エピローグ

 誰の姿も見当たらない、まだ辺りを暗闇が支配する未明の学校。


 ぼくはどこか埃臭い階段を一段ずつ上がる。ゆっくりと。踏みしめるようにして。


 階段を上がった先にあるスチール製の両開き扉。


 鍵はかかっていなかった。まるで誰かがその未来に導いているように。その未来が訪れるのを望んでいるように。


 扉を開け放つと、ぼくの横を冷たい風が勢いよく通り過ぎていく。扉はバタンッと怒号のような音を出して閉まった。


 もう戻れない。一歩一歩と死の淵へ近づいていく。


 あらかじめ用意しておいた書き置きが風で飛ばされないように、靴を脱ぎ、その下に置いた。


 フェンスを乗り越え、つま先がはみ出すほど幅の短い足場に降り立つ。


 靴下を通り抜けて足裏に感じるコンクリートの冷たさ。体に吹きつける風。すべての生き物が死に絶えたような静寂。今まさに向かおうとしている眼下は、暗くてよく見えなかった。


 前を向いて目をつぶる。すると走馬灯のように苦しみに満ちた記憶が脳裏に呼び覚まされた。


 日々絶えない周りからの罵詈雑言。暴力。迫害。孤独。裏切り。なにがきっかけだったなんてもう思い出せない。


 ほんとうに最悪な学校生活だった――――








 だけど。




 君と出会ってから、ぼくのモノクロだった世界は鮮やかな色を取り戻した。


 辛い苦しい悲しい感情を塗り替えてくれるほど、いじめられていた事実を忘れてしまえるほど、君といる時間はなにものにも代えがたいぼくの安らぎだった。


 こんなぼくのつまらない会話に付き合ってくれて本当に嬉しかった。こんなぼくと出会ってくれて本当にありがとう。


 君がぼくと同じ境遇だって知ったときは驚いた。


 そして悔しかった。君はあんなにも心の優しい人なのに、なんで周りから嫌われないといけないのか。そんなの間違っている。そんなのおかしい。


 だからぼくはヒーローになる。称賛や羨望なんていらない。君だけのヒーローに。


 君がぼくに生きる希望を与えてくれたように、今度はぼくが君の世界に希望を与える。そのためなら自己犠牲なんて惜しくない。……心残りがまったくないといえば嘘になるけど。


 ぼくは振り返って、フェンスの向こう側にある二つのうち片方の遺書をみた。


『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』。


 最後に伝えたい言葉を選んだら、意図せず自分自身への皮肉になってしまった。


 まったく、嘘なんてつくもんじゃないな。


 君の反応は見れないけど。君の返答は聞けないけど。


 それでも、いつか届けばいいな。


 前を向く。そろそろ夜明けだ。眩しいほどの朝日がぼくの視界を包みこむ。


 さぁ、ヒーローになろう。


 そのまま疲れた体をベッドに倒れ込ませるように、ゆっくりと。


 ぼくは身を投げ出した。







 ぼくは――――空井野卯月が好き

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ぼくは。素の嘘つきが嫌い 浅白深也 @asasiro

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