その8 尊敬できる人
言葉が私の胸にぐさりと鋭く刺さった。反論したくて口を開こうとしたが何にも言えない。事実を言われ、弁解の余地もないからなのだろうか。
私は彼に恋情を抱いてはいないのだろうか。本当に?少しも?
「でもさ、好きかも、しれない。そう、しれないんだよ。私もう時間がないんだよ。早く結婚したい」
こどもみたいな言い訳だと思った。こういう時だけ大人って何?なんて知らないふりをしている自分がいる。
「しれないってなんだよ、曖昧だな。そうやって無理やり好きになろうとしてる時点でもう駄目だろ」
私は口を開いて、そして閉じた。その通り。晴臣の言う通りだ。
私が考えていることがわかったのか晴臣はしてやったりという顔をし、それから外面用である王子様の顔をして微笑んだ。
「お前さ、多分結婚できないよ」
「晴臣、相変わらず性格悪い」
この顔に一体何人の女性が騙されてきたのか考えるだけでも恐ろしい。晴臣の意地悪さは私のお墨付きである。彼を言い負かしたくてたまらない。
「私、面白い人見つけたの」
「へえ?」
頬杖をついてグラスを回し、からからと氷を鳴らす晴臣は私の方をちらりとも見ない。それに更にむっとした。
「その人、尊敬できる人なの。小説家でポルシェ持ってて、やりたいことが出来る人なの」
如何にも優秀な人っぽく言ってしまった。
あの人は小説家で賞を貰ったと言っていたから優秀なのだろうか。どんな人なのか私は上辺だけしかわかっていない。あのアパートのことなんて晴臣には言えない。
「で?その人とどうかなりたいわけ?」
晴臣は妖艶な笑みをつくり、私を上目遣いがちに見つめる。表情の微妙な動きでまだ知り合って本当に日が浅く、彼のことを何にも知らないということがばれないように配慮をしながら答える。
「尊敬できる人、だから。私もあんなふうに生きてみたいとは、思った」
「お前、尊敬できる奴なら誰でも好きになるんだな」
私、なんて大人気ないんだろう。
晴臣は私から視線を逸らしてからグラスをテーブルに置き、溜め息をひとつ吐いた。
そもそも晴臣を論破しようとしたことが間違っていた。ただの意地っ張り。
本当はわかってる。認めたくなかった。尊敬だけじゃ恋情には全然届かないということを。それでも今の彼と結婚して熟練夫婦になれば私の望んだ未来になるのだろうけれど、心のどこかでそれを否定している自分がいる。
だから、揺れる。
小説家の少し変わった、不思議な雰囲気のあの人でもいいのかもと思ってしまった。ゆらゆら、揺れた。
つまり私は誰でもいいのではないか。会って間もない人に対してもこの人とはそういう結婚ができるのだろうかと考え、本当に幼稚だ。
「相手のことも少しは考えてみろ。今の彼氏さん、悲しむと思う」
晴臣らしくもなく、相手の事を気にした。あれ、私、そんなに今酷い状態なのかな。そうなのかな。
確かに私は自分のことばかりで、必死で、彼のことなんて考えてなかった。私は彼を利用し、心の内では嘲笑っていた。こんな男って。
ぐるぐるいっぱい考えれば、きっと近い未来、私はお見合いに走るかもしれないし、もしかしたらもうひとりを貫くなんて宣言している可能性もある。けれど考えを放棄することはできない。それは自分の恋愛を諦めることと同じになってしまう。大人でもこどもでもいいからちゃんと答えを出さなければ。
「私、今の彼とは別れなきゃ」
晴臣に言ったんじゃない。自分に言い聞かせるように唇から零れ落ちた。
私はきっと男性の「意外」にとても弱い。ああ、駄目だ。
「あのさ、感傷に浸ってるところ申し訳ないんだけど」
私を気遣う声色ではなく、いつも通りの普通の声。晴臣らしい。その声が有難かった。
今なら無表情でも良いと思ったがその気持ちと裏腹に王子様スマイルの晴臣。――なんて嫌な男なのだろう。眉を顰め、次の言葉を待つと。
晴臣は王子様スマイルをほんの少しだけ崩し黒目勝ちな目で私を真っ直ぐ見つめた。
「俺は尊敬に値しないわけ?」
手の甲にキスを 葉月 望未 @otohana
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