第24話 二人の嘘つき

「────『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』。警察は学校の生徒に向けた言葉だと思ったようですが、私はそれを聞いた瞬間、これは私に向けたものだとすぐにわかりました。彼は素のまま平気で嘘をつく私のことを嫌ったのでしょう」


 空井野は夕日に向かって飛んでいく二羽のカラスを目で追うように空を見上げた。


「今となっては後悔しかありません。なんであの時に本音を告げることができなかったのだろうか、真情を吐露していれば残酷な未来を回避できたのかもしれない、って」


 長く深い息をつく。もう取り戻せない過去を諦観し忘れようとするように。


「私が赤久くんを殺したようなものです。彼は優しい人でした。いじめのことも少なかれあるでしょうが、不良達を殺めてしまった突発的な行動を悔いて自殺したんです。……私は、彼に人殺しの罪を背負わせてしまったんです」


 そう言って缶ジュースを包み込む両手に視線を落とした。長く話を喋って疲れたのか、過去を思い出して辛くなったのか、その横顔は憔悴していた。


「これが私が日野さんを遠ざけようとした理由です。私は、幸せになっちゃいけないんですよ」


 そうしてふたたび同じ言葉を口にして話を締め括った。


 俺たちはしばし無言になった。辺りにはひぐらしのどこか物悲しい鳴き声だけが響いていた。


 夏祭りの日の口論を考えると、赤久真琴の自殺とはべつに、何かしらの事件に巻き込まれているとは思っていた。しかし、実際はその想像を超えるほど凄惨なものだった。


 社交的な人間であれば気遣いの言葉でも浮かんでくるのだろうが、俺にはなんて声をかければいいのかわからなかった。それに今の俺が優しい言葉を掛けたところで、彼女はすべて虚言と見なすだろう。ようやく空井野卯月という人間を知ったばかりなのだ。彼女の心に寄り添えるだけの友情も信頼も築いていない。おそらくそれが可能なのは赤久真琴だけだろう。


 だから、俺にできることと言ったら謎を解くことだけだ。


「空井野。俺の話に付き合ってくれないか?」


 空井野は顔を上げた。訝しむような表情だった。


「今から俺は自分なりに考えた推理を話す。赤久真琴という男がどんなやつだったのか俺は知らない。お前が間違っているというならそうなんだろう。これはただの俺の妄想程度で聞いてくれ」


 推理に自信がないわけではない。彼女の過去を聞いてようやく話が繋がった。


 しかし、これは飽くまで空井野卯月と赤久真琴の話なのだ。数日前に初めて顔を合わせた人間が全てを決めつけていいはずがないし、それが正しい答えだと押し付けるのは傲慢にもほどがある。赤久真琴の心の代弁者となるつもりはない。ただ俺は、その妄想の手助けになれればそれでいい。


 彼女の沈黙を肯定と受け取って、俺は話しはじめる。


「あの手紙……はお前の偽装だったわけだから遺書になるか。あれはお前宛てのものでもあるが、あの文面に関しては自分自身に対してのものだったんじゃないか?」

「自分自身に対して……ですか?」

「ああ。お前は自分のことを嘘つきだと言っているが、それは赤久真琴だって同じことだ。自分がいじめられている事実を隠していたんだからな」


 赤久真琴は空井野と同じように悔やんだはずだ。自分が嘘を吐かなければ空井野が嘘をつく理由はなくなり、お互い正直者になれたのだから。素のまま嘘を吐けるようになってしまった自分自身に対しての皮肉。


 空井野は黙っていた。それは肯定はしないが、否定することもできないという答えの表れのように感じた。


 俺は続けた。


「それと最初の時からおかしいと思っていたことがある。どうしてあの手紙にはお前の名前が記入されていないのか。まぁあの手紙は、俺たちを釣るためだけの嘘の手紙だから書いていないのは当然だけどな。だが遺書のほうにもお前の名前はなかった」

「はい。実際に拝見したわけではありませんが、『ぼくは。素の嘘つきが嫌い』としか書かれていなかったそうです」

「赤久真琴は書かなかったわけじゃない。書けなかったんだ。お前宛てなのにも関わらず、空井野卯月の名を。なぜならそれが遺書だったから」

「どうしてですか? 遺書だからこそ伝えるために相手の名前を書かなければならないでしょう。そうじゃなければ誰宛てなのかわからな……」


 空井野は神妙な顔のまま口を閉じた。どうやら気づいたようだ。


「そう。誰宛てなのか不明瞭にする必要があったんだ。廃工場での事件があったから。自殺となれば事件の真相を読み解く重要な手掛かりとして遺書の捜索は必ず行われる。そして警察はもう片方の遺書に書いてあるとおり、赤久真琴の自殺と廃工場の殺傷事件を結びつける。そこにお前の名前があったら事情聴取は当然ながら、最悪、あらぬ疑いをかけられ加害者にされることだってないとは言い切れない。そのことを赤久真琴は危惧して名前はおろか伝えたい文面も満足に書けなかった」


 その心情は複雑なものだっただろう。伝えたい思いが山ほどあるのに、その人の名前すらまともに書くことは許されなかった。すべては空井野のことを思うからこそ。


「自身の学校の屋上から身を投げたのは、さっきお前が言ったように不良達を殺めてしまったことに罪悪感を感じていたのもほんの少しはあるだろうが、なによりお前のいじめを止めようとした結果だ。赤久真琴が自殺して何が起こった?」

「…………いじめゼロに向けた運動……」


 空井野は出ない声を絞り出すように呟いた。


 赤久真琴が在学していた沖浜中と俺の通っていた中学は比較的ちかくにある。近隣の中学でそのような不幸な事故が起きたのだ。学校側はいじめ問題に対して一層過敏になり、いじめゼロに向けて尽力しはじめた。俺の学校ではアンケートやカウンセリングが主だったか。それは空井野が通っていた学校も例外ではないだろう。


 赤久真琴は自分の死が周りにどのような効果をもたらすのか分かっていて自殺を決行した。空井野卯月のいじめを抑制するために。


「ひゃ、百歩譲って安城さんの推測通りだとしましょう。では、遺書のあの文面が自身に向けたものなら、私に宛てた言葉は一体どこにあるというんですか? 他にはなにも書いてありませんでしたよ」


 俺の推理をどこかで認めたくないのだろう、空井野はやや反論する口調で言ってくる。


 俺は彼女の挑むような目を真っ向に受け止めて、真相に繋がるキーワードを口にした。


「アナグラムだ」

「え……アナグラムって……あの、文字を入れ替えてべつの文にするっていう……」

「ああ。そうだと分かったのはほとんど偶然だけどな」


 手紙の謎を解くため、これまでの空井野の言動を思い返していた時に気づいたのだ。


 彼女がいくつかの言葉遊びを口にしていることに。それは懐かしい言葉の逆さ読みであったり、四字熟語のしりとりであったり、寒いダジャレであったり。


 そして言葉遊びの中にはアナグラムというものがある。単語や文の中の文字を入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びが。俺の名前を例にとれば、真昼(まひる)→昼間(ひるま)のように。空井野が元から知っていたのかは分からないが、もし赤久真琴から教えてもらったのだとしたら。


 思い当たるところがあったのだろう、空井野は顎に手を当て必死に頭の中で考えているようだが、どうやら苦戦しているようだ。


 当たり前だ。アナグラムの意味を察するのは容易ではない。少ない字数ならまだしも、十文字にも及ぶのだから頭だけで組み立てるのはまず無理だ。まぁだからこそ赤久真琴はこの手法で思いを伝えようと思ったわけだが。


 俺はすでに解読済みだ。空井野卯月に対しての言葉であることを念頭におけば、何度か繰り返し考えただけで隠された意味を解くのは容易だった。どうも初めの『ぼくは』の部分は変えないようだった。句点で切ってあるのは、そこは入れ替えないという意味だったらしい。


 俺は鞄からメモ帳とペンを取り出し、赤久真琴が伝えたかった本当の思いをそこに書く。次の瞬間には泣いてしまうのではないかと思うほど難しい顔をした空井野にそれを渡した。


「赤久真琴が空井野卯月に伝えたかったことは、これだ」


 大事な宝物を扱うように両手で受け取った空井野は、紙に書かれた文字をみて目を瞠った。


 あまりに簡易的な結果が信じられなくて何度も頭の中で確かめるように、あるいはその直球的な言葉の中に新たな意味を見出そうとするように、ただひたすらに見つめ続けていた。複雑に絡み合った記憶の糸をひとつひとつ丁寧に紐解いているように、その表情からは様々な感情が見えたような気がした。


 やがて空井野は紙に視線を向けたまま言った。


「日野さんは嘘つきの私を許してくれるでしょうか?」


 容易に想像のつく問いだった。


 アカリは異常な善良者だ。空井野が本当に手紙の相手を自殺に追いやった犯罪者だとしても嫌いになったりはしない。なにかそこには訳があると断定してそれを突きとめるまで歩みを止めない。


「ああ。本心で謝れば、きっと」


 程なくして空井野は、乱暴にくしゃっと握った紙を胸に抱いて「……やっぱりダメですね」とぽつりと呟いた。


 それからこちらに視線を寄越し、


「あの、安城さん。少しの間だけ、私を見ないでいてくれませんか?」

「……ああ」


 俺は意味を察して言うとおりにする。


 そのあとすぐに、背後から小さな嗚咽が聞こえてきた。


 俺はなんとなしに向こうの空を望んだ。


 遠くにあった入道雲は徐々にこちら側へ近づいてきている。間違いなくあと数時間後には夕立が降るだろう。それを伝えるように、どこからともなく吹きはじめた冷たい風を受けて公園の木々がざわざわと不穏な音を立てていた。


 赤久真琴の思いはどういう結末を迎えるのだろうか。少し気になったが、それを聞くのは野暮というものだろう。彼女の様子をみれば想像に難くないことだ。


 二人の素の嘘つきは、ようやく、正直者になれたのだから。



 ぼくは。素の嘘つきが嫌い――――ぼくは――――――――

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