7話 理性と感情の相剋


 順々に、長蛇の列をなして並ぶ罹患りかん者達を、一人ずつ、確実に慰藉いしゃする。

 発砲する音、人が黒泥となって床に落ちる音、弾丸を再装填する音、次の罹患者が一歩進んで泥を踏む音、そして発砲する音。

 言葉を交わすこともなく、慰師いしは死を贈る者、罹患者は死を受け取る者として、時間ばかりが過ぎていく。否、費されるのは、時間だけでなく、罹患者の生命いのちもそうである。そして、費された数だけ、床には泥が堆積している。


 異様な光景だった。ユーリはただ、機械的に罹患者を慰藉している。罹患者も罹患者で、何人かは死への恐怖に怯えていたものの、大多数が、信仰にじゅんじ新たなる世界へ旅立つのだと、喜色を浮かべて銃弾を受け容れていた。


 そうしておよそ十人を慰藉し終えた頃、酒場の入口から、慰師がいるという話を聞きつけたのか、ぞろぞろと他の村民もこぞってやってきた。新たに現れた彼らは、行儀よく列の最後尾に加わり、粛然しゅくぜんと慰藉の順番を待つ。


 彼らは慰師によって慰藉されることが救いであると信じているようだが、ユーリにしてみれば、誰が誰を葬ろうがそこに大差はない。

 自分は国の認可を受けて罹患者を慰藉しているが、ただそれだけの話だ。罹患者同士が殺し合い、最後に誰もいなくなるのであれば、慰師が慰藉するのと本質的には何も変わらないし、むしろこちらの手間が減るのでありがたい。重要なのは罹患者の抹殺であって、誰が殺すかということではないのだ。


 彼ら罹患者の表情に苦痛の色はない。銃弾の節約も兼ねて頭を撃ち抜き続けているからその暇もないだろうが、ユーリが引き鉄を引くその直前まで、あくまで真剣に、銃口を見据えていた。


 残りの罹患者の数が半ばを切ったであろうという時、ユーリは、客室の方から扉の開閉音、そして階段を下りてくる足音を聞いた。

 他の罹患者か、或いは自分達以外にも宿泊客がいたのかと考えるが、どうやらそのどちらでもなかったらしい。


「……何を、しているのですか」

 惨憺たる光景を目の当たりにして、アリアナは動揺をその声に色濃く滲ませていた。

「何って、仕事だよ」

 何を分かりきったことを、と思いつつ、ユーリは答えて、弾丸を再装填する。そしてまた、次の罹患者を一人、脳天を撃ち抜く。


 アリアナはユーリの傍に来て、物言わぬ黒泥と殉教の時を待つ罹患者達を瞥見した。

「そんな無抵抗の人達を撃つのが、仕事ですか」

「人じゃない、罹患者だ」

 罹患者は人ならざるモノに堕ちた成れの果てだ。人間と同じように扱う道理などない。

「ですが、何も殺す必要なんて……」

「ある。治療法も見つからず、放っておけば周囲に感染する、その原因を断つには、こうする他に方法はない」

「……っ」

 次の罹患者に銃口を向け発砲する。


 ユーリがしていることは、正義に適う行為、今はもういない禿髪とくはつの男の言葉を借りるなら、国益に適う行為だが、確かに、直感や感情といった側面から見れば否定的になるのも理解できる。

 だが、感情論や理想論では人を救えない。足を掬われるだけだ。何を切り捨てて何を取るか、それを選べなければ、どちらも手から零れ落ちる。

 殺さずに済む方法? そんなものがあるなら、最初から慰師など存在していない。

 国が一つの身体であるならば、罹患者は悪性腫瘍かがん細胞だ。取り除かねばいずれ全体に悪影響が及ぶ。それを事前に食い止めることの、何が悪だと言うのだろう。


 次の罹患者に発砲する。

「アリアナ、いい機会だから教えてやる。黒憺病こくたんびょうってのは、そんな半端な正義感や綺麗事で済むような問題じゃない。そんな感情は仕事の邪魔にしかならない。老若男女関係なく、罹患者であれば等しく慰藉する。でなければ徒に罹患者が増える。アンタが志して関わろうとしているのは、そういう類のモノだ」

 空想や願望ではなく、現実を見据えて未来へ歩む者になるよう、ユーリは年端もいかぬ少女に厳然たる事実を突きつける。

 アリアナは、長い睫毛と肩を震わせて俯いた。

「そうやって、人の命を奪うのが正義なら、私は……」

「人じゃない、罹患者だ」

 繰り返し訂正する。これはこの仕事における明確な線引きであり、堅持すべき格率だ。これなくして、ユーリは慰師として仕事をすることができない。


 罹患者に発砲。

「罹患者を慰藉し人への感染を防ぐ。アンタの言う正義がどんなに崇高かは知らんが、これだってれっきとした正義だ」

 アリアナが掲げるのが理想に即した正義なら、ユーリのそれは現実に即した正義だ。その溝は大きい。

「何を守る為の正義だ? 人か? 罹患者か? それとも、我が儘か?」

 罹患者が元は人間だというのはユーリとて承知している。その上で、人間の社会と秩序を守る為に、こうして彼は慰師として仕事をしているのだ。それを理解できないアリアナではあるまい。


 発砲。

 アリアナは慰藉を見ていることしかできず、眉間に皺を寄せて下唇を噛んでいた。

「そんなことより、腹が減ってるだろう。そこのサンドイッチはアンタの分だ」

 発砲して、アリアナには一瞥もくれないまま食事を勧める。幸い、ユーリの身体が壁となって黒泥は飛着していない。

「……要りません」

 しかしアリアナは、苦虫を噛み潰したような表情で、踵を返して階段を駆け上がっていった。

 ユーリはそれを視界の端に捉えつつ、彼女のするがままに任せていた。


 再び、儀式めいて厳かに、互いに無言のまま慰藉が続行される。

 発砲、発砲、発砲、発砲、発砲、発砲、装填。更に発砲。


 やがて、

「……アンタが最後の罹患者か」

 足元は黒い泥で殆ど満たされ、元あった板敷きの床は今や見る影もない。初めは賑やかだった酒場は、全身に黒泥を浴びたユーリと、彼にちょっかいをかけた若い男を残すのみとなった。慰藉待ちの列に加わらず、茫然とその様を見ていたからだ。


「……せめて最期に、一つだけ教えてくれ」

 若者は虚空を見つめたまま呟いた。

「罹患者って、黒憺病って、一体何なんだ」

「知ってどうする。冥土の土産か?」

 ユーリは弾が込められているのを確認し、おもむろに拳銃を構えた。余計な苦痛のないよう一瞬で葬る為、その銃口は真っ直ぐ男の額を捉える。

「違う。自分が死ぬ理由を、ちゃんと知って納得したいんだ。教えてくれよ」

「黒憺病とは何か、ねぇ……」


 ユーリは少し考えを巡らせるように口を濁した後――発砲した。

 ぐちゃりと、泥の塊が床に落ちる。

 拳銃を懐に仕舞ったユーリは、振り返ってパンの乾ききったサンドイッチを頬張った。

「……そんなもの、俺だって知りたいさ」

 最早聞く者のない彼の言葉は、黒い泥に吸い込まれ溶け消えるのみだった。

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