世界 _ おもちゃ箱

凪常サツキ

(ささやかな日常)―――――――

 僕に必要不可欠な暮らしの一部。小説執筆はこの一言であらわせる。これまでに色々やってきた。作曲、ピアノ演奏、作画、プログラミング……。それらは残念ながら長くは続かなかったものの、小説を書くという趣味は今までやってこられている。いわば「本物」なのだ。

 そして、今日は記念すべき日となった。というのも、僕の前でこの店特製ブレンドコーヒーを嗜む武田が、いよいよ小説を書き始めた、というを受けたから。

「え、そんな前から書いてたの? 僕には内緒で?」

「いやー、なんだか言うのが気恥ずかしくてさー」

 武田は視線を落とし、後頭部をさする。非常にコミカルな動作をしてくるものだ。彼と僕は同級生なわけだし、部活も同じだ。それだけ接する時間があって、しかも仲がいいのだから、もう少し早く報告してくれてもいいではないか。不満である。

「で、ジャンルは?」

「えーと、俺はファンタジーだね。剣と魔法の、純ファンタジー。転移・転生モノなんて、認めるものか」

「僕はファンタジーをあまり読んでないけれど、それには同じ考えだよ」

 トラックにはねられて、女神から能力を付与される主人公。また、そこから始まるハーレムライフ。やってることは結局現実と一緒。異世界というフィールドの利が、まるで生かされていない……。実を言うと彼はてっきりそっち系統が好きなタイプだと思っていたのだが。人は見かけによらないらしい。

そのまま僕たち二人は意気投合し、話に花が咲いた。ふと気になって、ちらりと腕時計に目を落とすと、九時を五分だけ過ぎていた。

「さて、そろそろ学校に行った方が良いかもね。ちょうど一時間目だけ飛ばせるから」

 寒空の下、朝一に持久走をやらせるなど、教師もなかなか酷なことをするものだ。僕たちには半袖短パンを強要しておきながら、自分たちはダウンジャケット着用など、都合がよすぎる。だからいくら成績が下がろうと、僕と武田は木曜日の朝だけこうして喫茶店に居座るのだ。

 今回の支払いは彼に任せて、僕はさっさと店から出ることにしよう。……コーヒー一杯分のカフェインが、外の寒けをさらに際立たせる。



 僕らの通う高校は、なかなかに交通の便が悪い。四方を梨園に囲まれており、時折鳥よけの銃声を模した音が辺りに響き渡る。言い方を変えれば緑に囲まれているともいえるが、肥料のえたにおいは不快そのものだ。

 あまり良いとは言えない学習環境に取り囲まれているにもかかわらず、以外にも学生数は多い。これまた学習環境悪化に一役買っているのだが、友人が多く作れるというのも事実だ。尤も、僕を含めた陰気な奴らは、限られた仲間内でしか交流をしないので、ともすればその利点すら欠点に捉えてしまいがちである。

 おびただしい数の生徒をかかえた校舎。その一角に、我らが「卓上遊戯同好会」は部室を持つ。

「で、今日は何する? 定番を攻めて、カタンの開拓者たちとか?」

「……二人しかいないのに、その選択はなかなかですね」

 数少ない後輩のうちの一人、川内は二人用ルールをご存じないらしい。まあそれくらい無知な方が、育て甲斐があるというもの。

 とはいえ今の自分に説明を施す気力は毛頭ないので、その案はボツだ。

「じゃ、トランプだな。ポーカーチップ用意」

 川内がロッカーからチップを取り出し、せっせと机に運び込む。その間に僕は青いフェルト生地をひき、トランプのシャッフル作業に取り掛かる。

「よう! お疲れ」

 部員は誰だと、四つの目が扉に向く。

「園田か。補修お疲れ」

 二人で遊べるゲームは、種類が限られている。だから彼の参加は、部活動を盛り上げることとなる。この喜びを伝えようとした矢先、園田は学校指定の無駄にかさばるカバンから封筒を取り出す。

「これ、武田から。お前に渡しとけって」

 茶色い、角二サイズの封筒だ。川内にはトランプの準備を任せておき、いそいそと中身を確認する。……これは、原稿か。同封されていたメモを見ると、どうやら僕に件の自作ファンタジーを読んでもらいたいらしい。

「感想、か」

「なあ、これ何なんだ? あいつ文芸部にでも転部したってのか」

「いや、それは無い。だけど、どうして同じクラスなのにわざわざ人伝で? 接する時間はたくさんあったはず」

 また、無駄にボタン付きの封筒で送ってくるあたり、あいつの非凡さを感じる。

「せ、先輩。もう準備完了です」

 おっと忘れていた。ここは卓上遊戯同好会。アナログな遊びに精を出さなくては……。



「はい、ではそろそろ答えを書いていってもらいましょうか」

 ……何もわからない。というか、書かされるとは想定外だ。だから一時間目の数学は、体育に負けず劣らず嫌いなのだ。睡眠欲求に打ち勝つことが出来なければ、すぐに皆遠くまで行ってしまう。

「三番。小西君。で、最後の四番は伊藤。はい、ではお願いしまーす」

 おいおい今日は随分と運が悪い日だ。洋画の不良青年ならこう言ってる状況だろう。ワットザファック!

「すみません。わかりませんでした」

「なに? わからない? じゃあ一緒に解いていこう。まずは求めるベクトルp ⃗ を(x,y,z)とする。また、ベクトルa ⃗ とベクトルb ⃗ は垂直であり、なおかつa ⃗ とb ⃗ の積が0……おい、君はわかっているのか? 自分のことじゃないからって、話を聞いてないとろくなことにならないから、気をつけろ。……で、こうして連立方程式を作る。解をそれぞれに代入し、x,y,zの解を求めれば……、(1,-2,-2)(-1,2,2)となり……」

 Uh, sama lamaa duma lamaa you assuming I'm a human! 始まりました。魔法の言葉。秘密の扉を開ける合言葉でないなら、エミネムの超速ラップだ。

 他人に理解させようという気が全く見られないから、教わる側は理解したくてもできない。これまで会ってきた数学教師はみんなそうだ。思うに、数学を得意な人が数学教師になっても、文系の生徒が増えるだけだ。

 適当に指示にしたがって、心では良い教師とは何かという問題の「解」を探す。そうすれば、いつのまにか二時間目の先生が教壇に立っているのだ。生物を担当するこの中年男性は、いやに香水の香りが強い。ヘアワックスでテカテカ光るオールバックもまた印象的だ。

「こうしてATPのおかげで、二つのフィラメントが互いに食いこみあいます。滑り込むというか、通過していくというか……。ま、ということで、この現象を“滑り説”といいます」

 通過か。……ずっと疑問だったのが、「五次元で追加される要素」とは何なのだろうか? 正直四次元の「時間」というものについても疑問は残っているが、五次元に比べればちっぽけなものだ。――ちょうどいいことに、この先生は物理の教員免許も持っていたのではなかったか? これは訊きに行くしかあるまい。

「先生、確か物理にも詳しいんでしたよね? “次元”について教えていただけますか?」

 授業は聞き流したが、この解説だけは聞いておこう。幸い、先生は快諾してくれたので、質問をぶつける。

「ああ、なるほどね。実をいうと、五次元については解明されていない上に、私もよくわからない。けれど……」

 人差し指を目の前に置かれる。はなはだ不愉快。作法がなってない。先生は僕のしかめっ面を無視して説明を続ける。

「けど、君が言っていた“通過”という概念よりは、分かりやすく説明してみよう。まず、一次元を考えてみる。それは点・線の世界。続いて二次元、三次元、四次元はそれぞれ平面、立体、時空の世界だね。話は戻って、ここに二次元の住民を誕生させよう」

 先生は机にあった裏紙を一枚だけ取り、棒人間を書く。ふきだしには「おはよう」の文字があるほかには、説明すべき特徴がない。

「私はこの人間を……、くしゃくしゃにできる!」

 いきなり興奮し出した。ああ、他の生徒たちの視線が痛い。僕の顔も冷や汗に支配されて、目の前にあるようなな光を反射するものになってしまっているのだろう……。

「伊藤、ついてきてるか?」

「はあ……」

「つまり、三次元の住民は、二次元に存在する要素を司ることが出来るんだ」

「なら、四次元は空間を司り、五次元は空間と時間を司る……?」

「そういうことだよ! 伊藤、わかったな? よし、他に質問があるやつは挙手!……いないか」

 次の瞬間には早足で教室を抜けていた。まったく嵐のような人物だ。

「台風一過だ」

どこかでそんなことを呟いた者もいた。上位の次元は下位の次元を自由に操作できる、それを教えてくれるならば、台風でも山火事でも大歓迎なのだが。



 僕の目前にはコーヒーミルと、瓶に入った豆が置いてある。なんとまあ贅沢なシチュエーションだ。部活の所有物でなければなおよい。

「ごめん、川内。どうしても君の好みが覚えられない。えー、何が好きなんだっけ?」

「マンデリンです」

「覚えておくよ。で、武田は?」

「モカ以外なら何でもいい」

 ありがたい。全員同じなら、余計なことを考えなくても良いのだから。

「やっぱり豆を挽くときの音は心地良いな!」

 武田も僕と同じことを考えているようだ。

「やっぱり蒸らしている時の香りは最高だな!」

 これも同感だ。ただ、この豆はどうやら買ってから時間が経っているらしい。蒸らしても膨らまない。

「どうぞ」

 さて、二人にはカップ一杯のマンデリンをば。次は感謝の言葉を背後に垂れ流し、自分だけの特別な一杯の作成作業に入る。

「論評:昨日のファンタジー小説について」

「お! 来ましたか……。随分と唐突なこった」

 豆を蒸らしながら、僕は武田に良かった点を欠点に交えて批評する。設定にあらは無いが、安定を選びすぎている。また、人物の心情描写は上手いが、そもそもキャラが印象的ではない、などなど。顔を見なくてもわかる。彼は背後でしなしなとしぼんでいるのだろう。青菜に塩だ。

「ありがとな。丁寧に読んでくれる友達って、伊藤しかいないからさ、生の感想を聞けたのは非常に貴重だ」

「まあ、ヒロインのエルフが村を焼かれて両親を亡くすって設定は……」

「そ、それはだな、まあご愛嬌ということで」

「頭をどれほどしたたかにったとしても、君を愛らしいとは思わないよ、僕」

「おいおい、ここはいつから“卓上小説同好会”になったんだ?」

 いつの間にか部室に侵入し、川内の前に座っていた園田。あまり成績は芳しくないが、なかなか痛いところを突いてくるではないか。

「じゃ、俺も何か頼もうかな? 部長マスター、マンデリンを所望する!」

 おっと、これは困った。豆はあいにく僕ので最後だった。

「できればわがままは言わないでほしいな。ここは“卓上珈琲試飲会”ではないので」

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