――――――――――――――――⇒結論


 そうこうしている内に、僕の学年は、いよいよ受験生というレッテルを貼られて生きていくことになる。くだらないポスト・アポカリプスをネットに投稿するために、勉強と広い友好関係を捨てていたら、いつの間にか高校三年生だ。延長線上には大学一年生とという門が待ち受けている。ずっとあこがれてきた大学への道がようやく拓けてきたのはうれしいのだが、受験という試練を乗り越えなくてはいけないのがどうも癪に障る。

 ただ、模試や進学補修が日々ちょくちょく挟まれること以外は以前と変わらない学校生活だ。今日も友人との会話と、購買のパン目当てで学校に足を動かす――。

「では、この複合語を読み下せる人はいますか? ……はい、じゃあ伊藤君、睡眠学習の成果を発揮してください!」

 肩を叩かれてまどろみから救われた。黒板には「已矣哉」の文字。なら楽勝だ。

「えーと、やんぬるかな、です。その下に続く文は、国に人無く 我を知るし、と読み下せます」

「はい。次からはきちんと起きていてくださいね。ここで寝ていては、夜に眠れなくなりませんか?」

 余計なお世話、としか言いようがない。サービスで余計に読み下したのに、この返答はなかなか。

 いちいち先生の言ったことに対して反駁をしてしまう癖は、どういう年ごろだとしても、自分でも嫌になってしまう。そんな悩みが最近産声を上げた。その時間を単語の暗記に使えたらどんなにか効率的だろう。……これは受験ロボット、つまり教員に毒されてしまった証拠だろうか?



「文化祭の出し物については、あらかた決まったんだよね?」

「はい。今年も我らが会の得意分野、トランプゲームを主とした展示、ブースを出店します」

「内訳は…………、ポーカー、テキサスホールデム、ラミー、ナップetc. なるほどね」

 部長としての最後の務めを、ようやく終わらせる時が来た。誰が得をするのか一向に分からない、九月の文化祭。パンプキンでも飾っておけばいいのだろうか? ただでさえ貴重な時間により貪欲になった受験生を呼び出すことに、意味は無い気がする。

 ああ、だから、僕はこういう時間を他の事に費やせばいいのに。

「柳瀬、もう必要な道具は、一通り買っておいた?」

「はい。デックについてはU.S.プレイングカード社の物を一通り買っておきました。バイシクルとビーは十デックずつ、タリホー、ホイルは三デックずつです」

「他には? フェルトとか、カードシューとか」

「どちらも部費が許す限り買っておきました。チップについては今のままでいいかと」

 僕がいない間に、二年の柳井が随分と頑張ってくれていたようだ。しめしめ。なら、もう今日はお開きにしましょうか。

「お疲れ様です」

 と、先に帰った二人に続いて僕も帰路につかんとした時、武田が進行方向をふさぐ。先ほども彼は何やら影を含んだ表情をしていたが、これから相談されるのならまっぴらだった。

「ちょっと話があるんだ。中央廊下へ」

 そらきた。やめてくれよ。僕は何もしてない。神様、あなたは何て不幸な「今日」を贈ってきやがったのでしょう。

「俺、もう小説は書かないことにするよ」

「は? まってなにそれ怖い」

 こわばった表情に、思わず奇妙な笑みが混ざりこんでしまう。それほど彼の告白は唐突で意外性に充ちており、僕を動揺させるには十分すぎるほどの衝撃を持ち合わせていた。

「でも、最初の中編ファンタジーは書き終えて、もう二作目に突入しているんだよね?……もしかして、受験が原因とか」

「いや、そうじゃ、そうじゃない。僕は主人公に恨まれて当然だ! 家族を皆殺しにして、親友を見殺しにさせ、故郷を破滅に追いやった……。今度は何をしでかすかわからない。俺はいつ調伏されるか……」

 ああ、とっても律儀だ。僕なんて全人類の二分の一を「間引き」するシナリオも頭の中にあるというのに。

「僕はSFを書いているから、人の死なんて日常茶飯事だよ。あとさ、例えば他のファンタジーでは、魔王が虐殺してるし……」

「そうじゃない。それは大虐殺。大勢の死。僕は一人を懲らしめ続けていたんだ! 怨みは無限大で、もう僕の心だけでは収納しきれない」

「忘れればいい」

「忘れられる訳がないだろ」

「原稿を消そう。くしゃくしゃにして、ゴミ箱行きだ」

「あのさ、俺の心の傷が、そんな事で癒えると思うのか?」

「なら他の小説で懺悔すればいい。もしくは神父のとこにでも行って、告解を聞いてもらえ。とにかく、そんなことで小説を諦めるのか? 社会に出たら、もっと厳しいことが待ってると思うけれどね!」

 苛烈さを増す会話は、このままだと友情の糸さえ容易く切ってしまいそうだった。これ以上は言わない、そう心に言い聞かせる。

「現実で人を殺したら、懲役か刑で償う。空想で人を殺した場合、人はどうすれば?」

 だから、背後から聞こえた声がいくら苦しみにおぼれたものであったとしても、慰めることは出来なかった。



 そして、ここからは十一月二日から始まった、僕の不幸の話。

 その日、僕は事故にあった。下り坂で勢いのついた自転車が、後ろから僕をはねたのだ。

 気付くともうそこは病院で、映画のように、最初に目に飛び込んできたのは白い天井。そこからは、非常に苦しい時間が、水飴のようにねっとりと僕を蝕んでいった。家族は泣いて、いつも憮然とした態度をとっていた弟すら悲しそうな顔をしていた。どうして? 皆こういうときにこそ笑顔を作って、僕の気を安らげてよ。これじゃまるで……、もう通常の生活を送っていくことが困難だって、目の前に突きつけられたみたいじゃないか。

 医師からは、たくさんの宣告をされた。手術のこと、リハビリのこと、排尿・排便のことなどなど。

 意識すればするほどどん底が迫ってくるような気がして、楽しいこととか、勉強のこととかを優先して考えるようにした。そうしても、直面する問題に背を向けてはいられない。我慢しても、心臓が高鳴り始め、足が疼き始め、意味不明の吐き気がする。また、思い頭痛、苦い涙など、狂った負の感情の産物が僕を狙っている。

 寝ている間はもっと無防備だ。いつも足を痛める夢を見る。刃のついたサンドバッグをひたすらに蹴っていく夢、疾走している最中突然臀部から地に堕ちていって、何事かと下を見ると、膝から下がスパっと切られている夢など、眠りにはいつも悪夢がまとわりついていた。嗚呼。そんな世界でしか足を動かせないのはかなり皮肉なことだ。

 手術後十日目。家族と医師以外で真っ先に僕に会いに来たのは武田である。それはちょうどクラスメイトから贈られた手紙を読んでいる最中であった。どれも中身がスカスカで、担任に無理やり欠かされたということが嫌でもわかる。

「座っていいか?」

 無言で頷くと、彼はベッドの縁に腰かけた。しかし次の言葉をなかなか発しないので、もう一度彼の顔に向かって頷いてみる。

「何……、何を話せばいいのかわからないよ」

「ちょっと、ここまで来たのに。一つや二つ、話題を持ってくるべきだよ」

「絶対、伊藤はいま不安定な状態だろ? 俺の言葉がトリガーワードにならないかと、気が気じゃないんだ」

「なら、世界史の受験勉強はどうかな。つまずいてるところがあるんじゃないかな?」

「ああ、古代史は文化史まで完璧なんだが、近現代史はからっきしダメだ」

「じゃあ、イランで言うとアフシャール朝あたり……?」

「あー、そこはもうわからんな!」

 ニッチな会話が、これまた楽しいのだ。このままいつまでも世界史を語らい合っていたいのだが、それは無理だとわかっている。

 アインシュタインの唱えた相対性理論は本当に正しい。楽しい時間はあっという間で、武田もそろそろ帰らなくてはならないと言い始めた。

「ああ、楽しかった。最後に一つだけ。自販機で、無糖のブラックコーヒーを買ってきてくれないかな」

「病人は、嗜好品禁止だろ?」

「病人じゃなくて、怪我人だから。お願い」

 という事情があって、今日は傍らにコーヒー缶が置かれているのであった。

 

 部屋が消灯された。いつもならとっくに眠っている時間だけど、今日は少し、今までのことを整理してみようと思う。プシュっと、缶に穴が開く。コーヒーはただ苦いだけの、黒い液体だ。そんなことをご丁寧に面と向かって宣言して来る奴が、過去にいた。けど、それがどうした? コクもあって、さらに香りもいいじゃないか。おまけに体を覚まし、脳を活性化させてくれる。事故の前はほぼ毎日飲んでいたのに、ここに来てからは一滴も飲めなかった。ああ、幸せだ……。

 一服を終え、いよいよ学校生活の辛くも楽しかった記憶を想起する。最初は膨大な量の情報が頭を駆けていったが、やがて二つの記憶が、僕の心に引っかかる。


……現実で人を殺したら、懲役か刑で償える。空想で人を殺した場合、人はどうすれば?……


 武田の言葉だ。彼は小説と現実が、あたかも繋がっているかのように認識していた。今までは、もし自分がそんな思想を持っていたら、きっと正気ではいられないだろうなと思うだけだった。でも、次の記憶と融合した時、僕はひとつの「怪物的思想」を、内面に生み出してしまった。


……つまり、三次元の住民は、二次元に存在する要素を司ることが出来るんだ……


 !


 この世界は、僕の人生は、四次元の住民によって書かれた小説なのではないか?

 僕の日常・生活・人生は所々切り取られ、書くに値する部分だけ文字に表されて、そのほかの些末な部分は切り捨てられる。衆人環視の状況で裸になるより、DNA検査をされるよりももっと残酷だ。体が透明になって、意識が切り刻まれ、僕の運動神経は創造主の指先が操っていることになる。もし今この瞬間も、小説に「採用」されていたら、僕の考えていることが、ペラペラした紙に印刷されているか、さもなくば画面に映し出されているのだろう……。

 となると、余計に腹が立つ。僕の両足の犠牲は、ご都合主義の典型ということになるからだ。作者の勝手な考えによるもの! もし作者がここで原稿を放り投げたら? 僕の両足はどうなる⁉ 尊い犠牲はどうなるんだよ⁉

 いや、落ち着こう。僕の考えが正しければ、これは小説。人に読まれている可能性もある。なら、読者に問いたい。聴いていますか? 僕の思考は伝わっていますか? 皆さん、僕は作者の身勝手な我がままによって、移動する自由を奪われました! これは許せる行為ですか? 僕はそうは思いません。こんな世界に――二次元か、三次元かわかりませんが、とにかくあなた達の住む世界よりも低次元に閉じ込められて、ひたすら理不尽に苦しめられています。僕が何をしたというのでしょう? 僕は……。

 だから、もし僕が憐れな犠牲者だとお思いになるのであれば、作者を非難して下さい。そいつは僕を下半身不随にさせました。明るい将来を暗転させた極悪人です。容赦はいりません。必要ありません。目には目を歯には歯を。

 


 これは僕の物語、いや、僕だけの人生、僕の時間、僕の場所だ。その事を証明するには? 僕は僕だけが動かし、僕の行く先は自分で決めたい。今は完全に乗っ取られているではないか。この寄生虫を排除して、体を独占するには……?

 この物語、終わらせるしかない。この行動さえ「書かれたもの」であろうとも。


 僕横たわるベッドの隣には、僕の筆箱がある。そこにはカッターがあるはずだ。またそこにはペンがあるはずだ。


手首を縦にカットして、脳をかき乱せば――


もしかしたら!

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世界 _ おもちゃ箱 凪常サツキ @sa-na-e

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