世界が少し落ち着かなかった日
いんびじ
世界が少し落ち着かなかった日
パチッ、と瞼が開いた。
いつもアラームに雑に起こされるのに珍しい、と自分でも感心してしまう。
脳内二度寝会議を開く……時間が惜しいので起きるということで可決。
ベッドから上半身をムクリと起き上がらせ、辺りを見回す。
「いつものマイホームっと……」
ベッドから下り、両手で勢いよく部屋のカーテンを開ける。
「う~~~ん!」
日ざしを浴びながらめいいっぱいの伸び。
やはり朝はこれに限る。
二階の部屋からは街の風景がよく見えた。
二月の寒さが脳を完全に起こす。今日は良い天気だ。
「……ふぅ」
いつの間にか五分くらいずっと外を眺めてた
そろそろリビングへ降りるか。
「って痛ッ!」
積み上げてた大学受験の参考書の山に足をぶつける。
角が…角が小指に……!!
部屋に散らばった参考書を片付けようか迷ったが、別にその必要は無いと思いそのままにしておいた。
改めて一階のリビングへと下りる。
「あら、おはよう。今日はやけに早いわね」
「おはよう。まあ、今日くらいはね」
台所で母さんが朝ごはんを作っていた。
美味しそうな匂いが俺の鼻にダイレクトアタックを決める。
うーん腹が減ってきた。
「後もう少しで朝ごはんできるからー」
「はーい」
テーブルには新聞を読んでいる父さんと、まだ眠そうな妹がいた。
何だかんだ一番遅く起きたのは俺だったか。
「父さん、その新聞二週間前のだよ」
俺も席につきながら指摘する。
ここ最近父さんはずっと同じ新聞を読んでいる。
「コーヒーを飲みながら新聞を読むのが父さんの朝の習慣なんだよ」
そう言ってコーヒーに口をつける。
その習慣は知っていたが、同じ新聞でも関係ないと。
ふーむ、そういうものなのか。
ちなみに父さんは朝は食べない派だ。
何でもコーヒーだけでエネルギーが満ち溢れるらしい、さすがだ。
「俺も大人になったらそうなってるかなあ」
「……なるだろうな、俺の息子なんだから」
父さんは新聞に目を落としたまま言う。
しまった、つい余計なことを言ってしまった。
「はいはいできましたよー」
そこに母さんが朝ごはんを持ってきてくれた。
「うー……うっ!?」
美味しそうなな匂いに妹がビクッと目を覚ます。
「「おおー」」
出された品を見て妹と声が合わさる。
「目玉焼きが……2枚!」
「プチ贅沢だな……」
妹が嬉しそうにして箸を手に取る。
「今日のもお高い卵です。ベーコンもお高いです、お米も昨日と同じコシヒカル」
「マジか、金持ちの朝食かよ」
まあ金持ちって何食うのか知らないけどね?
妹と自分のコップに水を注ぐ。
「あ、ありがとー」
「んー」
よし、早速手を合わせよう。お腹ぺこぺこだ。
「いただきます」
「いただきまーす!」
お味はとっても濃厚でとっても美味でした、まる。
*
「俺、今から外出ていい?」
朝ごはんを食べ終えた後、俺はポツリと家族に伝えた。
「止めときなさいよ、最近物騒よ」
「そうだよー、家にいなよー」
母さんと妹に即拒否られた。
予想はしていたが、うーん。
「いやー、そうなんだけどさあ。何か行きたいなあって……」
「でも――」
「いいじゃないか別に」
父さんが新聞を見ながら口を開けた。
出てきた言葉は少し意外だった。
反対こそすれ、賛成するとは思わなかった。
「好きにやらせてやれ、そいつの自由だ」
そう言って父さんは自分のカップにまたコーヒーを注ぐ。
「あ、いけないんだよーコーヒーたくさん飲んだら。カフェイン中毒になるんだよー」
「いいんだよカフェインも俺に夢中だから」
そのまま父さんと妹の他愛ない会話が始まった。
「……もう! 母さんは心配で言ってるのに!」
それを見た母さんが怒り出す。
我が家のいつものパターンだ。
「はあ……、夕飯までには帰ってくるのよ。まだ二月だから外は寒いし、暗くなるのも早いから」
母さんが折れてくれて、そう微笑みながら言った。
迷惑をかけっぱなしだ、ホント。
「うん、……ありがとう。行ってきます」
俺は適当に準備をすると、玄関を開けて外へと踏み出した。
*
――さてと。
家から出たのは良いものの、俺は行くあてもなくぶらぶらと歩いていた。
外は物騒だと言う話だったが、今のところ人通り自体が少なかった。
寂しい気もするが仕方ない。
外に出る俺のほうがもしかしたら珍しいのかも――。
「おい! そこの君!? 助けてくれぇええええ!!」
突然、体が横に大きな男が叫びながら走ってきた。
何だ何だ、何事だ?
「どうかしましたか?」
「こ、殺される! わしを追いかけてるそこの女に殺されるんだよ! たた助けてくれええええ!!」
やっぱり物騒なのか。母さんは正しかった。
殺人に巻き込まれたくないし、関わりたくないんだけどなあ。
「そこにいたのですか、逃がしませんよ社長」
「ひ、ひいい!? くくくるきたどうしよたすけてくれよおい!!」
男の視線の先から、スーツ姿の女の人がぬらりと現れた。
20代だろうか、若い人だった。
左手には普通の鞄が。
そして右手からは、その存在を主張するかの如く鈍く光っていた。
――包丁だ。
女はそれをしっかりと握り締めながら、男に近づく。
「……一応聞きますが、何があったんですか?」
目の前に包丁を持った女がいるのに、俺の声は自分でも驚くほど落ち着いており、不気味なほどに冷静だった。
やっぱり達観しているんだろうな、俺。
「ただの復讐よ。危ないからそこから離れなさい」
危ない張本人が包丁を横に2回振り、「どけ」と示唆する。
「……はあ」
俺は男がしがみついてきた足を振りほどき、その場を離れる。
今は自分の安全を確保したかった。
「お、おい君ぃ!? 私を助けんか薄情ものめ!!」
すみません勘弁してください。
「おい」
女の呼び声に男はひいいと悲鳴を上げる。
「私達に下請けの下請けの下請けの仕事を振っておきながら、自分はタバコをスパスパ吸ってただけ。しかもそんなのが私の評価担当で、いつまでも昇給の兆しは無し」
女は恨み辛みを言いながら男に近づき、
「労基や弁護士は無能で、転職するのにいつまでも手続き引き延ばして本当にっ!!」
女は飛びつきおもむろに男の足に包丁を突き刺した。
「ぐ、ぐがぁあああ!!」
「これはあの人達の分!!」
立て続けにもう3ヶ所突き刺す。
「あ、あ、あぎゃああああ!!」
更にもう一ヶ所、更にもう一ヶ所、更にもう一ヶ所……。
足に刺すたび辺りに血が飛び散る。
男の両足は穴だらけのズタズタになっていった。
恐らく、足としてはもう機能しないだろう。
「いだあああああああああ!! いだい! いだい! いだいだいだいだ――むぐぅ!?」
女はポケットから取り出したハンカチと大量のティッシュを男の口の中に突っ込む。
「社長、落ち着いてください。周りに迷惑です」
女はにっこりと笑いながら、体重を男の上半身に預け動けないようにすると、鞄から荒縄を取り出す。
どこで練習したのか、慣れた手つきで縄で男の手足をきつく縛り上げた。
「んむー!? んがー! んー!」
「さあ社長、戻りましょう。皆が待っています」
女は男の足に掛けた縄を肩にかけ、ずるずると引きずりながら歩き始めた。
「んむー! んんー!!」
男は目で俺に助けれくれ、と訴えてくる。
……この男は恐らく悪なのだろう。
しかし、俺には裁く権利はない。
「……その人をどうするんですか?」
「……」
女は俺の方をちらりと向き、また正面に戻すと、
「社長と会社にガソリンぶっかけて全部燃やすのよ」
何事もなさそうにそう言った。
それを聞いた男の顔がみるみる青ざめる。
「気持ちは分かりますが、そんなことしたらあなたまで地獄に落ちますよ」
女の背中に向けて更に言葉をかける。
男のためではなく、女のために。
それを聞いた女は少し笑い、
「地獄がもし本当にあるとして、こいつのせいで私も一緒に落ちる後悔よりも、地獄なんて無くて、誰もこいつを裁かなかった後悔の方が、大きいの」
そう言い残すと、女はそのまま去っていった。
「……」
110番は恐らく意味が無いので押さなかった。
*
朝からなかなかショッキングなものを見てしまった。
外に出て早々気分が悪い。
けど、恐怖心とかはそこまで無い。いやまあ死ぬのは勿論本当に嫌だけど。
他人の生死にそこまで感心が無くなったのかもしれない。
我ながら異常な精神だ。
……さてさて。
気を取り直して、今からどこに行こうか。
しばらく手を顎に当て考える。
――まあ行くなら街かな。
街は俺が小さい頃からよく友達と遊んだり、母さんと買い物したり、高校の通学路でもある、思い出の多い所だ。
歩いてすぐにあるのも良い、公共交通機関とか利用できないから。
よし、決まりだな。
俺は街に向けて進もうとしたその時。
「お、久しぶりじゃんー」
背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
この声はもしや……。
「――ああ。久しぶり」
振り返り声の正体を確かめると、案の定高校の友人だった。
最後に会ったのは結構前だったか。
「何してんだよこんな所でよー」
「それはこっちの台詞だ」
まさか外出先で知り合いと会うとは思わなかった。
俺が言うのも何だが何をしに来たのだろうか。
「俺? 俺はまあ……特に当てもなくぶらぶらと」
「俺と同じじゃないか」
「ホントかよ、やっぱ俺達似たものどうしだな!」
「ああ、そうだな」
本当に、こいつとはよく気が合う。
あ、そういえば。
「ここ最近お前何してたんだ? 全然見かけなかったけど」
俺の質問に対し、友人は気まずそうな顔をする。
「俺? 俺はなあ……馬鹿にするなよ?」
「え? あ、ああ。馬鹿にしないしない」
そんなしょうもないことではなさそうだが……。
「実はここ最近……俺とHしてくれる女の子を探してて―」
「お前馬鹿じゃねえの?」
言い切る前に率直な感想を告げる。
外はアホな事を考えている奴も溢れているのか?
「ほーら馬鹿にした!? こっちは結構真面目に言ってるんだぜ!?」
真面目、真面目ねえ。
あ、でも待てよ。……あー。
「気持ちは、分からんこともない」
俺は両手を組みながら頷く。
状況が状況なだけに納得してしまう。
それを聞いた友人が暗い表情をから明るい表情へ変わる。
「だろぉ? もちろんお互いの了承を得ようとしているんだぜー」
「そ、そうか」
あれ? 何かだんだんまともに見えてきたぞ??
普通ならただの変態野郎だが、もしかしたら動物の本能的な感じではあながち間違っていないのかもしれなくもない。
「ちなみに成果は?」
「全滅でしたね、ははは。あ、そうそう」
こいつ悲しい話の流れを素早く切り替えたな。
友人はニヤリと笑うと、
「あいつは誘ってないのでご安心を」
あいつ? ……!?
「うっさいわ!」
そのまま俺は友人と少しの間世間話をした。
――名残惜しいが、そろそろ解散しようかな。
「俺、そろそろ行くわ」
「おう、分かった。……えっと、その、じゃあな」
別れを告げる友人の表情はどこかさびしげで、
「……ああ、じゃあな」
俺も今、似たような顔をしているのだろう。
友人と一緒には行かないことにした。
今は、一人の時間を大切にしたかった。
俺は友人に手を振ると、街へと歩みを再開した。
「おい!」
友人の呼び声に振り返る。
「俺! お前と友達でホント良かったわー!!」
その叫び声は、少し震えていた。
……あー、くそ。
「俺もだよ! 楽しかった時間をありがとな!!」
今度こそ友人と別れ、街へ向かう。
……。
空を見上げる。
空は雲一つない綺麗な青色だった。
*
街まで後もう少しだ。
街といっても大都会とまではいかないが、ここらでは一番発展しているところだ。
果たしてここはどうなっているかな?
「……はは、ここも余り変わっちゃあいないな」
パッと見た感じいつもの街だ。
商店街みたいに様々な店や会社などがそこかしこに……。
「いや」
――少し、寂しいか。
いつもは往来が多いが、今はポツポツと数人しかいなかった。
よく見ると店はどこも閉まっているか、店番がいなくて放置されているようだ。
「……」
しばらく辺りを見回しながら街を散策する。
街路は表立って変なところはなかったが、路地裏には一人の女を複数の男が囲っていたり、男がピクリとも動かないで倒れていた。
そのような光景は決して少なくはない。
表は静かな街と化していたが、裏では皆やりたい放題だ。
「荀子の唱えた性悪説ってのは、あながち間違いじゃなかったのかもなあ」
あれ、でも荀子の言う悪は違う意味だったか。
そんなことを考えながら歩みを進めると、ふとあるお店が目に止まった。
「あれ、弁当屋のおばちゃん」
「あら、こんにちは。珍しいわねえ、こんなところまで」
高校の学食が余り好きではなかったので、よくお昼に買っていた弁当屋さんだ。
夜勤が多い母さんも大助かりで、本当にお世話になったものだ。
「やっぱり珍しいですか」
「そうねえ、家族や恋人とゆっくり過ごす人が多いみたい」
な、なるほど。
後半が特に俺の心に刺さった。
「それなら何でお店やってるんですか? その必要ももうないのに」
「ふふ、変わらない日常を大切にしようと思ってね」
「俺の父さんも似たようなこと言っていましたよ」
「あらそうなの」
どっ、と辺りに笑いが起こる。
この人と話すと、心が落ち着くな……。
「そういえば、もう昼過ぎだけどお昼ご飯食べた?」
「あ、あー」
しまった、昼飯のことを忘れてた。
「良かったら弁当、持っていっちゃって」
おばちゃんが弁当を取り出し始める。
「あ。じゃあいつもの――」
唐揚げ弁当で、と言おうとしてふと気づく。
しまった、財布も忘れてた……。
「あの、今財布を家に置いてきちゃって……」
それを聞いたおばちゃんは可笑しそうに笑うと、
「いいわよお金なんて。ほら、いつもの唐揚げ弁当」
そう言って袋に弁当を入れ、俺に差し出す。
「まあ、そうですね。すみません、頂きます」
おばちゃんから弁当を有り難く受け取る。
「温かいですねえ……」
弁当はほかほかと温かかく、少し肌寒い体に染み渡る。
「そういえば、電気が今どこでも使えるのは日本だけらしいわよ」
「え、そうなんですか?」
「人々の生活を支えてきた自分の仕事に誇りがあり、最後まで続けたいという人が多いみたい」
「うわぁ、かっこいいですね」
大勢の人間の苦労に改めて感謝しかない。
弁当から漂う良い匂いからか、急に腹が減ってきた。
「そろそろ俺行きますね、本当にありがとうございます」
「いいのよいいのよ」
袋を右手にぶら下げる俺を見たおばちゃんは、
「こうして君に弁当を渡せたのだから、やっぱり今日も営業して良かったわ」
ふふ、と微笑みながらそう言った。
*
「あー、疲れた」
あれから公園で弁当を食べた後、俺は特に何かあったわけでもなく、ただのんびりと歩き回っていた。
もう十分、何と言うか。
自分の見てきた世界を振り返れた。
――これでもう、やり残したことは無いかな。
「無い……よな」
無い、と自分に言い聞かせるも。
あと一つだけ、心の奥で引っかかっていることがある。
いや、こればっかりは俺一人の話じゃないし、うん。
やっぱりあっちも迷惑かもしれないし!
「……はあ」
何故だかため息が出る。
……そろそろ戻るか。時間も夕飯三十分前といったところだ。
家に帰ろうと歩き出したその時、
「こんなところで何してるの?」
突然、背後から俺を呼ぶ声が聞こえる。
またこのパターンですか。
しかもこの声は……。
「……久しぶりじゃない」
振り返ると、そこには俺の幼馴染がいた。
その姿は、夕日をバックにしているからなのか。
とても眩しくて。
――はあ。
えーい予定変更だ変更。
やり残したこと、向こうから来たよ。
*
「綺麗な夕日だね」
「ああ、そうだな」
家が近所で、小中高ずっと同じ学校。小さい頃からよく一緒に遊んでいた幼馴染。
そいつと一緒に、俺達は近くの高台にいた。
そこから見える夕日は淡いオレンジ色に光っていた。
「あ、あれかな。あの白いの」
幼馴染が空を指差す。
「あー、あれは一番星じゃないかな」
空には白い点がポツンと一人輝いていた。多分金星だろう。
「じゃあまだか、見えると思ったんだけどなあ」
ちぇー、って顔をしながら幼馴染は視線を下にやる。
上からは街全体がよく見えた。
「外は人通りが少ない、……やっぱり、本当なんだね」
幼馴染は心配そうに小さく呟く。
「いいやどうだろ? 信じてない人も結構いるみたいだよ。逆に最初から信じてた人は宗教にどっぷり嵌ってるらしい」
急に手のひら返して信仰されても、神様もいい迷惑なのだろうか。
「へー、結局は神のみぞ知るって感じだね」
幼馴染は顔をこちらへと向け、両手を背中でクロスさせる。
「それで? あんたはどっち派なの?」
「俺は信じてるよ、というか来てくれないともう大学受験取り返せないぞ」
「ははは、何だそれ!」
可笑しそうに笑う幼馴染。
何が可笑しい、って思ったが、今日初の幼馴染の笑顔が拝めたので良しとした。
ここ最近元気なかったもんな、お前。
「じゃあ、ここ最近何してた?」
「友達と遊んだり、ためてた本読んだりゲームしてた」
後は嫌いだった物理の教科書燃やしたりして遊んでたな。背徳感すごくて気持ち良かった。
「ふーん、あんたらしいね」
何か言いたげそうな顔だ。
な、何だよ。特別何かしなかったよこの野郎。
「そういうお前は何してたんだよ? そもそも信じてなかった?」
何か言い返してやろうと尋ねる。
「私は……」
幼馴染はそっと俯く。
「ずっと……ベッドで寝てたかな、一人。何か、何をするのがいいのか、どうすれば正解なのか、よく分かんなくて……」
そう言うと、あははと乾いた笑いを漏らす。
「……そっか」
俺はそう返事をすることしか出来なかった。
――幼馴染がああ言ったのは無理もない。
人間、突然の出来事に柔軟に対応するのは難しいものだ。
現に不安に駆られてパニック症状におちいった人は少なくなかった。
「……でもね、一つ、見つけたの。やらなきゃいけないこと。やらないと、ずっと、ずっと後悔すること」
そう言うと幼馴染は、覚悟を決めたかのか凛々しい表情で口を開こうと――。
「――待て」
「え?」
「それは、俺がやるべきことだ」
大変申し訳ないが、俺は幼馴染を制止する。
危ない、ずっとタイミングを伺っていたのに。
「……ふぅー」
俺は息を深く吸い、数秒止めた後、ゆっくりと吐く。
分かっている。
恐らく……いや、言ってしまえさえすれば確実に成功する。
決して驕りではない。長年の付き合いによるものだ。
向こうも俺が言わんとしていることを、半分分かっているだろう。
――さあ男を見せろ俺。
今まで散々悩んだろ?
本当に言ってしまっていいのか。
悩んで、悩んで、やっと答えを出して。
……脳内練習はたくさんやった。
「俺は」
幼馴染に一歩近づく。
その顔は、期待と不安で一杯だ。
後は、言葉にするだけ。
「俺は、お前のことが!!」
――好きだ。
そのたった三文字の言葉は、少しだけ辺りに響く。
「……言うのが遅いよ。ばかぁ」
幼馴染の目から涙が溢れる。
こぼれた涙は頬をつたり、夕日が反射して綺麗だった。
「……ごめん、ちょっと迷ったんだ」
「え?」
「お互い、もっと辛くなっちゃうかもしれないって思って」
それは、告白が成功した後の話。
折角思いが通じ合った二人が、残り少ない時間をどう過ごせばいいのか。
いっそあいまいにしたほうが良いのではないか、と。
「私は……寂しかったよ」
そう言って幼馴染は俺の胸に顔をポフッと預ける。
「……そっか」
俺はそっと幼馴染を抱きしめた。
もっと早く言えば良かった、何て後悔はもう遅い。
俺のせいで、傷つけてしまった。
「その、ごめ――」
「でも」
謝ろうとするも、幼馴染が言葉を遮る。
「でも、それならどうして結局、好きって言ってくれたの?」
体を預けたまま、幼馴染は上目遣いで聞いてくる。
そしてキュッと俺の服を掴んだ。
その手は少し震えていた。
「……もしも来世があるのなら」
抱きしめてた腕に力を少し込める。
「生まれ変わっても、お前に会いたかったから。縁を作っておこうと思って」
……照れくさくなってつい顔を上げる。
我ながら恥ずかしいことを言ったぜ。
「そ、そっか。えへへ」
頬をポリポリ掻きながら、幼馴染も照れくさそうに笑った。
「後ぶっちゃけるとお前のことが好きすぎて気持ち伝えずになんていられなかったから」
ぶっ!! っと幼馴染が突然噴き出す。
さっきまでの甘い雰囲気はどこへやら。
また頭を俺の胸に預け顔を隠すと、両手で交互にポスポスと殴り始める。
いや、あなたも同じ事言ってましたよね?
俺の事――って。
「そういえば、まだ聞いてないよ」
「え?」
「へ、ん、じ」
「あっ! えっと……」
幼馴染の顔がみるみる赤くなる。
一足先に言い切った俺は高みの見物。
ほーれ、はよ言えはよ。
「あ、あの…わた私もあんたのことが……」
「ことが?」
「す……すき、です、……よ?」
何故に疑問系。
「おい、最初のほうの凛々しいお前はどこいったんだ」
「うるさい! あんたが途中で邪魔したから……」
幼馴染の声が段々と小さくなる。
う、それはちゃんと謝らねば。
「あーそれに関しては本当に悪かった。ごめんっ」
両手を合わせ、頭を下げる。
「ふ、ふん! 乙女の勇気台無しにしちゃって。許さないんだから!」
幼馴染は俺の謝罪を受けてぷりぷり怒り出す。
「は、はい。反省してます、すみませんでした」
俺は誠意をこめてもう一度謝る。
こうなったら謝り続けるしかない。
幼馴染は俺の方をチラッと見ると、
「で、でも。でもね。……その」
少し間を空けて。
「恋人っぽいことしてくれたら、許してあげないこともない、よ?」
そう言うと、俺の顔に向かって目を瞑る。
「うえ、あ、ちょっと」
ここ、これっていわゆるあれだよな?
いかんめっちゃ恥ずかしい!
――あ!
よく見たら背が届かないからか、ちょっと背伸びしてる! 可愛い!
変な事を考えていたら、幼馴染が片目を少し開けて「早くして」と訴えてくる。
レディを待たせるとは男として失格だ。
「……よし」
最初で最後かもしれない恋人らしいこと。
一生の思い出は、大切にしたい。
まず両手で幼馴染の肩を掴み、安定させてあげる。
そして、その唇に向けて――。
*
「ただいまー」
無事家に帰りましたよっと。
「おかえりーお兄ちゃん。どうだった外は?」
「何か静かに物騒だったよ」
「何それ怖い!」
ひいー! ってしている妹の横を通り過ぎ、洗面所へ。
蛇口を捻り、ジャーっと出る水で手を洗う。
「……」
今思えば、未だに水が出るのも日本らしいな。
知らぬ人の努力に感謝の念を抱きつつ、リビングへ戻る。
「どうだったお前の生きてきた世界は」
父さんはコーヒーカップを持ちながらソファに腰をかけていた。
まさか今日ずっとコーヒー飲んで過ごしていないよな?
「何と言うか、色々感慨深かったよ」
「そうか」
俺の方に視線を向けると、
「自分の足で人生を振り返れるのは、寝たきりのじいさんには出来ない。若い奴の特権だ」
カップにコーヒーをつぎながら、そう言った。
――ああ。
だから、あの時父さんは賛同してくれたのか。
「……父さんは、しなくて良かったの?」
「父さんはいいんだ、家が俺の人生だから」
そう言うとコーヒーに口をつける。
……か、かっこいい。
一家の大黒柱は言う事が違う。
「はーい晩ご飯出来たわよー。あ、おかえり。……怪我はしてないみたいね、良かった」
「ただいま、今日は何かなっと」
お、この匂いは。
「カレーだーー!」
いつの間にか俺の背中から見ていた妹が叫ぶ。
「あんた達カレー好きだからね、まあ私とお父さんもなんだけど」
家のカレーは母さん特製なので俺にとっていわゆるお袋の味だ。そしてその味はめっちゃ美味い。
ちなみに甘口。小さい頃から食べれてずっと好きだった。
今日はカレーで良かった。だって……いや、言うのはやめとこ――。
「これが本当の最後の晩餐……」
「やめろ。俺も思ったけどやめろ」
妹がズバッと言い放つ。どんな時でも平常運転だ。
くそ、こいつが将来どんな大物になるのか気になるのに。
「はーい皆座って。座ったねー? それでは、いただきます」
「「いただきます」」
「いただー……きます!」
スプーンを手に取り、カレーを一口ほおばる。
「ふむ」
噛むたび口の中に甘みが広がる。
うーん美味い。やっぱカレーは母さんのに限る。
しばらく夢中になって食べた。
「「「ごちそうさまでした」」」
「はい、お粗末様でした」」
母さんが嬉しそうに微笑む。
皆で皿を台所に運ぶのを手伝った。
「はいありがとう。片付けはー……まあ、いいかしら」
「そういえば」
時計を見て時間を確認する。
長針はかなり遅い時刻を指していた。
「もうこんな時間か」
「……そろそろだな」
父さんは椅子から立ち上がり、玄関に歩き出す。
「外に出てみる」
「あ、私も行くー」
妹が父さんの後を追う。
「私も行こうかしら」
妹の後を母さんも追う。
俺は……。
「……俺も、行くか」
外に出て見ると、意外と人がたくさんいた。
やっぱり皆気になるみたいだ。
俺は夜空を見上げてみる。
探し物はすぐに見つかった。かなりここから遠くにあるように見える。
「ほお、壮大だな」
「でっけー」
父さんと妹も見つけたのか、驚きの声を上げる。
「……あれが」
遠くに見えたのは、視界の端から端まで空一面に広がる闇だった。
夜の闇ではない、星がそこだけ見えないのだ。
では何の暗闇なのかというと、至極簡単な話。
――空を岩が覆っているから。
「あれが、……巨大隕石」
*
数ヶ月前、巨大隕石の存在は突如アメリカにより世界に告げられた。
余りの出来事に世界中がパニックになり、誰にも止められなかった。
しかし時間と共に皆自らの運命を次第に受け止めてきたが……。
「おいおい本当に来た……」
「怖いよー! 母ちゃんー!!」
「……嫌ね」
「い、いたいのかな。しししんじゃうのかな」
「や、やっぱり来ないだなんて噂嘘だったんだ!!」
周りから段々と声が聞こえてくる。
ここ一ヶ月近くはもうパニックになる人はいなかったが、さすがに目の前にすると無理そうだ。
直径3000km
衝突速度50km/s
密度8000kg/m^3
入射角80°
隕石名は最後まで決まらず、『巨大隕石』と自然に呼ばれるようになった。
このレベルの隕石が地球に衝突すると、計算上地球は溶けるらしい。
「まあ朝から少し見えたけどな」
父さんがそう呟く。
朝の時点で見えたら超スピードだから昼頃に着くと思うが。
「本当それ? 見間違いじゃない? まああったとしても朝から見ようとは思わないけど」
「今は何だか止まって見えるねー」
「あー」
妹の指摘で改めて見ると、余りにでかすぎるからか確かに接近しているように見えない。
「本当だ、不気味で嫌だな」
「後真っ黒だー」
「衝突直前は摩擦熱で隕石が白く見えるらしいぞ」
「それは違う」
「え?」
否定したのは父さん。
どこに持ってたのか新聞を俺に見せてくる。
「隕石により空気が圧縮される、断熱圧縮で熱を持つんだ」
「マ、マジですか。あれれー……」
「兄ちゃん恥ずかしー」
「悪かったって」
もはや隕石特集と化した新聞を読み続けた父さんには敵わなかった。
摩擦説違うのか……そうか……。
「そういえばこの前ニュースで言っていたロケット作戦はどうなったのー?」
「隕石がデカすぎて無理らしいわよ。もし爆破に成功してもバラバラになるだけだって」
今度は母さんが答える。
ロケット作戦とは、その名の通り世界各国が協力して技術を結集させ、隕石をロケットで爆破する作戦だ。
他にも様々な作戦が考慮されたが、最後の作戦は「神に祈れ」だった。
「初めて世界が手を組んだのにな……」
人類の技術も、隕石には敵わない。
自然災害にもまだ勝てないのに、宇宙に勝てるわけがなかった。
「まあ何にせよ隕石が家の真上に落ちなくて良かった。この大きさだと、隕石で隠れて朝から太陽拝めないからな」
父さんはそう言ってスマホで写真を撮り始める。
この人余裕だな本当に。
……でもまあ確かにその通りだ。
最後の日に常に隕石を意識するのは精神的にキツい。
「……」
――いや。
常にじゃなくても、今現在これから全人類を殺すあの物体を見るのは少しはばかれた。
「俺、家に戻るわ」
「そうか、無理して見るものでもない」
家に一人戻り、そのまま二階の部屋に上がる。
少しベッドで横になろう……。
待て、俺の残り時間も少しだ。
あーでも寝ながら死ぬのは楽か? うーん……。
「痛っ!?」
考え事しながら歩いていたら、大学受験の参考書の山に足をぶつけた。
「くっそーまたかー、……あ」
当たった拍子か、床に去年の冬模試の結果用紙が落ちていた。
「……」
俺はそれを拾い上げる。
高二の夏受けた模試は第一志望の大学はD判定だったが、この時はA判定になっていた。
……結局、受験勉強サボって遊んでいた奴らが勝ち組だったな。
模試結果をビリビリ破ると、それをゴミ箱に捨てる。
「とうっ!」
変なテンションでベッドにダイブ。
心が落ち着かない。
体はこんなにピンピンしているのに、一体後どれくらいまで生きられるんだ?
……やめよう考えるのは、少し落ち着け俺。
いや落ち着けるわけないだろ!?
「……はあ」
ゴロンと仰向けになる。
心の中はゴチャゴチャだ。
視界にある言葉が目に入る。
それは自分を鼓舞するために壁に張った座右の銘。
『今日を糧に明日を生き、明日を糧に未来に生きろ』
「――ハッ」
部屋の窓から隕石を見上げる。
今では何て酷い言葉だ。
明日を迎える人がいないのなら、それは明日がこないことと同じじゃないか。
……。
……ああ。
「でも、そうだよな」
人はいつだって今を懸命に生きて、未来に希望が満ちていた。
俺達にもう未来はない。
でも、過去を振り返ることは出来る。
懸命に生きてきた人生を、振り返ることは出来る。
「……」
天井をボーっと見ながら、思い出す。
家族のこと。
幼馴染のこと。
友人たちのこと。
小学校、中学校、高校のときのこと。
辛いことなんてたくさんあった。まあ今が一番辛いけど。
怒ったことは今となればしょうもないことばっかりで。
悲しいことは、時が過ぎれば自分の強さになった。
楽しいことは一杯あった。どれよりもあった。
俺にはもったいないくらい素敵出会いってやつがたくさんあった。
――自分の人生はどうだった?
どこからか、俺の声で質問してくる。
「最高だったよ」
一人きりの部屋で静かに呟く。
窓から光が差してくる。
隕石が、白く光っていた。
俺はそっと目を瞑り、深く、そして静かに深呼吸し続けた。
――その時が来るまで。
END
世界が少し落ち着かなかった日 いんびじ @enpitsu-hb
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