10_蒸気列車に君をのせて_01
大きなもの、重いものを動かすには、硬い金属で組まれた強靭な機械とそれに命を吹き込む強力な蒸気が必要だ。私のいる町にも少しずつ蒸気機関が根付き始めているけれど、動力付きの乗り物を持つ個人はまだまだ少ないし、普通に暮らしている分にはそんな“大きなエネルギー”は必要にならない。生活を便利にする道具となると今度は人間が持ち運べるような小さなものが多く…
(うーん…)
ということで、石畳とレンガの中で駅はまだはっきりと“継ぎ目”になってしまっている。のどかな町に線路が延びてブラステラギアの景観がそのまま一部だけやってきて馴染めずにいるというか、駅全体を囲う低い柵のせいもあるのだろう、アーチ状の骨組みを使った屋根や駅員さんたちが仕事をする建物が黒っぽい金属の光沢を映えさせて実に格好良く目立っている。
「お父さん早く!」
目を輝かせた男の子が父親と思しき初老の男性の手を引っ張っていく。紺色のブレザー、手入れされた革靴。男の子の方もきっちりと仕立てられた衣服を身に着けていた。そのすぐ後には、姉妹だろうか、お揃いの帽子を被ったこちらも上品な婦人の二人組と、今度は重そうな鞄を持った若い男性と……私もそろそろ進まないと。可愛いスカートは履いていないけれど、これはいざという時に走れる服装なのだ。
町には日に数回列車がやってくる。その多くは物を運ぶための車両ばかりを連れているが、大博覧会の開催が近い今は特別に人を運ぶ車両を増やしているらしい。駅に集まった人たちは普段よりも多く、どこか表情まで明るいような気さえする。ブラステラギアと線路で繋がった他の町でも同じようなことが起きていそうだ。乗客たちは駅正面の大きな門を通るとまずは横に長い二階建ての駅舎に入る。
(駅を使う機会の少ない人はその前に線路や建物や人間を観察してから…。)
駅舎の中に入るとまず目に入るのは深い緑色。四方の壁は胸の高さまでが黒いインクを混ぜた苔色で塗られていて、それより上に落ち着いたベージュ色が配されている。駅員さんたちのいる受付窓口も深い緑色で塗り残しなく統一されている。床には綺麗に磨かれた焦げ茶色の木材が敷いてあり一歩足を踏み入れてみれば『キュッ』と心地よく返事をしてくれる。一階の広い空間には他に大きな時計と、それから列車を待つ人たちのために並べられたたくさんの椅子があって、遅れないようにと早く駅に着いた人はそこで期待に胸を膨らませてじっと待つことになる。
「お前さんの息子は大博覧会に呼ばれたそうじゃないか」
「そうだとも。金属細工で有名になると家を出て行った時には驚いたが、向こうで上手くやってるならこれ以上のことはないな」
「会いに行くことは伝えたのかい」
「いいや、サプライズってやつさ」
へっへっへ、と気持ちの良い笑い声が合わさる。仲の良さそうなお爺さんたちはゆったりと座れる一人用の椅子を並べて会話を楽しんでいるようだ。
「…装置を……待てよ? …いや…」
背もたれのない長椅子に跨って座るこちらのお兄さんは技術師だろうか、工具は身に着けていないが、何かの図面を長椅子の上に広げて真剣な表情で呟いている。
(さて…と)
私は私で手頃な場所を探す。駅員さんたちのいる受付から少し離れた壁際に小さな丸椅子が三つ並んでいるのを見つけてそこへ向かった。そっと周囲を確かめてから大きな鞄、先輩鞄を椅子に…
(…?)
先輩から「床でいい」と言われた気がしたので大きな鞄は床に置いて、向かって右側の丸椅子に座った。艶のある木で組まれてワインレッドの布が張ってある。確か列車の客室の席もこの色味だったはず。深緑の壁に体重を預けて小さく息を吐いた。
(完全に油断し切ってはダメ。時々で良いので怪しい人がいないかどうか周囲を気にすること。)
出発前にロザさんから言われたいくつかのことを復唱するように思い出す。私に大きな危険が無いようにロザさんはあれこれ手を回してくれたらしいが、今私が持っているものは誰かの手に渡ってはいけないもの。そっと、身に着けたままの薄い書類鞄の方に意識を向けた。
「…そうですね…お荷物の件でお待たせしている……様が…」
受付の外で駅員さん同士が何か話している。…そう言えば、金色の糸で控え目に差し色を入れた紺の制服を着ている駅員さんたちは“公的な仕事”をする人だ。昔、記述士の仕事をするロザさんと一緒に色々な町の色々な場所を巡ったことがある。どの町だったか、何の施設だったのか、ぴしっと揃って同じ服を着た人たちがいる大きな建物を出てから少し歩いて、ロザさんは手帳に二つの文字を書いて見せてくれた。そこには『師』と『士』の文字が並べて書いてあった。どうして技術“士”ではなく技術“師”で、記述“師”ではなく記述“士”なのか。声に出せば同じなのに、意味するところは少し異なるから、
(まだいいか…だっけ)
私に何かを言いかけて中断したロザさんは「これが気になるようになったらナギサも半人前かな」と笑っていた。…と、ちらちらと大時計に目をやる人が増え始めた。
「来た!」
窓の前で場所取り合戦をしていた子供たちから第一声が上がる。
「どれ? どこ!?」「あれ!」「どいて私も見る!」
すると一気に歓声が湧き上がる。遠く微かに汽笛の音、心なしか振動する足元。いよいよ列車がやってくるという確かな気配。真鍮の細い棒にかけられていたロープを駅員さんが外して入り口が開く。再び荷物を身に着けた乗客たちが続々と一列に並んで受付横の階段を目指していく。まず駅員さんに上質な紙でできた乗車券を渡して、半券を宝物のように大事にしまって、それから4つくらいに枝分かれした通路の一つを壁に埋め込まれた大きな数字飾りを確認しながら進んで、最後に(これは先頭の少年の特権だ)外に繋がるドアを開けて、
「わぁ」
大きな大きな鋼鉄の乗り物を、これから自分が乗る蒸気機関を上から一望するのだ。はやる気持ちを抑えきれずに金属で組まれた橋通路を進み、足音お構いなしに階段を駆け下りて地面より少し高く造られた歩廊を駆けるように歩いて、そうしてついに対面する。
「お父さんこのプレートなんて書いてあるの?」
「アーテリィ型、だよ」
「かっこいい! ね、お姉ちゃん!」
「…うん!」
「こらマルク! すみません…」
さっきの男の子と父親だ。男の子は元気全開で後ろの客車へ駆けて行く。蒸気列車『アーテリィ』型。真っ黒に輝くその重厚精緻な造りと後ろに並んだ負けず劣らず豪華な客車両に思わずため息が零れる。ずらりと並んだ大きな車輪、それらを繋ぐ連結棒、束の間の休憩をする太い煙突、燃料をたくさん積んだ巨大な炭水車。機械の細かい名称までは流石に知らないけれど、機能と強度を詰め込んで到達した一つの姿なのだと私にも分かる。それは少年の夢までも運べるのだ。
「おっと失礼」
「あ、すみません」
少し車体から離れて…乗り込む人たちの邪魔にならない位置に。アーテリィ型の名を冠するのは元々先頭車両だけだったはずだが、今では駅を持った小さな町なら『蒸気列車アーテリィ』の名前で通じてしまう。力強く走るその姿を一度目にすれば忘れることはないのだろう。「あれに名前はついているのか」と誰かに聞いて覚えてしまうのだろう。大陸を走る主力列車として。大きな力を生み出す蒸気機関の象徴として。
(…よし)
私もそろそろ乗り込もう。さっきの少年と同じくらい“はやる気持ち”を隠せずに駆け寄った私は、アーテリィの造形に見入ってしげしげと眺めてしまった。こうしている間にも橋通路を渡ってきた乗客たちが次々と乗り込んでいる。客車は全部で7つ。私の座席は前から5番目の客車の中だ。
蒸気幻想譚 - V.E.0XXX - 記述士の手記と蒸気発明王 kinomi @kinomi
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