第二章『西のレジスタンス』
第8話『捕鯨竿島』
「そういえば、アンリは一体何のために一人で旅をしているのですか?」
「えっ?」
突拍子も無くシャロンがそう問いかけたのは、先日シャロンが傷を癒すために滞在していた廃ビルの一角だった。アンリは、ひっくり返した一斗缶の中で揺れる焚き火から缶詰を取り出すと、
「何よ、藪から棒に」
「いや、何かふと気になっちゃって」
「ふーん。アンドロイドでも、ふと気になっちゃったりするものなのね」
「あれ?もしかして今、馬鹿にされてますか?」
「感心してるだけよ」
アンリは、鼻で笑いながら缶詰の栓を切り開く。蒸し焼きにされた豚肉と焦げたソースの香りが、缶詰の内から熱気のように
「ん〜!これこれ、これが最高に美味しいのよ。はい、こっちはエリーの分ね」
「そんな。これはアンリの食糧ですから、アンリが食べてください」
「助けてくれたお返しなんだから、気にしなくていいのよ。私はただ、アンタ達に借りを残したくないだけよ」
「助けたのは、私ではなくシャロンです」
「……じゃあ、この寝床に同伴させてくれたお礼ってことで」
「食糧を分けて頂くほどの事ではありませんよ」
「あーもう、何で露骨に食べないのよ!食べれる時に食べなさいったら、ほら!」
半ば押し付けるように差し出された缶詰を、エリーはやむ無く受け取る。
シャロンら一行は、マーケットの一件の後、この廃ビルで夜を明かすことにしたのだった。これは、安全を既に確認できている場所だからという、エリーからの提案であった。そして今は、小さな焚き火を囲んでの
「どう?」
「……本当に、凄く美味しいですね」
「ふふん、でしょう?私の缶詰ランキングベスト3にも入る逸品よ!」
「えっ……じゃあ、やっぱりお返ししましょうか」
「そこまで食い意地張らないわよ、私」
「アンリ、さっきの缶詰ランキングって一体何ですか?」
「アンタはそこを深掘りしなくていいの!」
アンリはやってらんねぇと自分の缶詰から豚肉を頬張る。直後、それを忘れるかの如く顔が蕩けるように綻んだ。相当美味しいらしい。
「この街は最初から最後まで本当に散々だったけれど、この缶詰が偶然拾えただけラッキーだったわね」
「アンリはこの街には、食糧探しで訪れたのですか?」
シャロンが問いかける。
「それも勿論あるけれど、一番の目的はある場所に向かうための地図を探していたの」
「地図?」
「というより海図ね。まあ、見つからなかったんだけど」
アンリの言葉に、エリーとシャロンは同時に顔を見合わせる。
「さっきの質問の答えにもなるけれど、私の旅の目的は、レジスタンスの仲間に入れてもらうことなの」
「レジスタンス?」
「まさか、レジスタンスも知らないの?」
「レジスタンスとは、暴徒化したロボット達を制圧してロボットから冥王星を取り戻さんとする、一般市民と一部元軍人で構成された抵抗軍の事です」
エリーがそう言うと、アンリが隣で頷いていた。その様子から、エリーの説明で概ね間違いないらしい。
「エリー、知っているんですか?」
「あ。言っとくけど、レジスタンスは抵抗軍じゃなくて解放軍だから。そこのところ間違えないでよね」
エリーの言い方が気に食わなかったのか、アンリは唇を尖らせてそう言った。アンリはレジスタンスという団体に何らかの形で敬意を抱いているらしい。
「レジスタンスに入って、暴徒化したロボット達による支配を止めたいのですか?」
「それも勿論あるけれど、ここからずっと東に行った渓谷にあるレジスタンスに、私の姉さんがいるの。私は、姉さんの仕事を手伝いたい。だから、西を目指しながらレジスタンスを探してるの」
「西?お姉さんがいる東じゃなくてですか?」
「姉さん、心配性だから私を絶対にレジスタンスに入れてくれないのよ。だから、別支部に内緒で入隊して、私は私でレジスタンスのメンバーとして戦いたいの。いつかロボット達を鎮めて、姉さんと再会するその日まではね……って、だいぶ無理矢理だけどね。どうせすぐにバレるし」
「そうだったんですか」
感心しているシャロンを横目に、突然リュックサックを担いだアンリは電子銃のショルダーストラップをたすき掛けにして立ち上がった。
「だから、アンタ達の子守をしてる暇はこれっぽっちも無いの。分かった?それじゃあ、私はそろそろ行くわね」
「えっ、もう行くんですか?まだ夜明け前ですよ」
「暇じゃないって言ったでしょ。レジスタンスは拠点と拠点を点々としているから、早く私も行かないと下手したら合流できなくなっちゃう。気乗りしないけれど、休憩もできたしマーケットでまた海図を探しに行かなくちゃだしね。それじゃあ、またどこかでね。アンタ達の無事を祈ってるわよ」
「アンリ」
「……そんな今生の別れみたいな湿気たツラしてんじゃないわよ。生きていればまたどこかで会えるわ」
「そうじゃなくて。それっぽい海図ならさっき拾いましたよ」
「ええっ!?」
エリーは、リュックサックから取り出した海図をしっかりと広げて見せる。アンリは飛びつくように海図に顔を近づけてしばらく凝視すると、汗をだらりと流した。
「こ、これよこれ!!持ってるなら何でもっと早く教えてくれなかったのよ!?」
「海図としか先程言われなかったので、これだという確信が無かったものですから……」
「じゃあ、海図も見つかったことですし朝までアンリもここで寝ますか?」
「いや、さっさと港に向かうわよ!海図の持ち主はアンタ達なんだし、ついてきなさい!」
「ええー……」
「海図なら、私達には不要な代物なのでアンリに差し上げますが」
「嫌よ、それだとまた貴方達に借りができちゃうじゃない。それに、食糧も本土よりは確実にたくさん確保出来るし、そして何よりも私の護衛付きでそこに行けるのよ!」
アンリは満面の笑みでそう言って、自信ありげに右手でピースサインを作る。
「護衛付きって……単なるご相伴の間違いじゃ」
「小型ボートなら運転もできるし、海図の読み方も習ったことがあるわ。なんならボートも既に港で確保済み。つまり私が連れていくって事だから、ご相伴に預かるのは貴方達でしょう?」
「……あの、エリー。もしかしてアンリって、結構面倒くさい性格してるんじゃ……」
「そこ、聞こえてるわよ」
「すみません」
シャロンは謝りつつも、先ゆく不安から完全に目が死んでいた。
エリーの方を見ると、エリーは話半分に黙々と缶詰の豚肉をつついている。
「あの、エリー……どうしますか?食糧が確保できるのは確かに良い事ですが、エリーの旅の予定からもかなり横道に逸れてしまうと思うんですけど」
「そうですね……」
シャロンは内心、悲願していた。エリーが首を縦に振り、アンリの誘いを断ってくれることを。
そうして、缶詰の最後の一口をゴクリと飲み込んだエリーは、閉ざしていた口を開いた。
「まあ、離島の方にも衛星が潜んでいるかもなとは思っていたので、文字通り"渡りに船"ですね。アンリに連れて行ってもらいましょうか」
「あああっ……!」
シャロンは頭を抱えて崩れ落ちる。対するアンリは、ピースサインをガッツポーズに切り替えて心底喜んでいた。
「それじゃあ、道中はよろしくね。シャロン」
「ほら、やっぱり僕達が護衛役じゃないですか……!」
そうして、タンクタウンの夜は明ける。残念ながら。
*
「今歩いているマーケットの外周に沿ってぐるーっと歩いて、ジャックストリートの真向かいの通りを街の外へと向かって進んだら船付き場よ。わかった?」
「我々はアンリについて行きましょう」
「本当に島に行くんですね……」
「アンタそれ今日で何回目よ。そろそろ諦めなさいってば」
「本当に島に行くんですね……」
エリーとシャロンがタンクタウンに訪れてから、三日目の朝。空は雲ひとつ無い快晴、先日のような砂塵が吹き荒れることもなく、気持ちの良い風がタンクタウンを吹き抜けていた。
そんな空の下、三人はアンリを先頭にして軽い足取りで港へと向かっていた。シャロンただ一人を除いては。
「というか、どうしてそんな離れ小島みたいな面倒くさいところにレジスタンスの人達は居るんですか?そもそも、本当にそんな場所に西のレジスタンスの拠点ってものが存在するんですか?」
言われてアンリは、シャロンの方を歩きながら小さく振り返る。そして、頷いた。
「絶対に居るわ。個人的に信用できる情報源から得た情報なの。姉さんがいる東の拠点は、暴徒化したロボットが近寄れない東端の
「なるほど。そこでロボットに対抗するための兵力を、レジスタンスは整えているというわけですね」
「そういうこと。拠点の防衛に資源を充てる必要が極力少ない所をなるべく選んでいるってことね。でも、それはあくまで現時点での話なの。もしも今から向かう拠点がロボットに襲われたら、当然拠点は別の新しい場所へと移さなきゃいけなくなるし、だからこそレジスタンスに動きがある前に何としても合流しないといけないのよ」
アンリの視線は、既に遥か海の向こうのレジスタンスの拠点を見つめているようだった。
シャロンは、アンリがそれほどレジスタンスに執着していることに少し感心していた。それ故に、彼女の押し付けがましい島への同行も、彼女の決心の表れであり、ならばこれはいくらか仕方のない事かもしれないと思い始めていた。
「本当に、島に行くのか……」
という訳でも別段無かった。
「もう、そんなにガッカリしないでよ。実際、合流できればレジスタンスは貴方達にも食糧をたくさん分けてくれる筈よ。なんたって、レジスタンスは人間の味方だもの」
「そういえばそれ、ずっと確認したかったんですけど……暴徒化はしてないですけど、僕って一応アンドロイドじゃないですか。彼らの前に姿を現しても平気なんでしょうか?その、差別というか……」
「出会い
「ひぇっ……」
「そんな事ない!……とは、思いたいけど。一応、島に着いたらレジスタンスの前では人間のフリをしていてほしいかも。レジスタンスは基本的に良い人ばかりだけれど、それでも仲間をロボットに殺された事がある人達が集まっている団体というのも間違いないから。もしかしたら、貴方がロボットってだけで壊そうとしてくる人がいるかもしれない」
「余計行きたくなくなってきた……」
「ですがもしかすると、シャロンの失われた機能を復元するための資材も、食糧と一緒に確保できるかもしれませんね。そうなれば、今後の旅の効率が一気に上がる筈です」
「えっと、それはつまり……」
「私が凄く助かります」
「よぉし、張り切っていきましょう!」
「アンタって本当に、エリーの飼い犬みたいね」
「何か言いました?」
「いや、何も。さあ、シャロンの機嫌が良いうちに、さっさと船を出しちゃいましょう。ちょうど到着したところだしね」
「えっ?」
アンリがそう言って立ち止まったのは、海に面した細い道だった。先程までの廃墟に両脇を挟まれた閑散としたゴーストタウンの雰囲気とは全く違う。タンクタウンを横断して、ようやく港に到着したのだ。
波の音が、寄ってきては離れて、再び寄ってくる。海鳥がどこかで、高い声で鳴いていた。
「おお、これが海……光があちこちで反射して、見渡す限り青くて……凄く綺麗ですね、エリー!」
「ええ、そうですね」
「子供じゃないんだから、はしゃいでないでさっさと行くわよ。これから海なんて嫌って言うほど見続けなきゃいけなくなるんだから」
「ちょっとは感動させてくださいよ」
アンリは、細道を横切るように海のある方へと向かって歩き出す。通りの海沿いは、ずっと向こうまでチェーンが絶えず張られていた。
「このチェーンだけ、他の柵やポールとは違ってやたらと真新しいですね」
「多分、レジスタンスの人達が最近張ったんだと思う。本土と拠点を行き来する港のバリケードにしては、何だか
「余裕が無いっていうと、何かあったんでしょうか?」
「さて、どうかしらね。まあ、行ってみないことには分からない、っと」
アンリは、チェーンを屈んで
「アンタ達も早く来なさい。あっちに盗ん……私のボートを隠してあるから」
「今、盗んだボートって言いかけました?」
「拾ったのよ。多分持ち主ももう生きちゃいないわよ」
アンリは言い返される前にそそくさと走り出す。シャロンはどこか共犯者になった気がして溜め息を吐いた。
「僕達も行きましょう、エリー」
「はい。──」
アンリに続こうとしたシャロンは、エリーの様子がどこがおかしい事に気がついて立ち止まった。おかしい、というより、何かが気になって仕方がないという様子だった。
「どうしたんですか?エリー」
「シャロン。あそこを見てください」
エリーはそう言って顎に手を添えながら、アンリが降りた港のずっと先を反対側の手で指差す。そこには、海に向かって細長く迫り出した、いわゆる
「えっと、波止場ですね。あれがどうかしましたか?」
「その、先の方をよく見てもらえますか」
「先の方?」
言われてシャロンは、波止場の先端へと段々と視線を滑らせていく。等間隔でロープを掛けるビットが立ち並んでいるその波止場の先には──波止場が、無かった。厳密には、トカゲのしっぽ切りのように、プツリと不格好に途切れてしまっていた。
「んん……?ああ、どうやら途中で波止場が崩れて無くなっているみたいですね」
「なるほど、そうでしたか」
エリーは一人、納得したように顎に添えていた手を下ろす。そして、いそいそとチェーンを潜り始めた。
「え、え?どういう事ですか?」
「おそらく、壊されたのでしょうね」
「壊されたって、波止場がロボットにですか?」
「どうでしょうか」
屈んだ背を伸ばして、エリーはゆっくりと振り返る。
「海の向こうに行けば、何か分かるかもしれませんね」
エリーはそう言ってチェーンを掴み、持ち上げる。持ち上げられたそれを潜る瞬間、シャロンは密かに思った。
これは、本当に潜ってよいものだったのだろうかと。
「アンタ達、何してるのよー!早くこっちに来て手伝いなさい!」
降りた道から少し先で、アンリが手を振っている。その手には、大きな何かに被せたブルーシートの
そのすぐ近くの足元は、人口のスロープになっており海へと向かって斜面が作られていた。どうやらここが、船を下ろす場所らしい。
「その中に入っているのが、例の盗んだ船ですか?」
「そ。こうやって隠しとかないと、誰かに勝手に持っていかれるでしょ。今や移動手段は貴重なの。特に、海や空の物はね」
「勝手に持っていったのはアンリでしょう」
「もはや否定すらしなくなりましたね」
アンリは言いながら、最後の紐を解く。ブルーシートを剥ぎ取ると、中にはちょうど三人乗り程度の白いボートが鎮座していた。
「おお、ちゃんとボートですね」
「ちゃんとって何よ。失礼ね」
「これに乗って海図に書かれた島まで行くのですか。燃料は入っているのですか?」
「勿論、それも含めて確保済みよ。燃料なんて真っ先にもって行かれる物のひとつで、確保するのもすっごく大変だったんだから」
「へえ。どうやって確保したんですか?」
「タンクタウンで食糧を探してたら偶然見つけたわ」
「全然大変じゃなかったんですね」
「いいからさっさと海に下ろすの手伝いなさいってば」
アンリは、船頭に括りつけたロープをシャロンに押しつけ、エリーと一緒に距離をとる。
どうやら、ボートを海に下ろすのはシャロン一人の役目らしい。シャロンは諦めたような顔つきでロープを手繰り寄せ始めた。
「まあ、そんな事だろうと思いました」
「アンタ馬力あるんだから一人でも十分でしょ」
「頑張ってください、シャロン」
「頑張ります!」
「……単純なアンドロイド」
シャロンは、ロープを固く握り直すと、スロープの坂を海へと向かって下り始める。流石はアンドロイドと言うべきか、引っ張っているのはシャロンただ一人だが、ボートはゆっくりと坂を滑り始めた。やがて、ボートの底面は海に乗り、浮力で独りでにぷかぷかと浮いた。
「このくらいで大丈夫ですか?」
「ふーん、結構やるじゃない」
「それでは、行きましょうか」
三人は早速ボートに乗り込み、間もなくエンジンが掛けられる。エンジンは難無く軽快で力強い音を上げて駆動を始めた。機能的には問題なさそうだ。
「よし。目指すは海図の示す
「安全運転でお願いします」
「
「信用無いのね私って」
エリーとシャロンが頷いたのを確認すると、アンリはスロットルレバーを倒して前進させた。ボートは、段々と港を離れていく。
そうして、待ち受ける何かへと向けて、三人をゆっくりと近づけていく。
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