時刻は十七時。日中は地面を焦がしていた太陽もその姿の殆どを闇平線の向こうへと隠し、空は不自然で、しかし綺麗な夕焼け色に染まっていた。八号たちは今、時計塔で晩御飯を食べている。


「ん、わりと美味いなこれ。お前女子かよ」


 口一杯に食べ物を頬張り、八号は皮肉気味に言う。一号の作る料理は思いの外上手だった。いや、正直かなりレベル高い。悔しいが、つい箸が進んでしまう。


「ちょっとそれどういう意味よ。あなた昼も私の料理食べてるわよね」

「うるせ、お前が家庭的だなんてキャラに合ってないんだよ。くそ、おかわり!」

「もう無いわよ。明日の朝にでもスーパーに行って拝借するしかないわ」


 昼間に取ってきた食糧が底をついていた。そもそも一日分の食糧しか取ってきていないわけだから当然と言えば当然なのだが、サバイバルをやっている以上、下手に動くと危険な目に遭う可能性が高まるので、できれば避けたいものだ。


「ほんと、いつまで続くんだろうな、このサバイバル」


 誰に向けて言う訳でもなく、独り言のように呟く。


 ――サバイバルを確実に終わらせる方法は、あるにはある。要は最後の一人になればいいんだ。そうすればこのゲームは終了するとディーラーは言っていた。だが、いつまでも決着がつかなかったらどうなる。この世界にある食糧を全て消費して、俺らは飢え死にするのか。


 その結末は想像もつかない。


「ねえ八号さん、ちょっといいかしら?」


 食器類の片付けを一通り終えた一号が遠くから声をかけてきた。

 にっこりと笑いながら、何やら部屋の入り口でうろついている。


「そんな改まってどうした? それに、さっきから挙動がおかしいよ?」


 だが次の瞬間、八号は凍り付いた。


「お風呂」

「…………………………あ」

「何よ、その『あ』って……」



 …………………………。



 ――こればかりは考えてなかった。さて、どうしたものか。


 八号は、ただ無言で頭を抱えた。


「はぁ!? 本当に考えてなかったの!? 信じらんない!!!!」

「いや、そもそもサバイバルしてんのに普通風呂入るか?」

「言い訳しないで。殴るわよ?」

「さーせん……」


 ――このままでは俺の命が危うい。考えろ俺。頑張れ俺。


「えーっと、俺の服でも濡らしてタオル替わりに使います?」

「却下よ」


 電光石火の即答であった。


「で、ですよねー」


 それから、暫く八号が四苦八苦していると、それを見かねたらしい一号の深いため息。


「はぁ……仕方ないわ。私は私でどうにかするわよ。四階にいるから、絶っっっ対に覗かないでね。もし覗いたら――」


 そして、あまりにも不自然で不気味な笑顔。顔面で魑魅魍魎が跳梁跋扈している。


「は、はい!! 厳守します!!!」


 もし覗いたら……その先など考えたくもない。

 八号の返事を最後に、一号は四階へと降りていった。塔の五階は、まるで嵐が去ったように、久しぶりに静けさを取り戻した。これにて事件は解決。一件落着。そう思われた。

 再びその声が聞こえるまでは――。


「八号----!!!ちょっと来なさーーーーい!!」


 四階から、塔全体に響き渡る大声。一号が再び喧騒をもたらしたのは、彼女が四階へと降りてから僅か十分ほどのことだ。


 ――あー、ったく。せっかく静かになったと思ったんだけどな。


「わかったわかった。今行くから一旦落ち着けって!」


 このまま一号を放っておけば二人が時計塔にいることが他の参加者にばれかねない。八号はいち早く彼女を止めるために急いで階段を下った。


「で、何があった――うわっ!?」


 何気なく部屋を見やると、一号が下着姿で窓の方を向き、体操服を頭だけ被った状態で何やら格闘していた。

 細いうなじからくびれた腰にかけての滑らかなライン。無駄な贅肉など一つもない、とても整った体つき。雪のように白く透き通った肌に、同じく純白の下着。まさに魅惑の姿態だ。

 八号は単純に見惚れていた。


「あ…………わ、悪い!」


 慌てて視線を逸らす。


「ちょっと、なに謝ってんのよ。そんなことより早くこっちに来て手伝いなさい!」


 表情を直接見ることはできないが、その声の上擦りようから、いかに恥ずかしがっているかは容易に想像できる。


「女子高生の生着替え……ここは天国か。はたまたラノベかギャルゲーか」


 ――なるほど、もう死んでもいいぜ。もはや罪悪感など欠片もない。今目の前にある楽園をとことん脳内に焼き付けてやる。


「ぶつぶつ言ってないで早くしてっ!! 私だって恥ずかしいんだからっ!!」

「は、はい!」


 条件反射で、否、無条件反射で。体が自然と駆け寄り、事情を尋ねる。八号の口元がエロオヤジの如く綻ぶのを、一号は確認する術を持っていない。


「なんかヘッドフォンと髪の毛が絡まっちゃって、上手く服が着られないのよ」


 そう言って、芋虫の如くうねうねと体を動かす一号。本人には悪いが、とってもシュールな光景だ。


「ここを引っ張ればいいのか」


 つい先ほど脳内に焼き付けるなどと言っていた八号だったが、そこは童貞。いざ近寄ると恥ずかしさと申し訳なさから直視できずにいた。なるべく一号の体を見ないよう細心の注意を払いながら、彼女に体操服を着せていく。


「ったく高校生にもなって一人で着替えも―――」

「ちょ、いたたたたたたたた!!」


 髪の毛を押さえて悶える一号。普段強気な彼女が、なんと無様なことだろう。八号はなんだか楽しくなってきた。


「ここをこうして」

「あっ痛い!!」

「これをこっちに」

「だめ! 痛いって!!」


 今まで散々酷い扱いを受けてきたのだ。こんな些細な悪戯くらい、神様も許してくれるだろう。


「んで、これを――――」

「痛いっつってんのよ馬鹿っ!!!!」


 たとえ神様が許そうと、一号は許してくれないらしい。そして一号は八号にとって神よりも遥かに脅威だった。


「はい! 申し訳ありません!」


 さっきまであったムフフな展開は何処へやら。あっという間にテンションガタ落ち、激つらしゅんしゅん丸である。


「なあ一号、根本的な質問なんだが、何で脱いでたんだ?」


 結局、ウハウハな出来事など起こるはずがなく、一号の厳しい一喝を境に八号は一言も発さなくなり、その後はただ服を着せるだけだった。

 そして今に至る。


「何でって、体を拭くためよ、ほら」


 部屋の隅を指さす一号。その先にあるのは一枚の布切れ。


「あのタオルを濡らして体を拭いていたの」


 それはタオルと言えるかすら危うい、薄汚れた布。


「あ、あれで拭いたのか……それ体を綺麗にしたって言えるのか。寧ろ汚れを―――」

「何か言った?」


 満面の笑み。もはや恐怖にも慣れてきた俺だが、やはり怖い。


「いえ、なんでもありません……まあ、強いて言うなら」

「何よ」

「それ、服脱ぐ必要無くね?」

「あ……」


 それからしばらくの間、一号は笑顔のまま硬直していた。


「どこかで見たことのある光景だな……」






 ***






 時計塔の窓からは生暖かい風が部屋へと吹き込み、決して快眠を許してはくれない。そんな夏らしい熱帯夜。しかし現実とは違い夜空に輝く星は一つもなく、ただただ暗黒が空一面に広がっている。

 夜、と言われて普通の人間は暗い夜道や夜空をイメージするだろう。それは確かに暗いが暗黒ではない。夜の風景をイメージするということはその風景が見えているということであり、すなわち多少は光があるということだ。だが、この世界の夜は違う。現実世界の夜は真っ暗と言っても星の光、家の窓から漏れる灯り、一晩中輝く街灯といったようなものがあり完全に視界が閉ざされることはあまりない。しかしこの世界ではそれらがない。ということはつまり全くの闇ということだ。


「一号は寝た。この時計塔にもしっかりと仕掛けをした。これで万が一誰かが来ても大丈夫なはずだ」


 全ての確認を終え、八号は平然と真っ暗な夜の街へと繰り出した。







 ***






 トントン、とノックの音が二回。本来ならば雑音に呑まれ掻き消されてしまうであろう小さな音だが、この世界の静寂さはその音を塔内に響かせるには充分だった。


「ん、何の音……?」


 五階で寝ていた一号は、下の階から聴こえる物音で目を覚ました。


「ねえ八号、今何時? ――って、あれ。八号は?」


 部屋を見る限り自分以外に人はいない。階段を下りて四階も見に行くが、やはりいない。


「ここにもいないわ……ったく、どこ行っちゃったのよ」


 トントントン、と。今度は三回、扉が叩かれる。


「ちょ、ちょっと……八号? いい加減にして、ふざけてないで出てきなさいよ……」


 街の灯りも、月の光も、星の瞬きも一切無い。一号はその能力の恩恵で辛うじて視えてはいるが、実際に目に入ってくる光はないに等しい。


「おかしいわね……八号がこの状況で自由に動き回れるはずがないわ……」


 そう、一号は能力で『視ている』だけで、決して『見ている』わけではないのだ。


「ならどうして八号がいないのかしら……?」


 ――あいつは頭が強化されたって言ってたわ。でも頭が良くなったくらいで、この暗闇をどうにかできるとは考えられない。となると、


「まさか……八号は私に嘘を……?」


 一号はまだ実際に八号の能力を見てない。というより、確認する方法がないと言った方が正しい。八号の能力が頭であるというのは八号が言っただけであり、彼女に嘘を吐いたという可能性もなくはない。


 ――だとしても、何故嘘をつく必要があるの?


 思いつくことは一つだけ。


「私を騙して、油断させて。最後には、私を殺すつもりなのね」


 ――冷静に考えてこのゲームで生き残れるのは一人よ。八号は二人で生き残るとか言っていたけど、私たちが戦わなきゃいけない時は絶対に来るわ。それが今だってだけの話ね。


「……こんなの信じたくない。けど、それ以外考えられない」


 せっかく信じられる人ができたのに、せっかくこのゲームを切り抜ける希望が生まれたのに、それは、偽物だった。


「もう……誰を信じればいいか……わかんないよ……」


 一号の心から溢れてきたのは怒りでも憎しみでもなく、意外にも悲しみと不安だった。

 重い足で、階段を上る。


「私だってこんなことしたくないわよ。でも八号、やられる前にやるっていうのがこのゲームのルールだから…………」


 壁に立てかけてある木刀を手に持ち、気持ちを整理する。


「別に許してもらおうなんて思ってないわ。所詮は出会って一日、お互いのことはまだまだ知らなかったってことね」


 ――たった一日、されど一日……ね。たとえ偽物だったとしても、純粋に楽しかったわ。ありがとう。そして、ごめんなさい。今から私はあなたを裏切る。


「さて、心は決まったわ。後は行動に移すのみね」


 固く誓って、階段を降りようとした時。


 ドゴォン!


 突然、辺りに爆裂音が轟いた。塔全体が大きく軋む。音源は時計塔の一階。


「向こうからお出ましってわけね。いいわ、受けて立とうじゃないの」


 私はゆっくりと階段を下りていった。

 そこにいるのが八号だと思い込んで―――




 時は少しだけ遡る。完全に闇に包まれた北の大通りを、ある場所を目指して歩く女性が一人。


「本当に真っ暗だねー。あたしもこの耳が無かったら何もわからないよー」


 能天気な声の主は九号。片手には短剣。もう片方の手で少し癖のある茶髪のツインテールを指で弄りながら、全く警戒する素振りもなく夜道を歩くその容姿は、さしずめアイドルのようだ。


「声がするのはこっちの方だね。小さい声で寝息を立ててるみたいだけど、あたしには聴こえちゃってるよ?」


 目を閉じて、両耳に全神経を集中させる。見えているものが何もなくても、音の反響を利用すれば周囲に何があるかは大体わかった。

 能力を得るのと能力を使いこなすのは全く別の話だ。常人なら聴覚が強化されても、すぐに音の反響を利用することなど不可能。数日かけて練習すれば、あるいは以前から音の反響を使うことができていれば――そんな人間は存在しないが――可能かもしれないが。

 本人は不思議がっていないが、九号は何故か能力を使いこなせていた。


「ほんっとあたしにぴったりの状況よねー。こんな真っ暗な道、あたしの能力でもないとロクに動けないもん。あ、この建物ね」


 先程から聴こえていた話し声の音源であろう建物の前で立ち止まる。音という情報だけでは、正確なドアの位置や形などはわからないため、手探りで建物の壁をペタペタと探る。


「ん、この建物レンガでできてるじゃん。今時珍しいねー」


 九号の目的地は、八号達の拠点である時計塔だった。


「さてと、どうしよっかなー。とりあえずノックでもしてみよっか」


 ――中にいるのが誰かとか関係ない。この暗闇の中で動けるのはどうせ私だけなんだし。


 トントン、と二回だけノックをしてみる。


「あれー、反応なしー? 聴こえなかったのかなー」


 確かにノックをしてみたが、扉の向こうからは何かを呟く声が聴こえるのみ。声の主は四階か五階辺りにいるらしいが、別にこちらまで降りてくるような音もない。


「もう一回やってみよ。今度はちょっと強めに」


 少し間をあけて、トントントン、と三回ノックした。

 しかし、何一つ反応が無い。


「おっかしいなー、ほんとに聴こえてないのかなー。もういいや、直接入っちゃえ!!」


 痺れを切らした九号が扉を開ける。目の前には、真っ暗な空間だけが広がっていた。音の反響具合から、そこには何もなく、また誰もいないことがわかった。


「でも、さっきの声は空耳じゃなかったし、奥に隠れているのかも」


 そう思い、足を踏み入れた時。ふと、何かの粉が空気中を舞っていることに気づいた。


「ん、この粉何―――」


 刹那、九号の周囲の空気が突然、爆発した。空気が一瞬にして燃え上がり、闇に包まれていた塔の一階部分に閃光が走る。


「―――――――――っ!!」


 いわゆる粉塵爆発だった。時計塔の一階は窓がないため、空気の通り道は二階へ続く道と扉しかない。爆発、膨張した空気は一斉に扉の方へ押し寄せた。凄まじい爆裂音と共に体が後方へ投げ出される。


「いったぁ!!」


 地面に叩きつけられる九号。着地時に左手首鈍い痛みが走った。骨が折れているとすぐにわかった。


「っぁ!」


 声にならないほどの激痛。肘から先が痺れてうまく動かせない。指先に関しては全く感覚がなかった。

 折れた左手を庇いながら立ち上がり、衣服に着いた砂埃を払う。

 九号の中で湧き上がったのは腕の怪我の痛みや、この先にも今と同じような罠があるのではないかという恐怖ではなく、この罠を仕掛けた人物への怒りだった。


「よ、よくもやってくれたね……さすがのあたしも怒っちゃったよ」


 九号も、サバイバルに中てられたうちの一人だった。勝ち残りたいという心情が、他者を蹴落とすため好戦的になるという野生の本能を呼び起こすのだ。

 九号は手の中の短剣をより一層強く握りしめ、折れた左手を垂らしながら立ち上る黒煙の中を進んでいった。




 一号が異変に気づいたのは、二階から一階へと向かう階段の途中だった。初めに感じたのは熱波。そして一階で発生した物凄い量の煙が階段を通して二階へと上がってきていた。煙が目に染みる。呼吸のたびに熱風が体内へ侵入し、咳が止まらない。


「けほっけほっ……凄い煙の量ね……」


 さっきの爆発は八号が威嚇のためにやったのかと思っていたけど、この量は威嚇の域を超えているわ。


「これじゃあ下手したら死んじゃうじゃないの」


 姿勢を低くし、袖口で鼻と口を覆い、目を細めて煙の中を下りていく一号。


「痛みが引かないよー。本当に許さないんだからねー」


 一方、先程爆発に巻き込まれた九号は片手を庇いながらも、一号と全く同じ格好で階段を上っていた。言葉の通り腕の痛みは引かないものの、精神はかなり安定してきた様子だ。

 そして二人は、階段の中腹で鉢合わせした。


「「…………え!?」」


 突然の出来事。予期せぬ事態に体が硬直して動かない一号と九号。お互いに見つめあって微動だにしない二人の間を煙だけが上へ上へと昇っていく。


「だ、誰!?」


 先に動いたのは一号だった。持っていた木刀を正面に構え、九号を牽制しながらも距離をとるために少しずつ階段を上る。


「そっちこそ誰ー? ていうかー、あたしの能力じゃあ誰が誰だかわからないじゃーん。これって失敗ってやつー?」


 相手に自分が怪我をしていると悟られないように能天気な声を出す九号。左手は自身の背後に隠している。


「九号ね、あなた何しに―――って、私を倒しにきたに決まってるわね」


 少しずつ、しかし確実に距離を詰める九号。一号は今の状況が全て視えているが故に、筆舌に尽くしがたい焦燥感に駆られていた。そもそも、一号はこれまで自分が攻める戦いしか経験したことが無い。八号の時はともかく、三号との闘いに至っては全く抵抗のない相手をただ一方的に痛めつけていただけなのだから。そして一号の目には、九号は強者として映っていた。九号の、宙に浮いているかのような不安定で掴みどころのない雰囲気から、勝負への余裕を感じ取ったのだ。

 つまり、九号の作戦は成功していたのである。


「せーかい! ところで、どうしてあなたはこんな真っ暗の中動けてるのよー?」

「そんな簡単に自分の能力を言うと思った?」


 ふわふわとした口調で探りを入れてきた九号に対し、そんなものお見通しよ、と言わんばかりの一号。お互いに、相手の能力がわからない分、精神面で負けてはならないという危機感を持っていた。二人の額に汗が伝う。


「なんだーつまんなーい」


 そう言い残すと、九号は全速力で階段を駆け上がった。咄嗟に二階部分へ逃げ込む一号。


「あははは、どうしたの? 切られちゃうよー?」


 走る速さを緩めないまま、持っている短剣を片手で振り回しながら一号へと近づいていく。

 この部屋の広さは縦横十メートルほど。無論、身を隠す場所や障害となるものなど一つもない。

 一号は全力で部屋の奥へ後退するが、前進する九号の方が僅かに速かった。

 見切りをつけた九号が一気に跳躍する。


「あは、もーらい!」


 水平方向に短剣を振るう九号。一号は持っていた木刀を床に突き立て、それに体重を預けて思い切り上体を逸らす。九号の剣が一号の鼻先を掠めた。切られた髪が数本、宙を舞う。


「ふっ!!」


 一号は上体を反らした勢いで、そのまま九号の顎に向けて膝を振り上げた。九号は、先程剣を振った影響で体がやや左に傾いていたにも関わらず、持っていた剣を投げ捨て、あえて右手で蹴りを防いだ。一号が能力を極限まで使い動体視力を大幅に上昇させると、九号の動きは止まっているかのように見えた。すかさず、がら空きとなった九号の左手側に木刀を叩きこみ、そのまま渾身の力で木刀ごと九号の体を投げ飛ばした。


「おりゃあああ!!」

「いっっ!?」


 九号は痛みからか、明らかに異常な反応を見せた。しかしそれは一瞬の出来事で、体勢を崩し落下した九号は地面を転がりながらも、剣が床に落ちた際に発生した音を頼りに、短剣を回収する。

 一号はその一連の動きに違和感を覚えた。


「もしかしてあなた……怪我をしているの?」

「なんのことー?」

「その左腕よ。いくら私が素人でもそれくらいはわかるわ」


 一号の問いかけに対し、九号は一瞬だけ表情を強張らせた。そして、数秒の沈黙を挟んだ後。


「そーだよ、うん、あたしは怪我してる。さっき爆発に巻き込まれちゃってね。でもそれがどうしたの? たった一回攻撃を防いだからっていけるとか思っちゃったー?」


 一号は考える。なぜ彼女が爆発に巻き込まれたのか。あの爆発が彼女が仕掛けたものではないとすると、思い当たる人物は一人しかいない。でも、なぜ。

 様々な憶測が一号の脳内を駆け巡る。考えれば考えるほど沼にはまっていくような感覚に陥る。

 一号はこの緊迫した状況下で冷静な思考を保つのが、そして同時に複数の思考を並列させるのがいかに難しいか実感していた。


「はあ、やっぱり私じゃあいつみたいにはいかないわね」


 一号が溜息をついた一瞬。その刹那を、九号は見逃さなかった。地面を蹴って距離を詰めると同時、手に持っていた短剣を思い切り投げた。その剣先は真っ直ぐに一号の胸部へと向かう。

 一号は直ぐに九号から離れようと、そして飛んでくる剣を避けようと後ろに跳び、気づく。指先に冷たいレンガの感触があった。


「なっ!?」


 一号は気づかないうちに壁際まで追い詰められていた。しかし時間は待ってはくれない。九号の放った剣は目前に迫っていた。横に避けようとも考えたが、それには時間が足りないと悟った一号は、咄嗟に素手で剣を弾く。幸いにも刃が体に到達する直前で払うことが出来たため、胴体は無事だった。

 そう、胴体は。


「あっはは、油断しちゃったねー。さっき木刀は投げちゃったし、もう怖いものなしだね!」


 一号が剣を弾いた時には、既に九号は間近に迫っていた。九号は一号の両手首を封じると、それらを壁に押し付けて一号の動きを封じた。そしてすぐに体を密着させ、一号の蹴りも無効化する。


「おっと、木刀を取りにはいかせないよ?」

「くっ……!!」


 先程剣を弾いた右手から鮮血が滴る。鋭い痛みと熱を帯び、心臓の鼓動に合わせて大きく脈打つ。必死に痛みを堪える一号だったが、その呼吸は速く荒くなっていく。


「息遣いが荒くなってきたねー。確かにめっちゃ血が出てるっぽいし、叫ばないだけ偉いって感じかなー。あー! あたしの能力だと顔が見られないのが本当に残念!!」


 九号はその吐息がかかるほどに一号の顔に近づくと、俯き、顔を歪めて痛みに耐える一号にそう言い放った。

 腕からの出血の影響で意識が朦朧としていた一号は、もはや九号の言葉に耳を傾ける余裕など残っていなかった。徐々に体に力が入らなくなっていくのを感じる。

 そして、一号の意識が途切れかかった瞬間。


 キイイイイン。


「はぁ……はぁ……」


 一つの通信が一号のヘッドフォンへと入ってきた。その頭を割るような高音のおかげで一号は辛うじて意識を繋いだ。


≪おい! 一号! 聴こえるか? 俺だ、八号だ。今戦っている相手は誰だ?≫


 通信の主は八号だった。かなり焦った様子である。一号もヘッドフォン越しにそのただならぬ焦燥感を感じ取っていた。


「なによ急に通信してきて……だいたいあなた今どこに——」

≪そんなことは後だ! 戦っている相手を教えてくれ!≫

「煩いわね……九号よ、九号」


 今にも切れそうな意識の糸を必死に張り詰め、一号は今必要な最低限の情報を伝えた。なぜここにいないのか。何をしに街へ出たのか。どうやってこの真っ暗闇の中で行動しているのか。八号に問いただしたいことはいくらでもある。しかし、それらを悠長に尋ねている時間はない。とりあえず今この状況を打破しなければ、一号に未来はない。

 満身創痍だった一号は、弱々しくかすれた声で話すことしかできなかった。それが幸いし、九号は会話のことを聞き取れずにいた。


≪わかった。今から俺が奴の動きを止める。その間に一号はそいつを気絶させて捕らえてくれ。絶対殺すなよ!≫


 そこで通信は途絶えた。


 ——どういうつもりなの? 大体どこにいるかもわからない八号がどうやって九号を止めるっていうの。


「嫌あああああああああああああ!!!!」


 突然。目の前の九号が耳を押さえて悲鳴を上げた。壁に押さえつけられていた一号の両手が拘束から解放される。状況が把握できていない一号を前に、九号は続けて叫んだ。


「誰よ!? なんでこのタイミングで通信が入ってくるの!?」


 その言葉に、ようやく合点がいった一号は血の滴る右手を庇いながら木刀の元へと走る。

 一方、九号は呻き声を上げながら蹲る。激しい耳鳴りと頭を割るような頭痛がいつまでも止まない。この状況は非常にまずい、そう思い立ち上がろうとするが、平衡感覚が狂って立ち上がれない。

 全てを聴覚に頼っていた九号にとって、この通信による攻撃は致命的だった。


「だ……誰? ねえ、どうせ私はもう終わりなんだから教えてよ」

≪俺か? 俺は八号だ。安心しろ、大人しくしていたらまだ終わりじゃない≫

「大人しくしてれば助けてくれるの?」

≪ああ、信じてくれ≫

「ふっ」


 九号は、ニヤリと笑った。


≪な、まずい! ちょっと待て―—≫


 八号の言葉を遮るように、九号は通信を切った。

 木刀を取りに行っていた一号は、そのことを知る由もない。蹲る九号に向かって警戒しながら近づく一号。

 警戒しているとは言え、心のどこかで勝ちを確信していた。


「殺さずに捕らえろって言われても困るわね……。どうしよう」


 手足を拘束するにも、縄や紐の類など一号は持ち合わせていなかった。

 一通り考えた結果、一号は九号に馬乗りになり、とりあえず動きを封じて、八号の帰りを待つことにした。


 ―—大丈夫。九号が動く気配はないわ。こいつが元に戻る前にさっさとやっちゃった方がいいわね。


 一号は九号に跨り、手足を押さえるようにして腰を下ろした。いや、下ろそうとした時だった。九号は耳を押さえていた手を広げ、一号の両足を腋で挟み固定すると、寝返りをうつ要領で彼女の体勢を崩した。一瞬の出来事。予想外の展開に、一号はなす術なく地面に倒れた。


「なっ! うそ!」

「あっははは。油断しすぎ! これで形勢逆転だね」


 正に形勢逆転そのものだった。今度は、九号が一号に跨っている状態だ。

 先程拾い上げた木刀も、倒れた衝撃ではるか遠くに転がされてしまった。


「ほら、あなたのたった一つの武器もあんなところにいっちゃったよー?」

「くっ」


 苦虫を嚙み潰したような顔の一号に対し、まるで獲物を目の前にした獣のような恍惚とした表情の九号。


「ちょっと手こずっちゃったけどー、やっぱあたしの方が強かったってわけー。いい加減大人しく―—」

「あなたこそ油断し過ぎよ。この勝負、私の勝ち」


 一号はそう言うと、ヘッドフォンに手をかけた。九号の制止を待たずに、それは発動する。


 キイイイイン。


 瞬間、爆音が電撃のように九号の体を迸った。耳が裂け、頭が割れてしまうような強烈な痛み。それは瞬く間に全身に伝播し、九号の体は悲鳴を上げる。真っ直ぐに立つことはおろか、座ることすら許されない。


「きゃああああああああああああ!」

「ったく、同じ技を二回も食らうなんて、ほんと馬鹿ね」


 甲高い悲鳴を上げ、一号の上で暴れる九号。

 一号は、馬鹿、とは言ったものの、八号の通信が無ければ確実に負けていたことを考えると、その内心は複雑だった。


 ―—って、集中よ、私! 今のうちに!


 一号が、自らの上に乗って暴れている九号を再び捕えようと体を動かした時だった。九号は、このままでは負けてしまうと悟ったのか、両手を耳から離すと、両腕を勢いよくがむしゃらに振り回し始めた。それは、自暴自棄に陥った九号の最後の足掻き。目を瞑り、かな切り声を部屋に響かせながら、ただひたすらに腕を振り回す。


「うわあああああああああああああ! 頭が割れちゃうううう!」

「ちょっ! 急に……きゃあ!」


 九号の攻撃は、滅茶苦茶で、駄々をこねる子供と大差ない稚拙なものだった。それは一号にとって取るに足らない、難なく避けることのできる攻撃。しかしそれは普通に戦っていればの話。現状、九号に馬乗りになられ、手足を満足に動かすことのできない一号にとっては脅威となり得ていた。

 九号の拳は、その膂力を鑑みるに当然、殺傷能力があるとは言えない。しかしこのゲームは、ヘッドフォンが壊されたらそこで文字通りお終いなのだ。一発でも当たれば即座に一号はこの世から退場である。いつの間にか、全く油断ならない状況まで追い詰められていた。


「ああああああああああああああああああ!!」

「なんとかしないとっ!」

「止めて! 来ないでっ!」


 焦燥感を募らせる一号。その能力を遺憾なく発揮し、次々と振るわれる九号の腕を的確にいなしているものの、防戦一方となり、勝利への糸口を見いだせないでいた。

 対する九号は混乱しているのか、まるで狂人のような悲鳴を上げている。馬乗りになっている相手に向かって来るなと叫ぶところからも、その狼狽ぶりがうかがい知れる。

 そんな中、膠着状態だった二人の戦況は急速に動き出す。


 ――今だ!


 仕掛けたのは一号だった。九号が見せた刹那の隙を見切り、振るわれる腕の合間を縫って一号は九号の脇腹を掴んだ。反射的に腋を閉じてしまう九号。

 それは一瞬の、しかし止めを刺すには充分過ぎるほどの隙。

 一号は、必死に腕を伸ばし、自らに馬乗りになっている九号のヘッドフォンを掴んだ。


「なっ!? 止めて――」

「おりゃああああっ!!!」


 一号は己の額を九号のヘッドフォンに思い切り打ち付けた。ガツッと衝突音が響く。数拍遅れて、二人は同時に倒れ伏した。

 突如訪れた沈黙。

 一号は肩で荒い息をしながら、視界の端で九号の姿を捉える。そこには微動だにしない少女の姿があった。さながら人形の様だ。九号は先の一号の一撃で気絶していた。そのヘッドフォンには大きなひびが入っていた。十分に壊れたと判定できる傷だ。


「勝った……ようね……」


 呟くが、掠れた声しか出てこない。戦いが終わり、緊張の糸が切れたからか、疲れと痛みが一挙に押し寄せてきた。起き上がる力さえ残されていないらしく、動くことすらままならない。一号は明滅する視界の中、遠くにディーラーの声を聴きながら、そっと意識を手放した。




――――――――――――――――――――――――――――—————————




一号

性別:女

能力:視覚強化

人物:JK。ポニテ。よくいるヒロイン的性格。恋愛経験希薄。

情報:皆がそれぞれ情報を持っているという情報


二号


三号→脱落

性別:女

能力:嗅覚強化

人物:茶髪。ショートボブ。可愛い系。


四号


五号→脱落

性別:男

人物:メガネおじさん。優しそう。五十代。


六号

性別:男

能力:腕力強化

人物:パツキン。パリピ。喧嘩好きそう。二十代。サイコパス。


七号→脱落

性別:女

能力:骨格強化

人物:お母さん的な。三十代。茶髪。おっとり。


八号

性別:男

能力:頭脳強化

人物:主人公。童顔。童貞。高校生。

情報:この街についての情報


九号→脱落

性別:女

能力:聴覚強化

人物:茶髪ツインテ。アイドル風。


十号

性別:男

人物:メガネくん。大学生。優等生って感じ。


謎の男

人物:謎の空間で八号と会った。上から目線でアドバイスしてきてちょっとウザい。


ディーラー

人物:ゲームの主催者? なまはげのようなお面をしている。

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ゲーム 「頭が良くなる能力」で生き残れ Mr. @Mr_

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