「水龍と火神鳥」閑話:湖の畔にて

 母さまが人の姿をとるのを初めて見た。

 随分と酷い態度で母さまを怒らせた(と兄さま姉さまから聞いている)、先代『ヤツ』の後継者だと言うアイツも、ひとのことを見縊ってからかう、嫌な奴、だ。


 存在は感じていたけど、森の中でアイツを見たときは心底びっくりした。

 人が、次代の主なのかと本気で思ったほどだ。

 案内役のわたしに「連れてってくれるのか」とキラキラした赤い瞳で問い詰める姿は、とても主の威厳など見出せるものではなかったし、尊大な態度よりはマシかなというだけで、母さまを脅かす存在だとは到底思えなかった。

 だから、ちょっと迷ったけど、アイツが一緒に来ても問題無いとわたしは判断したのだ。


 母さまが連れて来いと言ったのは、人の子の娘。

 年頃の娘にしては珍しく、わたしを見ても怯えたり逃げ出したりしない。

 腕に巻き付いても少し驚いたくらいで、払ったり危害を加えたりしようとしない。とても、好感度の高い相手だ。

 母さまは言った。いつも一緒に男がいるはずで、娘が勝手にいなくなると怒り出すだろうから、出来れば一緒に連れて来いと。

 男は誰かを呼んだようだった。まだ、誰か居るのか。この人数を連れて行ってもいいものか。わたしは少しだけ焦っていた。


 男の呼んだのは年寄りの男だった。人の癖に、ずいぶん強いと私でも感じる。

 まぁ、母さまには全然敵わないけどね。

 その年寄りが嫌な奴に悪さはさせないというので、わたしは仕方なく全員を引き連れて母さまの元へ向かったのだ。


 洞窟の中でアイツは炎で明かりを作り出した。

 それは別にどうでもいい。

 問題は、娘の為にと作り出した炎の小鳥が、わたしを舐めるように、馬鹿にするように掠めたことだ!

 わたしはまだ上手く魔法を使えない。けれど、母さまから主のなんたるかを学んで日々主候補になれるよう頑張っている。

 それを、こんな、主の威厳の欠片も無い奴に馬鹿にされるなんて!


 憤慨していたら、娘がわたしの気持ちを汲んでくれた。

 嫌な奴の頭の目の前に差し出されて、何をするべきかこれっぽっちも迷わなかった。

 思いっきりつついてやって、少しだけ気持ちがすっとする。

 人の姿のアイツの髪はなんだかふわりとお日さまの匂いがしていた。




 母さまの所まで娘を連れていくと、なんでアイツまで連れてきたのかと叱られた。

 一応事情を話してみたが、失態は失態だ。言い訳はせずにおとなしく引っ込む。

 ――と、見せかけてそっと岩陰から様子を窺っていた。

 あんなでも主だし、先代みたいに母さまに暴言を吐かないとも限らない。わたしは心配なのだ。


 そうして見ていると母さまがアイツと会ってもいいと言った。と、同時にアイツの気配が近付いてくる。わたしに言った通り、人の姿のままだった。

 馬鹿じゃないの。母さまも呆れるに違いない。

 けれど、母さまはとても驚いて、溜息はついていたけどどこか感心したようだった。

 なんで? どうして? あれのどこが!


 母さまは話を進めるうちに、アイツに興味を持ったようだった。『ヤツ』と同じ種族のはずなのに、言葉を交わす度トゲが取れていく。

 母さま! 騙されてはダメです! そいつも、嫌な奴なんです!

 飛び出していきたくとも、飛び出せば叱られるのはわたしだ。それくらいは解っている。

 母さまはアイツに元の姿に戻るように促した。

 アイツは少しだけ躊躇ったけど、すぐに姿を変えて飛び立った。


 その躰に薄く金の炎を纏って、暗い洞窟の中でそこだけぼんやりと輝く姿は嫌でも目を引く。人の姿の時にはどこにあるのかよく分からなかった、魔力の結晶ともいえる石はその額に2つ、しっかりと自らの炎を映して揺らめいて見えた。

 


 半ば呆然とその姿を目で追っていた。

 ゆったりと旋回しながら、こちらを見る瞳。

 どうしよう。母さま。アイツはどんな魔法を使ったの? あんなに嫌な奴を、綺麗だと思うなんて。


 母さまがアイツに魔法を放つ。お遊びのように、誘うように。

 それをアイツはひらりひらりと避けていく。くるりと回転する度、火の粉が舞った。

 母さまも真剣じゃない。真剣にやったらここが崩壊してしまう。解っているけど、それでも1つも掠りもしないことに驚いていた。

 やっと当たった攻撃は、避けもせずに受け止めたものだ。娘に向けられた攻撃も別の魔法で受け止めた。

 そうして、そうして。彼は人の姿に戻って言った。やめよう、と。


 母さまがその言葉に喜んでいるのが解る。アイツが『ヤツ』とははっきり違うと解って喜んでいる。

 そこで、わたしは初めて母さまが人の姿をとるのを見た。

 人の姿で、そっとわたし達を慈しむようにアイツに触れる。人の姿ならば、あの炎に焦がされることはないのか!


 色々衝撃を受けているわたしに、最後の衝撃が走った。

 アイツは母さまを綺麗だと言った。あんなに綺麗なモノは見たことが無い、と。

 そうだ。母さまは綺麗だ。その通りだ。間違ってない。間違ってないのに、わたしはショックを受けていた。

 アイツは母さまの攻撃を避けている時、娘の方には行かなかった。そして、私の方にも。アイツにとってわたしは娘と同等の弱いモノで、相手にもしてもらえない。

 それが、とてもとてもショックだった。


 その後はただ惰性でその場に留まっていた。

 母さまが娘のくれた飲み物らしきものを、もう1度人の姿をとって飲み、アイツに「この味に慣れては後が大変だぞ」と忠告するのもぼんやりと聞いていた。

 皆が帰る時、母さまがわたしを呼んだけど、どうしてかわたしは動けなかった。

 こんなことではいけない。わたしはいつか主になるのだ。母さまのように強く美しい主に。

 そう思っていても、動けなかった。


 結局、帰りの案内は別の者が行ったようだった。

 後悔のような、自己嫌悪のような、黒々とした感情に囚われていたわたしを、母さまは岩の陰から咥え上げ、母さまの寝所に連れて行ってくれた。


「お前が役目を放棄するとは珍しい。それ程ショックだったか」


 母さまは特に怒った風もなく、楽しそうにそう聞いた。

 母さまもわたしがずっとあそこにいたことを知っていたのだ。


「なりたてでも、幼く見えても、主は主。あれはまだまだ強くなるぞ。負けていられんな」


 母さま。わたしはスタートラインに立ててもいません。


「話を聞いていたのだろう? あれが我を初めて見たのも、主候補になる前だと。願えば、叶うやもしれんぞ? お前は努力しているのだから」


 母さまは随分長生きだ。この世の主達の中で1番永く生きているかもしれない。

 母さまが代替わりするのはいつだろうか。それまでにわたしは主候補にまでなれているだろうか。


「あれはまた来ると言っていた。来ると言ったら来るだろう。お前が出迎えて、知らせに来ておくれ。他の者では角が立ちそうだ。向こうが何もしないというものを、こちらから突っかかっては外聞も悪い。頼んだぞ」


 母さまに頼まれれば嫌とは言えない。今日の失態も取り戻さなくてはならない。

 わたしは何だか複雑な気持ちで、その仕事を引き受けたのだった。


 ◇ ◆ ◇


 その日も暑い日だった。

 湖を渡る風はいつも少しひやりとしていて気持ちいいのに、その日は全く風が吹いていなかった。

 こんな日は洞窟の奥でじっとしていたいものだが、こういう時に限って要らない客が来るのだ。


 火の山の方からアイツが近付いてくる。

 いつも気にしているからか、随分早くに気付けるようになっていた。

 嬉しいような、悔しいような……

 わたしは涼しい洞窟から炎天下の崖の上へと向かう。そこがアイツの降りる定位置となっているからだ。


 今日は母さまはいない。

 滅多にないことなのだが、たまにふらりとどこかへ行ってしまうことがある。そのたまにが今日だったのだ。

 アイツはがっかりするかもしれないが、いないことを告げてさっさと帰ってもらおう。


 母さまから眷属に通達はされたが、長年の恨み辛みや、植え付けられた恐怖心はそうそう無くなるものではない。アイツがこの辺をうろうろするだけで、一部は小規模なパニックを起こすのだ。

 幸い、アイツは降り立つと人の姿を取るので、強さを感じ取れぬ者達はその姿を見てもすぐには気付かない。気付けるものは気配を感じると姿を隠すので、今のところトラブルが起きたことは無かった。


 伝令役を任されたわたしに、兄さま、姉さま、友人までもが心配と同情と少しの嫉妬を寄せた。

 もっと力のある者をその役に、と母さまに進言した者さえいると聞いた。

 母さまに命令でもされない限り、わたしはこの役を手放すつもりは無い。それが少し面倒臭くて、少し心の痛みを伴うものだとしても。


 崖の上で優雅に旋回するその姿を眺める。空からの眺めとはどんなものだろうか。

 木のてっぺんまで登って見たことはあるが、それと似たようなものだろうか。

 直射日光に当たってぼぅっとし始めた頭でそんなことを考えていると、不意にアイツが向かい側の森の中に降りていった。

 しばらく茫然とする。

 なんで、今日に限って、いつもと違うことをするの!?


 わたしは焦った。

 あちら側に渡るのに、森を回っては時間が掛かりすぎる。かといって湖を突っ切れる体力があるかどうか怪しい。

 ……泳ぎは少し苦手だ。

 決められなくてオロオロしているうちに、アイツがまた飛び立つのが見えた。今度は真っ直ぐこちらに向かってくる。

 ほっとした。

 今日はその朱い炎がいつもよりちかちかと煌めいて見える。

 崖に降り立つときには神々しくも白く白く輝いて――


 ◇ ◆ ◇


 水の匂いがする。

 強すぎないそよそよとした風が、躯の熱を奪っていってくれるようだ。気持ちいい。

 何故か伸びきっている躯をくるりと巻こうとして、砂地と少し向こうに水が見えるのに気が付いた。

 あれ? と首を傾げていると誰かの声が降ってくる。


「気が付いたか? あまり、驚かすな」


 崖から崩れて落ちた岩の上に胡坐あぐらをかいて、ぽりぽりと何かを食べている人が――人型の、アイツが赤い瞳で見下ろしていた。

 わたしは文字通り跳び上がった。

 何が起こったか解らない。わたしは何をしていたんだっけ。


「俺を出迎えに来たんだろう? あそこは日陰が無いからな。陽に当たりすぎて具合が悪くなったんだろう。俺には解らないが、そういうこともあるとユエが言ってた」


 よく見ると、ここは崖下の浜で、わたしは日陰に寝かされていたようだ。


「そういうときは身体を冷やすと良いと言ってたから、とりあえず水に漬けて風を送ってみたんだが……まだ調子が悪いなら送っていくぞ?」


 棲家での大混乱を想像して、慌ててわたしは首を振った。

 母さまがいない時にそんなことになったら!


 か、かかか母さまは出掛けている。わたしはもう大丈夫だから、ええっと、ええっと……


 すぐ帰れでは失礼だ。こういう時、なんて言えば良いんだっけ?


「知ってる。気配が無い。まぁ、来ちまったしな。ユエから預かり物もあったし」


 そう言ってアイツは小さな包みを私の前で小さく振った。甘い香りがしている。蜂蜜?


「いつも同じ奴が出迎えてくれると話したら、世話になってるんだから持ってけって。食えなかったら俺がもらっていいことになってる」


 彼はちょっと期待を込めた瞳で見て、その包みを開けた。

 覗き込むと乾いた土塊つちくれのような、丸くて平べったい物が幾つか入っていた。

 匂いを嗅ぐと蜂蜜と木苺のような匂いもする。我等は結構雑食なので食べられないということはないだろうが……

 恐る恐るひとつに齧り付いて、ほどよい大きさに割ると、呑み込んだ。それはすぐに崩れて溶け、ほわりと甘い。

 なにこれ。美味しい。


「食えそうだな。なんだ」


 ちょっとつまらなそうに口を尖らすと、火の山の次代は鞄を開けて何かを取り出した。


「食えなかったらと思って、寄り道してきたのに。ついでだ、これも」


 次代はしゃがみ込んで、茎の細い野の花を1輪わたしの首に巻いて、きゅ、と縛り付けた。

 赤い瞳が繁々と私を眺め、それから少し細められた。


「あぁ、確かに似合うな」


 まるで誰かに聞いてきたような口ぶりに、わたしは首を傾げる。


「ユエがな、案内してくれた奴と同じ奴が毎度出迎えてくれると聞いて、河原で会ったのも同じ奴なんじゃないかと。それなら花が好きなはずだから、食べ物が駄目ならそれを持ってけって言ったんだ。で? そうなのか? 河原の話は俺は知らないからな。判別が付かん」


 何だかまた目の前がチカチカしそうだった。今まで余計な話など殆どしなかったので、我等の区別などついてないと思っていたし、花が似合うと言われるとも思ってなかった。

 確かに母さまに驚いてる彼女から小さな花輪をもらったのはわたしだし、花は大好きだ。彼女に似合うと言われてとても嬉しかったのを憶えている。

 だから、案内役を買って出たのだ。もちろん母さまの役に立ちたかったというのもある。


 もう驚けばいいのか喜べばいいのか、恐縮すればいいのかさえ判らなくなって、恥ずかしいけれど、子供のようにこっくりと頷くことしか出来なかった。


「そうか。わかった。ユエに伝えておく。上まで連れて行った方が良いか?」


 小さな包みを包み直しながら、次代は聞いた。


 大丈夫。わたしだけなら通れる道はいくらでもある。


 虚勢を張って、ようようそう告げると、彼はそうかと背を向けた。

 あの心臓を撃ち抜いてやりたい。

 わたしばかりがいつも撃ち抜かれている。

 狙いを定めて、気持ちだけ全力で撃ち出した。


「あ、そうだ」


 くるりと振り返ったアイツの胸元にポツンと何かが当たり、小さな染みが出来た。

 キョトンとそれを見下ろすアイツとは対照的に、わたしは鱗という鱗が剥がれて跳び上がって、パラパラと落ちていくような感覚になるほど恟然きょうぜんとしていた。


 今! いま! 意識を失うなら、今この時! ああ、いや、ダメだ。そんなことになったら棲家まで運ばれて、大変なことに……!

 あぁ、どうしよう。何でこんな時に! どうしてこのタイミングで?! 今日は厄日なの? 幸運日なの?

 今まで出来たことなんてなかったのに! 伝令役の私が、他の主をするなんて!


 威力なんて全くない。ただ服を濡らしただけ。それでも手を出さぬと約束した者に攻撃を仕掛けたことに変わりはない。

 わたしは泣きたくなった。

 何より、もう伝令役が出来ないかもしれないということに。

 石像のようになっているわたしをじっと見て、アイツはにやりと笑った。


「やりたいってか? まだ、早ぇな。まず、夜はちゃんと寝て体調を整えろ。俺は夜は目立つからな。こっそり散歩することはあっても訪ねては来ない。それと、暑いうちは待ち合わせはここにする。そうそう倒れられてはかなわないからな」


 じゃあな、と今度こそ飛び立って、嵐のようなひと時は終わりを告げた。

 ……母さまになんと報告しよう? ありのままに話して大丈夫だろうか。

 いや。いいや。話さなくてはならない。失態を犯した責任は自分自身でとらないと。

 深く深く息を吐く。


 夜もアイツの気配を探っていると、どうして分かったのだろう?

 と、いうか、殆ど全部お見通しだった。

 主は主。母さまの言葉が蘇る。

 あぁ、早く追いつきたい。早く早く。

 あの、美しい光のもとへ。




― 「水龍と火神鳥」・終 ―


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※そして想いは廻る――


ここまでお付き合い頂き有難う御座いましたm(_ _)m

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蒼き月夜に来たる ながる @nagal

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