第一〇七六四八八星辰荘へようこそ

その日アーシェスは、手紙をしたためていた。親しい人間達に宛てた手紙だった。これまでの感謝を素直に表したお礼の手紙だった。その中には、ユウカに宛てた手紙もあった。


<書庫>に来てすでに二百万年以上。夫と結婚してからでも百万年以上。子供には恵まれなかったが、実質子供のような者達はそれこそ数限りなくいた。それらの一人一人に手紙を書いていてはさすがにキリがないから、自分の碑に『ありがとう』と刻み、それを全員に宛てたメッセージとした。手紙は、まだ十分に言葉を交わせた実感がなかった者への補足のようなものだった。


もうすでに準備は万端整っていた。夫も寄り添ってくれる。大人になることを拒み続けた我侭な自分に百万年も付き合ってくれた彼は、アーシェスにとっては夫であり恋人であり兄であり父親でもあった。この人と巡り合えたことが間違いなく自分の一番の幸せだと自信を持って言えるだろう。


手紙を書き終え、ペンを置き、封をして専用のケースに入れて「ふう…」と小さく息を吐いた時、全ての肩の荷が下りた気がした。そして夫の腕に抱かれ、キスを交わし、寄り添い合いながら眠るようにして二人はその生涯を閉じたのだった。


その後の作業は全てロボットが行ってくれる。二人が眠るカプセルを厳重に封印し、安置区域と呼ばれる圧縮領域へと静かに運び込み、システムに収容すれば終了である。


アーシェスと夫がそれぞれしたためた手紙は宛先へと発送され、二人の私物もすべて圧縮コンテナに収容されて体と共に圧縮領域にて保管。アーシェスと夫が使っていた家は完全に初期化され、新しい住人を待つこととなった。


これが、<死のない世界>であるここでの<死>である。厳密には本当に死んだわけではない。あくまで圧縮されたデータとして静的状態で保存されるだけだ。だから、圧縮を解除すれば再び元のように日常を送ることもできる。だが、実際にそれを選ぶ者はまずいない。そういう心残りがあるうちは、これを選んだりしないからだ。満たされ、全てをやり遂げたと感じ、ゆっくりと休みたいと願った者だけが選択するのである。アーシェスはそう思えるようになるまで二百万年かかった。それだけの話なのだ。


ユウカに宛てられた手紙には、こう書かれていた。


「ヘルミのこと、ありがとう。あなたが私の最後の担当で本当に良かった。あなたの人生が満たされたものになることを、私も心から願っています」


ユウカがその手紙を受け取ったのは、アーシェスと彼女の夫が共に眠りについた翌日のことであった。




「アーシェス…」


受け取った手紙を読んだユウカは、ポロポロと涙をこぼし彼女の名を呟いた。いずれこうなることは、ここで暮らしているうちに自然に知った。だから覚悟もしていたつもりだった。だけど、ここに来て初めて声を掛けてくれて、たくさんたくさん面倒を見てくれて、数えきれないくらいの恩を受けた彼女がそれを選んだことは、やはり悲しいし辛かった。本当の死ではないと分かってはいても、彼女の笑顔を直接見て、その温かい手に触れることはもうないのだと思えば、自然と涙が溢れてきてしまうのだ。


ユウカがここに来てからもう五十年が過ぎていた。それでも彼女はまだ、十四歳当時の姿のままだった。地球にいればすでに孫がいても何もおかしくない年齢だが、ここでは気持ちさえほとんど十四歳当時のままである。ガゼも、メジェレナも、レルゼーも、他のアパートの住人達も、なにも変わっていない。


いや、厳密に言うなら変化はある。ヘルミがアパートを出て行ったのだ。そして今は結婚し、パートナーと共に戸建て住宅に住んでいるそうだ。ロックバンドのヴォーカルであることは変わりないが。


ただ、先日、一日限りだがレルゼーのバンド、<レルゼリーディヒア>とセッションを行い、そこでレルゼリーディヒアの演奏をバックにあのバラードを歌うという姿も見られたのだった。


決して愛想が良くなったわけではない。今でも攻撃的な目で他人を睨み付ける癖は治っていない。だが、ケンカはあれ以来やってないらしい。しかも、パートナーの前では穏やかな表情も見せるという話もちらほらとはある。ただし、それを本人に確認しようとすると、凄まじい殺意が込められた視線を向けられるらしいが。


<ガウ=エイ=アヴェンジャー>と<レルゼリーディヒア>のライブセッションの日は仕事があって行けなかったユウカだったが、その時のライブの模様を録画した映像を配信していた番組についてはしっかりとチェックした。それを生で見に行ったメジェレナは、感極まった様子でライブ映像を見ながらまた涙を流してたりした。


ユウカはユウカで、ヘルミにバンドに帰ってきてほしいというレルゼーの願いが一時だけでも叶ったことも加えて胸がいっぱいになる想いだった。その時、ドアがノックされた。


「はい」と応えながらドアを開けると、そこにはシェルミが立っていた。そして彼女の隣には、初めて見る女性の姿があった。自分に似てはいるが、耳がかなり尖っているので地球人ではないとすぐに分かった。


「彼女の名前は、レンジェラニア・アルフォレニシス。新しく3号室に入ることになった方です」


その説明ですぐに分かった。アーシェスの後任のエルダーとしてのシェルミの初仕事なのだということが。


「初めまして。私は石脇佑香いしわきゆうか。ユウカって呼んでね。


第一〇七六四八八星辰荘へようこそ。歓迎します」


ユウカの温かい笑顔が、不安そうに佇むその女性を包んでいたのだった。







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第一〇七六四八八星辰荘へようこそ ~あるJC2の異種間交流~ 京衛武百十 @km110

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