五月の雪
中田祐三
第1話
五月の雪
彼女と始めて出会ったのは五月五日、つまり子供の日であった。
私と彼女は同じ年に生まれ、当時は同じ町内に住んでおり、両家族とも親しく交友を交わしていたのだ。
さ
実は従姉妹でもある彼女はふかふかと柔らかいクッションに身を包まれ、あたかも宝石箱の中の真珠のように扱われていて、はじめてみる『異性』『同年代の他人』ということよりもその扱いの大切さに幼児ながら羨ましいと思った。
まんまるく柔らかそうなホッペ、ニンマリと笑う顔に、自然と私も同じように笑い返したようで、父も、母も、叔父も、叔母も朗らかに皆が笑っていて、それにつられて私と彼女もますます喜笑をするのだった。
そしてそれが私の人生で最初の思い出である。
幼年期
「五月はね、春じゃないんだよ」
私達が四歳の頃、ままごとの道具を持ちながら彼女が言った言葉に私は反論をする。
「嘘だ~」
素っ頓狂な、あるいは声をやや裏返してかえす私に彼女はふふんと鼻をならして、
「まだ子供ね~」
と笑うのだった。
「五月に雪が降った時はね~、五月全部冬なんだって~」
おもちゃの包丁を得意げに振りながらニコリと笑う。
「それでね、五月の雪を見た人は幸せになれるんだって~」
「幸せってなに?」
「わかんない~」
覚えているのはそこだけだ。 幼児であったので、すぐに彼女の言ったことは忘れ、私達はままごとに興じたのであろう。
しかしその『五月の雪』という言葉は就学前であった私の脳裏に刻み込まれ、その後の人生にことあるごとに関わってくることとなるのだった。
小学年時代
私が小学校四年のときであった。 その時分になってくると女子と遊ぶということが同学年の友人達のからかいの対象となってくる。
それに漏れず、私も彼女も全く話をしなくなっていく。
あくまで学校の中では……。
同じ町内に住む親戚である以上、冠婚葬祭はもちろん、些細な事でも両親と叔父夫婦はどちらかの家にやってきては話をしていた。
そうすると必然、彼女と私以外に子供のいない親達は一緒に連れてくる。
そして親達の大人の話にたまに出てくる悪意を年相応の潔癖さで嫌っていた私達は黙って互いの部屋に行き、学校で話をしなかった分を部屋でするのだ。
私と彼女はクラスの中では特別目立つ存在ではない。
私は特にスポーツはしないが、ほかの友人達と昼休みに鬼ごっこをするくらいには活発であるし、彼女もよく本を読んでいるが、他の女子達とテレビのアイドルの話をするくらいには女の子であった。
「ほら、これ見て……」
差し出した本の裏表紙には尋常小学校図書館と印されていた。
ひっくり返し題名を読み上げてみると、
「五月の雪」
と書かれていた。
本を開き、読み始める。 チラリと一瞬視線を移したときの彼女は興奮しているようにも見えた。
「詩集よ、調べたら寄贈されたものらしいの」
そう言って彼女は手元にあったクッキーにかぶりつく。
その仕草に瞬きながら私はそっと本を閉じる。 なんだかほっこりとした妙な気持ちになった。
『五月の雪』
僕は誓う。 春の恵みが終わリ、降り注ぐ雨に打たれるこの五月に雪を降らせ、君への愛を示そう。
愛と好意の狭間の奥を踏み抜いてさらに進む無謀なる奇跡を。
止め処なく白雪を降らし、止め処なく幸を君に。
私にとってその詩は気に入るものではなかったが、彼女の方はその『書風』にすっかりと感じ入っているようだ。
「ロマンチックな詩よね……本当に」
うっとりとした表情の後でため息をつく。 その仕草がとても果敢なく見え、自然とその言葉は出ていた。
「それなら、いつか一緒にみようよ」
「……うん、そうだね」
一瞬の間を置いて、彼女も返した。
子供らしい誠実と小学生らしからぬ絆が二人の間にはあった。
そう思えるくらいに自然と私達は約束しあっていた。
『いつか一緒に五月の雪を』
叶えかたも見つけ方もわからないまま、その非合理さすら楽しむように笑い、いったいどうするんだろうね? 私達……。
他人事のようにその日は夢を語り明かした。
それすら二人の間にとっては当たり前のように思える。 事実、私と彼女は血が多少なりともつながっているのだ。 『他人』とはすでに始まりが違う……二人はそのときはまだ家族だったのだから……。
中学時代。
たとえばそれが運命という言葉で片付けられるなら、俺の悲しみもどうか整理してほしい……切実に……そうして欲しい。
彼女が転校したのは中学に上がって一ヶ月した頃だった。 叔父夫婦の仕事の都合により遠県へと引っ越すことになったのだ。
「……ちょっと寂しいね」
ポツリと夕日に照らされた我が家の縁台で、彼女が言った一言に私は何も返すことが出来なかった。
「でもまた会えるよ」
付け加えるように寂しく笑った彼女に心が締め付けられる。
女子の方がやはり成長が早いようで、彼女は彼女なりに納得して私との別れの挨拶のようなものだったのだろう。
私はただただ戸惑うだけだった。 当たり前にあったものが消えてしまうことに想像がついていかず、曖昧な気持ちのままその日を迎えていた。
しかし彼女のその一言により、私は始めて実感したのだ。
当たり前に過ごしていた日常が別物になることを……。
「紙……それとはさみっ……!それと、少し待ってて!」
突如、私は叫んで、自室へと入っていった。 そして机の引き出しから目的の物を取り出して一心不乱に切り始める。
そしてあらかた切り終わって、その白い紙片を砂山のように集め、部屋の窓を開けて下を見る。
彼女が心配そうに見上げていた。
それを確認したところで私は渾身の力を込め、紙片を空へと放り投げる。
風のない穏やかな日だったからか、無数の紙片は粉雪のように彼女の居る庭へと降り注がれていた。
私自身のやけくそにも似た行動を彼女は察し、
「五月の雪!かなえられたね……一緒に見られたよ!」
白く降り続く偽の雪の中で彼女は明るく笑う。
そして私が彼女を好きになった瞬間でもあった。
高校時代。
会えない距離が二人の愛を育むと小説は書いているが、実際のところは、家族同然であっても疎遠になってしまうものだ。
ぎこちなく挨拶する私に彼女は朗らかにそれを返す。
あのベランダからの拙い『雪』を放ってから、ずいぶんと月日が立ってしまった。
近況はたまに親から聞いてはいたが、やはり話だけでは隔たれた年月を縮めることは出来ない。
いや、それを隔てているのは私自身のくだらない自意識だったのはわかっていた。
だからこそ始末が悪い。
若さゆえの過剰な自意識と想像よりも綺麗になってしまっていた彼女に戸惑っていて、自らの感情を操作することが出来ない。
穏やかな彼女の問いかけにすら、まともに答えることができない。
そしてその情けなさやもどかしさに自分を否定したくなってしまう。
なんて無様なんだろうか、この日の為に準備したことも忘れ、私はまるで壊れてしまっているかのようだ。
そんな私に彼女は小首を傾げて覗きこむ。
それだけで胸が熱くなって、『合図』を出すことが出来ない。
そんな私と彼女の間に『雪』が降ってきた。
「えっ?」
驚き、空を見上げる彼女の頭上からは、あの時とは比べ用もないほどの大量の『雪』が舞い上がる。
それは私の友人達の仕業だった。
実は彼女と会う一週間前から私は友人達とある計画を練って、その実行の準備を進めていたのだ。
そして無事に準備は終わり、後は実行するだけというのに、言い出した張本人である私がヘタれて一向に合図を出さない。
なのでしびれを切らした友人達が私と彼女の距離が縮んだのを見計らって、数人でひたすら刻み続けた『雪』を一掴み握って風に乗せた。
身体や髪につく『雪』を楽しげに見つめながら笑う彼女に私は魅了された。
私のくだらない自意識も、プライドすらも打ち砕く……彼女はそれほどまでに魅力的で、今まで以上に彼女を愛してしまう。
友人達の歓声。 愛らしい笑顔を見ながら私は彼女と同じ大学に行くことを静かに決定した。
そして現在
病院の屋上の柵を乗り越える。 柵の向こうに存在するわずかな『地上』に足をかけ、そっと眼下の世界を覗き込む。
硬いコンクリートに包まれた『いつもの駐車場』があった。
やはり二階から見るのと四階から見下ろすのでは世界が違うのだと感心する。
冷たい柵を握る手は汗ばんでいる。
間が悪いことに、自身の直線状の下には車は止まっていない。 もし飛び降りるのならば死亡率は高そうだ。
走る怖気を振り払い、柵をまた乗り越える。
こちらの世界に帰り、発電機のスイッチを入れ、次にモーターに改造した刃を取りつけ、円筒を取り付ける。
その円筒の下部には両側に穴があり、片側にエアホースを設置する。 そのエアホースの逆側にはエアーコンプレッサーとつなげてある。
これで作業は終了だ。
暖機運転を終えた発動機にコンセントをつなげると、駆動音が聞こえてきた。
地元の業者から購入した氷塊を円筒部の上から放り込む。
ガリガリガリという氷が削られる音が響き、砕かれた氷の破片が圧縮空気に乗って、円筒部の横から舞い上がる。
氷塊は薄く削られ、かき氷の中の一片のようになって、空へと放たれた。
それは屋上を超えて、灰色の駐車場へと降り注ぐ。
まるで雪のように……。
すでに彼女には窓際に立つように伝えてある。
そして私は愛する彼女に、これから何回も五月の雪を見せることを約束したのだ。
いつかの未来。
今年の春は足が遅いようで、通年なら梅雨に入る直前の時期だというのに、家の前の桜はまだ薄桃色の花びらを一部残している。
このことを聞いた息子や孫たちは喜び、雪と一緒に桜吹雪まで共に鑑賞できるところなんてこの街くらいだとはしゃいでいた。
私の方はというと鬼籍も近い年齢だというのに、未だに氷塊を息子達と運んでいる。
変化したことといえば息子と孫が参加するようになったくらいだ。
流石に病院の屋上まで運んでいた頃の体力はもう無い。
その代わり、当時の私とほぼ同じ年齢の息子が重量物を運んでくれている。
少しの寂しさと大きな嬉しさを抱えながら、えっちらおっちらと三階のバルコニーへと氷塊を運ぶ。
やがて時間になった……息子や孫がこの日のために改良された装置に氷が入れらていく。
それらは無数の雪となって、街へ降り注いだ。
人口的な雪は様々な意味を持って人々の上へと降りていく。
別の誰かにとっては世界の平和を、また別の誰かにとっては希望という名前に変えて、そしてまた誰かにとっては交わした約束の為に五月の雪を街へと降ろしていく。
世の人の思惑を乗せて雪は街へと落ちていく。
小さな紙吹雪から始まった五月の雪は何十年もかけて家族へと波及した。
一つの小さな思いが何年もかけて人々の心をまとめることにわたしは気づく。
きっと世の中の大半のことは人々が願えば叶えられるのだろう。
あくまで本当に願えば……だが。
階下にいる彼女にはまだ花びらが残っている桜の上から降ってくる五月の雪はどうみえるのだろう?
白い『雪』と薄桃色の桜を見ながら私はそんなことを考えていた。
五月の雪 中田祐三 @syousetugaki123456
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