《1話完結》胡散臭堂の呉竹さん

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胡散臭堂の呉竹さん

 胡散臭堂の呉竹さん


 四月某日。午後三時。

 専門学校の抗議を終えた日捲有紗(ひめくり ありさ)は《胡散臭堂》へと向かった。《胡散臭堂》は漢方薬局だ。名は体を表わす、の言葉通り、胡散臭い店である。

 地方テレビ局が拵えたセットの如き中国風の門扉に、何か浸かっている何かの瓶が店頭に置かれている。

 豪奢な看板は、豪奢過ぎて凄味がない。パチンコ店が気合を入れ過ぎて作ったチラシの文字のような、ぎんぎんぎらぎら、とした字体で『胡散臭堂』と刻まれている。

 ちなみに《胡散臭堂》が入居している雑居ビルの二階はハンバーガー・ショップ《トマト》だ。《トマト》の男性店員は、とにかく美形だ。天と地が引っ繰り返っても日本が沈没しても徹子の部屋が事故物件になったとしても、とにかく美形なのだ。

 閑話休題。

 有紗は《胡散臭堂》の門扉を潜った。

 刹那、ひんやり、とはかけ離れた痛いほどの冷気が漂った。

 有紗は、ひえっ、と身を竦めた。両手を胸の間で組み、鳥肌を撫でる。何かよく分からない瓶詰が並んだ棚の群れを、ぐるり、と見回した。

「呉竹さぁん、何なんですかぁ、これぇ」と呼び掛けた。

 一拍置いて、返事があった。

「冷やしておるのです。私は熱い気候が苦手なので」

 呉竹さん――店主の辺野古呉竹(へのこ くれたけ)がカウンターと思しき散らかった棚から姿を現した。

 呉竹は銀縁の眼鏡のブリッジを、人差し指の腹で、くいっ、と持ち上げた。蓬髪の黒髪が、さわり、と揺れた。背後のエアコンが、ぶおんぶおん、と四月にあるまじき唸り声を上げている。

 ――三十路くらいの男が、室温調整もできないのか。大丈夫だろうか。

 有紗は「まだ四月ですよぉ」とエアコンのリモコンを探した。だが、店内もカウンターも、とっ散らかっており、リモコンの姿は見えず。

 呉竹が「もう四月ですよ。五月から初夏です」と口応えた。白衣の袖を、おりおり、と折り曲げ、七分袖にした。表情一つ変えず、鉄仮面のままだ。

 ――だったら、その白衣を脱げばよいのにな。

 有紗はカウンターに散らばった書籍やチラシを重ねた。カウンターの隅へと追い遣り、尻ポケットからハンカチを取り出した。ハンカチでカウンターの上を拭く。不思議と埃は溜まっていない。

 呉竹は「掃除はやっていますよ。私は綺麗好きなので」と文句を垂れた。鍵盤の、ド、をひたすら連打したような口振りだ。どどどどどど、と平坦と喋る。

「掃除をやっているなら、如何して散らかるんですか」

 有紗は呆れた。

 呉竹は肩を竦めた。「川は流れようとも石を運ぶでしょう? 運んだ石は角が取れて河口に砂が蓄積される。同じような流れです」と説いた。

「私は川、とでも仰りたいんですか?」

「女は海みたいな言い草ですね」

 呉竹がしゃがんだ。謎の段ボールが犇めいている床で、がさごそがさごそ、と謎の整理を行っている。詰んだテトリスを如何にか崩そうと悪戦苦闘をしている姿にしか見えず。

 有紗は諦めた。

 ――まぁいいや。呉竹さんが、ど変人なのは今に始まった話ではない。それよりも……。

 有紗は背伸びをした。カウンター越しに、しゃがんだ呉竹に声を掛けた。

「聞いていただきたい話があるんです」

 呉竹が一拍置いて「猫か犬の話でしたら拝聴いたしましょう」と応じた。

「残念ながら猫か犬の話ではありません。犬と猫にしか興味がないんですか。三十路の人間がそんなんで良いのですか。とても心配です」

 思わず本音が出た。

 呉竹は首を捻った。無表情で振り返った。

「犬と猫に興味がない人なんて、おるのですか? 犬と猫に興味がない人間のが、私は心配です。白米が嫌いな日本人なんておるのですか? 羽生結弦が嫌いな日本人なんておるのですか? 出川哲郎の現在の御意見番キャラに違和感を抱かない日本人なんておるのですか?」

 ――おのれ呉竹。さだまさしの防人の歌のように、問い掛けを並べやがって。偏屈人め。

「とにかく、話を聞いてくださいっ」

 有紗は、ばん、とカウンターを叩いた。雪洞型の吊電球が、ふらぁ、とわずかに揺れた。

 ふぅらふぅら、と電球が揺れ、疎らな光が呉竹の顔に落ちた。

 呉竹は目を伏せた。目元に長い睫毛の影が落ちる。

 少しの沈黙が走り、呉竹の瞼が、ゆっくり、と持ち上がる。

「……仕方がないですね。お伺いしましょう」と呉竹は応接席を手で差した。

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 応接席と名は付いているが、段ボールと書籍とチラシの小汚い住処である。しかし、不思議と積もっている埃はない。

 有紗は丸椅子に腰掛け、口を開いた。

「友人の、笹原梅子が、茗荷(みょうが)を食べまくっているんです」

 呉竹は向かい合って腰掛け、ふむ、と頷いた。

「ああ、梅子さんは、胡散臭堂の店名を、殺風景頭太郎みたい名前の人だったら、絶対に剥げているじゃん? それと同じじゃん? と野次った方ですね。覚えています。大阪のおばちゃんのように笑う方だ」

「そうそう、がっはっはっは、と笑う……あの、梅子の話ではなく、茗荷の話です」

 呉竹は、ふむり、と頷いた。どうぞ、と茶でも促すように手を差し出して、説明を促した。無論、有紗には、茶の一滴すら出されていない。

 有紗は口早に説いた。頭の中で話を組み立てる。

「梅子が彼氏に振られて、でも彼氏を忘れられなくて、忘れよう忘れよう、って茗荷を食べまくっているんです」

 呉竹は無表情で「馬鹿じゃん?」と罵った。

 ――ぐぬう、否定しようがない。

「そう、馬鹿なんです。茗荷を食べると物忘れをする、っていう話を聞いて、それで。私は、梅子に、茗荷を食べさせるのを止めさせたいんです」

 呉竹が何度も頷き「私は梅子さんが茗荷を食べようが食べまいが、如何でも良いです」と豪語した。お経を唱える坊主の如く説いた。

「昼にオムライスを食べ続ける会社員のお父さんみたいなものです。別段、害はありません。茗荷は身体に籠った熱を冷まし、血行を良くする働きがあるので、夏バテや冷え性の改善に効果が有ります。食べ過ぎなければ害はありません」

 有紗は「一日に、百個くらい食べています」と噛み付いた。

 呉竹が、わずかに眉を持ち上げた。驚いているのだろう。「おやまぁ、馬鹿じゃん」と再び罵った。

「そうなんです、馬鹿なんです。梅子ってば本当に馬鹿。茗荷を取り寄せて、むしゃむしゃむしゃむしゃ、と食べているんです。どうにか止めさせたいんです。茗荷を食べても彼氏は忘れられないよ、と説得したいんです」

「もう心療内科のレベルだと思うんですよね。茗荷依存症ですよね」

 有紗は腰に両手を当て、胸を張った。

「既に心療内科は受診しました。茗荷を食べ過ぎないように、と言われました」

 呉竹が「でしょうね。こちらが医者でも、同じ診断をくだします」と相槌を打った。目を伏せ、うむ、と黙った。口を結んで、顎に手を当てる。

 しん、と店が静まり返った。

 びょーびょー、と狂ったように冷気を吐き出すエアコンの音だけが響いていた。

 有紗は呉竹を見詰めた。

 ――黙っていると、真面な人間に見えるなぁ。顔立ちは悪くないし、むしろ整っているし。なんとなく、上川隆也に、何処となくだけれど、似ているかも。……上川隆也に訴えられたら勝てないな。やめておこう。やはり、ちっとも似ていない。

 呉竹が、ゆっくり、と口を開いた。

「茗荷を食べると物忘れをする、という迷信は、落語の茗荷宿から来ております。風評被害ですよね。さて、茗荷ですが、食べずとも良いです」

 有紗は「だから、食べるのを止めさせたいんです」と頬を膨らませた。

 呉竹は悠揚と論じた。

「切り口を変えましょう。茗荷を刻んで茶を濾す袋に入れる、と物忘れをして良いよ、とでも伝えておけばよいのです。入浴剤に使うと、疲労回復の効果が有ります。食べるよりは幾分かマシでしょう」

 ――なるほど。食べる茗荷から浸かる茗荷にスライドさせるのね。

 有紗は頷いた。鞄からメモ帳を取出し、素早く書き込んだ。

 呉竹は続けて説いた。

「あとは、百合でも生けてごらんなさい。毎日、百合を生けるのです。山百合が良いですね。梅子さんと一緒に山を歩いて、山百合を見付けて、生けてごらんなさいな。五月からは初夏です」

「山って、学校の近所の、小さな山で良いんですか?」

「小さな山だろうが大きな山だろうが、山は山です。山のフドウだって、小さい山なのか大きな山なのかは明言をしていないですから」

「いやいや、山のフドウの話は知らないけれどよ」

 呉竹は、つらつら、と。鍵盤のドレミを往復する程度の抑揚で説いた。

「茗荷に塗れておる梅子さんを誘い出すは、有紗さんの仕事です。茗荷が生えているよ、宇宙船が不時着したらしいよ、徳川埋蔵金が比較的浅い地面に埋まっており糸井重里が掘り返そうと企んでいるらしいから先に頂いちゃおう、とでも誘ってください」

 有紗は頷いた。

 ――山かぁ。山で百合を探すのね。百合。山百合ねえ。そんな、山に生えているものなの? つか、一緒に山を歩くって、結構大変だよね?

 呉竹は説くだけ説いて、席を立った。白衣を脱ぎ、カウンターへ放った。

「私はこれから食事なので、店を空にしますから。とっと、と出て行ってください。梅子さんによろしく」

 冷徹に言い放ち、門扉を指差した。

 ――こんにゃろう。

 有紗は席を立った。メモ帳をバッグに片付け、熱のこもった尻を叩いた。捨て台詞の如き口調で「百合は何でも良いんですね?」と訊ねた。

 呉竹は大きく頷き、唱えた。

「百合の香の衣をとほす山路かな、です」



 後日、有紗は梅子と胡散臭堂を訪れた。

 茗荷の呪縛から解き放たれた梅子に、呉竹は教えた。

「山百合の花は心を安定させる働きがあるのです。ちなみに、中国薬学院の報告ですと、特に糖尿病患者に芳香が効く、と」

 梅子が「あたしゃぁ糖尿病ではねぇわよ、先生」と唇を尖らせた。

 呉竹は肩を竦めた。「あなたが糖尿病でない事実は知っています。心を癒す効果がある事実に付随する話として、伝えたかったのです。鼻の穴が大きいので、百合の香りを沢山嗅げて、良かったですね」と嫌味を飛ばした。

 梅子が嫌味に動じず「お陰様で、元気になったよぉ、がっはっはっはーっ」と山賊の如く大笑いをした。

 呉竹は有紗に目配せをした。

 有紗は「私に助けを求めないでくださいよ」と突き放した。一拍置いて、せめてもの助け舟に「森林浴の効果もあったんですよね?」と訊ねた。

 呉竹はつまらなそうな面で、答えた。

「さあ、森林浴の効果については、ウィキペディアで調べてください。此処は漢方薬局ですから。山の話は知りません。百合については幾らでも語れます。花は鎮静の効果があり、鱗茎は解熱や鎮咳、消炎などの効果があります。万葉集では十一首も百合について読まれておりますね。ちなみに品種改良がおこなわれたのは、江戸時代中期以降からです」

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