悔しかったのです。


『黒憺病ってのは、そんな半端な正義感や綺麗事で済むような問題じゃない』

『罹患者を慰藉いしゃし人への感染を防ぐ。アンタの言う正義がどんなに崇高かは知らんが、これだってれっきとした正義だ』

『何を守る為の正義だ? 人か? 罹患者か? それとも、我が儘か?』


 あの酒場での惨憺さんたんたる慰藉の後も、客室で布団に潜り込んでいる間も、家に帰り着くまでの道中でも、ぐるぐると、あの人の言葉がずっと頭の中を駆け回っていました。

 ですがあの人は、ご自身のやっていることや、私が苦悩していることなんて、さほど気に留めていないようでした。


 あの金髪の男の人の所へ報告しに行くと、あの人は何やら話し合いというか言い合いをしていました。それが終わると自宅に帰ってきて、私とあの人はかびの生えたパンの食べられる箇所と干し肉を食べて、シャワーを浴びて(また裸を見られました)、特に言葉を交わすこともなくそのまま眠りに就きました。


 そして今朝、目が覚めてベッドから身体を起こした私が瞼を擦っていると、あの人がテーブルの片付けもそこそこに何やら書類を書き込んでいました。

「おはようございます。お仕事ですか」

 何を書いているのか、純粋に気になっただけなのですが、少し皮肉に聞こえたかもしれません。私はまだ先日のことを根に持っているのでしょうか。

「おう、起きたか。仕事ってのに間違いはないが、俺のではなく、アンタのだな」

「私、ですか」

 あの人が書き込んでいる紙を覗き込んでみます。

「あの、これにはなんと」

「初等学校の編入届だ。近いうちに通い始めることになるだろう」

「学校……!」

 思わず胸が踊ります。話に聞くところによると、歳の近い子供達が一つ所に集い、勉学に励む為の施設だとか。そこで学ぶことが黒憺病の治療に何か役立つかもしれません。

「アンタの村にはそういうのはなかっただろ。きっといい経験になる」

 確かに、ありませんでした。主な生業である農業の技術や知識などは口承という形で伝わっていましたが、どれも実践的なものばかりで、理論的な事柄を教えることについては場所も人も時間もありませんでした。

「ですが、お金がかかるんでしょう」

 教育というのは金銭的な問題を免れないと聞きます。だからこそ、私の故郷のような辺境の地では推し進められるほど優先されませんでしたし、この都市でも、一定の所得を必要とするであろうことは想像に難くありません。

「それはいいんだよ。贅沢は性に合わんし、使い道もなく貯まる一方だったんだ。未来への先行投資ってやつだな」

 ていうか、ガキがそんなこと気にするな、彼はそう呟いて、手にしていた書類を脇に置いて別の書類に目を通し始めました。

 私は私で手持ち無沙汰だったので、ベッドに座って脚をぶらぶらさせたり、あの人が何かを書いているのを横から覗き込んだり、窓の外を眺めたりしていました。


 暫くそうやって暇を潰していると、ペンを置いた彼が急に立ち上がって、

「よし、行くぞ」

「どこへですか」

「学校と、飯だ。まだ何も食ってないだろ。……あぁ、その前にライオネルの所に用事があるがな」

 そういうわけで、私達は、向かいの事務所にいる金髪の男の人を訪ねました。正直、あの人は少し苦手なのですが。

「おう、いいとこに来たなァ。昨日の話か?」

 ……? ……!?

 丁寧にノックを三回、扉が開かれると、ソファに座った金髪の人の上に、褐色の肌の女の人が跨って……その、裸同士で、何かを……。

「真っ昼間から女を買うのはよせ。お前が来いと言ったんだろう」

 女の人が喘ぐように高い声を断続的に出していますが、傍らに立つ彼はなんともないように言葉を返しました。

 私には、あのお二人が、イケないことをしているように見えるのですが……気にしすぎなのでしょうか……。大人の男女はああいうふうに触れ合うのが普通なのでしょうか……。

「いいじゃねェか。往来のド真ん中でヤってるわけじゃあるめェし。それともあれか? お子様の情操教育に悪影響が、ってか?」

「全く以てその通りだよ、万年発情期」

 お二人のやりとりから察するに、どうやら私は、あまりよくないものを見せつけられているようです……。

「それは否定できんな。……さて、このままで悪いが、本題といこうか」

 悪いと感じているのなら一旦中断するなり方法はあるでしょうに、金髪の人はそのまま話を続けました。隣から溜め息が聞こえたので、きっといつもこうなのでしょう。

「といっても大まかな内容は昨日話した通りだ。王立黒憺病研究所にその子をエスコートしてやれ。俺の名前を出せば入れる。場所は分かるな? イライザ像噴水広場から北に歩けばすぐ見える。あのノーマンが設計したって話だから、見ただけでこれと分かるだろうさ」

「分かった。行くぞ、アリアナ」

「……え、あっ、はい!」

 私はいつの間にか裸のお二人に見入ってしまっており、返事が遅れてしまいました。慌ててあの人の後に続きます。

 ああいうのには、全く興味がないと言ったら嘘になりますが、私には少し早いような気がします……。胸もあの女の人ほど大きくありませんし……。

 背後から一際甲高い女の人の声が聞こえて、私は振り返りたいという欲求を抑え込みながら事務所を出ました。


 昨日は考え事をしていてお二人のお話はよく憶えていないのですが、その研究所に何をしに行くのでしょうか。どうやら私に関係することらしいのですが。

 彼が外套を翻して歩く数歩後ろを、私は置いていかれないように早歩きで追随しました。

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黒憺たる夜に 水ようかん @mzyukn0809

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