ゴエモンのねがいごと
お風呂の乱を平定した後は、体を拭いて髪を乾かすという作業が待っている。
暑いから服を着るのは嫌だと
それにしても、と俺は膝をついてドライヤーをかけてやりながら――火照った体を冷やすため、フローリングにべったりとうつ伏せになっている五右衛門の背中を見下ろし、ため息を吐いた。
シベリアンハスキーが人化すると、こんなすげえ体付きになるのかよ。筋肉ムッキムキ、骨格もガッチガチじゃねえか。
食べるより動く方が好きだったせいで痩せ気味だと動物病院でよく言われていたし、お風呂上がりだって驚くほど細かったのに……まさかここまで筋肉が発達してるなんて思わなかったぜ。
そこで俺は五右衛門に、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「なあ、五右衛門……お前、何でわざわざ人間の姿になったんだ? 前と同じ、犬じゃダメだったのか?」
「ダメじゃなかったよ! 神様が、好きなものになっていいって言ってくれたから、人間にしてもらったの」
「その、神様って……誰? 死んだお前を人にして蘇らせてくれた、とんでもない奴みたいけど……」
「神様は神様だよ! とってもエラいの! とってもすごいの! 何でもできるんだよ!」
ですよねー。
ちょいとおバカな元ワンコの五右衛門に、何やら複雑そうな事情や謎めいた存在について説明を求めたって答えられるわけがないですよねー。
死んでまた蘇る――言葉にすると簡単だけど、実際には不可能の領域だ。
それが何故どうして、何をどうやって可能になったのか、そんな込み入った部分については、もしかしたら五右衛門も知らないのかもしれない。『ちょっと蘇ってみる?』からの『わふーん(はーい)』的な流れで、深く考えもせずにポンと現世に戻ってきたんじゃないかな……おバカだから。
よし突っ込むのはやめて、話を戻そう。
「でも、どうして人間を選んだんだ? 犬のままならいろいろ面倒なことを覚えなくて良かったし、俺だって一目で気付いてやれたのに」
すると、五右衛門はぴょこんと顔を上げて笑った。
「僕ね、ずっと人間になりたかったの! 人間なら、カイくんとお話できるでしょ? 僕はカイくんの言葉わかるけど、カイくんはわかってなかったみたいから」
「そ、そうか? 大体はわかってるつもりだったけど……」
「わかってなかったよ! 遊ぼうって言ってるのにゴハンくれたり、ゴロゴロしようって言ってるのに散歩と間違えたり、全然わかってなかったよ!」
うう……そうだったのか。これは軽くめげるなあ。
「まだまだたくさんあるよ! 人間になってやりたかったこと、い〜っぱいあるの!」
五右衛門はキラキラと青い目を輝かせて語った。
「犬じゃできなかったいろんな遊びしたいし、いろんなとこに行きたいし…………でも一番やりたいことはね、僕、こどもがほしいんだ!」
「へえ、子供ね、子供…………こっ!? くぉどぉむぉ!?」
驚きのあまり、俺はドライヤーを取り落としてしまった。
「うん! こどもと一緒に家族皆で仲良く暮らして、パパさんとママさんみたいに素敵なカテーを作りたいの! ずっと夢だったの!」
…………ええええ、マジ?
五右衛門てば、そんなこと考えてたの?
あんなに無邪気で可愛い顔して、わふわふきゅんきゅんしてガキ丸出しだったのに、頭の中じゃ真面目に家族計画立ててたの?
けど……そうだよな、五右衛門だって男の子だもんな。可愛い女の子と恋したいって願望もあるだろうし、子孫残したいって本能もあるよな。
だがそれに留まらず、五右衛門は更なる爆弾発言をぶちかましてきた。
「えへへ……実はね、人間に一目惚れしちゃったんだ! だから同じ、人間になりたかったの!」
ひぃぃぃひひひっひひひひひ、ー目惚れーー!?
つつつつつまり!? 『そういうことしたい』相手が、既にいるってことですかーーーー!?
耐え切れず、俺はがっくりとフローリングに崩れ落ちた。
ちょっと待って……超ショックなんだけど。『紹介したい人がいるの』と娘に男を紹介される父の心境って、こんな感じなのか?
辛い、辛すぎる!
誰だ、誰なんだ? 俺の可愛い五右衛門が惚れた奴ってのは!
人間、なんだよな?
いつも散歩で挨拶してたチワワの飼い主のお姉さんか? それともよくオヤツくれてた近所の女子高生か? はたまた母さんか? それともシマか?
くそぅ、まだまだ子供だと思ってたのに、いつの間にか大人になっていたんだなぁ…………ぁぁあああぁぁ、ダメだ!
飼い主として応援してやらなきゃならないのに、すごく置いてかれた感でいっぱい。俺のためだけに戻ってきてくれたんだと思ってたから、自惚れに酔ってた恥ずかしさ情けなさ惨めさでいっぱい。
いっぱいいっぱいで、暫く立ち直れねえ!!
「カイくん、どうしたの? ワンコみたいなカッコして。僕のまねっこしてるの?」
両手両膝ついて打ち拉がれている俺を見て、五右衛門が不思議そうに首を傾げる。
涙目のまま、俺は頷いた。
だって言葉が出ないんだもの……まねっこだと勘違いしてくれてるなら、そのまま誤魔化して流してもらうしかできないよ……。
「だからカイくん! 一緒にたくさんこども、作ろうね!」
…………へ?
………………は?
……………………え!?
ビックリ箱から飛び出す仕掛けみたいな動きで引っくり返り、ビックリ顔を向けてみれば、五右衛門の眩しい笑顔が迎え撃つ。
「カイくんのこと、初めて会った時から大好きだったんだよ! カイくんのこども、ずっとほしいと思ってたの! 犬の時は無理だったかもしれないけど、人間になったからもう大丈夫! それに人間って、いつでもハツジョーキで、いつでもコービできるんだよね!?」
いやいやいや、ちょっとちょっとちょっと!?
かもしれなくなくなくないよ!? 犬でも人間でも無理だよ!?
何から何まで間違ってるし、どこをどう突っ込めばいいか、わからないよ!?
どうしてそこいったーー! 五右衛門!!
「そうだ! 今から作ろ!? 僕、頑張ってパパさんみたいなカッコイーパパになる!」
し、か、も!
お前がパパーー!?
てことは、俺がママーー!?
何でそうなるのーーーー!!
焦り狂っている間にも、全裸の五右衛門が四つん這いでにじり寄って来る。
ちらりと奴の下半身を見てみれば…………ひいいいい!
五右衛門の五右衛門が、五右衛門エネルギー満タンになってるよぉぉぉぉ!!
そっかー、五右衛門はモフられるよりモフりたい派だったのかー、こりゃオジサン一本取られたなー……って現実逃避してる場合じゃねえ!
しっかりしろ、俺!
このままじゃモフモフモフモフモフモフと、飼い犬に好き放題モフられてしまうぞ!
今一度、飼い主としての威厳を取り戻し、主導権を握り直すのだ!!
「ダダダメダメダメ! おおおお男同士じゃ、人間でもこここここどもできないんだよ! だからダメ! ダメったらダメーー!」
冷静さを取り繕おうとしたものの、見事失敗。裏返った非常に情けない声で舌噛んでどもりながら、それでも俺は必死に五右衛門の説得を試みた。
が、五右衛門は少しも揺らがない。
「そんなの、やってみなきゃわかんないよ! 神様も『愛があれば何とかなる』って笑いながら励ましてくれたよ!」
オイコラ、神様とかいう奴。笑いながら励ますって、完全に面白がってんだろ?
ふざけんな、今すぐ出て来て俺に謝れ!
謝らんでもいいから、こいつを止めろ!
いえ、止めて下さい! お願いですから!!
「……カイくん! カイくん、大好きーー!!」
そしてついに、五右衛門が愛の咆哮を上げながら飛びかかってきた!
「ぎゃあああああ!! 待って! 待って待って待って待ってぇぇぇぇ!!!!」
元ハスキー犬の筋力を前に、俺にできることといったら絶叫するのみ。
為すすべもなく押し倒され、組み伏せられ――――オスの本能に燃え滾る五右衛門の熱い眼差しを避けるように、俺は固く目を閉じた。
ああ、清らかだった俺よ、さようなら……。
母さん……俺、今から五右衛門にモフられます……。
新世界へと旅立つ息子を、どうかお許し下さい……。
――――ところが。
覚悟を決めて祈りを捧げていたにも関わらず、いつまで経ってもモフられるどころか、触れられもしない。
恐る恐る目を開けてみると――俺の上に乗っかったまま、不満げな顔をしている五右衛門がドアップで映った。
ど、どうしたんだ?
至近距離で顔見たら、ブサイクすぎて引いたとか? それはそれで傷付くが、背に腹は代えられん。
ブサイク万歳! ブサイク最強! ブサイクヒャッホウ!
「ねえ…………まだ『まて』なの?」
心の中でブサイクに産んでくれた母に感謝していたら、五右衛門がぼそっと漏らした。
「早く『よし』って言ってよう! 『よし』がないと、こども作れないーー!!」
あ……ああ! なるほど、そういうことか!!
あまり芸達者とは呼べない五右衛門だったが、『まて』だけは素晴らしく優秀で、どんなことがあっても『よし』の合図が出るまで動かなかった。
俺がブスすぎてやる気が削がれたのではなく、五右衛門は『待って』という言葉を忠実に守っているのだ。
偉いぞ、五右衛門!
そして躾けた俺、超グッジョブだ!!
「…………五右衛門、子供は『まて』だ。さ、服を着ような」
「ええええ!? 何で何で何で何で何でぇぇぇ!?」
「『大好きなご主人様』の言うことが聞けないのか? 五右衛門は悪い子なのかな? カッコイー人間になりたくないのかな? そんな五右衛門、俺は好きじゃないなあ?」
五右衛門の下から抜け出した俺は、紺のスカーフを手に、にっこりと笑ってみせた。
おあずけ食らって泣きそうになっていた五右衛門だったが、俺の言葉を聞くとぶんぶんと首を横に振った。
「僕、良い子だよ! カッコイー人間のパパになるんだもん! カイくんが好き好きなカッコイーになるんだもん! だからスカーフ、早くちょうだい!! 僕の大事なスカーフ!!」
あっという間に五右衛門の興味の対象は、俺からスカーフへと移った。
フフフ、おバカちゃんめ。
ふぅ……ちょっと焦ったが、こうやってキャフキャフしてると、やっぱり五右衛門って感じだな。スカーフ求めてくるくる俺の周りを回る姿も、大変可愛らしい。
よし、ご主人様を怖がらせた悪い子は、『ゴエモフ』で良い子に躾け直してやるのじゃあ!
ひとまず、このスカーフと『まて』という魔法の言葉があれば貞操の安全は確保できるのだ。ならば恐れることなどない!
ということで、俺はさっきの仕返しとばかりに動き回る五右衛門をとっ捕まえて頭をわしゃわしゃモフり、洗いざらしの香りをクンカし、服を着せた体をムギュり、気の済むまで存分にゴエモフった。
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