ゴエモンをおいてきた
「すごいね、カイくん! パパみたいに、車の運転できるようになったんだね! ぶぅんぶぅん、早い早ーい!!」
全開にした窓から身を乗り出し、五右衛門を名乗る変人が喚き立てる。
ああ、うるさい。こいつ、ボリューム下げるボタンはねえのかよ? あるなら存在ごとミュートしてやるのに!
「僕、知ってるよ! カイくん、ちっちゃい時は車のオモチャ好きだったんでしょ? 僕と遊んでくれた車のオモチャ、カイくんのだったんでしょ? ママが教えてくれたよ!」
耳に迷惑なだけでなく、首に巻いた紺のスカーフがひらひら揺れて目にも鬱陶しい。
くたびれたグレーのスエットに似合わないことこの上ないスカーフは、奴のお気に入りなんだそうだ。服を着せる時も、それだけは断固として外そうとしなかった。
そう、『着た』のではない。『着せた』のだ。
誰が誰に何をって?
俺が、こいつに、服を、だよ!
この変態野郎が、自分で服を着たことがないと抜かしやがるから仕方なく!
おいおい、嘘だろ? 今までずっと裸で生活してらっしゃったのですか? と聞いてみたらば。
「お洋服は皆が着せてくれたよ! 本当は裸の方が好きなんだ……でも、お洋服着ると皆が喜んでくれるの。カイくんもお散歩の時、いつもお洋服選んで着せてくれたよね! 可愛いっていっぱい褒めてくれて、すっごく嬉しかった!」
などと意味不明な返答をし、まるでお話になりません。以上、現場から私、
ではスタジオへお返ししますってことで、奴の言い分と俺の可愛い
原産が寒冷地の犬種だった五右衛門は、分厚い毛に包まれているせいでとても暑がりで、服を着せられるのはあまり好きじゃなかった。けれど母さんと妹のシマが張り切って、たくさんの服を買ったり作ったりして着せていた。
バカバカしいと父さんと二人で呆れていた俺も、散歩の時は汚れないようにと言い訳しながら、本音では着飾った五右衛門の可愛さを皆に見せびらかしたくて、お粗末なセンスを振り絞って服を選んだものだ。
だって、可愛かったんだよ。
ちょっと不機嫌そうな顔で服を着せられる五右衛門も、俺の美的感覚が時代に追い付けていないおかげでちょいダサになっちまった五右衛門も、なのに褒めてやるとモフモフの尻尾振って喜ぶ五右衛門も、いついかなる時も五右衛門は可愛かったんだ。
そこで俺は、ちらり、と助手席に座るクソ可愛くもないニセ五右衛門を見た。正確には、奴の首に巻かれたスカーフを、だ。
服が苦手な五右衛門だったが、紺のスカーフだけは特例として、いつも肌見離さず身に着けていた。
俺がバイト代で初めて買った、愛犬へのプレゼント――母さんに教わって、指を傷だらけにしながら刺繍なんかもして、拙いながらも精一杯の愛を込めた贈り物だ。
五右衛門はそれを理解していたようで、披露した瞬間に飛び跳ねて喜んで、早くちょうだい! 着けてちょうだい! とおねだりしてきた。
洗うために外そうとしたら、嫌だと暴れて大変だったっけ。そんなとこも可愛かったなぁ。
「わぁい、風びゅんびゅーん! お帽子、被ってこなくて良かったね! こうやって二人で顔出してたら、お帽子、僕のもカイくんのも飛ばされちゃって、一緒にパパに怒られたもんね!」
口調こそアホ丸出しだが、奴の言うことは全て当たっている。
ガキの頃の俺は車が大好きだったし、その時に買ってもらったラジコンカーで五右衛門をよく遊ばせていた。帽子の件についても、確かにそんなことがあった。
そして何より、こいつが身に着けているスカーフ。
くたびれて色褪せたそれは、五右衛門の愛用品だったものとそっくり……に見えた。
どれも大した話じゃない。
けれどそんな些細な出来事も含めて俺達家族のことを念入りに調べ、その上で、五右衛門のフリをしてるとなると……この男、とんでもなくヤバい奴なんじゃないか?
待てよ? もしかしたらストーキングの対象は俺じゃなくて、シマの方かもしれん。
あいつ、性格はクソだけど顔だけは可愛いし、昔から男取っ替え引っ替えだったからな。二十九年の人生で付き合った人はたった一人、しかもその相手に最近こっぴどくフラれた不甲斐ない兄貴と違って。
両親が数年前に北陸に移住したことは知っていても、シマが家を出て一人暮らしを始めたことまでは知らなかったのかもしれない。何せ、出て行ってからまだ一ヶ月も経ってないし。
「ねえねえ、カイくん! 特別なお散歩って、どこ行くの? 僕、早く走りたい! フリスビーある? ボールある? カイくんと『とってこい』できる!?」
愛しの五右衛門を名乗るクソ野郎が、助手席からギャンギャン吠える。もちろん無視だ。
そのまま全開の窓から落ちて消えてくれ、と願いながら、俺はアクセルを踏みスピードを上げた。
シートベルトに阻まれて願いは叶わなかったが、まあいい。すぐにこいつとはオサラバできる。
だから今は黙って堪えろ。耐え抜くんだ、俺。
ドライブすること、およそ二時間。目的地は、市内でも広大な面積を誇る公園だ。
休日とあって、予想通り人がモリモリ盛り沢山。カップル、家族連れ、友人グループなどなど……皆それぞれ思い思いに五月晴れの陽射しを楽しんでいる。
近くの駐車場に車を停め、この公園の目玉である広々とした運動広場に連れて行くと、自称・五右衛門は感嘆の声を上げた。
「わあ、ひろーい! ここ、走っていいの!? リードなしで!? いいの!? 怒られない!?」
おいコラ、思いっ切り顔を寄せるな。至近距離から覗き込むな。野郎同士イチャコラしてるみたいに見えるだろうが、気持ち悪い。
飛び退きたい突き飛ばしたい逃げ出したいの衝動三コンボを必死に堪えて、俺は引き攣り笑顔で頷いてみせた。
「いいぞ、好きなだけ走ってこい。俺はここで、お前が遊んでるのを見てるから」
「カイくん、お留守番してくれるってことだね! わかった、いってきまぁす!」
そう告げると、奴は銀の髪をふわりと翻し、広場の中へと駆け出していった。
――その時、ふと懐かしい五右衛門の香りが鼻をかすめた、ような気がした。
キャッチボールする親子や鬼ごっこしてる子供達の間をすり抜け、楽しげに走り回る奴の姿に、五右衛門が重なって見える。
広場を縦横無尽に駆け巡る五右衛門は、新しいオモチャを手に入れたみたいに夢中で――こちらを見向きもせずはしゃぐ愛犬に、少しばかりの寂しさを覚えた。
でも、嬉しそうで良かった。
また連れてきてやろう。今度はフリスビーとボールを持って、やりたがっていた『とってこい』を一緒に……。
とそこで、俺ははっと我に返った。いかんいかん、また現実逃避をしてしまったようだ。
五右衛門はもういない。あいつは、その可愛い五右衛門を騙る不届き者だ。
妄想に耽って寂しがってる場合じゃないだろ、今がチャンスじゃねえか!
正気を取り戻した俺は、細心の注意を払いながら、少しずつ移動を開始した。そして、ある程度まで離れたところで相手に気付かれていないのを確認すると、全速力でその場を立ち去った。
名付けて『ゾクッ☆虚偽だらけの大変態! ポポイと捨てるよ!!』プロジェクト、大成功!
計画命名のセンスのなさはさておき、ひとまずの安全は確保できたぞ!!
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