錆び付いた記憶

第240話

 三年後。丸子製作所、所長執務室にて。マルコは行儀悪く黒塗りのデスクの上に腰掛け、ホチキスで留めた書類をめくっていた。内容など読んではいない。この厄介な代物をもてあそんでいるだけだ。


 中央議会議長マスター、丸子マルコ。それが今の肩書きである。


「どうしてこうなった……」


 苦々しく呟くが答える者は誰も居ない。


 何度も遺跡へおもむき、ドクの技術を我が物とするために調査を繰り返した。忌まわしい研究室になど行きたくはなかったが、彼らの死を無駄にしないためにもと己を鼓舞してデータを集めた。


 ちょっとした食料生産設備もあったので研究員を常駐させることも可能であった。ミュータントが徘徊する遺跡に置き去りにされたことについて随分ずいぶんと文句を言われたものだが、それだけの成果はあった。


 ミュータントが好む電波、嫌う電波を発生させる装置が見つかり、その運用方法や製法も明らかとなったのである。


 ドクはミュータントを支配などしていなかった。人間をベースにした知能あるミュータントであれば口先で丸め込むことも出来ただろうが、通常のミュータント相手では進む方向を指定できただけだったのだ。これを神の力と呼ぶのは詐欺に近い。


 少々拍子抜けではあったが、使いこなせればその恩恵は絶大である。


 街全体をカバーすれば安全地帯が出来上がり、ミュータントの襲撃に怯えることなく発展に力を注ぐことが出きるのだ。また、車に積めば遠く離れた他の街との交流も楽に出来る。これこそ生き延びた人類が数百年の間求めていた夢の技術ではないか。


 マルコはまず丸子製作所を安全地帯とした。次に付き合いのある企業に装置を配り、荒野に出て実践もして見せた。彼が荒野に出てトラブルに巻き込まれなかったのはこれが初めてである。


 マルコに従えば安全が手に入る。議会の権力者たちは先を争うように上げ底の菓子折りを持って丸子製作所へ挨拶に来るようになった。


 こうして議会の置物であったマルコは瞬く間に街の最高指導者となったのだった。


「正直言って面倒だが、これが僕に課せられた使命というやつなんだろうなぁ……」


 ミュータント避けの装置は完璧な物とは言いきれない。極度に興奮した相手に通じるのか、別の地域の生産施設で作られたミュータントにも通じるのかといった疑問が残る。


 ミュータントは戦争のために各国で作られた生命体であり、それをコントロールするための周波数がどれも一緒だとは考えにくい。ミュータントが他所の地域から流れて来たり、独自の進化を遂げれば安全地帯など何のあてにもならないのだ。


 街を発展させる、戦力を増強する。このふたつを同時に、そして早急にこなさなばならない。大事だいじを成し遂げるためには大きな権力が必要だ。それはかつて盟友ロベルトが命を賭けて教えてくれたことである。


 三年前、アイザックたちがディアスとカーディルの遺体を背負って持ち帰ってきたとき、マルコは腰が抜けてしばらく動けないでいた。


 頭が回らず、現実を受け止められず、


『嘘だろ……?』


 と、呟くことしかできなかった。


 あのふたりが死ぬはずは無い。そんな保証があるはずはないのに、いつしかそう思い込んでいた。そして、彼らを死地へと送り続けていたのは紛れもなく自分だ。誰かのせいにしたくとも、自分の顔しか思い浮かばない。


 穴だらけになったディアスの遺体も、自ら頭を貫いたカーディルの遺体も、どちらも見るのが辛かった。


 何を想って逝ったのか。

 僕を恨んではいないのか。

 君たちは、幸せだったのか。


 死者は何も答えてはくれない。


「勝手に押しかけて、散々暴れまわって、勝手にいなくなって。本当に酷い奴だよ、君たちは」


 手足の無い女を抱きかかえて、人体実験の材料になるから義肢をくれと言った男がいた。十年ほど前の話だが、つい昨日のことのように思い出せた。


 多分、幸せだったのだろう。誰かを一途に、真剣に愛し、相手のために必死に頑張れる人生などそうそう送れるものではあるまい。


「文句があるなら化けて出てくれ。僕にだって言いたいことは山ほどある」


 寂しげに呟き視線を落とす。マルコの手元にある書類はミサイル基地建設の計画書だ。ミュータントがまた大群で襲ってくればどうしても必要になる。しかし、同時に他の街との関係は悪化するだろう。


 かつて文明が滅んだ原因は人間同士の争いが際限なく激化した末の、ミュータントの大量生産と核兵器の撃ち合いによるものである。ミュータントから街を守ることを理由に人類の争いの火種を作ることは矛盾してはいないか。それは、多くの仲間を失った大戦からずっと悩み続けてきたことであった。


 マルコは大きくため息をついて書類をふたつに破った。今すぐ必要なものでもない。まずは他の街と安全に行き来できる道を作り交流を深めてからだ。平和への道筋をもう少し探してみよう。


「ディアス君、カーディル君。僕は平和のために頑張っているぞ。まったくもってガラじゃあないけどな!」


 丸めて投げた書類は見事に一度でゴミ箱へと放り込まれた。


 狙撃の神が祝福してくれたのだろうか、などと一瞬でも考えてしまった自分自身がおかしくて、笑いだしてしまった。


 余談ではあるが、マルコはこの後二十年も議長を務め、仮病を使ってようやく辞めさせてもらうことができた。


 議長としての地位が盤石であった要因として、ロベルト商会総帥のスティーブン、隣の街カリュプスのハンター協会会長のゲオルグ、そしてトップハンターのエリックとファティマ等、多くの人々の支持があった。


 マルコとしては嬉しいけれどもふざけるな、というのが正直な感想であった。


 丸子マルコという人物は身勝手なようで、実際は周囲のさらに個性的な連中によって振り回されることが多い。それは生涯変わらなかったようだ。


 死後、彼は最も長く愛された議長として歴史に名を刻むことになる。




 人もまばらなハンターオフィスでひとりの男、ふたりの女が掲示板を眺めていた。


 討伐ランキング一位、チームノーマン。燦然さんぜんと輝くその名を見ても、思っていたほどの喜びも感動も湧いてこなかった。


 最強の称号、そんなものが死ぬほど欲しかった時期もあった。こうして認められたことが嬉しくない訳ではないが、頭の片隅にどこか冷めた所があるのも確かだ。


「あんまり嬉しくないみたいですね?」


 気が付くとクラリッサが義眼を輝かせながら顔を覗き込んでいた。なんと答えたものかと考えながらノーマンは苦笑を浮かべた。


「これであいつらを越えたとはとても思えなくてな……」


 ああ、と唸ってチサトとクラリッサが揃って頷く。少しくらい迷って欲しかったが、それも仕方の無いことだ。三年前に比べてかなり腕も上がった、戦車も改造を重ね性能が跳ね上がった。それでも奴らに勝てる気がしない。ノーマン自身が認めてしまっていることだ。悔しくもあり、誇らしくもある。


 あの男が他者からの評判や名誉に何の関心も示さなかったのが今なら少しはわかるような気がした。何のために戦うのか、誰を守るために戦うのか、彼はそれを明確に理解していた。トップハンターとたたえられることなど、的外れな評価でしかなかったのだろう。


 かつてノーマンは父と姉に認めさせるため、そして自分自身が価値ある人間だと信じたいが為に名誉を追い求めていた。


 今も名誉に対する欲がまったく無いわけではないが、最重要項目ではなくなっていた。それでは何の為かと考えると、これが上手く言葉に出来ない。正義、平和、あるいは死者たちの願いか。どれも正解であり、どれも違っているような気がする。


(ま、いいさ。答えをゆっくり探すのが俺の人生だ)


 寂しげに首を振るノーマンの背に、大声で呼びかける者があった。


「よう、トップハンター! お疲れさん」


 振り返らなくてもわかる。情緒じょうちょや感傷に無縁のクソ野郎め。そう思いつつ懐かしい仲間に出会えたことに嬉しさが込み上げてくる。


「どうも先生、お久しぶりです」


 チサトがお辞儀をすると、見上げるほどの大男は困ったような顔で頭をいた。


「先生はしてくれ。なんかこう、慣れない」


「三年も経っているのに?」


「三十年経っても無理だろうな」


 そう言って笑うのはかつての戦友アイザックだ。三年前、遺跡から戻るとアイザックはあっさりとハンターを辞めてしまった。惜しまれる声はいくつもあったが、彼は前から決めていたことだと言って聞かなかった。


 トレードマークであった巨大な鉄腕も今では通常サイズの日常生活用だ。当然、隠し武器なども仕込まれていない。


 彼は故郷の貧民街で『鉄腕塾』という小屋を建てて読み書きや銃の扱い、ミュータントの特徴と対処法などを教えている。老若男女を問わず、生き延びるために学ぼうという者が日に日に増え続け、今では講義を開く度に百人近く集まるという。


 また、近々ミュータント研究に関する本を出す予定であり、現役のハンターであるノーマンたちも全面的に協力するつもりだ。


「それで、堅気かたぎのアイザック先生はこんな所で何やってんだ?」


「ここは酒場なんだから飲みに来たに決まっているだろう。ハンターの噂話なんかを仕入れるには商店街よりこっちの方がいいんだよ」


「まだ朝だぜ?」


「朝から飲んじゃいけないって法律はあるまい」


「そういうセリフはな、普段から法を守っている奴が言うもんだ」


 久しぶりの冗談を交わしながら、ふたりは笑いあった。


 アイザックがその場を離れて席に着くと、若いハンターがひとり、ふたりと寄ってきて彼に質問をする。お勧めの武器は何か、丁度いい狩り場はないか、新型の情報などは出ていないか。アイザックはそれらに対して面倒くさがらず、ひとつひとつ丁寧に答えていった。


 その様子を眩しげに眺めていたノーマンの背がバンと強く叩かれた。


「それじゃ、私たちも行こうか」


 と、チサトが言い、クラリッサも頷いて見せた。


 あいつは立派にやっている。俺たちもやるべきことをやろう。ノーマンは日よけマントをひるがえし、力強い足取りで出口へと向かった。


 ドアノブに手をかけたところで足を止めて振り返り、ランキング掲示板へと視線を向けた。そこは以前、並ぶ者なき英雄の名が記されていた場所だ。


「この街をあんたらに託された。まあ、勝手にそう思わせてもらうぜ」


 思い出の中で微笑むふたりに声をかけて、ノーマンは荒野へと歩き出した。




- 鉄錆びの女王機兵 完 -

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鉄錆びの女王機兵 荻原 数馬 @spacedebris

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