ポルネリッカ・パピリカの正体
外見が十四歳当時のままなのと同じく、アパートでのユウカの生活ぶりも相変わらずである。
「おはようございます」
「おはよう、ユウカ」
朝、仕事に行くとにたまたま顔を合わせたメジェレナにそう挨拶したように、住人達との関係も、一部を除けば家族のように良好だった。
その一部というのが、当然の如くヘルミと五号室のポルネリッカ・パピリカである。
しかし、この二人については他の住人も同じようなものなので、それで言えばユウカも十分に上手くやっている。
また、ヘルミに対しては見掛ける度に挨拶を交わすユウカだったが、ポルネリッカはほぼ姿を見せることすらないので挨拶すら掛けようがなかった。
買い物は宅配で済ませ、人がいる時はトイレにさえ出てこない。小用については、
「おしっこはシャワー室で済ましているらしいのよねえ。別にいいんだけど、女の子としてはどうなのって思わなくもないの」
とさえ、二号室のマニが言っていた。
「そ…そうなんですか……?」
それが本当かどうかは分からないが、有り得ないこともない気はしてしまう。ただ、
『少なくともペットボトルとかにするよりはずっとマシ…なのかな……?』
まあその辺りは個人の主観なので置くとして、とにかくそんな状態だということだ。
と言うか、
『いまだに顔すらちゃんと見てないんだよね……』
などとユウカが思ってしまう通りだった。
が、それも他の住人も同じである。誰もポルネリッカの顔を知らない。
ユウカが見た時には真っ暗な闇の塊のようなものの中に黄色い光が二つ浮いているだけだったのだが、他の住人の証言もほぼ同じだった。
唯一、機械生命体である四号室のシェルミだけは、有機生命体とは違う形で見ることができる為に、違う印象も持っているようだったが。
それによると、
「あの方は実体がありません。ですから姿形というものがそもそもないんです」
と言っていた。
「え……!?」
驚いたユウカだったが、シェルミの性格からして嘘を言ってるとは思えないものの、それが果たして本当なのかすら確かめようがなかった。それに対しては、アーシェスが答えてくれた。
「彼女は、自分の姿形というものに対してとても強いコンプレックスを抱いていたみたいなの。それが高じて姿を維持できなくなった。そういう人も、数は少ないけど他にもいるんだよ」
そう、任意で自分の外見上の年齢を選択できるということは、逆に自分の姿を選択しないということもできてしまうということなのだ。
もちろん、普通の人間は無意識のうちにでも自分の姿というものを認識してるので、無意識のレベルで姿を選択しないということができる人間は滅多にいない。しかしポルネリッカはそれができてしまった。だから彼女は、『姿がない』のである。
となると、実はトイレにも見えない状態で行っている可能性もあるということではあった。
本人が望んでいないのに、一方的に交流しようとするのはやはり好ましくないのだろう。だからポルネリッカのことは放っておいて構わないのだが、ユウカとしてはヘルミ同様に気になる存在だった。
『自分の姿がないって、どんな感じなんだろう…』
ユウカにとってはそこも気になるところらしい。自分の姿がないということは、自分がないということのような気がして。
『でも私も、ここに来るまでは『自分がない』って感じだったなあ……』
そう、ユウカ自身、ここに来る以前には自分がない状態だったと言えた。
親の顔色を窺い、他人の顔色を窺い、周囲に合わせて自分を押し込めて自分をなくして。
あの頃の自分だったら、姿をなくすことができるならそうしたかったかもしれない。
でも、今は違う。今はちゃんと自分がいて良かったと思ってる。できればヘルミやポルネリッカにもそう思って欲しい。
『だけど私に何ができるのかなんてさっぱりだな……』
そんなことをぼんやり考えながらいつものようにアニメを見ていた時、今自分が一番好きなアニメのエンディングがテレビから流れていた。
「…!」
何気なく画面を見ていた時、ユウカはハッとなった。その曲の作詞家の名前にところに、ポルネリッカの名前があったからだ。
もちろん、それは以前から気付いていた。最初に見た時にポルネリッカの名前を見付けて、自分と同じアパートに住んでる人がこの曲の作詞家だと思うと、何とも言えない高揚感があった。だがその時はそれだけだったのに、改めて別のことに気付いてしまったのだ。
『あれ? ということは、ポルネリッカさんに仕事として作詞とか依頼することはできる…?』
ユウカは、その曲の詞も好きだった。届けたい思いがあるのに届けることができないもどかしさがすごく表現されてて、『分かる分かる~!』と身悶えたりもした。
『じゃあ、私がヘルミさんやポルネリッカさんに届けたいと思っている気持ちを詞にしてもらえたらどうなんだろう? 少しくらいは伝わるかも知れない』
という考えが頭をよぎった。
もっとも、それはもう既に過去にも何度も試された方法だった。それでもポルネリッカには届かなかった。
ヘルミに対してはまだ試されていないが、結果は同じだろう。
だが、だからと言って諦める必要もない。ここでは時間は無限に等しいくらいにあるのだ。『時間がない』という言い訳は通用しない。それに正式に仕事として依頼するなら、何も問題はないのだから。
「シェルミさん。ポルネリッカさんに作詞の仕事を依頼するとしたらいくらかかりますか?」
知識の面ではジャンルを問わずこのアパートでは圧倒的に優れているシェルミに、ユウカはとりあえず尋ねてみた。するとシェルミは、
「内容によっても変わりますが、最低五万ダールからとなっていますね」
と、自らが持っているデータを目の前の空間に表示させながら当たり前のように応えてくれる。
『五万ダールかあ……半月分のお給料だな……』
作詞を依頼する場合の金額を聞いてユウカはそんなことを思った。
「彼女は人気作家ですので、あまり安くして冷やかしのような仕事が舞い込んでは困るというのもあるのでしょう」
「ですよね」
シェルミの解説に、ユウカも納得した。
『私が作詞を依頼するとしても、そんなに重要な仕事じゃないよね。でも、半月分のお給料をつぎ込んででも頼みたい仕事っていうことでっていうことなんだろうな……
よし、蓄えはそれなりにあるし、今なら……!』
ユウカは無駄遣いをするタイプではなかったので、すでに年収分程度の貯えはあった。これなら無理なく仕事を依頼できる。
とは言え、その次のハードルがあった。
『でも、作詞の依頼ってどうすれば……?』
実際に作詞してもらうにあたって、どういう内容の詞を書いてもらうかということを伝えなければいけないのだ。
「あんまりに漠然とした内容だと、ポルネリッカさんやヘルミさんに宛てたものだって気付いてもらえないよね……」
戸惑うユウカに、
「やはり、具体的なプロットを提示するのが一番だと思われます」
シェルミのアドバイスもあり、ユウカはプロットを考えることにした。自分が今どれだけ幸せか、どれだけポルネリッカやヘルミのことを心配しているかを伝える内容を考えようとした。
だが…
「何これ…ただのリア充自慢じゃない……」
自分が書き上げたプロットを読み返し、ユウカはそれが単なる幸せな人間が不幸な人間に同情しているだけの浅ましい自慢話に見えてしまって、打ちのめされるのを感じていた。
そして気付いた。
『今は幸せな私がポルネリッカさんやヘルミさんのことをどうかしたいなんて、ただの上から目線なお節介なのかな……? 親切の押し売りなんじゃなのかな?
それどころか、下手するとただのイヤミにしか見えないんじゃないのかな……?』
ということが頭をよぎり、そのメモをくしゃくしゃと握り潰してしまった。
とにかくプロットを書き上げてから仕事を依頼しようと考えていたのは正解だっただろう。
いざ自分が伝えたいことを言葉にしようとするとこんなにも難しいものなのだということを思い知らされていた。
自分と同じように幸せそうにしている相手になら他愛ない雑談のように言葉を掛けることができても、相手が辛い状況にある時には慎重に言葉を選ばなければかえって傷付けることにもなりかねない。その当たり前のことを改めて気付かされたのだ。
『それでも……!』
それでも何とか諦めずに言葉にしようと思った。時間を見付けては言葉をつづり、余裕がある時には頭の中でそれを模索した。
その間にも流れるように時間は過ぎて行き、気付けば二年が経過していたのであった。
ポルネリッカに作詞の仕事を依頼するためにプロットをしたため始めて二年。ユウカはようやく、それを書き上げることができた。
結局、直接的な表現はなく、これを見ても果たしてポルネリッカに対するユウカの気持ちだということが伝わるかどうかはまったく分からないものになってしまったが、
『今の私じゃこれ以上のものは書けないな……』
と思える程度のものにはなっただろう。そう思えるようになるまでに二年かかったと言うべきか。
『私には、あなたの気持ちは分かりません。
だってそれはあなたの中にしかないものだから。あなたにとって大切なものなのだから。
あなたが何を大切にしているのかを私が理解することは永遠に無いでしょう。
だけど、私にとってあなたも大切な人の一人なのです。私のこの気持ちがあなたには理解できないかも知れません。きっと理解できないんだと思います。
それでもいい。あなたを大切だと思う気持ちは、私のものなのですから』
それが、ユウカがポルネリッカに託したいと思っていたプロットの一番大切な部分だった。それを携え、シェルミの部屋を訪れたユウカは、彼女を通じポルネリッカのマネージャーに仕事の依頼を行う。
一時間に及ぶ交渉の上、それは正式な仕事として引き受けてもらえることになった。ただし、他にも多数の仕事を抱えているため、納期は百九十八日後になるという。
「ありがとうございますシェルミさん!」
これは、シェルミの協力なくしてはできないことだった。彼女の交渉能力なくしては、ユウカはマネージャーにたやすく丸め込まれて体よく断られてしまっていただろう。
だが、ここに至ることができたのはシェルミの助けだけではない。
ガゼも、メジェレナも、レルゼーも、ユウカに協力してくれた。アドバイスをくれた。諦めそうになった時には、
『焦らなくていいよ。書けるようになった時に書けばいいよ』
と声を掛けてくれた。だから今日までやってこれた。
仕事中まで考え込んでしまってタミネルに注意されたり、リルに慰められたりしながらここまでこれた。
マニもキリオもヌラッカも励ましてくれた。
クォ=ヨ=ムイだけはまるで関心を持ってなかったようだが、彼女はまあ邪神だから仕方ないのだろう。むしろレルゼーの方が普通ではないのだ。
しかしみんながいてくれたからこそ、この日を迎えることができたのは間違いなかった。
『百九十八日後か……』
今の自分にできるすべてを込めたプロットをマネージャーに預け、百九十八日間待つことにした。
それは、ここでの感覚としては決して長い期間ではない。むしろ早いとさえ言える程度の時間だ。そしてポルネリッカは引き受けた仕事を
『終わった…!』
とりあえず一つの山は越えたということで、今日は、ユウカとガゼとメジェレナとレルゼーの四人でアイアンブルーム亭で簡単な打ち上げということになった。
「さあ、今日はうちからもご奉仕させてもらうよ。じゃんじゃん食べてね!」
ラフタスが上機嫌に笑顔を浮かべながら料理を次々と運んでくる。定番の回鍋肉を始めとして、唐揚げやサイコロステーキやパスタやサラダ等々。さすがに四人で食べ切るには無理があるのでは?という量が運ばれ、メジェレナとレルゼーにはビールも振る舞われた。
「ユウカとガゼもいつものだね」
心得たラフタスが持ってきたのは、ノンアルコールの甘いシャンパン風ドリンクである。
ユウカもガゼも年齢としては十分に大人だがどうも酒は好きになれなくていまだに飲まないようにはしていたからだった。
「かんぱ~い!」
まずは四人で乾杯してパーティーが始まると、いつの間にやらちゃっかりとアイアンブルーム亭の常連達が紛れ込み、料理までつまんでいたりもした。
しかしこれもここでのいつもの光景だ。楽しいことはみんなで分かち合う。どんどん振る舞う。だから自分もご相伴に与れるそういうことなのだ。
どっちが得とか損とか細かいことは気にしない。楽しければそれでいい。それが秘訣であった。
「あはは、あははは♡」
常連客の一人が披露した一発芸に、ユウカ達が腹を抱えて笑い転げる。
本当に気持ちのいい時間だった。
ここに来てもう十三年ほど。単純な年齢で言えばユウカも二十七歳。地球でなら妙齢と言っていい年齢だろう。
しかしその辺りではいまだに何の実感もない、自分だけじゃなく周囲の誰も年齢を感じさせるような変化がないから当然かもしれないが、今でも気分的には十四歳当時のままである。
まあそれもそうだ。相変わらず幼い少女の姿をしているガゼはもう三十七歳だし、メジェレナは二千歳以上(正確な年齢は自分でも分からない)だし、レルゼーに至ってはもはや天文学的な数字になる。ラフタスもアーキも、外見上は二十に届くかどうかだというのに実年齢は数百歳で十人以上の子持ちだ。
そういうのが身近に当たり前にいては、年齢に拘れという方が無理というものかもしれない。
だから、ポルネリッカに依頼した作詞の仕事の納期百九十八日なども、あっという間に過ぎて行く。そして、ユウカの下にポルネリッカから完成した詞が届けられたのは、納期を二日後に控えた百九十六日目のことであった。
「……!」
詞を手にし、黙って読み上げていく彼女の目からは涙が溢れ、止まらない。
それは、自分の気持ちを分かってもらえないことの恨み節ではなく、分からないということを分かりたいという素直な気持ちを表現したいというユウカの願いが完全に叶えられた詞だった。それにさっそく、レルゼーが曲をつけた。バラードだった。
その場にいたガゼも、メジェレナも、そしてユウカも、ボロボロと涙をこぼしていた。
「いい! すごくいいよ!!」
ガゼが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔のまま、ユウカに縋りついて言った。メジェレナもうんうんと何度も頷いていた。レルゼーは相変わらずの無表情だったが、彼女なりにその詞を認めているのは何となく分かった。でなければこんなすぐに曲も出てこないだろう。
『さすがポルネリッカさん…ホントに素晴らしいよ…』
そんな感じでユウカとしては大満足という出来だったが、果たしてそれがポルネリッカに通じたのかどうか……
まあ、結論から言えば、『通じなかった』と言っていいだろう。その後もポルネリッカの様子には何も変化はなかったのだから。だが、他人と無用な諍いを起こすヘルミに比べれば、元々変に気を回す必要もなかったのかもしれない。はっきり言えば徒労に終わったということなのだが、今回のことはユウカにとっても大きな経験になったから、無駄にはならないはずだ。
また、レルゼーの
改めてポルネリッカにも、詞を楽曲として使用することの許可をもらい、正式にヘルミが所属するロックバンド<ガウ=エイ=アヴェンジャー>に提供することとなった。
その後、爆発的なヒットを飛ばすというほどではなかったが、ガウ=エイ=アヴェンジャーが出演するライブ会場では、定番の一曲として、ユウカがプロットを考え、ポルネリッカが詞として書き上げたそのバラードを歌うヘルミの姿が見られるようになっていった。ヘルミ自身も、それを歌う時には、何かを噛み締めるようにして、誰かに語り掛けるようにして、微かに目を潤ませているようにも見えた。
それが功を奏したのかどうかは、ヘルミ自身が決して何も語らなかったために分からない。しかし、これに前後して彼女が他人と喧嘩をしてボロボロになって部屋に帰るという姿が見られなくなったというのも事実なのだった。
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