09_窮屈な車窓から

 あの人は何を語ったのだろう。声高く焚きつけたのだろう。どこかの記述士が当時の言葉を拾っていないかと探したことがあるけれど、その場にはごく限られた人間しか居合わせなかったと分かっただけだった。そもそも“記述士”という仕組み自体がまだ確立されていなかったのかも知れない。『ブラステラギア大博覧会』もまた、発明王メタスチームが誕生の契機となっていた。


 四角く切り取られたどこか寂しい景色が過ぎ去っていく。鋼鉄の二本線に押さえつけられた痩せ地はせめてもの抵抗に重い車体をわずかに揺らす。鉱脈から離れた平坦な地域には疎らに農村が残っているが、突如彼らの土地に引かれた線路は大型蒸気機関の恩恵を彼らに運ばなかった。中継点として蒸気列車の補給整備の場がある程度整えられたのみだ。尤も彼らの暮らしは本来それで十分で、強大な力を生む装置など要らなかったと言われればそれで納得してしまう。確か『近隣の人々は発展への期待を込めて蒸気列車を歓迎し、その雄姿を見送った』と当時の記事には書かれていたはず。

 どこか無意識に、小さなため息が出た。…確か乗務員は窓を開けたら風向きによっては煙が入ってくると言っていた。

 博覧会の名目は『技術師たちの晴れ舞台』だ。そう言えば聞こえは良いが、国の魂胆は見え透いている。栄華発展を確信させる光景を造り出して民の士気を高めるのだろう。入るべき“公的な”母屋を探して燻る技師たちは有力者の目に触れるために飾り立てた尻尾を振る。一方、元より公的な技師たちは自分たちが武器や兵器以外の発明に、国を豊かにするための素晴らしい発明に日夜取り組んでいることを大々的にアピールする。両方が合わさって、僅かなそれ以外のスパイスも混ざって、賑やかで煌びやかな祭典が成立する。新しく美しい技術に目を輝かせる人間たちにはそう見えてしまう。きっと駆け足だった。今もそうだ。定めるべき規則や枠組み、目指すべき方角や理念が未熟なこの国の、一つの…


「サリー…あ、ごめんなさい」


 少し驚いた。思考は中断。深い緑色の上品なスカーフを身に着けた婦人が軽く頭を下げて足早に去っていく。娘と私を間違えて声をかけたのだろうか。蒸気列車が連れて行く一般車両には向かい合わせの四人席が並んでいる。背もたれは真ん中の通路に立っている人から見れば丁度私の頭が少し見えるくらいの高さ。貨物や“要人”を運んでいた蒸気列車にも今では一般人を乗せる車両が用意されるようになり、少し手を伸ばせば届くものにもなった。だから私のような人間が乗っているし、彼女のような人間も気軽に車両内を歩く誰かを探している。隣には鞄を置いているが向かいの席はこのまま空席でいて欲しいものだ。私のいる町――ガーネット報記のある町の駅を出て一時間は経ったと思うが…。

 大博覧会が首都ブラステラギアで開催される理由は推測の域を出ない。背中に重要な何かを秘匿したあの大公舎を北東にしていて、公的な息のかかる場所であることは確かだろう。海に近く陸路も水路も整備されているから物を運び入れるには困らない。…けれど、これらは後付けだ。発明王は公的な組織と複雑な関係にあって、博覧会という概念だけをブラステラギアが囲い込んだのだと思う。首都の、機能として。ブラステラギアの後ろにはきっと国の影がある。



* * * *



「…なんて、今頃ヨミズは難しい顔をして考えているんだろうな」


 もしかしてロザさんヨミズさんの表情を真似している? ヨミズさんが窓の外を見るときの、何だか色々考えているような、少し憂いを帯びたような表情。


「じゃあヨミズさんは私より先に?」


「そうだよ、今頃赤ワイン色の長椅子の上で揺られてるだろうさ。窓でも開けたがっているかもな。ナギサは難しいことを考えないでまずは私の説明した通りに行動すること。終わったら好きなように見て回っていいから」


「分かりました」


「いい返事だ。じゃあ、行ってらっしゃい」


「行ってきます!」


 鞄の形をした大先輩を両手で持ち上げる。とても重要な任…お使いの品が入っている上に丈夫そうな造りなので覚悟はしていたけれど、思ったよりも重くない。持ち手もしっかりしているのでこのまま手提げで持っていこう。いつもの鞄と別の薄手の書類鞄で私の頼りない両肩は満員、念のため大先輩に取り付けた肩掛け紐は出番が無さそうだ。定位置の受付机から手を振るロザさんの笑顔が私の背中を押してくれた。


 赤い丸屋根と真鍮製のプレートを一度振り返る。

 ヨミズさんは私が小さい頃――ロザさんの元で暮らすようになってから“記述士見習い”としてガーネット報記にやってきた私の先輩で、歳は三つほど離れている。どこか自信が無さそうで言葉数も少ないけれど、きっとそれは細部まで確認してじっくり考えるから。そうして選び抜かれた言葉で書かれる彼女の記事は剣のように鋭く、凛とした冷静な視点が伝わってくるようで、ロザさんも「魅力であり武器だ」と言っていた。最近は記述士としての仕事も少しずつ貰っている。ヨミズさんが偶に窓の外を見て物思いに耽るのを私もロザさんも知っているけれど、少なくとも私はその理由を知らない。


「肩に力が入ってるぞー」


「あ。はーい」


 後ろからロザさんの声。外に出て見送りまでしてくれている。ヨミズさんはヨミズさんで何かを任されて大博覧会に臨む。私も私でしっかりやり遂げなければ。…肩の力を抜いて。


 時々ヨミズさんが花瓶を眺めている姿を思い出すことがある。ロザさんがどこかで手に入れたらしい薄紫色の小さな花が一輪だけ花瓶に刺してあって、ヨミズさんは控えめな視線をそれに向けていた。短く纏めた髪に比べて長めの前髪と眼鏡で遮った、何か儚いものに思いを重ねるような視線。すっと背筋を伸ばした細身の身体、物置き部屋に刺す小さな四角い日差しを受ける花とゆっくりと机に乗った白い手。「ヨミズお姉ちゃん」と言ってヨミズさんを困らせていたまだ小さな私は、部屋の外からそっと覗いて、きっとその光景に見とれていていたのだと思う。いつの間にか私の後ろに立っていたロザさんから笑いが零れてヨミズさんがこちらに気付いたんだっけ。


「…さて」


 小さな声でこっそり反復する。声に出した言葉にはまた別の力があるのかもしれない。


「私は私で、肩の力を抜いて、しっかり。」


 ブラステラギアは同じ時代にありながら時間の歯車を蒸気の力で速めているようにさえ感じる。あのわくわくする景色を思い描いて、まずは蒸気列車の停まる駅まで。

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