愛しの五右衛門

節トキ

ゴエモンがやってきた

 唖然、なんて言葉はよく聞くけど、実際に経験するのは初めてだ。


 一人きりとなって久しい家に、見知らぬ青年がいる。しかも、楽しげにリビングを駆け回っている。


 何が起こっているというんだ。

 俺はまだ寝てるのか。

 このところ疲れてたもんな。


 夢か……そうか夢なら仕方ない。



「あっ! カイくん、おはよう! ねえ、いい天気いい天気! お散歩行こ!」



 リビングの入口で現実逃避気味に立ち尽くしていた俺に、そいつは満面の笑みで駆け寄ってきた。


 恐ろしいことに、首に濃紺のスカーフ巻いただけの全裸である。


 誰か助けて、夢なら覚めて!



「ちょちょちょっと待って下さい! どちら様ですか!?」



 寝起きで掠れた声を振り絞り、俺は抱きつこうとするそいつを必死に押し戻しながら尋ねた。



「カイくん……僕のこと忘れたの?」



 途端にそいつは勢いを失くし、しゅんとしょげた。わさわさの銀髪の隙間から見えるアイスブルーの瞳が、どんどん曇っていく。



 ん? この目の色、どこかで見たことが……。



「…………五右衛門ゴエモン



 自然と、口からその名が漏れた。


 するとそいつは、勢い良く顔を上げ、再び明るい笑顔でがっついてきた。



「そうだよ! ゴエモンだよ! カイくんに会いに来たの! これからは僕が傍にいてあげるから、もう寂しくないよ!」



 ええええ……ごめん、理解不能です。



 まず、こいつが五右衛門であるはずがない。


 何故なら五右衛門は、もう十年も前に交通事故で死んでしまっているからだ――車に撥ねられそうになった、俺を庇って。



 そして何より。



「あの、俺の知ってる五右衛門は、『犬』、なんだけど……」


「うん、シベリアンハスキーっていうんだよね! カイくん、やっぱり覚えててくれた! 大好き大好き大好き!」


 いやいや、抱きつくのはやめて。それと顔舐めないで。本当に無理やだ怖い。


 自分よりデカい男に好き好き言われながら裸で押し倒されてペロペロされるなんて、地獄でしかありませんから!



「説明するね! あのね、僕、死んだの! でも僕、まだ死んじゃ駄目で、本当はカイくんが死んじゃうはずだったんだって! でもでも、僕、そんなのやだから、慌ててタマシー戻そうとする神様にお願いしたの! 僕が代わりになるから、カイくんを助けてって! そしたらね、神様、エライエライってご褒美くれたの! それでねそれでね、シュゴレーとかいうのになって、いつでも会えるようにしてくれたんだよ! だけど……」



 そこで自称・五右衛門は言葉を切り、ぎゅっと整った面をしかめた。


 一応、日本語らしき言葉を話しているが、髪や目の色からして日本人ではなさそうだ。


 腹立つことに、俺より確実にイケメン。ワイルド感と人懐こさが融合した、ワンコ系イケメンだ。変態じゃなきゃとてもモテそうなのに、ザマミ……いや、可哀想なこった。


「僕、カイくんのことずっと大好きだったけど、カイくん、どんどん僕のこと忘れていっちゃった。それに、他に好きな人ができちゃった。そんなの見てたら、苦しくて辛くて堪らなかったよ……でもね、我慢して見守ってたんだ。だけど、あの女の人がいなくなって、カイくん、すごく落ち込んでた。すごく寂しそうで、今度こそ死んじゃうんじゃないかって、心配で心配で……っ!」


 そう言って自称・五右衛門は、ワンワン泣き始めた。犬か。犬らしいけど。

 おまけに、まだ俺の腹の上に乗っかったままなんだけど。早く下りてくれないかな。


 というか、何で俺が長年付き合った彼女と別れたことまで知ってんだ? ああ、守護霊だからか、そっかあ。



 つまりこいつは、死んだ五右衛門が擬人化した姿だと主張したいらしい。



 っていうけど守護霊って、普通はオバケ的なものじゃないの? なのに、重みはあるし触ることもできるから実体として存在してるよね? 


 アンビリーバボー設定、盛り沢山の詰め放題で、ツッコミが追い付かねえよ。嘘つくにしたって、もう少しマシな言い分があるだろうが。


 となると……考えたくもないが、こいつは俺みたいな顔面偏差値も収入も平均以下のショボい野郎を狙う、特殊な性癖のストーカー変質者ってわけか。



 うわ、怖っ! どうしよう!?



「そ、そうかー、心配して来てくれたのかー。五右衛門が会いに来てくれて嬉しいよー。これで寂しくなくなるなー」


 少し考えて、俺は相手に合わせることにした。下手に否定して激昂されたら怖いやん。殴られたら痛いやん。


 こちらは三十路手前の衰え盛り、相手は成人してるかしていないかといったナウなヤング。

 俺より背も高いし、恐ろしいことに筋肉がすげえ。もうバッキバキ。裸だから、それがよくわかる。服着てりゃ知らずに掴み掛かるくらいはしたかもしれないけど、こんな間近でシックスパック見せ付けられたら、戦おうなんて気力湧きませんって。


 棒読みの言葉にも関わらず、五右衛門を名乗る裸んぼ野郎は嬉しそうにまた笑顔を咲かせた。


「カイくん、僕のこと、ちゃあんと思っててくれたんだね! 嬉しい! そうだよ、僕、カイくんのために帰ってきたんだよ! もうカイくんを寂しがらせたりしない! カイくんが喜んでくれるならずっと側にいるよ! どこにも行かない!」


 いや、むしろどっか行って。寂しくないわけじゃないけど、見知らぬ野郎に慰められたいとまでは思ってないから。



 と、そこで、俺は名案を思い付いた。



「そ、そうだ! お前、さっき散歩に誘ってきたよな? 五右衛門といえば、散歩が大好きだったもんなあ〜」


「うん! 僕、お散歩だぁい好き!」


「だよな! よし、それなら今から出かけよう! う〜んと遠くへ!」


「わぁい、行く行く! カイくんとお散歩、嬉しいな!」



 いよっしゃあ、うまいこと乗ってきてくれたぜ!



 外面は優しく微笑み、内心ほくそ笑みながら、俺はハグハグペロペロして迫ってくる自称・五右衛門の変質者を宥めすかし――取り敢えず適当な服を着せ、家から連れ出すことに成功した。

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