僕が見つけたよくわからないもの
亀虫
僕が見つけたよくわからないもの
これは僕が学校帰りに体験したお話。
僕は田舎の小道を通っていたとき、ふと何かの視線を感じた。気になって後ろを振り返ったのだが、誰もいない。なんだ気のせいか、思って前に向き直り、また歩き始めたのだが、やはり何者かの視線を感じる。また振り返る。でも何もいない。おかしいなと思いつつまた向き直って前進。そしてまた視線を感じ、振り返る。いない。これを何度か繰り返していくうちに、何だか恐ろしくなってしまい、変なことが起こらないうちにさっさと帰ろうと思った。僕はこの道を一気に駆け抜けてしまおう思って、一瞬下を向いた。すると、黒っぽいサッカーボール大の毛の塊が僕の足元でちょろちょろしているのが見えた。
「うわあっ!!」
僕はとても驚いて声を上げてしまった。そのとき黒い毛玉をつい足で思いっきり蹴っ飛ばしてしまった。蹴っ飛ばされた毛玉は放物線を描いて三、四メートル先の地面を二、三回バウンドして転がっていった。
何だこれ! と僕は思った。いつもこの道を歩いているが、こんなヘンテコなものは見たことがない。山村なので、キツネやイタチみたいな動物が飛び出してくるのは日常茶飯事だったが、動く毛玉は初めて見た。一瞬、丸まったタヌキかとも思ったけれど、よく考えると違うと思う。蹴ってみてわかったが、あれは完全に丸だった。毛の生えたボールだった。条件反射で蹴り飛ばしたくなるような球だった。それに、タヌキはあんなに簡単に蹴っ飛ばせるほど軽くはないはずだ。よってあれはタヌキじゃない。じゃあ、何?
毛玉はまだ動かずにそこにいた。僕はしばらくの間それを眺めていた。さっきはびっくりしてつい蹴ってしまったけれど、その後毛玉が動く様子がないので、死んでしまったのではないかと心配になった。いや、そもそもあれは生きていたのだろうか? 動いていたように見えたのは何かの錯覚で、本当はモップにくるまったボールか何かが転がっているところを見て勘違いしたのだろう。うむ。きっとそうだ。何かのいたずらだ。同じ学校のやんちゃ坊主、俊哉あたりが仕組んだいたずらだ。
最初のうちは、突然噛みついてきたらどうしよう、などと恐怖心を抱いてその場から動けなかったが、時間が経つごとに毛玉が向こうから襲ってこないとわかり、恐怖心が薄れ、だんだん好奇心が勝るようになってきた。ただのいたずらだとしても、こんな手の込んだ奇妙ないたずらはなかなかない。僕はついに好奇心に負けて毛玉に近づこうと決心した。
一歩近づく。動かない。もう一歩足を出す。やはり動かない。思い切ってさらに二歩、三歩と近づく。微動だにしない。やはり生き物だと思ったのは気のせいだったのだろうか。
と思ったのも束の間、あと一メートルという地点まで来たとき、動きを止めていた毛玉は突然サッと動き出した。まるで吸い付くかのように僕の足に飛びついてきた。僕はまたビクッと驚いたが、さっきのように叫んだりはしなかった。毛玉は僕の足元でネズミのようにちょろちょろと走り回っていた。
僕は思い切って、足元にいる毛玉を手で捕まえてみた。素早く動き回っているので捕まえるのは難しいだろうと思っていたが、案外あっさりと捕まった。毛玉はまんまと僕の両手に収まった。
それは実際に触ってみてもやはり球状で、重さもサッカーボールと同じくらいだった。そして、ボールをモップに包んだものとは明らかに違うこともわかった。モップのようなごわごわとした手触りではなく、ふさふさしていて気持ちいい。丸い身体からはほのかに体温が感じられて暖かい。よく見ると、毛の奥にきらりと黒光りする二つの目らしきものがあることにも気付いた。毛にうずもれているのでわかりづらいが、さっきはその二つの目で僕をじっと見ていたのだろう。
毛玉は捕まった後、とくに何も抵抗せずにいた。逃げようとも攻撃しようともしなかった。僕は思わず両手で掴んでいたそれを思い切って胸元に引き寄せてぎゅっと抱きしめた。柔らかくて、もこもこのふわふわのもふもふだ。もこっ。ふわっ。もふっ。幸せな感触。さっきまで怖がっていたのが嘘みたいだ。僕は毛玉を手で撫でつけてみた。毛玉は気持ちよさそうに、うっとりとして目を瞑ったのがわかった。その様子を見て「かわいい……」とため息交じりに呟いた。でも、撫でると同時にほんのりと汗のようなにおいが漂ってきて、はっと現実に引き戻された。
僕はその場で右を見、左を見、後ろも見た。近くに誰もいないことをしっかり確認した後、もっと人気のない林の中まで走った。
こんなにかわいくておとなしい生き物を見つけたとなれば、独り占めしたくなって当然だ。後で友達に自慢してやるのだ。変な生き物の発見者として僕は鼻高々だ。そのためには、今ここで見つかって誰かにとられたりしたらいけない。
僕は慎重に、誰にも見つからないように林の中を進んだ。家に持って帰るまで気が抜けない。林の中は木や下草が沢山生えている道なき道だ。そんなところを歩いていたので、僕はすぐに疲れてしまった。そのため、一旦木の陰に隠れながら休憩することにした。
毛玉はまだ僕の腕の中にいる。身じろぎもせずじっとしていた。毛玉はきらきらした目をこちらに向けて、僕の目をのぞき込んでいるようだ。その様子は、飼い主によく懐いた小犬のようだった。
それにしても、不思議な生き物だ。目はあるし体温も感じるのに、口も鼻も耳も尻の穴もどこにも見当たらなかった。一体どこで何を食べてどうやって排泄して生きているのだろう。皆目見当もつかなかった。
ここまで連れてきておいて今更だが、さっきまでの興奮が落ち着いて冷静になったところで、この毛玉を持って帰ることが不安になってきた。勢いで連れてきてしまったが、もし飼うことになったらどうしよう。いや、飼うつもりではあるけれど、家のどこで飼って、どうお世話すればいいのか僕は知らないのだ。餌もあげられずに飢え死にしてしまってはかわいそうだ。もしかしたら捨ててきなさいと言われるかもしれない。
そうだ、と僕はピンときた。おばあちゃんなら何か知っているかもしれない。おばあちゃんは昔からこの土地に住んでいて、生き物に詳しい。だからきっとどうやって飼えばいいか教えてくれるはずだ。とりあえずさっさと家に帰っておばあちゃんに聞こう!
僕は林を抜けた。ここまで来てしまえば家はすぐそこなので、もう他人に見つかる心配はない。
ところが、ここで毛玉が急に身をよじって僕の腕から抜け出してしまった!
「あっ、待って!」
と言ったときにはもう遅く、ものすごい勢いで遠くまで走り去ってしまった。僕はすぐに追いかけたが、とても追いつくことはできず、見失ってしまった。
残念だ。折角みんなに自慢できそうだったのに。あの俊哉ですら腰を抜かすような、とっておきの話のネタだったのに。
僕はしょんぼりして玄関を開けて家に入った。そこではお父ちゃんとお母ちゃんが何やら話し合っていた。二人は帰ってきた僕に気付いて話を中断した。
「おう、おかえり」
向こうを向いていたお父ちゃんがこちらに振り返って言った。お父ちゃんは何故だか困り顔をしていた。
「何かあったの?」
僕はお父ちゃんに訊ねた。
「ああ……ちょっとな。ウィッグをどこかに落としちまったんだよ」
「うぃっぐ? 何それ?」
「かつらのことよ」
お母ちゃんが補足した。
お父ちゃんはまだ三十代後半なのに、かなり薄毛だった。そのため、出かけるときはいつもかつらをつけていた。
「もういっそのこと全部剃って丸坊主にしてしまえばいいのに」
お母ちゃんはお父ちゃんに辛辣に言い放った。
「馬鹿野郎、髪は男の命だぞ。あれがなきゃ俺は恥ずかしくて死んじまう」
お父ちゃんは右手で禿げた脳天を撫で回しながら言った。
「だからってあんな派手なもじゃもじゃのかつら付けなくてもいいだろうに。ハッキリ言って似合ってないよ」
「んなこたぁねぇだろ。あれこそ俺にピッタリの髪型だ。昔はお前も褒めてくれただろ、あの髪型。かわいー、ってさあ」
「さあ、そんなこと言ったかねえ……あんたの髪のことは褒めたかもしれないけど、あんたの鳥の巣みたいなかつらのことを褒めた覚えはないねえ」
「ぐぬぬ……」
「あんまり似合わないから、嫌になって逃げだしたんじゃないの。もうこりごりだーって」
「と、とにかく、俺のかつらを見かけたら教えてくれ、いいな!」
お父ちゃんは横に残った数少ない髪の毛を掻きむしりながら僕とお母ちゃんに向かって言った。お父ちゃんはとても必死そうな表情だった。いつもちゃらちゃらした感じのお父ちゃんを真剣にさせるなんて、髪の毛は本当に大事なものなんだなということを僕は改めて学んだ。
僕は玄関で靴を脱いだ後、まっすぐおばあちゃんの部屋に向かった。毛玉は逃してしまったが、まだ正体は気になっていた。それをおばあちゃんに聞いて、明らかにしておこうと思った。
おばあちゃんの部屋で座布団に座りながらお茶をすすっていた。
「あぁ、あんたかい。こっちへいらっしゃい」
おばあちゃんは部屋に入った僕に気付いてニコッと笑い、もう一つの座布団を自分の向かい側に置いて手で僕を招いた。
「なんか外で話しとったの聞こえたけど、おかしなことでもあったんか?」
おばあちゃんは少し訛りのある口調で言った。
「いや……あれはお父ちゃんのかつらの話だよ。失くしちゃったんだって」
「ああ、かつら。かつらかえ……洋司も大変だねえ」
洋司とはお父ちゃんの名前だ。おばあちゃんはしみじみとした様子だった。
「ところでおばあちゃん」
と僕は切り出した。
「さっき変な生き物を見つけたんだ。逃げちゃったんだけど……」
僕はさっきまで腕の中にいたあの毛玉のことについて、おばあちゃんに細かく説明した。
説明し終えた後、おばあちゃんは怪訝そうな表情になって言った。
「ほう……そりゃ見たことない生き物だねえ。わしにはわからん」
「ええ……おばあちゃんにもわからないなんて……」
かえって謎は深まってしまった。この土地を熟知した生き字引みたいなおばあちゃんですらわからないなんて、相当珍しいものなのだ。
「あぁでももしかしたら……心当たりというか、わしも見たことねえからわかんねえけど……妖怪か何かでねえかい」
「よ、妖怪?」
意外な答えが返ってきた。妖怪? 漫画やアニメに出てくる、あの妖怪?
「ああ、妖怪。たまーにな、ここらで不思議なものを見かけたって人が出るんよ。それはな、異常にでかい人の姿をしとったり、化け狐だったり、天狗だったり……いろいろな姿かたちをした怪異の話が昔からある。それをわしらは”妖怪”と呼んでおるのじゃ」
おばあちゃんはゆっくりとかみ砕くように言葉を話した。
「それじゃあ、僕が見た毛玉は妖怪だったの?」
僕は神妙な面持ちで訊ねた。
「それはわからんと言うとる。可能性としてあるということじゃ」
実は僕はすごいものを見てしまったのかもしれない。もし本当に妖怪だとしたら、これはこれで皆に自慢できるのではないか? と一瞬思ったが、絶対信じてもらえないな、とすぐに思い直した。
「おお、そうじゃ」
おばあちゃんは急に思いついたような声を出した。
「物に取り憑く“妖怪”もたしか居ったはずじゃ」
「物?」
「あぁ。もしかしたら、あんたが見たものはそういう類のものだったのやもしれん。ほら、さっき洋司がかつらをなくしたとかで騒いどったと言うてたやろ」
「うん。たしかに言ったけど……」
「かつらが逃げ出した、とか言うとるのも聞こえてきたよ。もしかしたら、それはかつらに取り憑いた妖怪だったのかもしれんなあ」
おばあちゃんはそう言ってけらけらと笑った。
かつらの妖怪、かつらの妖怪……僕の頭の中で、もじゃもじゃの黒い毛玉が跳ね回っていた。
言われてみれば、お父ちゃんのかつらに似ていたような気がするし、お父ちゃんの枕のにおいと似ていた。いや、そんな、まさかな……。
できればあのもじゃもじゃした生き物がかつらの妖怪でなければいいな、と願う僕だった。
僕が見つけたよくわからないもの 亀虫 @kame_mushi
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