第9話『冷えた逆鱗』

 タンクタウンをエリー一行が出港してから、およそ一時間後。彼らの乗り込んだボートは、捕鯨竿島へと向けて白波を立てていた。


「エリー、凄いです!見渡す限り海ですよ!」

「そうですね。本土もすっかり見えなくなってしまいました」


 二人は、来た方向を振り返る。エリーの言うように、水平線の見える限りまで、青と陽の光の煌めく白ばかりだ。航海は至って順調で、波も乱れることなく穏やかな様子が長いこと保たれている。


「思ったより順調ね。これなら何事も無く捕鯨竿島に到着できそうだわ」


 アンリは操舵席からそう言って、ほっとひと息つく。


「ちなみに、その島まではあとどれくらいかかるのですか?」

「20キロも無いくらいよ。ざっと4~50分ってところかしら」

「ルート通りに進めていますか?」

「勿論。ちゃんと都度確認してるから安心しなさい」


 言いながら後ろ手をひらひらとさせる余裕気なアンリを見て、エリーとシャロンはほっと胸を撫で下ろす。


「この様子だと、僕の護衛も特に出番は無さそうですね。というか、海の上なんだから当たり前か」

「油断は禁物よ。この星は、人間よりもロボットの数が多いくらいだもの。海上に何かしら居てもおかしくないわ。いきなり魚雷とか撃ってきたりして」

「ええっ、そんなの撃たれたら防ぎようが無いですよ」

「甘えたこと言ってんじゃないわよ。私は操縦で手が離せないんだから、シャロンがどうにかしなさい」

「そんなぁ」


 事実、ボートが突然襲われたとしたならば、シャロンの持ち合わせた攻撃手段ではどうしたものか。海中を自分は泳げるのだろうか、そもそも浮くことが叶う身体だろうか、否。そうとはとても思えないとシャロンはがっくりと項垂れる。見かねたエリーが懐からイノセントを取り出した。


「安心してください、シャロン。万が一の時はこれで海ごと消し飛ばしますので」

「僕達も吹き飛んじゃいますよ、それ……」

「絶対にしないでよね……船がバラバラになったら、海のど真ん中で犬掻きする羽目に遭うわよ。もし海上でロボットと遭遇したら、私の電子銃を貸したげるから使いなさい。今のうちに使い方を覚えておくことね。最大出力で二発までは撃てるから、一発までは外しても大丈夫だから安心しなさい」

「全然安心できる要素が無い……」


 言い終えてからアンリは、傍らに置いていた電子銃をシャロンに投げ寄越した。シャロンはそれを慌てて両腕でキャッチする。


「貸したげるって言われてもなぁ……これって海の中にも撃ったりできるんですか?というか、エリーとアンリに影響出ませんかね。感電とか」

「まあ、撃ってみりゃ分かるわよ」

「絶対嫌です」

《電子銃の出力電圧にもよりますが……》

「うわっ、吃驚した!」


 マルスの声に驚いたアンリは、大袈裟に椅子から腰を跳ね上げる。


《……おおよそ10m以上離れた海面に向けて撃つのであれば、人体に悪影響は及ばないでしょう》

「マルス。何だか、声を聞くの結構久しぶりじゃないか?」

《特に報告する事柄が無ければ、そういうこともあります》

「ああ……言われてみれば、マーケットを出てからはしばらく平和だったもんなぁ」

「ねえ、ちょっと!マーケットでもちょっと気になってたんだけど……そのアンタから時々出てる渋い声は一体何なのよ」

《私は、戦闘ロボット用オペレーションシステムのマルスと申します。以後、お見知りおきを》

「戦闘ロボット?……シャロンが?うっそぉ」

「失礼ですね。どう見ても戦闘用でしょう、僕は」

「むしろ程遠いくらいよ。そもそも武器も持ってないくせに……戦闘用って言うならビームくらい出しなさいよ」


 シャロンは密かに「目から凄い光は出ますけどね」と思ったが、余計馬鹿にされるだけだなとすぐに悟ってマルスが続けるまで何も言わないことにした。


《シャロンは現在、あらゆる戦闘用ユニットが損傷しています。現在のシャロンの戦闘能力は、アンリの言う通り訓練を受けた人間と同程度かそれ以下です》

「ほら」

《ですが、全ての戦闘用ユニットの修復が完了すれば、人間はおろか、あらゆるロボットの脅威になり得るでしょう》


 シャロンは、言われてエリーの方を振り返る。エリーは無言で首を縦に振った。どうやらマルスの証言は本当らしい。


「ほら!あらゆるロボットの脅威になり得るそうですよ、アンリ!」

「嘘くさ」

「ああ言えばこう言いますね、アンリは」

「ねえ、エリー」


 エリーはアンリの方を振り向く。しかし、彼女は前方の水平線を見つめたまま問いかけた。


「エリーは、どうしてそんな奴を連れて旅をしているわけ?ただのボディガードって訳でもないんでしょう?それに、衛星が潜んでいるとか何とかって昨晩言ってたわよね。アンタ達、衛星を探して何をするつもりなの?」

「壊します」

「は?」

「全ての衛星を見つけて、壊します」

「衛星を、壊す?」

「はい」

「本気で言ってるの?」

「ここで嘘をつく必要があるのですか?」

「嘘とかどうとかじゃなくて、無謀だって言ってんのよ。本気でできると思ってるわけ?」

「可能性は極めて低いと思います。ですが、他に方法がありませんので」

「方法って、そもそも目的は何なのよ」


 尋ねたが、エリーからの返事はいつも通りの沈黙だった。アンリは呆れて溜め息を零す。


「ねえ。シャロンはこれで良いわけ?」

「えっ。僕ですか?」

「アンタ、人間様の言う事を聞くだけの木偶の坊のロボット達とは少し訳が違うんでしょう?エリーにこのままついて行ったら、少なくとも五体満足じゃ旅を終えられないわよ。エリーがやっている旅は、そういう旅なの。なんとなーくでついて行っていいような、ぬるい旅なんかじゃ決してない筈よ。なのにコイツときたら、肝心な旅の目的すら秘密にするし……というかそもそもアンタには、エリーについて行く理由が無いじゃないの」

「それは……でも、エリーは僕がこの旅には必要不可欠だって言っていますし」

「それはエリーの都合でしょ」

「ついて行かなかったとして、僕には他に行くところが無いですし」

「そんなの適当〜に平穏に過ごしてりゃいいじゃない。デンジャラスな冒険が大好きなら話は別でしょうけど」

「デンジャラスな冒険が大好きです」

「サラッと嘘言ってんじゃないわよ!」


 シャロンはついに、言葉が詰まって口を閉じた。アンリはシャロンの態度が気に食わないのか、ハンドルを指の腹でトントンと叩いている。波が静かなことも相まって、それがボートを叩いているかのように厭に大きく聞こえていた。


「それでも、ついて行ってエリーを手伝いたいんです」

「命を捨てるほど大事なの?それ」

「それは、まだ分かりません。でも、何となくですけど、エリーがやろうとしている事はきっと、人間にとって悪いことではないと思うんです。だから、ロボットとしてエリーを手伝いたい。それに……エリーにとっては、きっと命を捨てるほど大事なことだと思うので」

「……それがアンタの答えなのね」

「はい。今はこれしか」


 アンリの鳴らすトントンという音がピタリと止まる。ふと気になってエリーの方を振り返ると、エリーの目元が僅かに緩んでいるような気がした。


「エリー」

「アンタは口を開けば、エリーエリーエリーエリー……」

「なっ……!」

「真剣に聞いてやったのに、なんか愚問だったわ。アンタがエリー大好きなのは分かってたけど、まさかここまで妄信的だとは思わなかったわ」

「そういうのじゃありませんよ!ただ僕はエリーに敬意を払っているだけです!」

「じゃあ、人間なんだから私にも敬意を払いなさいよ」

「ええ、それはちょっと……」

「コイツ〜!!」


 アンリはハンドルを力強く握ると、ボートを激しく蛇行させる。シャロンは掴まるのが遅れて前のめりに両手をついた。それを見たアンリは声高らかに笑っていた。


「うわわっ!何するんですか。危ないじゃないですか、アンリ!」

「あっはっは!ざまあみなさい」

「エリーが落ちたらどうするんですか!エリー、大丈夫でしたか?」

「まーた、エリーだわ。コイツ」


 シャロンはエリーに歩み寄る。すると、エリーの様子がどこかおかしい。エリーはボートの端を掴み、ボートの外に顔を乗り出していた。まるで、海面をじっと覗き込むかのように。


「……エリー?」

「もしかして、本当に頭でも打っちゃったの?」

「ええっ!エリー、大丈夫ですか!?」

「いえ、そうではありません。見てください。海が揺れています」

「え?」

「そりゃあ、さっきの今だから海面もボートも揺れてるわよ」

「違います。揺れているのは海面とボートだけではありません……海が、揺れているんです」

「それってどういう──」


 ──直後。ズシン、と地鳴りがした。まるで、怪獣が大地を踏みつけるような重く鈍い轟音だった。アンリとシャロンは、思わず辺りを見渡した。先程まで凪いでいた海が、何やら小刻みに波紋を浮かべている。エリーの言う通り、海そのものが揺れているらしかった。


「何よ、今の音……爆発?」

「……いや……」

《警告。敵性反応を感知。距離、北西およそ200メートル。海中から浮上してきます》

「敵ですッ!何かに掴まって伏せてください!!」


 シャロンの張り上げた声に、エリーとアンリはボートに身を隠す。シャロンは屈んで電子銃を北西に向けて構えた。地鳴りは段々と増していき、ついに揺れは立つこともままならない程に激化しようとしていた。


「な、なんなのよこれ……!ただの地震じゃないわよね!何か変よ!」

「アンリ、この場を離れることはできますか」

「この荒波じゃ無理よ!下手に動いたらひっくり返るわ!」

「エリー!アンリ!来ます!」


 シャロンが睨む先、200メートル。いや、それは果たして200メートルと呼んでいいのだろうか。そこを中心に、半径50メートルほどの大きな円形の影がいつの間にか出現していた。それは段々と大きくなりながら、海面を黒く塗り潰していく。


「前方、下から何か浮上してきます……!」


その直後、大きな機械仕掛けのが、海面を突き破って立ち昇った。


「な……ッ」

「何よ、何なのよあれ!?」

「……あれは……」


 それは、弾いた海水をエリー達のボートまで雨のように降り注ぎながら、依然として昇り続ける。速すぎて形がよく掴めなかった三人だったが、シャロンは持ち合わせた優れた動体視力で、その一部をついに視認した。


「ヒレです……魚みたいなヒレが付いています!それから、鱗が全体を覆っています!!」

「何、巨大魚だって言いたいの!?」

「いや、あれは……海蛇です」

「海蛇?」

「どういう事ですか、エリー」

「由来通りであれば……おそらくあれは、第三の衛星、ヒュドラでしょう」


 エリーは、懐からイノセントを取り出して握りしめる。


「衛星……これが」

「あれが、エリーが壊そうとしているロボットのひとつ……ヒュドラ」


 アンリは、未だに海面から身体を伸ばし続けているそれを横目に、頬を伝う汗で我に返る。そして、操縦席に座り直すとアクセルレバーを握った。


「アンリ?」

「さっさと逃げるわよ!」

「でも、ハンドルが効かないってさっき……」

「もう言ってる場合じゃないわよ、死にたいの!?どの道、このままここに居たら見つかって殺される!レジスタンスに行くの!それしか今の私達には生き残る方法は無い!!」


 アンリの額にまみれているのは、汗か海水かもう見当もつかない。だが、彼女が焦り慄いているのはシャロンにも分かった。エリーの方を振り返る。エリーもすぐに頷いた。


「アンリ、お願いします!」

「振り落とされるんじゃないわよ!!」


 嵐の如く海水が降り頻る荒波の中、アンリは一杯にアクセルレバーを倒す。

 水面を蹴るように駆ける船体。少しずつだが遠くなっていく巨大な輪郭は、まだその全貌を明らかにしていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

音無しき国の王 倉野 色 @kuraya_siki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ