盗人ノノラと木偶人形

八枝ひいろ

第1話 緑柱石の瞳

 墨を流したような濃い闇に、エメラルドの光が踊っていた。草木も眠る丑三つ時、寒々とした石造りの壁を乗り越える人影が、眼に宿す光だった。

「デク、本当にここでいいのかしら」

 静寂を破る声に、いらえはない。

「……ねえ、デク?」

 黒衣をまとった人影は闇に溶け込み、その輪郭を朧にしている。返事がない苛立ちに舌打ちして、深夜の静謐を汚す闖入者が飛び降りると、ブーツの靴底が石畳を噛む音がした。

「返事くらいしてよ……そんなに呼び名が気に入らない?」

 素早く周りを見回してから、人影がささやく。飛び降りた拍子にずれた縁なし帽の隙間から、一つに束ねた髪がはみ出していた。そよ風に尻尾のようになびくお下げをしまいこんで、ため息をつく。

「いったい何が不満なの。木人形だから『デク』、いい名前じゃない」

「……気に入らないに決まってるよ。『木偶の坊』って言葉、知ってるでしょ」

「なあに、それ」

「どうして木偶は知ってて木偶の坊は知らないんだい……」

 と、人影は遠くに足音を聞きつけて、石壁にぴったり身を寄せてうずくまる。ほどなく巡回中の見張りが松明を掲げて現れるが、幸いこちらに近付くことはなく、息を殺して潜む人影に気付かないまま去って行った。

「危なかった……」

 そう呟いて月明かりの下に現れた人影は、小柄な少女の姿をしていた。

 僅かに覗き見える肌の色とは対照的に、縁なし帽、腕と足に巻いた厚布、皮の胸当て、ブーツにベルト、あらゆる装束が塗り込めたような漆黒で、いかにも盗賊という出で立ちをしている。腰のベルトには短刀とピックを帯び、懐には毒入りの小瓶を忍ばせている。また、上着に隠れて見えないが、腹に丈夫なロープをぎっちりと巻いていた。

 しかし一つだけ盗人らしくない持ち物があった。胸元で揺れるそれは人型にくりぬかれた木の板で、顔に眼を模した丸いへこみがある。全体的に古ぼけていて、削れたり色が褪せたりしていたが、木目の浮き方といいどことなく値打ちがありそうだった。頭のてっぺんのところに輪状の金具がついており、そこに麻紐を通して首からぶら下げられている。

 そしてそれは人影がデクと呼び、話をしている相手であった。

「不注意だねえ。さっきも壁から飛び降りるしさ。何のためのロープなんだか」

「……ロープ?」

「お腹に巻いてるって言ってたでしょ。それを使ってゆっくり下りれば安全だし、余計な音立てる必要もなかったじゃないか」

「……すっかり忘れてた。気づいてたなら言ってくれればいいのに」

 もちろん人形は表情を変えないが、声音は苦笑いしている者のそれだ。

「盗賊さん、今までよく捕まらなかったね」

「……うるさい、度忘れしただけだってば。それと、『盗賊さん』じゃなくて、ノノラ」

「僕の呼び名は変えないくせに自分の呼び方に訂正を求めるか」

「名前が無いんだからしょうがないじゃない」

「名付けるにしても他に決めようあるだろうに……だいたい、物に名があるほうが珍しいのにさ、わざわざ名を付ける必要があるかい?」

「名前がなかったら話しにくい」

「普通は話せないんだけどね」

「あたしは話せるから名前を付けるの。何かおかしい?」

「はいはいわかった。デクでいいよ、もう」

 呆れっ放しのデクは口答えするのを諦めて、ノノラの案内を始めたのだった。



 遡ること半日前――

 山おろしの風が三日市の活気を抱き込んで、市壁の外にまでその喧騒を運んでくる。真っ黒な縁なし帽を被ったノノラは砂まじりの風にやや顔をしかめながら、少女の出で立ちにそぐわない、丈の長いおんぼろコートをつっかけて往来に佇んでいた。

 市の立つ大通りを目当てに、街の門を行き交う人の波は絶えることがない。にもかかわらず、ノノラは誰にも顧みられることなく、エメラルドの眼をぴかりと光らせて突っ立っている。異様な風貌ながらまるでそこにいないかのように気配を消していられるのは、眉ひとつ動かさない静けさもさることながら、ノノラの体質によるところが大きかった。

 時は流れて夕刻、空を朱色に塗りたくる太陽が、荒涼とした岩肌を晒す稜線に没さんとしていた。市はもう最終日、早めに畳む露店も少なくなく、人通りは目に見えて減っている。依然として所在なく佇むノノラだったが、ふと誰かに呼び止められたかのように顔を上げると、薄い唇をわずかに引き締め、縁なし帽を目深に被り直して、大通りへと向かった。

 夕暮れ時の小腹の空いた頃合いを狙ってか、串焼きのじうじうと焼ける音と香ばしい匂いが漂っている。食べ物の他にも、香料、農具、薬、刀剣や蝋燭など、より取り見取りの露店が立ち並び、店番が威勢のいい声を上げて売り込んでいる。

 しかしそんなものには一切目もくれずに、ノノラは人波を縫うように突っ切っていく。

 街娘に評判の、色鮮やかな染物を商う店で売り子に呼び止められたが、仮面のような無表情で怯ませると、そのまま歩き去っていった。

 やがて何かに導かれるようにして、ノノラはある店の前に辿りつく。

「おや? いらっしゃい」

 ようやく立ち止まった露店には民芸品だろうか、木を彫ったり、飾り紐を編んだりして作った装飾品の類が並べられていた。金物や宝石のようにきらびやかではないけれども、素朴で落ち着いた雰囲気を醸し出す品々。ただ、中にはやけに派手派手しい異国風のアクセサリーも交じっている。売れ残り具合を見るに、生憎と受けが悪かったらしい。

「そうだなあ、お嬢さんに似合いそうなのは……」

 そう言って、白髪が目立つ初老の店主は羽飾りやら、占星術風の文様が刻まれたブローチやら、女の子向けの商品を見繕っている。ノノラはそれを全く無視して、何かを探している様子だった。

「これ、ください」

 お目当てのものを見つけたらしい。たくさんの売り物の中から、ノノラは板状の人形を指さした。他の品に比べればかなり地味で、むしろ呪術めいて不気味にさえ見える。その人形の、口を模した三日月形の切れ込みが少し深くなった気がした。

 店主はノノラの選択にぎょっとしたようだった。

「お嬢さん、それでいいのかい? どうせ店じまいだし、おまけしとくよ」

 その顔は、遠回しにいい趣味をしていないと言っていた。

「いえ、これが欲しいんです。おいくらですか」

 感情の読みがたい、幽霊のような姿に店主は戸惑って、こちらをまじまじと見つめてくる。ノノラは少し焦ったが、幸い気が付いた様子はなく、代金を払うと人形を渡してくれた。

「どうも」

 それだけ言って、ノノラはさっさとその場を離れる。一拍遅れて我に返ったらしく、まいどあり、という店主の声が背中にぶつかった。

 音を立てない早足でするりと雑踏を通り抜けると、ノノラは薄暗い路地を見つけて滑り込む。

「あなた、どうしたの」

 人目のないことを素早く確かめてから、ノノラは人形に語りかけた。

「……まさかとは思ったけど、驚いた。僕の声が聞こえるんだ。《物聞き》ってやつ?」

 ノノラはけだるそうにため息をついて、答えた。

「あたしのことはどうだっていいじゃない。で、何か入り用なんじゃないの」

「ふうん、僕の声を聞いてわざわざ買ってくれたんだ。ずいぶんなお人好しだねえ」

「……恩着せがましくするつもりはないから、おせっかいならそう言って」

 寂しそうに言うと、さすがに人形の方も慌てた様子だ。

「ああ、ごめんよ。ちょっと驚いただけだ。君みたいに話のわかる人は珍しいからね。頼みたいことがないわけじゃない……だけど、いいのかい?」

「気にしないで。あたしは好きでやってるだけだから」

 何でもないように言って、ノノラは前髪をかき上げる。端正で儚げな蝋色の面差しに、少し色が戻ったように見えた。

 人形は礼を言って、神妙そうに切り出した。

「僕の眼を取り返して欲しい。顔のところにへこみがあるだろう? 宝石でできた眼がはまっていたんだけれど、もぎ取られちゃったんだ。おかげであたりは真っ暗闇さ」

「それは可哀想に……眼はさっきの店主が持っているの?」

「いや、違う。あのおじさんに買われたのは眼をなくした後だ。でも場所はわかる。体の一部だからね。割と近いみたい……」

「どこなの?」

「そんなに急かさないでよ。えっと……うん、高台にあるみたいだ。確か近くの丘に砦があったはず。そこじゃないかな」

「砦ねえ……」

 赤茶けた煉瓦造りの建物、その屋根と屋根の間を見やると、件の丘が目に入った。草木がまばらで灰色の岩肌が目立つ丘の頂上に、岩盤から直に削り出したような、同じ色をした建物が乗っかっているのが見えた。丘の向こうを見張る、あるいは防衛する拠点なのだろうか。

「ああ、でも兵士がいっぱい詰めていそうだなあ。曲がりなりにも値打ち物の宝石だから、その辺に転がってるわけじゃないだろうし……どうすればいいんだろう」

「大丈夫。任せておいて」

 人形が嘆くも、ノノラは即答する。

「別に無理しなくていいんだよ? 僕だって、女の子一人にできることは限られることくらい、わかっているさ」

「いいの。宝石って言われた時点で、こうなると思ってたし」

 あまりに自信満々なノノラを、人形はいぶかしんでいるようだった。

「あたしは盗人なの。お宝奪取なら望むところよ」

 ノノラの不敵な言葉を聞いた人形は吹き出して、からからと声を上げて笑い出した。

「……なにがおかしいの」

 わずかに頬を紅潮させて、ノノラは人形の胸をつつく。

「ふ、ふふ、盗人を自慢げに自称する女の子がいるとはね。それに、僕の眼を取り返してくれると。ふふっ」

 そう言って、また笑い出す。人形の声は人に聞こえないからいいものの、どう返事をすればいいかわからなくて、ノノラは困ったように人形を見つめている。

 人形はなおも笑い続ける。馬鹿にされるのはなんとも面白くなくて、視線を細めながら、地面に叩きつけてやろうかと不穏なことを思ったりする。それでも頭の片隅で、この人形が笑うのはいつ以来なのだろうと、考えずにはいられないのだった。



 首尾よく入り込んだ砦の中は、建付けの悪い鎧戸から夜気が忍び込んで鋼のようにしんと冷え切っていた。壁にかかった燭台に灯はなく、矢も光も拒む堅牢な外壁の内は、手を伸ばせば触れそうなくらい闇が濃い。一寸先も見えない暗がりに、白磁の色をしたノノラのかんばせと、鋭い双眸だけが浮かび上がっていた。

「ずいぶん寒いねえ。まだ中には入らないのかい?」

「ううん、もう入ってる。外よりよっぽど寒いけど」

 視界の効かないデクにはわからなかったらしい。ええっ、と頓狂な声をあげて、ノノラに問いかける。

「僕なら大丈夫だけど、人間だったらこの寒さは結構こたえるんじゃない?」

「そう思う。さっきから全然人の気配がしないし、放棄する直前なのかも」

「ここんところ戦の話は聞かないし、わざわざ人員を割いていないんだろうか」

「ううん、どうなんだろう……」

 下調べした限りでは、ここはノノラがにらんだ通り丘の向こうを見張るための拠点で、街が雇った自警団の一隊が住み込みで詰めているらしい。ただこのあたりは地下水が湧く街の周りを除いて乾燥地帯であり、今日のように市が立たない限りよほど訪れる者はないし、まして鳥獣の類が現れることは皆無と言ってよかったから、あってもなくても変わらないようなものだ。街の人も砦について知るものは少なく、知っていたとしても人の数や生活リズムといった、有益な情報はまるで得られなかった。

 あるいは、人目を遠ざけておいて、街の有力者が財宝の隠し場所として運用しているのかもしれない……とまで考えて、やめた。想像をたくましくするにはあまりに情報が少ない。

「……無駄口はこの辺にしときましょう。あなたの声は聞かれないけど、あたしの声は聞かれるんだから」

 廊下の角に身を隠し、首を伸ばして向こう側を確認すると、ノノラが言った。

「なんだ、気が付いてたのか」

「馬鹿にしないでよ。宝物庫にはさすがに人がいるだろうから、用心して行く。方向は?」

「うん……この感じだと下かな。ここは一階だよね? 地下があるみたい」

「わかった。定期的に方向を教えて。あたしは返事しないけど拗ねないでよね」

「僕がちょーっと黙っただけでおかんむりだった誰かさんとは違いますとも」

「あのねえ……誰のために来てると思ってるの」

「あれ、返事しないんじゃなかったっけ」

 デクがそう言うと、ノノラは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「もう、いつの間に口答えするようになったんだか……」

「なんか、母親みたいな物言いだねえ」

 くすくす笑うデクを指で弾くと、ノノラはそれきり黙り込み、地下へ降りる階段を探し始める。

 砦は存外に広かった。二階建てに加え地下、様子見にぐるりと外周を回るのにもずいぶん時間がかかったので、逃げるころには夜が明けてしまうのではないかと不安になったくらいだ。ノノラも夜目は効く方だが、廊下の突き当りは闇に塗りつぶされて見通せなかった。

 短刀をいつでも抜けるようにして、ざらりとした石壁を手掛かりに廊下を進む。石壁はからからに乾いていて、手で触ると少し砂がこびり付いてきた。忍び足は慣れたものだが、あたりには静寂が深く垂れこめ、身じろぎひとつさえ壁の向こうに伝わってしまう気がした。まるで水底にいるようだ。声を上げるのも体を動かすのも億劫で、そのまま静けさに押しつぶされてしまいそうになる。

「……いくらなんでも、静かすぎやしないかい? なんだか不気味だ。気を付けたほうがよさそうだよ」

 デクの呟きはノノラの心中を代弁していた。いつも以上に慎重に、ゆるやかな坂を滑り落ちるように歩を進める。それでも、罠の中にまっすぐ入り込んでいるのではないかという不安は拭えなかった。

 しばらく進んで、左手で触っていた石壁が不意に途絶えた。いくら暗いとはいえ、まさか目の前に来るまで気が付かないとは思わなかった。慌てたノノラは反射的に飛びのいて、長い息を吐く。

「大丈夫かい?」

 デクも心配そうに聞いてくる。返事の代わりにデクの胸をつつくと、ほっとしたようだった。

 見つけた通路は下り階段、慎重に降りるうち、あたりがわずかに明るくなって、乾いていた石壁も湿ってきたように感じられる。地下特有のよどんだ水の匂いが、ふっと鼻を通り抜けた。

「階はここかな。僕から見て右の方だ。かなり近い」

 期待と緊張がないまぜになった声で、デクが言う。

 しかし、ノノラの方はと言えば、緊張なんてものではなかった。

 灯火の下に、人影を認めたのだ。

 壁に背をあずけて、慎重に覗き込んだ先。

 揺らめく光の円の中で、皮鎧に身を包んだ兵士が槍を投げ出して倒れていた。

 驚愕を張り付けた顔がこちらを向いている。

 その顔は蒼白で、唇は紫色だ。

 ――死んでいる。

 ノノラはゆっくりと息を吐く。大声を上げるような間抜けな真似はしなかった。

 一目見て毒殺だとわかった。懐に忍ばせた毒の一つを使って、人間があのように死ぬのを見たことがある。息が詰まって死ぬので、断末魔の叫びをあげることも許されない。暗殺用の代物だ。

 この奥に、兵士を殺した人間が潜んでいる。

 もう帰った後だとは考えにくい。入れ違いになりそうな場所はなかったし、何よりデクが宝石はここにあると言っている。今まさに、もう一人の賊は宝物庫を物色しているはずなのだ。

 ――どうする?

 ノノラの心中で天秤が揺れる。デクには悪いが、諦める方が得策だと思った。宝石が持っていかれてしまっても、デクがいれば場所はわかる。売られた先からまた盗み出せばいい。

 しかし、もし賊と戦って傷を負えば癒えることはない。一度壊れたものは、元には戻らないのだ。

「あれ? おかしいな。僕の眼が動いてる」

 ノノラは舌打ちをしそうになった。

「こっちに来るよ、警戒して!」

 逃げても間に合わない、とノノラは判断した。音を立てずに刃を抜いて、不意打ちの構えを取る。毒を塗る時間はなかったが、あらかじめ痺れ薬を塗ってある。一太刀浴びせれば片が付くはずだ。

「近づいてくる……あと十歩、九、八、七……」

 緊迫した声がカウントダウンを始める。それなりに早足であるにも関わらず、賊の足音は全く聞こえなかった。相当の手練れだ。

「五、四、三、二、一……!」

 飛び掛かりたくなる衝動をぐっと抑えて、ノノラは息を潜めて待った。敵も盗人なら曲がり角で止まってこちらの様子をうかがうはず。狙うのはその瞬間だ。

 果たして、デクの声はそこで止まった。角の向こうにようやく人間の気配が現れる。くぐもった、静かな吐息。

 漏れてくる灯火の光が、微かに遮られる。

 ノノラは慎重に、素早く短刀を振りぬいた。

 小さな、しかし狙い通りの手ごたえがあった。壁の向こうで人の体がぐらりとかしいだのが分かる。ノノラは素早く廊下に躍り出て、ぱっと短刀を閃かせた。

 賊はもう一人いた。一人目が膝を折るその刹那、腰の柄に手を当てていた。

 刃の噛みあう音。金属質の、硬い手応え。

 不意を打ったという油断。そのちょっとした慢心で、ノノラの攻撃は素直なものになりすぎた。受け止められた短刀を即座に引っ込め、脚をしならせて跳びすさる。

 そこに容赦なく突きが飛んでくる。通路は狭い。左手でうまくいなして突き込むが、相手も同じようにかわす。

 あとは純粋に技量を競うのみとなった。

 飛び交う剣閃、それをさばく手刀、打撃、関節を極めようと伸びる腕。鋭い技の応酬に空気は千切れ、それを追いかける足運びが石畳を震わせる。唸る風切り音に交じって、時折打ち合った短刀が火花を散らし、甲高い悲鳴を上げた。

 一太刀。それはあまりにも遠い。ノノラにとっても一太刀は致命的だから、互いに一撃で決着がつく五分の勝負。とはいえ、短刀を当てることにこだわれば即座に打撃や関節技の餌食になることも、お互いよく知っている。

 足払いをかわし、頬を狙った突きが相手の髪を削って空を切る。左からの薙ぎがフェイントと見切り、下からせり上がる本命の拳を迎撃する。絶え間ない攻防に感覚が研ぎ澄まされ、自身が刃そのものになったかのような錯覚に陥る。

「帽子だ、ノノラ!」

 デクの声と一緒に、首をめがけた斬撃が迫る。

 かわしてのけぞった瞬間、空いた手を頭の後ろに回して縁なし帽を投げつける。突き入れようと前のめりになった相手の顔に当たって、たじろいだのがわかった。

 ――今だっ!

 体をひねってかわし、がら空きの腹に渾身の蹴りを入れる。

 鋲付きのブーツを履いてきてよかった、と思った。

「提案がある!」

 後ろに跳んで距離をとり、足元に短刀を落としてノノラは叫んだ。敵、灰白色の髪をしたやせぎすの青年は灯火の下、苦しそうに顔をゆがめ、腹を押さえて呻いている。

 両者の距離は十歩ほど、ノノラが短刀を拾って構える間に、相手は突っ込んで斬りかかることができる。投げた帽子は両者の中間に落ちていて、ノノラの黒絹の髪が露わになっていた。

「言ってみろ」

 肩で息をしながら青年が言う。死戦の直後、いや、未だしのぎを削っているさなかだというのに、その口元に薄ら笑いを浮かべていた。しかし、不意を突いて襲ってくる素振りはない。

「あたしが欲しいのは一対の宝石だけ。それ以外はいらないから、持っていって構わない。それでどう?」

「一対の宝石、こいつか」

 両手を上げるノノラにも最大限の警戒をしながら、青年は蒼い宝石を二個取り出して見せた。

「小指の爪くらいのアクアマリンなら、そうだよ」

 デクの声を聞いて、ノノラはゆっくりうなずく。

「なるほど、確かにここの宝の中でも抜きん出た逸品だ」

 ようやく息を整えた青年は、余裕綽々と言わんばかり不敵な笑みをたたえている。

「しかし同時に、邪なる雰囲気を強く感じる。いいのか? 俺の見立てが正しければいわくつきだ」

「いいの。売るつもりはないし」

「お前はこの宝石がここにあることを知っていた。決め打ちで来たところをみても、訳ありらしいな」

 そう言って探りを入れてくる。ノノラはこういう相手が苦手だった。

「伸るか反るか、やってみる?」

 冷たく言い放って、最後通牒を装う。ノノラとしてもこれ以上戦いたくはなかったが、幸い青年は笑みを消して、両手を上げた。

「降参だ。これだけやって息が上がらない相手に、敵う気はしないね。それに……」

 無精髭の生えた精悍な顔つき、抜け目なさそうな双眸に、悪戯っぽい光が宿る。

「俺が飛び掛かったら、袖口に仕込んだナイフで応戦するんだろう? 俺の勘では、他にも五、六本は隠し持っていると見たが、どうだ?」

「……ご想像にお任せします。じゃあ宝石を足元に置いて、下がって。ゆっくりね」

 すげない返事に肩をすくめてから、青年は言われたとおりにした。ノノラもやはり警戒を怠らずに、それを拾い上げる。

「間違いない、僕の眼だ」

 デクの言葉を聞いて、ほっと胸をなで下ろす。素早く懐にしまって、青年の方に向き直った。

「確かに受け取ったから。お先に失礼するけど、その前に」

 ノノラは指の先ほどの小瓶を取り出して足元に置く。

「解毒剤よ。寝っ転がってる彼に飲ませてあげて」

「ずいぶん優しいんだな。だが、ありがたく頂くとしよう」

「毒と解毒剤、片方だけ余らせても仕方ないってだけよ」

 ぶっきらぼうに言って、ノノラは短刀と帽子を拾いに戻る。青年はと言えば、早速解毒剤を飲ませて、倒れた男の介抱をしていた。隙だらけに見えるが、ノノラに戦う意思がないと判断したのだろう。

「じゃあ、さよなら」

「待った」

 介抱の手を止めて、青年が呼び止める。

「お前、俺たちと組む気はないか。見たところ、俺たちと同じような流れの盗賊だろう。腕は確かなようだが、一人旅はリスクが高いことも身に染みているはずだ」

「ありがたいお誘い……なんでしょうね、普通なら」

 ノノラはそう言いながら、酸っぱいものを含んだような沈痛な面持ちをしていた。初めから答えは決まっていたかのように、小さく首を振って、答える。

「お断りよ。……人間の営みとは、なるべく交じらない主義なの」

 青年はちょっと眉を上げただけで、さほど驚きはしなかった。

「やはり、そうか。ならば仕方ないな」

 とは言いつつ、肩を落として残念がっている。

「俺はトーリョ、こいつはグレムだ。生業が同じなら、また会うこともあるだろう。刃を交えたいとは思わんがね」

 体格のいい、盗賊よりは武人の方が似合いそうな相方を支えながら、青年は名乗った。素性を知られたくない盗賊にとって、名を教えるのは信用の証だ。にやりと笑って、トーリョは続ける。

「しかし、俺たちはとんでもないマスターピースを盗みそこなったらしいな。人間と遜色ない人形、いや、俺は負けたのだから、人間以上と言うべきか。ともかく、君のような存在は噂にも聞いたことがない。まったく、君を連れていけるなら、盗賊冥利に尽きるというものだろうに」

 自分の正体を看破するトーリョの慧眼にうんざりしながら、ノノラは言う。

「ご愁傷様でした。それと、『人間以上の人形』じゃなくて、ノノラ」

「なるほど。その名、覚えておこう。……達者でな」

 トーリョの言葉に返事もせずにそっぽを向いて、階段を駆け上がる。無明の闇に溶け込むと、そのままくぐもった足音だけを残して、ノノラは走り去ったのだった。



「ついていけば良かったのに」

 アクアマリンの眼に獣脂の灯火を映しながら、デクが言った。相変わらず表情は変わらないが、ノノラにはそれがにやにや笑いをしているのだと分かった。

「どうしてそんなこと。人間と人形じゃ、体の仕組みも、生活も、生きる時間も違うのに」

 エメラルドの眼を半ば閉じて、ノノラは嘆息する。

 人間と違って人形は疲れないし、ほとんど寝ないし、食事もしない。その代わり負った傷は治らず、壊れてしまえば戻ることはない。壊れない限りは生き続けるが、記憶していられるのはせいぜい五年分、長くても十年分が関の山だ。今日のことだって、しばらく旅を続けるうちに忘れてしまうだろう。

 だから、ノノラは人と交じらず、旅をして暮らしていた。草木もないような荒涼とした大地を何か月もかけて踏破し、街で物の声を聞けば、その願いを叶えてやる。大抵は心無い人間に壊されようとしているとか、捨てられようとしているとか、あるいはしまわれっぱなしで外が見たいという依頼なので、盗みの技術は自然と身についていた。

「それでも、いや、だからこそ、君は人の世に交じりたいと思っている。違う?」

 トーリョといい、デクといい、ノノラの心にずかずかと立ち入ってくる。

 そうされる経験に乏しいノノラは、なんと言い返せばいいのか見当もつかないのだった。

「わかんない。自分がどうしたいかだなんて。あたしは人形だもの」

「僕だって人形だよ。けど、君には自分で歩く足がある」

「あなたは元人間でしょう?」

 破れかぶれに言ってやると、デクは少し驚いたようだった。

「おやおや、よくわかったね。そうだよ、この小さな板切れに封印されてしまった、哀れな哀れな人間さ。どうしてわかったんだい?」

「なんとなく。あなたみたいに口達者な物は、珍しいから」

「だから僕も、君が人外だとは思いもよらなかったんだけどね」

「まったく、口が減らないんだから……」

 デクの頭を指でつつく。白磁のような質感の指は、形つくりは人間のものと遜色ないが、触ってみれば人ならざる冷たさであることがわかる。

「デクは、どんな人だったの?」

 そう聞いてみる。そういえば、『元』とはいえ人間に興味を持つのは初めてかもしれなかった。

「これでも、某国の王子様だよ」

「冗談」

 あまりに突拍子もなくて、ノノラは思わず笑いそうになった。

「名無しの王子なんているわけないじゃない」

「ちぇ、信じないか。でも僕は器が広いから、怒らないでいてあげる」

「自分で言うことじゃないでしょ」

「なんたって、一国を背負って立つ人間だからね、器が広いのは当然さ」

「ふふっ」

 うそぶくデクがおかしくて、笑い声が漏れる。

 と、ちょっと前にデクの心配をしておきながら、自分も声に出して笑ったのはいつ以来か、思い出せないことに気が付いた。なんのことはない、ノノラは自分が思っている以上に、自分をないがしろにしてきたのだった。

「まあ、そういうことにしておいてあげる。あたしも器が広いから。デクが王子様なら、あたしはお姫様ね」

「ほう、それはどういう意図があっての発言か、詳しく聞かせてもらいたいね?」

 茶化すデクに、ノノラは首をかしげる。

「王家の生まれでないものが姫と呼ばれるのは、妃候補ということなわけだけれど」

「……う、うるさいったら。デクが王子だからって、あれこれ指図されるいわれはないって言いたいだけよ」

「もちろん、指図するつもりなんてないとも」

 言葉を詰まらせたこと、指が少しだけ熱くなっていることに気が付いているくせに、デクはぬけぬけとそんなことを言う。内心、笑い転げているに違いない。

「まったく……」

 ただ、からかわれて悪い気はしないのが不思議だった。

 なんでもない、てらいのない会話は楽しいのだと、初めて知った。

 人の世に交じりたいという欲求は、確かに自分の中にあるのかもしれない。

 ――それでも。

「……あたしがどうしたいかなんて、本当はどうでもいいの」

 デクを荷の包みに立てかけると、ノノラは切なさのにじみ出た、どこか諦めてしまったような笑みを浮かべる。それは作り物などではなく、まさしくいたいけな少女の表情だった。

「人には人の、物には物の、居場所がある。越えちゃいけない境界線、侵してはいけない領分がある。それを違えてしまうとどうなるか、あたしは知ってしまっているから」

「君は、ノノラは、たとえ形つくりが人間そのものだったとしても、物として生きる、と」

「うん」

 その言葉に、迷いがないと言えば嘘になる。しかし、もう決めたことだった。

「じゃあ、僕もしばらく見届けさせてもらうよ。人ならざるノノラの旅路を」

 芝居がかったデクの言葉に、ノノラは驚いた体で言ってやる。

「あら、やかましいから置いていこうかと思ったんだけど」

「まんざらでもない癖に」

「いつも一言多いんだから」

 今度は一緒になって、からからと笑った。



「次はどこへ行くんだい?」

 砦を挟んで街の反対側、荒涼とした丘の中腹から、二人は岩と砂ばかりのわびしい大地を見下ろしていた。

「どこへでも。一応、あたしを作った人を探すって目的もないではないんだけど、当てはないし、そもそも生きているかわからないし」

「そうか」

 夜はじきに明けるとみえて、背後の空は徐々に白んできている。しかし、ノノラもデクも、見つめる先は未だ闇が深い夜の道。人の営みとも、獣や草木の営みとも外れた、乾いた道だ。

「それにしても、本当に連れてってくれるとは思わなかったよ。一人旅が性分じゃなかったのかい?」

 首にかけるのは煩わしいと、デクの体は縁なし帽に縫い留めてあった。ノノラは少し視線を上向けながら、唇を尖らせる。

「なあに、またからかってるの?」

「違うよ。今までずうっと独りで旅をしてきたんだろう? どうして今更変える気になったのさ。それに、僕だって君の言う『人の領分』の住人なんだよ?」

 思いのほか声音が真剣そうだったので、少し面食らってしまう。でも、真面目に聞いてくれそうな気がしたので、ノノラは正直に答えた。

「あたしだって、好き好んで一人旅をしていたわけじゃないもの。人はあたしの旅についてこれないし、物はもともと人の役に立つためのものだから、助け出しても居場所がある。旅の道連れなんて、今まで本当に巡り会えなかったの。少なくとも、記憶の限りでは」

「とすると、寄る辺もなくて、そのくせ飢えも渇きも知らない僕なんかは、うってつけだってわけか」

 デクは得心がいったらしく、首を曲げてうなずく代わりに、ふんふんと呟いている。

「無駄におしゃべり、が抜けてるけど」

「違いないね。でも、退屈しないだろう?」

「そうね。怖いくらいに」

「怖い、かあ」

 そう言って、デクが思案気に黙りこくる。

「どうしたの?」

「いや、お互い様だなあって思っただけ。僕も話し相手がいなくてつまらなかったし、流されるままで、自由なんてこれっぽっちもなかったからね。怖かったよ。挙句の果てに眼も取られるし……と、そういえばまだお礼言ってなかったんだった」

 いきなり改まったふうになるのを感じて、ノノラはなんだかおかしかった。てっきり礼なんて言うつもりはさらさらないのかと思っていたのだ。

「まあ、それはお相子ってことにしようじゃない。水臭いし」

「それもそうか。それなら、借りはいずれ返すということで」

「期待していいのね?」

 言ってやると、デクはもちろん、と請け負った。

「特に目的地がないのなら、行先は僕が決めてもいいのかな?」

 朝日が蝕みつつある夜の道を見据えてデクが言う。今更ながら、頭上から声が降ってくるのがくすぐったくて、ノノラはふっと笑みをこぼした。

「いいんじゃない」

 応じると、デクは少なからず調子づいて、はしゃいでいるようだった。

「なら、まっすぐだ」

「うん」

 そうしてノノラは歩き出す。

 エメラルドとアクアマリン、二対の緑柱石の瞳は、どんな景色を臨むのか。

 それを知るものはないのだった。

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