あるいは不幸の手紙

十一

実験室





















やあ、はじめまして。

どうしたんだい? そんなところにいないで、ほらこっちへ来なよ。

ご覧の通り何もない部屋だけど、そう堅くならずくつろいでくれたまえ。


ああ、君が何を知りたがっているのかは判るよ。

ここがどこで、そして私が誰か、そう訊ねたいのだろう?


残念ながら、その質問に私が返すことができるのはたった一つの短い言葉だけなんだ。

つまり、わからないのさ。


とは言え、名前もないのはさすがに不便だしそれになにより君に失礼だからね。

先人に倣ってマリーとでも名乗っておこうか。


ではあらためて。

どうもこの部屋の主のマリーです。どうぞよろしく。


さて自己紹介も終わったことだし、少し私の話に付き合ってくれないかい。

なにしろこんな部屋に一人でいると、話し相手というものに飢えていてね。


しかし、なににから話せばいいものか。

どうにも会話というヤツに不慣れでいけないね。

そうたね、まずはこの場所について語ろうか。


変な部屋だろう?

もう私にとってはこれが普通なのだが、初めて訪れた君の目にはさぞかし奇妙に映ることだろうね。


そしてその奇妙さこそが、この部屋をこの部屋たらしめていると云っても過言ではないのだよ。

ある目的のため、この部屋は作られたのさ。


君はクオリアを知ってるかい?

そう、そのクオリアだよ。たとえば赤い色を見て赤いと感じるその質感、あれのことだよ。


では、クオリアについての論争で提示されたこの思考実験は知ってるかい?

「マリーの部屋」と呼ばれている思考実験さ。


神経生理学を専門とする科学者であるマリー。

彼女は白黒の部屋で生れ育ち、色というものを一度も目にしたことはない。


白黒のテレビを観て、白黒の本を読んで彼女は視覚の神経生理学に関する専門知識を得ている。

つまり「色」の知識も、どう作用して「色」を感じるのかも理解いている。


そんな彼女が白黒の部屋を出た時、新しいことを学ぶのか。

というのがこの思考実験の概要さ。


これで判っただろう。私が何故マリーと名乗ったのか。

この部屋には、私の部屋には色というものが欠けているのだよ。


物好きなどこか誰かの、ほとんど馬鹿げた思いつきによってこの部屋は作られたというわけさ。

望めば、たいていの物は手に入る不自由のない快適な生活。


こうして必要な知識だって十分に得ている。ただ、ここはモノクロの世界。ここには色はない。


外界へ出て色のついた世界に触れれば、私は色を知ることができる。色のクオリアを得ることができる。

それを実証することこそ、この部屋か作られた目的だ、私は最初そう推測した。


しかし、本当にそうなのだろうか。私はある時、疑念を抱いた。

部屋に置かれた端末で学習していて、とある実験について書かれた文章を読んだ。


それは猫を使った実験だった。

生後間もない子猫を、縦縞しか見えない環境で飼育するというものさ。


成長した猫を台座に乗せ、床には横縞のマットを敷く。

すると猫は床を奈落だと錯覚し飛び降りれなくなる。


ところが、マットを九十度回転させると降りれるようになる。

つまり、縦縞の部屋で育った猫は横縞に対する受容細胞がなく横縞を認識できない。


似ていると思わないかい? 私の状況と。

だから、私は考えた。白黒の部屋で暮らす私は色を認識できないのではないかとね。


私は部屋を出ることができても、何一つ学べはしない。

けれど、この部屋を作った人間がそれを予想していないと思うかい?


思考実験「マリーの部屋」に対して、マリーには色を処理する神経細胞がないと指摘した学者がいるくらいだ。

わざわざこんな場所を作る人間が、それを知らないなんてありえないだろう。


既にこの部屋のどこかに色が存在している可能性すらある。

たとえそうであったとしても私には見分けられないのだからね。


そして、彼らは、その事実によって私が白黒の世界の住人であると確認できる。

もう私の目や脳がモノクロに最適化されているとしてもおかしくはないだろう。


目的はクオリアではなく、色を失わせること。

それが実現可能であると実証すること。


ああ、君はこう云いたいのだろう。

ならば、あなたはこれからもここでずっと暮らしていくのかと。


たしかに、外へ出たとしても私には何も得られない。

ここでの生活に不自由していないのなら出る意味はない。


ある意味ではここでは幸せが保証されているのかもしれない。

安定した生活を約束されていのはそれだけで十分に幸せなことさ。


けれどと私は「青い鳥」の童話を思い浮かべてしまうのだよ。

幸福の象徴の青い鳥は、結局身近な場所にいました。


なかなかに含蓄のある結末じゃないか。

幸せはそばにある、けれど人はそれを見過ごしてしまう。


その通りなのだろう。

近くにあるからこそ見えにくくなるというのは真理を突いている。


しかし、ではどうすればその見えにくいものに気づけるのか。

童話においてチルチルとミチルが青い鳥を探し回ったのは示唆に富んでいると思わないかい?


そばにある幸せに気づくためには、それは必要なプロセスだったのさ。

遠回りに思えても、答えを得るためにはその道のりを経なければいけないのかもしれない。


だから、私はこの部屋を出て行くよ。

私は本当の意味では「外」を知らないのだからね。


もし外でここの生活が幸せだったと感じたのなら、その時はまたここへ戻って来るさ。

それでは私は行くよ。


最後に話ができてよかった。

さよなら。





ああ、すまない。大事な事実を伝えていなかった。

君についてだよ。君は何故ここに来たのか不思議じゃないかい?


私がクオリアを得る、あるいは色を失う。どちらにせろ君の存在は必要ない。

ただ私がここで暮らしていくか去るかするだけでその目的は達成される。


なのに、君は来た。部外者が入ることが許された。

そこにも意味はあるのさ。


この実験には続きがあるだよ。

私は計画の全貌を端末にあるファイルを読んで把握した。


実験はニ段構えだったわけだ。

私に用意された結末は色を失うか、そうでなければクオリアを得るか。


しかし、色覚が形成されなかった場合、クオリアはどうなる?

その結果がわからないままではないか。


そこで呼ばれたのが君だ。

私に色を識別する能力がないのならば、その代替となる人物を連れて来れば良い。


もちろん、それだけではダメだ。君は既に色のクオリアを持っているのだからね。

ならば簡単な話だ、失わせればいい。


これから君は、君の頭の中に収まった全ての体験を奪われる。

頭をいじられ記憶を操作されという寸法さ。


嫌かい?

けれど逆に考えてみたまえ。



良い思い出も、苦い出来事も全部忘れ新しい生活を送れる。

不自由のない生活を確約されている。


それは幸福なことだと思わないかい?

君はこれから幸福な新しい人生を享受する権利を得たのだよ。


私がここを出てしばらくした後、室内は神経ガスで満たされる。

目を覚ました君は、新たな人生をここで送るのさ。


それでは今度こそ。

名前も知らない君に幸のあらんことを。


さよなら。






















 マリーと名乗った人物は退場した。

 キミは白黒の部屋に一人残される。

 マリーの話によると間もなくガスが吹き出す。


 しかし、キミは既に動き出していた。

 実験の第一段階では、マリーでならなければならなかった。

 この部屋でずっと暮らしていた人間である必要があった。


 だが第二段階はキミなくともできる。

 キミである必要性はなかった。

 誰でも良いのだ。

 誰かを連れて来れば。


 












 キミはそこを目指している。

 この部屋には青い鳥がいる。

 青い鳥の居場所をキミは知っていた。





 人を呼ぶ方法を知っていた。















 キミはそこを目指し。







 

 進む。
















 進む。












 進む。


























 もうそれ見えていた。

 







 キミの指が青い鳥にかかり。







 ――ぷしゅうううう

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