バックヤード
総一郎の去った薄暗いバックヤードに、春香だけが立ち続けていた。その視線は、フロアの明かりが四角く漏れてきている扉に注がれている。
とぼけた表情の壁井が、返送待ちの雑誌が入った段ボールの影からひょいと顔を出した。
「いやあ、格好良いですね」
春香が苦笑しながら振り向く。
「やーね、見てたの? いつからよ」
「立ち聞きは途中からですけど。そうですね。いつからと聞かれれば、春香さんがバイトを始めた頃から、ずっと」
そこで壁井は一度言葉を切った。
その視線が迷うように揺れて、春香の顔で止まる。
「……なんにでもなれたくせに」
「自慢の姉になったのよ」
即答に肩をすくめると、壁井はあっさりと視線をそらして、春香に背を向けた。
立ち去ろうとする壁井に、春香が大また四歩で追いついた。
春香の腕が伸ばされ、壁井の襟首を掴む。
ぐげ、という間抜けな声と共に、壁井がつんのめって歩みを止めた。
「シャツ借してよ。二分だけ」
言葉と同時にシャツを掴み直した春香が、壁井の背中に額を押し付けた。
壁井は喉の具合を確かめるように手でさすったあと、軽い口調で言った。
「大好きな春香さんになら、胸だって腕だってお貸しする所存ですが」
「黙ってなさいよ。口まで借りた覚えはないわ」
壁井はもう一度、小さく肩をすくめた。
シャツを握る春香の指に、強く力が込められた。
〈なりたいと望むもの・了〉
なりたいと望むもの 佐藤ぶそあ @busoa
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