第2話 剣と竜鱗

 先細った刀身が、日差しを浴びて鈍く輝いていた。半ばから折れた鉄の塊を、白くたおやかな少女の指が弄んでいる。弧を描く刃はよく手入れされていて、使い物にならなくなった今も現役の鋭さを保っていた。

 無用の長物と相成った破片を名残惜しそうに見つめるのは、緑柱石の瞳。

「あーあ。いいナイフだったのにな。誰かさんが口を挟むから」

「またそれか。手を切らなかったんだからいいじゃないか、貧乏くさい」

 答えるのはナイフの持ち主ではなく、その頭上、縁なし帽に縫い留められた板状の木人形だった。人の魂を宿した人形、デクは、少しばかり呆れた様子で言い募る。

「それに、ナイフなら買い替えれば済むじゃないか。今だって武具屋に向かっているんだろう? そんなに目くじら立てるほどのものかなあ」

「もう、わかってるってば。わかってるけど、一言くらい謝ったっていいじゃない、まったく……」

 その言葉に、デクはたまらず吹き出した。

「ふふ、ごめんごめん」

 謝りつつも、デクは含み笑いをこらえきれずにいる。頭上から降ってくる笑い声に恥じ入りながら、少女の形した人形、ノノラは、仏頂面で折れた刀身をしまい込んだのだった。

 鉱山が近く、周囲を森に囲まれていて、なおかつ川から動力を得られるこの街は、鉄の街として名を馳せているらしい。街を二分する川の上、両替商やら細工師やらが陣取っている石橋からは、川沿いに立つ煉瓦造りの煙突と、そこから立ち上る宵闇のような煙が見てとれた。川には大小さまざまの水車が浸かっていて、勝手気ままな速さで回っている。その数があまりに多いので、水流が水車を回しているのか、水車が水流を引き起こしているのか、わからなくなってくるほどだ。

 不幸中の幸いと言うべきか、ここならいい刃物が手に入りそうだし、懐にもだいぶ余裕があるから、この際何本かまとめて新調するのもいいかもしれない。ノノラはそんなことを考えながら、石畳にブーツの鋲をかちんと鳴らして、工房の立ち並ぶ通りに向かった。

 目抜き通りは《金物通り》とわかりやすい立札があって、喉がいがらっぽくなるような煙の匂いに包まれていた。人通りはさほど多くなく、どちらかと言えば馬車の方が多い。商人を別にして、毎日来る場所でもないからそんなものだろう。ノノラだって一揃いの甲冑をダース単位で仕入れるとか、そういう買い物がしたいわけではない。

 と、通りを入ってすぐのところに、個人向けに武具やこまごまとした刃物を商う店を見つけて、ノノラは足を止めた。

「それにしてもさ、ナイフなんてたくさん持ってるんだから、折れたからって買いなおす必要はないと思うんだけど」

 店先で商品を検分する間、デクはそんなことを言ってくる。

「たくさんは持ってないって。予備も含めて二本だけだもの」

「え、二本? 腕やら足やらにいっぱいつけてるじゃないか。十本はくだらないと思うけど」

「……もしかして、ナイフなら全部同じだと思ってる?」

「……違うの?」

 少しばかり剣呑な雰囲気を感じ取って、デクはたじろいだようだった。

「全然違う」

 拗ねたようにそう言うと、ノノラはナイフを二本取り出して、見せる。

「こっちが今回折れたのと同じ野外活動用のナイフで、こっちは戦闘用のナイフ」

「どっちもナイフだね」

「もちろん、どっちもナイフだけど……」

 ノノラは小馬鹿にしたような口ぶりで、説明を始めた。

「大きく違うのは、刀身の厚さと、形かな。野外活動用のものは、丈夫さが大事だから肉厚で、安全性と、切る、削る、割る、といろんな用途に使えるように、切っ先から根本にかけて丸みを帯びた刃の形をしている。対して戦闘用のものは、素早く振れるよう取り回しを重視した薄刃で、突き刺しやすいように角ばった刃の形をしている。突くとき力が入りやすいよう、切っ先が刀身の中心軸上にあるのも特徴ね。他にも鍔の有無とか、鞘の構造とか……」

「あー、わかった、わかったから。お節介を焼いて悪かったよ」

 デクはいたたまれなくなったらしく、ノノラの講釈を遮った。

「まあ、これでも旅は長いんだから、不必要なものは持っていかないって」

「よーくわかりました」

 おざなりな返事に、ノノラは悪戯っぽく笑う。

「なら、戦闘用ナイフを何本も持っているのはどうしてか、答えられる?」

「勘弁してよ……」

 デクが情けない声を出したところで、二人に歩み寄る人影があった。

「いらっしゃいませ。ナイフをお探しかな」

 頭に布を巻いた壮年の男は、煤で汚れた前掛けと、手首まで覆うごつい革手袋を外しながら、声をかけてきた。店先よりも工房が似合いそうな風体からして、ここの職人だろうか。

「ええ、野外活動に適したものを探しているのですが、どうやらここは武具が主な商品のようですね。置いてありますか?」

「肉厚で、刀身が丸まっている汎用ナイフだったな。申し訳ない、盗み聞きするつもりはなかったんだが、年端もいかない子供が物騒な話をしているものだから、気に留まってしまってね。……失礼を承知で聞くが、君は《物聞き》というやつかい」

 デクとノノラを見比べながら、男は聞いてくる。デクの声は人に聞こえないのに、こんな街中でべらべら喋っていたのは迂闊だったが、聞かれていたのなら仕方ない。幸い物の声を解するということしか知られていないのだし、ただの《物聞き》なら稀とはいえ、大きな街なら一人くらいいてもおかしくはない。

「そう、ですが……何か?」

 つっけんどんに答えると、男は安堵と緊張が一緒くたになった不思議な表情を浮かべて、続ける。

「いや、気を悪くしてしまったのなら謝ろう。お求めのナイフは向こうの方に並べてあるから、気に入ったのを持っていくといい。おまけしておくよ。ただ、もしも時間があるなら、《物聞き》の君に、一つ頼まれてほしいことがある。もちろん無理にとは言わないし、相応のお礼もしようと思うのだが……」

 年の割に、やけに腰の低い職人だ。自分の腕で生計を立てている彼らは、職人気質というか、おおよそ歳を重ねて自分の腕に誇りを持つほどに愛想が悪くなるもので、そんな人をノノラは逆に好ましく思ったりするのだが、ほとほと困り果てているといった風の男はそういう雰囲気ではない。

「聞きたそうだから言うけど、演技にも見えないし、騙すつもりはないと思うよ。周りに武具がいっぱいあるから警戒するのはわかるけど、それだってあからさますぎる。さっきの話を聞いていたなら、ノノラが只者ではないってわかっているはずさ。下手にちょっかいかけようとは思わないんじゃないかな」

 ノノラの方もデクと同意見だった。それでも警戒は怠らずに、とりあえず用件だけ聞いてみる。

 すると、男はとんでもないことを言ったのだった。

「私の作った剣、その言葉を教えてほしいのだ。作り手の私にも断片的な声は聞こえるようだが、あれが何を言っているのか、ちゃんと知りたくてな……」



 ノノラに物の声が聞こえるとはいえ、神羅万象、あらゆる物の声が聞こえるというわけではない。むしろ、声を発する、知性を宿した物というのは、特別な存在だ。

 大まかに分けて二種類がある。一つはデクのように、もともとは普通の物だったが、呪術や世への未練などによって、人の魂が宿ったもの。もう一つは、人間や神獣といった知的生物とその思念、あるいは千年樹のように凄まじい生命力を宿す存在と長きにわたって触れ合ううちに、自然と知性が芽生えたものだ。

 加えて、未練ある人の魂が宿るのは、その人が生前大事にしていたものと相場が決まっている。

 だから、一塊の職人風情が鍛えた、しかも新品の剣に意思が宿るなど、普通ならあり得ないはずだった。

「これが、その剣なんだが……」

 男、キラタと名乗った職人は、倉庫の片隅にあった小箱から一振りの剣を取り出した。鞘も柄も鉄に革を巻いて作ったダガーだ。見るからに戦闘用の代物で、手が滑らないよう質素な鍔と柄頭が付いている。刀身はキラタの手くらいの大きさで、両刃なのだろう、左右対称の形をしていた。鞘に刻印のあるほかはこれといった装飾もない実用に特化したしつらえで、実直な武具職人としての矜持が窺い知れるようだった。鞘に収めたまま渡されて、ノノラはその重さに度肝を抜かれる。

「えっと、これ、重すぎませんか?」

「普通の剣ではないのだ。抜いてみればわかる。よく斬れるから、慎重にな」

 柄を握りこむと、ノノラの手には大きいものの、絶妙な曲線を描くそれは手と癒合したかのような手応えで、革の温かみが直に伝ってくる。取り落とすことはまずないだろうと思われた。さらに、勝手に抜けないよう鍔に引っかけられた金具は、握った手の親指で外せるようになっている。咄嗟に片手で抜けるようにするための工夫に、ノノラは感心しきりだった。

 言われた通りゆっくりと鞘から引き抜くと、刀身は薄蒼い、秋晴れの空のような色をしていた。

「これが……剣なの……?」

 形は両刃のダガーそのものだ。しかし、その輝きは美しさすら感じさせる、宝石と呼んで遜色ないものだった。無骨な柄や鞘とはどう見ても不釣り合いで、まるで玉が生木の台座に収まっているかのようだ。この刃があったら流麗な剣に仕立てたくなりそうなものだが、そうしないのがキラタの性分ということなのだろう。

「試し斬りをしてみるか?」

 誇らしそうなキラタの言葉に、ダガーを魅入られるように見つめながら、ノノラは無言でうなずいた。

 倉庫のすぐ外、川に面した空地には隅の方に薪用の丸太が積んである。キラタはそのうち一本を持ってきて、空地の真ん中あたりにある凹みに差し込むと、丸太はぴったりはまって直立した。まだ木皮も剥がしていない丸太には縦横に切り傷が走っていて、いつもこうやって試し斬りをしているのだろうと知れた。

 とりあえず、鞘から抜き放って素振りをしてみる。正中線に構えてから、上下左右四方向と、斜め四方向に斬り払う。普通の短刀にはない、腕を持っていかれるような重みがはっきりとわかった。初めは柄や鞘が鉄製なので重いのかと思ったが、それ以上に刀身の重量が尋常ではない。柄の芯が鉄になっているのも重さのバランスを取るためだと感じた。

 斬り払いの他、突き、逆手への持ち替え、打撃や投げ、組みつきとの連携を一通り試してから、ノノラは丸太に向き直った。

 丸太など短刀で斬りかかるものではないが、今や体の一部となって馴染んでいるダガーであれば、斬れるという確信があった。

 だから、ノノラはその重みに任せて、ダガーを全力で振り下ろす。

 空を斬ったかと錯覚するほど軽い手応えだった。しかし丸太にはまっすぐに溝が走り、刃の通った跡がくっきりと刻み込まれている。その断面はかんなをかけたように滑らかで、その斬れ味の並大抵でないことが見て取れた。

「……いやはや、素晴らしい腕前だ。自慢したいあまり、うっかり子供に持たせてしまって心配したが、杞憂だったようだな。君ほどの腕の持ち主はそうお目にかかれまい」

「あたしの方も、正直驚きました。……これ、いったい何でできているんですか」

「竜鱗、竜の鱗だよ。二度とないような幸運に恵まれて手に入れたが、古今東西、あらゆる金属より硬いと言われ、相応の粘りも兼ね備えている代物だ。酷く重いのが玉に瑕だが、刀剣の素材としてこれ以上のものはないはずだ」

「竜の鱗、これが……?」

 ノノラはもう一度刀身を眺める。その斬れ味を目の当たりにした後では、もう宝飾品として見ることはできなくなっていた。切っ先には虚空をも切り裂かんとする殺気をまとっていて、周りの空気がそれに怯え、揺らいでいるように見える。

「竜鱗を知っているのか?」

「まあ、そうですね。こんな使い方があったなんて……」

「ちょっとちょっと、竜だか何だか知らないけど、本当にそんなものがあったとして、他の何より硬いものをどうやって加工したのさ」

 しばらくぶりにデクが口を開く。至極もっともだったので、キラタに聞いてみた。

「確かにどんな金属よりも硬いが、熱すればその限りではない。かといって、金属のように融けて飴状になるわけでもない。だから、鉄も融けるような炎で熱してから、冷めないうちにやすりで削り、水につけて冷やすのだ。どうも竜鱗は層状の構造をしているらしくてな、そうすると温度差による伸縮で、僅かながら表面を剥がしてやることができる」

 聞くだけで気が遠くなりそうな話に、ノノラは軽くめまいを覚えた。

「……それ、どれだけ手間と時間がかかるんですか?」

「半生を費やした、と言っても過言ではない。加工の方法を探るのに四年、比較的柔らかい外縁部を削り落とすのに二年、大まかな形に削り出すまでに五年、形を整えるのに三年、研ぎ上げて刃を作るのにもう二年、といったところだろうか。本業と行ったり来たりしながらやっていたから、最初に竜鱗を手にしたのは……いつだったろうな」

「よくやるなあ。よっぽど暇だったか、よっぽど馬鹿だったか」

 聞こえないのをいいことに、デクは失礼極まりないことを言っているが、ノノラも似たような感想を抱いていた。キラタの方も肩をすくめて、呆れ返ったように言う。

「……馬鹿げた酔狂だとは、自分が一番よくわかっているさ。我ながら、完成までこぎつけたのは奇跡だと思っている。何度やめようと思ったか知れないが、どうしてかやめられなかったのだ」

「そうすると、知性が宿ったのも納得だね」

 デクの言葉にノノラはうなずく。竜という、強い生命を宿した幻獣の一部であり、かつ、キラタの手によって長い歳月をかけて研ぎ上げられてきたのなら、知性が宿ってもおかしくはない。

「そう、キラタのおかげで、私はここに在るのだ」

 初めて聞く声が、ノノラの手中で響いた。

「なんだ、普通に喋れるのか。ずっとだんまりを決め込んでいるから、何か事情があるのかと勘繰ったじゃないか」

 その経てきた歳月を感じさせる厳かな声に、デクがいらえを返す。

「私の言葉を解する存在と、今まで巡り会えなかったのでな、どう話しかければいいものか、考えあぐねていたのだ」

 ダガーとデクのやり取りに、キラタは眉をぴくりと上げた。

「……話しているのか? その剣が」

 断片的ながらダガーの声が聞こえるというのは、どうやら本当らしい。キラタは《物聞き》ではないのだろうが、このダガーはキラタの積年の思いがこもっているから、ある種の繋がりができているのだろう。

「ええ、そうです。大丈夫、あたしには何を言っているのかわかります」

 キラタは目を閉じ、感慨深げに天を仰いでから、改まってノノラを見つめた。

「……頼む、教えてくれ。その剣が何を思い、何を伝えようとしているのか」

「もちろん。あたしの方も、俄然興味が湧いてきましたし」

 請け負ってから、ノノラは薄蒼の刀身を覗き込む。緑の瞳すら霞んで見えるような華美な色彩には、何物をも寄せ付けぬ鋭さと、深い思慮とが宿っている。

 硬いその刀身に染み込ませるように、ノノラはゆっくりと語りかけた。

「はじめまして、あたしはノノラ。人とも、物とも、話ができる存在。あなたの作り手に伝えるために、聞かせて。あなたの意思を……」



「私はまだ、完成していない」

 炉に火のない工房は、どこかしこも燃え残った灰の色をしていて、存外にうらぶれて見える。竜鱗のダガーという傑作をものにしたキラタの、言いようのない寂寥が透けて見える気がした。

「完成、していない……?」

 普段作業している場所なのだろう、キラタは金床の前に胡坐をかいて座り、ノノラの通訳を聞いている。

「ああ。私を纏っていた竜は、もともと極北の山岳地帯に棲んでいた。私の生来は、氷雪と同じく冷たきものなのだ。キラタは私を削るために、幾度となく灼熱の炎にくべてきた。それが間違いだとは言わないが、そのせいで、私は本来の硬度を失ってしまっている」

 伝えると、キラタは渋面を作って呟いた。

「やはり、そうだったのか……」

「心当たりがあったんですか?」

「熱して冷やすたびに、色といい、叩いた時の音といい、僅かながらくすんでしまうと感じていたのだ。なにぶん長年にわたって削り続けてきたから薄らいではいたが、最初に竜鱗を手にしたときの感覚と、どうも食い違っているような気がしてならなかった」

「でも、その口ぶりなら何か術があるってことなんだよね」

 デクが言う。確かに、完成していないと言うからには、完成させる方法があるということだ。

「そうだ。そしてそれを伝えるために、私は意思を得た。逆に言えば、私に意思が存在するのは、剣としての綻びのようなものだ。私が真に完成したとき、私の意思は消え、物言わぬ武具としての本分に戻るだろう」

「それでも、完成させて欲しい、と?」

「無論。剣として、何物をも切り裂く硬さが得られるのなら、それに越したことはない」

 その覚悟を聞いて、ノノラは身の引き締まる思いだった。武具としての本分。では、自分の本分は何なのだろうと、思いやらずにはいられない。

「その方法とは、なんだ……?」

 緊張の面持ちで、キラタが聞く。

「簡単ではないが、単純だ。限界まで熱した直後に、限界まで冷やす、それだけだ。しかし、熱する方はここの炉で足りるだろうが、冷やす方は水につけるくらいでは全く足りない。竜の棲まう極寒の地ほどでなければ、充分とは言えないだろう」

 キラタは腕を組んで考え込む。

「手法自体は、普通の刃物でやるような焼き入れと同じか。だが、冷やす方法か……氷なら何とか手に入れられるだろうが、どうだ?」

「少し足りないだろうな。氷の融け始める温度ではなく、水が自ずから凍るような温度が要る。その温度にしばらく晒しておく必要があるのだ」

「一度熱してすぐに冷まさないといけないから、寒冷地に赴いても今度は炉が要るのか。一筋縄ではいかないね」

 キラタもデクも、すぐには解決策が浮かばないらしい。金床に視線を落としていたキラタは、しばし黙考してから立ち上がる。

「決めた。ノノラさん、だったか。一つ相談があるんだが」

「なんでしょう」

「この剣、君に託そうと思う」

「……え?」

「なるほどね」

 ノノラは目を丸くしたが、デクの方は何か合点がいったようで、不敵に笑う。

「ちょっと待ってください。キラタさんが生涯をかけて作った剣なんでしょう? あたしなんかに渡してどうするんですか。さすがに、そんな大金は出せません」

「お金はいい。今まで多くの武人がそこの空き地で素振りをするのを見てきたが、素人目にも君の腕前が並外れていることはわかる。少なくとも、私の店なぞにやってくる客の中では一番に違いない。そして君は短刀使いで、剣の声を聞き、旅をしている。この剣の完成を委ねるのにこれ以上の適任はあるまい」

「でも……」

 ノノラとしても、これ以上の武具には心当たりはなかったから、断る理由などないはずだった。しかし、意思を持つダガーを道具として持っていくことは、何かとても恐ろしいことに思えて、気後れしてしまう。

「私からも頼む。ノノラよ。……酷な頼みだと、わかってはいるが」

 ダガーの言葉に、ノノラははっとなった。

「同じく意思を持つ物として、君と私は対等なのだと思っているのだろう。それはとても嬉しいが、対等だからと言って使い使われる関係が許されないわけではない。君は使い手として、私は使われる物として、対等という関係もあり得るだろう。親と子、師匠と弟子、上司と部下が人として対等であることが、あり得るように」

 正体を知られていたという驚きよりも先に、ダガーの言葉に考えさせられてしまう。

「まあ、冷たい手で握ったらばれるよね」

 無粋なデクを目で制してから、ノノラは長い息を吐いた。

「わかりました、頂いていきましょう。ありがとうございます」

「こちらこそ、礼を言わせてもらおう。ありがとう」

 そう言って、キラタは手を差し出してくる。ノノラはぎょっとしたが、キラタならいいか、と思い直して、その手を握った。

「……なるほど、ならば、もう一仕事必要だな」

 人ならぬものの冷たさに気が付いたキラタは、にやりと笑って、首をかしげるノノラに問いかける。

「ノノラさん、君の手は大きくなることがあるのか?」

 そう聞かれて、ノノラにも合点がいった。

「いえ、あたしはこの姿かたちのまま、成長することはありません」

「ならば、柄は君の手に合わせて作り直すとしよう。なに、気兼ねすることはない。君が使う以上、君が最高の技を発揮できるようにするのが、武具職人の務めというものだ。その代わり、三日間だけ待ってもらってもいいだろうか」

「構いません。そうだ、そういうことなら、これを使ってくれませんか」

 ノノラは懐から折れたナイフの刀身を取り出して、渡す。少し検分してから、キラタはうなずいた。

「なかなか女々しいことするねえ」

「いいじゃない。使い込んだ物の方が手に馴染むと思うし」

「それを女々しいと言っているんだけどね。まあ、好きにすればいいさ」

 茶化すデクをひと睨みすると、ダガーがふっと笑った。ノノラの言葉しかわからないキラタは、何が何やらという顔をしている。

「なんにせよ、大事にしてくれるなら有難いさ。本当なら何とかして冷やす方法を見つけて、完成品を渡したいところだがね」

 キラタは苦笑して、ダガーに手を伸ばした。

「お前もそれでいいか?」

「是非、そうしてくれ」

 通訳しなくとも、その言葉は伝わったらしい。晴れ晴れとした表情で大きくうなずくと、キラタはダガーを鞘に収め、ノノラの方に向き直る。

「ならば、三日後にまたここに来てくれ」

「わかりました。それでは」

 ノノラは立ち上がり、ぺこりと一度礼をして、工房を出ていく。背後に火打石の音を聞きながら、出口のところで、灰をかぶった裾を恨めしげにはたいたのだった。

「しかし、惜しいねえ。ここで完成品を持っていけないなんて」

 デクが口を開く。ノノラは肩をすくめて、首を振った。

「でも、贅沢言ったってしょうがないじゃない。竜鱗という素材でなくとも、キラタさんの腕は一級品だし、あのダガーはあたしが手にしてきた中でも群を抜いている。正直、あれよりいい武器になるなんて、信じられないもの」

「でもさ、こう、かゆいところに手が届かないというか、もどかしくない?」

「……キラタさんが完成に立ち会えないっていうのも、あたしはちょっと引っ掛かるけど、どうしようもないもの。寒冷地から運んできた氷も馬鹿にならない値段なのに、それでも冷やすのには足りないんでしょう? うまく豪雪地帯に鍛冶屋を見つけて、頼み込むしかないと思うけど」

「そうなんだよなあ。でも、豪雪地帯って鍛冶に適さないと思うんだよね。だって、原料の鉱石と、たくさんの薪とが必要で、できれば動力として水車があったほうがいいと。鉱石はともかくとして、薪が湿気っちゃうし、馬車で出荷するのも大変だからさ。割と乾燥しているこの辺りとは真逆だよ」

「どうなんだろう、わからないけど……」

 話しながら《金物通り》を出て、所在なくさまよっている。これ以上考えても仕方ないように感じて、話を打ち切った。

そういえば、三日間この街で過ごさないといけないのだし、刃物以外の必需品を仕入れたり、路銀稼ぎに盗みに入るのもいいかもしれない。お下げが隠れているか確認して、縁なし帽を目深に被り直すと、ノノラはできるだけ気配を抑えて、通りの物色を始めた。

 川沿いを外れると、工房はほとんどなくなって、どこの街にもあるような商店が立ち並んでいた。ノノラが盗みの標的にするのは、持ち運びに便利で金になる宝飾品だ。大抵、盗んだ街で売っても足がつくので、次の街まで持っていく必要があるためだ。それに、硬貨は場所によって扱っているものが違ったりするし、旅人が財産として持つには価値の変わりにくいものがいい。

 しかし、デクは別の店に目を付けたようだった。

「硝子、かあ」

 見やると、ゆるやかな曲線を描いた、美しい硝子の壺が看板代わりに置いてあった。そういえば、この前解毒剤を入れていた小瓶をひとつ渡してしまったので、買い足しておくのもいいかもしれない。そんなことを考えていると、不意に調子づいた声が降ってきた。

「ねえ、できるかもしれないよ、ノノラ」

「できるって……え?」

戸惑って、間抜けた返事をしてしまう。それを鼻で笑ってから、デクは続ける。

「盗みに入るか、金に物を言わせるかは君に任せる。硝子、染物、火薬、加工肉、あとは肥料かな? その辺を扱っている店に行けば、何とかなると思う。氷は必要だけどね」

「えっと、何の話?」

「もちろん。灼熱の炉の横で、雪降らす極寒を作る方法さ。できるかどうかわからないけど、賭けてみる?」

 そう言うと、呆気にとられるノノラをよそに、デクは気負いなく笑ってみせた。



 紅紫の炎はごうごうと低い唸り声を上げ、虚空を激しく舐め回し、糸くずのような火の粉を盛んに振り撒いている。水車駆動のふいごが動くたび、炎は風を孕んで黄金に輝き、火の爆ぜる音がひときわ大きくなった。

 汗と煤にまみれたキラタの横顔、揺らぐ炎にも動じない視線は、炎を纏う炭の上、小さな刀身に注がれている。

 職人の半生をかけて削り出された、竜鱗の剣。

 何物をも拒み切り裂くその刀身には、炎さえも例外ではないようだった。紅紫の炎に熱せられながらも、それに逆らうかのように、刀身の蒼さはより色濃く、深くなる。その様はまるで、水を浴び、身を清める修行僧のようだった。清流の代わりに灼熱の炎でその身を洗い、来たる完成の儀式に備えているのだ。

「もうじきだ。キラタよ」

 ダガーの声が、工房に朗々と響いた。熱せられたことで剣としての綻び、すなわち意思が強まったのか、キラタにもはっきりと声が聞こえるらしい。火ばさみを握る職人は大きくうなずいて、傍らのノノラに目配せをする。ノノラの方も神妙な面持ちでうなずくと、『雪降らす極寒を作る』ために、工房の外へと移動する。

「さあて、どうなるかな」

 デクは興奮を隠しきれない様子で、そう呟いた。

 目の前には四方と丈がノノラの腕の長さほどある、鉄の箱が鎮座している。昨日のうちにキラタが作っておいたもので、造りは荒々しいが、頑丈さは申し分ない。保冷のためおが屑を敷き詰めた内側に、厚布に包んだ氷が入っている。布をめくると、丹念に砕いた砂状の氷が日差しを受けてきらめいた。

「じゃあ、入れるよ」

 キラタに借りたぶかぶかの革手袋を付けて、ノノラは傍らの袋をつかむ。細い腕で抱え込み、腰を入れて持ち上げると、袋の中身を振りかけた。

 降り注いだのは雪のように白く、光沢のある粉だった。粉が触れたところから萎びるように氷が融けて、みるみる目方が減っていく。なくなってしまうのではないかと不安になったが、幸いすぐに収まった。手を突っ込んでかき回し、また袋の中身を振りかけるのを何度も繰り返しているうち、指の先が痺れるような冷たさが強くなっていくのがわかった。

「うまくいってるみたい。いつまでもつかはわからないけど」

「それはよかった」

 膨大な量の氷を見下ろしながら、デクは満足げにそう言った。

 デクがノノラに集めさせたのは、硝石と呼ばれるものだった。火薬や染子、肥料などの原料になるほか、硝子や加工肉を作る際に混ぜ込んだりする。この辺りは乾燥しているために、硝石の産する場所が近くにあって、それほど珍しいものでもないらしい。ただ、量が量だけに高くついたのだが。

 硝石は、氷と混ぜるとその温度を下げる効果がある。これを使って凍らせた果汁を供することがあるのだと、デクは知っていたらしい。それが果たして伝え聞いた話なのか、あるいは自分で食べたことがあるのかは定かではないが、いずれにせよ贅沢な食べ物だとノノラは思った。

「準備はいいか!」

 工房の中からキラタの声が聞こえてくる。まるで測ったかのようなタイミングだ。ノノラは大丈夫だと叫び返すと、ダガーを刺し込む場所だけ残して厚布を被せ直す。

 火ばさみの先に刀身を携えて、キラタが出てきた。刀身はやはりその熱を感じさせない色をしていて、むしろ極限まで冷え切っているようにさえ思える。このように蒼く鋭い光を放つ存在を、ノノラは夜空に輝く星の他に知らなかった。

 しかし、その美しさに見惚れている場合ではない。本番はこれから、それも一発勝負だ。ノノラは薄い唇をきゅっと引き締めた。

 キラタは火ばさみを逆手に持ち替えて、刀身の切っ先を氷の方に向ける。そのまま氷の中に突き刺すつもりだろう。

 キラタの頬を伝った汗が、顎の先から滴り落ちた。

「いざっ!」

 ダガーの勇ましい声とともに、刀身が氷の中へ突き立った。

 ぶしゅうっ、と激しい沸騰音がして、水煙が立ち上る。氷は見る間に融けていき、その止まることを知らない。ノノラは厚布の端を引っ張って傾け、刀身へ氷が触れ続けるように寄せてやる。

 どうやら、鉄よりずいぶん冷めにくいらしい。とはいえ、大量に用意していた甲斐あって、三分の一ほどが融けたあたりで静かになった。キラタは刀身を埋めたまま火ばさみを脇に置くと、ノノラと力を合わせ、厚布をゆっくりと引っ張り上げた。未だ冷たい水はそのまま鉄の水槽に残り、氷だけが布に濾しとられて持ち上がる。キラタの膂力は流石と言うべきだったが、それでもかなり重く、体格差で力が入りにくいのもあってよろめいてしまう。

 何度か落としそうになりながらも、じきに氷の包みを取り出して、水槽の脇に置く。キラタは布の端をしっかりと結んで零れないようにすると、ようやく額の汗をぬぐった。

「これでよし、と。しばらく冷やしておけばいいんだったな」

「そのはずです。……もう、聞けませんけど」

 ノノラの言う通り、製法にあれこれ言ってくれたダガーは、今や沈黙を守っている。

「……まあ、考えようによっては成功の証とも言える。期待して待つとしよう」

「そうですね。ならその間に、あたしは表の店を見てこようと思います」

 そう言うと、キラタはきょとんとした表情になった。

「店? ここのところ閉めているから、客の心配をする必要はないぞ」

「客はあたしですよ。そもそも、野外活動用のナイフを買いに来たんですからね」

 キラタは目をしばたいた後、大声で笑い出した。

「はは、そうだったな。すっかり忘れていた。好きなだけ見てくるといい。私はもうしばらくここにいる」

「わかりました。では、後ほど」

 うん、と伸びをしてから、ノノラは店先の方へと向かう。疲れを知らない体のはずなのに、どうもくたびれた気がしてならないのは、緊張のせいだろうか。

 振り返ると、キラタは座したままじっと包みを見つめている。その視線はどこかやるせない哀愁をたたえていたが、それは完成への不安ではなく、何か別の色を帯びているようだった。



 求めていたナイフはさっさと選び終えたのだが、キラタをしばらく一人にしておいた方がいいだろうかと思って、他の武具も見て回り、時間を潰していた。するとどうも物色をしているのだと勘繰られたらしく、デクに言いたい放題言われてしまう。

「そんな目立つもの、盗んでっても人目につくし、大したお金にはならないんじゃないの。それとも、思い切って武器替えでもするつもり?」

「あのねえ、いくらあたしだって盗んでいく場所は選ぶってば。そんな、堂々と恩を仇で返すようなこと、するわけないじゃない」

「どうだか。昨日だって、手持ちの宝石を換金しに宝飾品の店に行って、熱心に観察してたじゃないか。あれって、今夜出発する直前に侵入して、いろいろかっぱらってからとんずらしようって算段なんだろう? 宝石を換金してくれた恩を、仇で返すことなんじゃないのかな」

「えっと、それは……そうかもしれない、けど……」

 途端に語調が怪しくなるのを、デクは笑って見下ろしている。

「もう! わかったったら。どうせあたしは人でなしの盗人よ」

「そうやって拗ねるところは、盗人っぽくないんだけどね」

 デクがひとしきり笑ったところで、工房の方からキラタがやってきた。

「なんだ、まだここにいたのか。てっきり外に出ているものかと」

 思いの外時間が経っていたらしい。キラタの手には、柄と鞘のついたダガーが握られていた。

「折角ですし、他の武器も見ていこうかと。その武器で襲われた時のためにも」

「なるほど、旅というのはなかなか過酷らしい」

 冗談にも、キラタは薄く笑っただけで、気落ちしている様子だった。

「どうかしたんですか? まさか……」

「ああ、それは大丈夫だ。自分の目で確かめてみるといい」

 ノノラはダガーを受け取って、鞘から引き抜いてみる。

 その輝きは、蒼と言うより純白に近くなっていた。微かに蒼味は残っているものの、遠目に見れば普通の刃物と区別はつかないだろう。それだけ見れば、拍子抜けしてしまうかもしれない。

 しかし格別に違うとわかるのは、その纏う闘気だ。

 刀身が一回り大きくなったのかと見紛うほど、はっきりと輪郭を持った殺気の塊に、ノノラは知らず身震いをした。掌に少し余るというだけの小さな刀身を、稲妻が走り回り、音立てぬ何かが迸っているのがわかる。何物をも寄せ付けないどころか、そこに何かがあるということすら信じられなくなるような、禍々しく、それでいて美しい奔流は、空気を伝い、肌を伝い、心身を震わせる。畏怖の念すら覚えるそれを前にして、ノノラは顔をほころばせてため息をつく以外に、すべきことを知らなかった。

 そう考えると、この白さは氷雪の色なのだとわかった。竜が生きていたころ、いや、あるいはまだ生きているのかもしれないが、その住処たる氷の園、降りしきる雪の色を映して、ここに在るのだ。

 ノノラも、刀剣に疎いデクでさえも、しばらくは凍り付いたように何も言えなかった。

「どうだ」

 キラタが聞いてくる。ノノラはもう一度嘆息した。

「武器を持っている人ではなく、武器そのものに恐怖を覚えたのは、これが初めてです。こう、うまくは言えませんが……」

「腕の立つ君にそう言わしめるのだ。最大の賛辞と受け取っておこう」

「そうですね」

 物言わぬダガーを鞘に収めて、ノノラは笑った。

「そうだ、ナイフのことなんですけど」

 そう言って、ノノラは商品の並ぶ棚から三本のナイフを持ってくる。

「折角だし、古くなったものも新調しようと思いまして。この三本を買いたいんですけど、古いものは引き取ってもらえますか」

「ああ。いいだろう。だが、お代は……」

「生憎、細かいのを持っていないんですけど」

 皆まで言わせずに遮ると、ノノラは背負った荷から使い古したナイフと紙包みを取り出して、キラタに押し付ける。

「何、それ」

 出会う前に手に入れたものだから、紙包みの中身はデクも知らない。ノノラは聞こえないふりをして、キラタが包みを開くのを待つ。

 その瞬間、キラタが瞠目するのがはっきりわかった。

「これは……」

「竜鱗です。少し、小さいですけど」

 ノノラが差し出したのは、紅の竜鱗を中央にあしらったペンダントだった。おそらくは加工していないのだろう、水滴のような形をした竜鱗を取り囲むようにして、掌ほどもある豪奢な金細工が広がり、星のように散りばめられた色とりどりの宝石が、己を主張するようにまたたいている。そのせいで、鈍く照り返す竜鱗の厳かさが損なわれ、安っぽく見えてしまっていた。

「悪趣味なんですよね、それ。すごい重さで、とても付けていられませんし。細工師の腕が悪かったか、注文が酷かったのかもしれませんけど、このダガーが竜鱗でできていると知った時、本来の姿は剣なのだろうと感じました。だから、キラタさんにお譲りします。ナイフ三本の値には高すぎ、竜鱗の剣には安すぎますが、どうかお納めください」

 一息に言い切ったノノラに、キラタは困ったような笑みを向ける。

「しかし、私は……」

「だから、『満足した』なんて言わないでください」

 その言葉に、キラタは息を飲んだ。

「あたしは、キラタさんのことを尊敬しています。気の遠くなるような歳月を投げ打ってもなお、自分の手で最高の品を作り上げることを希求して止まず、持ちうる技術の粋を尽くしてそれを成し遂げる。あたしを作った人も、きっとそんな人だったのでしょう。そして、そんな人にしか作り出せない物がある。だから、失くさないで欲しいんです。人と物とが寄り添う場所を。……お願いです」

「……そうだな」

 キラタはペンダントを掲げて、通りの方から注ぐ光にかざす。キラタの目にはきっと周りの装飾など映っていなくて、いつとも知れない、竜鱗を初めて見た時のことを思い出しているのだろう。

「そこまで言われて引き下がるのは、職人の名が廃る。いいだろう、やってみようじゃないか。ただし、今のうちに引き継ぎ先を探さねばならないな」

 炉に火の戻った工房のように活気づいて、キラタは無垢な笑顔を見せた。灼けた鋼の色をしたその双眸は、紛れもない刀工の眼だ。

「ありがとうございます」

 ぺこりとお辞儀をすると、キラタの方も会釈を返した。

「いや、こちらこそ感謝している。君の協力で完成させることができたのもそうだが、もう私のすることはないと、満足しきりだったのもその通りだ。正直、普通に鉄を打つのはつまらなくてね。だが、おかげさまで新しい目標ができた。これからの人生、どれだけ残されているかはわからないが、私が培った技術を広めることに尽くそうと思う」

「ぜひお願いします。……では、そろそろ行きますね」

 そう言って、ノノラは三本のナイフと竜鱗のダガーをしまい込む。

「大事に使ってくれよ」

「もちろん。まあ、ダガーとかはあんまり使いたくないですけど」

「そうだな、それに越したことはない。旅の安全を祈っているよ」

「こちらこそ、商売繁盛を祈っています」

 互いに手を振ると、ノノラは《金物通り》の雑踏に消えていく。

 そうして、人と物、それぞれの営みへ戻っていったのだった。



「ノノラさ、今日はだいぶお喋りだったよね。特に、別れの間際」

「そうね、あたしもそう思う」

 エメラルドの瞳で、むき出しのサファイアを検分しながら、ノノラは呆れ声を上げる。

 首尾よく宝飾店から逃げ出してから、市壁を乗り越え、すでにだいぶ街を離れている。深夜の街道に人通りがあるはずもないが、ノノラは念のため道を外れ、起伏の激しい岩場を進んでいたのだった。ここまでくれば大丈夫かと腰を下ろし、獣脂の光に掲げて獲物を改めていたわけだが、色のついた光で宝石を調べても、その真価がわかるはずもない。ノノラはあっさり諦めて、その代わりに竜鱗のダガーを引き抜いた。

 その純白に灯火を映した色彩は、彼方に見える下弦の月とそっくりだ。

「たぶん、羨ましかったんだと思う。キラタさんと、この剣とが」

「羨ましい?」

「自分の在りようをはっきり自覚して、ぶれずに生きているもの。『物言わぬ武具の本分』だなんて、かっこいいこと言っちゃってさ。あたしの本分ってなんなんだろう、あたしは何のために作られたんだろう、って考えちゃう」

「前者はわからないけど、作られた理由なら、わかりきってると思うよ?」

「え?」

「作りたかったからだよ」

 煙に巻くようなその言葉に、ノノラは唇を尖らせる。

「ちょっと、馬鹿にしてるの?」

「大真面目さ。ちょっとでも役に立てようと思っていたなら、きっと君は今も何かしらの任についているはずだろう? そうじゃないってことは、ただ作りたくて、作り終えたら勝手にやってくれって、そういうことじゃないのかな。じゃなきゃ、君みたいなどこまでも人間らしい知性は生まれないさ」

「うーん」

 確かに、デクの言うことももっともだ。けれど、ただ作るために作られたというなら、作られた後の自分は、いったいどう身の振り方を決めればいいのだろう。

「あるいは、ひょっとして君も《魂宿り》だったりしてね」

 《魂宿り》というのは、デクのように人間の魂が宿ることで知性を得た物のことだ。

「そんなわけないじゃない。もしそうなら、人の時の記憶を持っているはずでしょう?」

「さあ、どうだろうね。でも、人型の物って人間の魂とすごく相性がいいんだよ? 僕だってこんな姿に身をやつしているわけだけど、そういう意味では、君の体は依り代として最高じゃないか。もしかしたら、もともと知性があったとしても、人の魂を呼び寄せて、知らないうちに感化されたりするのかもね。知りもしないはずの名前を覚えていたりとかさ、ない?」

「ないってば。おどかさないでよ。今度こそからかってるでしょう」

「まあ、半分半分かな」

 ふふふ、と不気味な笑い声を上げて怖がらせようとしてくる。ノノラはそれにむきになって、余計に面白がられてしまう。

「まったく。でも、そういうことなら、あたしの本分は旅そのものか、旅の中で見つけるものってことになるのかな」

「君がそう思うなら、そうなんじゃない」

「はっきりしないなあ」

「はっきりしないくらいが、君らしいよ」

 返事の代わりにふうっと息をついて、ダガーを抜いたまま立ち上がる。

 十文字に斬り払うと、腕を引きずられるような感覚はなくなっていた。重みはあるのだが、ちゃんと手の動きに追い付いてきて、止まる時はぴたりと止まる。重心の位置をノノラに合わせてくれたのだ。まるで腕の長さがダガーの分だけ伸びたように錯覚する。

 そのまま、普段通りに練習を始める。斜めの斬り払い、突きをはじめとして、一通り。深い闇に純白の残像が刻まれるのを、デクは黙って眺めていた。

 このダガーのように、はっきりとした目的があるのが物としての本来なのだろう。しかし同時に、はっきりとしない生き方も、あっていいのかもしれない。剣を振りながら、ノノラは考える。

「……でも、行先くらいは、はっきりさせないとね」

 口に出すと、呆れながらも楽しそうな声が、縁なし帽から降ってくる。

「また僕が決めるのかい? ……なら、あの月の方ってことで」

 ダガーを腰の鞘に収め、鍔に留め具をかける。獣脂の灯火を吹き消して荷を持ち上げると、雪の色した月光の方へ、ノノラは歩き出したのだった。

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