【9/そして失って、何も得てはいない】

 フレイは一人、部屋で考えていた。

 オリヴィアは、『教会』でドーテの集会があり、そのあと仕事があると言って、つい先ほど家を出て行った。

 教会。このシスルの教会には『いかれた神父と、狂戦士のシスターと、異端中の異端である混血種ダンピールのドーテ』がいると噂されている。ドーテの中でも最も忌避されているドーテのいる場所。

 もっとも、オリヴィアはこの三人の特徴には当てはまらないようだが。もちろん彼女が混血種ダンピールである場合には話が違ってくる。

 混血種ダンピール

 フレイも詳しくは知らないが、人間と吸血鬼が交わったことにより産み落とされる存在であり、その数はかなり少なく、希少種とも呼ばれている。

 フレイはそのような存在がドーテの中にいるときいた時、我が耳を疑った。実際にそのドーテを目にしたことはないが、たったそれだけの情報でその人物の存在がどれだけおぞましいかがわかる。半分その血が流れているというのに、吸血鬼を狩るのだから。

 彼女がその混血種ダンピールかどうかは、証拠がないからなんとも言えない。今からなんだかんだと考えていても意味はないだろう。

 つらつらと考え事をしていたが、ガチャリという扉の開く音でそれは中断された。どうやらオリヴィアが戻ってきたらしい。フレイはベッドから降りると、部屋の扉を開けて玄関の方へと向かった。

「……オリヴィアさん!?」

 フレイは驚いてオリヴィアに駆け寄った。

 オリヴィアは全身、赤に染まっていた。しかしそれは彼女自身の血ではない様だ。誰かの、返り血。

 だが、オリヴィアは右手で左腕のあたりを押さえており、手の隙間からまだ新しい鮮血が流れ、腕を伝って床に落ちている。足取りはふらついていて、おぼつかない。

「……なん、でもない……。大丈夫だ」

 オリヴィアは顔をしかめながら首を振った。言葉とは裏腹に、それは苦しそうな声音だった。フレイはオリヴィアの肩に手を置き、強い語調で言う。

「そんな、怪我しているじゃないか! 大丈夫なわけ……」

「大丈夫だと言っている!」

 オリヴィアはその手を振り払ってフレイを拒絶した。が、次の瞬間には、はっと我に返った様に下を向いた。

「す、すまない。いきなり……」

「いや、僕もでしゃばったりしてごめん。別に君と近しい関係でもないのに」

「今のは私が悪かった。本当に、申し訳ない」

 オリヴィアはよどみない動作で頭を下げた。

「それより早く、治療しないと。包帯とか消毒液って、どこにある?」

 オリヴィアは彼に「二段目の棚の中にある」と教えた。フレイは棚の二段目から包帯と消毒液を取り出すと、オリヴィアに椅子に座る様促した。彼女は素直に椅子に座ると、左腕の服の袖をまくった。

 二の腕が鋭い刃物か何かで切りつけられたかの様に、ぱっくりと皮膚が裂け、腕全体が血で染まっていた。反射的にフレイは顔をしかめる。

 フレイはガーゼでオリヴィアの腕から流れ出た血を、丁寧に拭き取り、消毒液で消毒してからこれまた丁寧に、包帯を巻いた。

「その……、何があったのか、差し支えなければ聞いてもいいかな?」

 フレイの問いに、オリヴィアは少しだけ考える様に間を置いたが、すぐに口を開いた。

「ああ、仕事でね……。ちょっと、怪我をしてしまったのだよ」

 『仕事』。

 彼女はドーテだ。だから『仕事』というのは当然——吸血鬼を狩るということなのだろう。そしてオリヴィアの服に付着している血の大半は、吸血鬼のものなのだろう。

 同族がまた一人、命を落とした。その事実はフレイの心に重くのしかかってくる。この重さを感じたのは、彼の姉であるイリーナが死んでた時以来だった。

「…………本当に、あれで正しかったのだろうか……」

 オリヴィアの小さな呟きに、フレイはどう対応して良いか分からずうろたえた。一体オリヴィアは何を、正しかったのかと疑問視しているのだろうか。

「あの、オリヴィアさん……?」

「あ、いや、何でもないのだ。気にしないでくれ、ただの独り言だ」

 オリヴィアは慌てて取り繕った。だがその声音はどこか、フレイではなく別の誰かに向いている様で、空っぽに聞こえた。

「私は、ちょっと部屋で休ませてもらう」

「待って」

 フレイはオリヴィアを呼び止めた。彼女は足を止めると、振りかえらずに「何だ?」と問うた。

「一つだけ、教えて欲しいことがあるんだ」

「教えて欲しいこと……?」

「ああ。どうして、どうして君は、そこまでして吸血鬼を狩るの?」

 オリヴィアは「どうして、とは?」と問い返す。

、君の目的だよ。そんな怪我までして、本当は痛くて痛くてしかたがないはずなのに、君はそうやってそれが当然の対価であるかの様に、それを受け入れて平然としている。たしかに一人の命を奪う対価として、それは当然以上のものなのかもしれない。けれどそもそも、吸血鬼を狩らなければ対価を払う必要はないじゃないか。だからどうしてなのかな、と。そう思ったんだ」

「それは、吸血鬼が狩られるべき存在だからだ。吸血鬼は私達人間に害をなすもの。悪だ。だから、私は吸血鬼を狩る」

 オリヴィアは迷うことなくそう答えた。けれど、その言葉はどこか空虚で、彼女自身が本当にそう思っているのか、フレイは疑問に思った。

「それは、君自身の目的なの? どうしてではなく、自身が悪という存在を狩ろうとするのかって、僕は聞きたいんだ。君自身が、何を得たいかだよ。復讐をしてその心を満たす。『狩る』という行為によって、満足感を得る……。正義感のためだけで、君は殺しているわけじゃ、ないだろう? 君は何かに迷っている。正義感のためだけに戦えるのは、迷いを捨てた者だけだよ」

「目、的……? 私の……」

 オリヴィアは虚ろな声で自分に問いかける。その声は震えていて、行き場を失った子猫の様だった。

「復讐……? 違う、私は吸血鬼に復讐したいわけではない。何か大切なものを、奪われても殺されても、いない。では、吸血鬼のその血によって心を満たしているのか……? 違う。そうじゃない。じゃあ……、何故……。何故、私は……。私は……」

 オリヴィアは力なくその場に崩れ落ちた。糸が切れてしまったかのごとく。オリヴィアはその両手で顔を、覆い、その手に力を込める。

「私は何故、何故傷つけて、殺して傷つけられ、多くの血を流してきたのだ……? どうして、何のために私はこの両目の光を失った……? 何のために……」

 オリヴィアは突然、肩を震わせ始めた。泣いているのだろうか、とフレイが彼女に駆け寄ろうとしたが、オリヴィアは泣いているのではなく笑っているのだと知ったとき、彼はその場で立ち止まった。それは酷く乾いた笑いだった。

「はは、ははははははっ。滑稽だ、実に滑稽だ。私がこの両目と人差し指を失って得たものは何だ……? 何もないではないか! 私はただ殺しただけだ。殺して、そして失って、何も得てはいない。私は、何のために……」

 オリヴィアは狂った様に笑い続けた。顔を両手で覆い、泣いてる様にも見えた。フレイはそんな彼女にようやく駆け寄り、その肩に手を置き、名前を呼ぶ。途端、オリヴィアは笑うのをやめてその場に倒れた。

 フレイが慌てて抱き起こすと、オリヴィアは気絶していた。目元に巻かれていた包帯が解け、彼女の目元を露わにする。

 固く閉じられた両のまぶたには、痛々しい古傷があった。思わずフレイは目をそらした。

 オリヴィアを部屋に運ぶためにフレイは彼女を持ち上げた。オリヴィアは驚くほど軽かった。一体この細い体で何を背負い続けているのか、フレイは想像することができなかった。

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少年少女吸血鬼譚 鴉羽 都雨 @karasuba-tou

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