ゴエモンにあいたくて

 一人きりの家が、こんなにほっとするなんて。


 帰宅すると、俺は一息つく間もなく二階建ての小さな我が家をくまなく巡り、戸締まりを確認した。家が割れてるから安心はできないが、また立ち入られたら今度は何をされるかわからない。


 ああ、困った。ストーカーやら変質者やら、俺なんかにゃ無縁だと思ってたのに……やっぱり誰かに相談すべきか? それとも警察に報告だけでもしとく?


 しかし、こんな棒線で簡単に書けるモブ顔のショボい野郎が『変な男がいきなり襲ってきたんです!』と訴えたって、信じてもらえる気がしない。

 『お前こそ変な男だろ』なんて嘲笑われそうだし、最悪『モテたいがために注目浴びようとして虚言吐いてるんじゃないの?』と逆に自演を疑われてしまう可能性もある。


 悩みに悩んで、結局俺は誰かに相談することを諦めて携帯電話を置き、散らかされたリビングの片付けをすることにした。


 あの図体のデカいアホが暴れ狂ってくれたおかげで、ソファーはひっくり返り、小物はあちこちに弾かれ、皿は割れ、室内はカオスだ。


 五右衛門ゴエモンも、俺が寝過ごして朝の散歩に遅れた時は、こんな風に反乱を起こしたな……この惨状に比べりゃまだ可愛い方だったけど。


 家族が代わりに散歩に行ってやろうとしてもヤダヤダと駄々こねて暴動を止められなかったそうで、我が家では『五右衛門一揆ゴエモンイッキ』なんて呼ばれてた。寝坊する俺が悪いと皆にこっぴどく叱られたことも、今では良い思い出だ。


 はあ、と重いため息が零れ落ちた。


 あいつのせいで、五右衛門のことばかり考えてしまう。もう十年も前のことなのに。立ち直ったと思っていたのに。塞がった傷を、無理矢理こじ開けられた気分だ。


 片付けついでに掃除機をかけて綺麗になった部屋で、俺は一人、カップラーメンと冷凍ご飯という侘しい昼飯を食べた。


 彼女と別れたのは、ほんの一週間前。休日はいつも二人で出かけていたから、家でのんびり過ごすのは実に久しぶりだ。


 でも全然寛げない。楽しくない。ただひたすら寂しい。


 こうして一人ぼっちを痛感すると、寂しくて寂しくて堪らなくなった。



 こんな時、五右衛門がいてくれたら。



『カイくんカイくん! 僕、側にいるよ!』



 おっとぉ、待て待て、俺。何故ここであいつが出てくる?


 側にいてほしいのは、あの変態野郎じゃないぞ。本物の五右衛門の方だ。


 ああ、五右衛門に会いたいよ。抱きしめたいよ。モフモフしたいよ。それだけでどれだけ癒されるか。


 見るわけでもなくただ点けていただけのテレビ画面が、じわじわ涙で歪んでいく。ぼやけた視界に、大好きだった彼女や愛していた愛犬が浮かぶ。


 失った、大切な存在。二度と戻らない、幸せだった日々。


 過ぎ去った幸福の幻影を塞ごうと、俺は目を固く閉じた。同時に、つぅ、と目尻から涙が滑り落ちた。



 聞き覚えのある電子音で、俺は現実に引き戻された。



 周りを見渡すと、既に薄暗くなっている。あのまま寝落ちてしまったらしい。


 電子音の正体は、買った時からデフォルトのままにしてある携帯電話の着信音。慌ててそれを取って相手を確認してみれば――何のことはない、母親からだ。



「もしもし」


『ああ、もしもし。母さんやけど元気しとったけ?』



 いちいち言わなくてもわかってますがな。発信者の名前が出るんだから……と何度伝えたかわからない不毛な会話を省略して、俺は用件を尋ねた。


「どうしたの? 日曜に電話してくるって珍しいね」


 日曜は彼女といつもデートしてると知っているから、滅多なことでは連絡してこなかったのだが……何かあったのだろうか?


 それとももしや、母の勘ってやつで、別れたのを察知して慰めようとしてるとか?


『母さん、昼寝しとって、今起きたんやわ』


 おいおい、今何時だよ……って、夜の六時過ぎてるじゃねえか。ぐうたらしすぎだろうよ。って、俺も人のこと言えないんだった。


『したら久しぶりに、夢に五右衛門が出てきたがいよ』


 ドキッとした。


 やはり母の勘で、息子の危機を感知したのか?


『何やわからんけど、五右衛門、えらいションボリしとったが。母さん、一生懸命ナデナデしたがいけど、キュンキュン鳴くばっかで、なぁん元気ならんで……』


「そ、そうなんだ……で」


 俺に何の関係が、と続けようとした言葉は、母の怒声に遮られた。



『あんた、五右衛門のお墓参り、ちゃんと行っとんが!? どうせ行ってないがやろ!? 五右衛門、きっと寂しがって母さんとこ出てきたがやぜ! 拾ってきたあんたに一番懐いとったんに、可哀想なことしられんな!』


「ご、ごめん……これからはちゃんと行きます。すみませんでした」



 剣幕に圧された俺は敬語で母に謝り、電話を切った。


 やれやれ……生まれ育った地元に帰ってから、すっかり方言も戻ってしまったようだ。慣れ親しんだ言葉だからか、怒り方も迫力倍増。元々キレさせたら寿命削られるくらい怖かったのに、更に輪をかけて怖くなっちゃったよ。


 一応自己フォローさせてもらうと、命日は毎年欠かさずお参りに行っていたんだ。


 けれど……そうだな、会いたくなったらいつでも行けばいいんだよな。今みたいに、五右衛門に会いたくて会いたくてガキみたいに泣くくらいなら、さ。


 今日はもう遅いから諦めるとして、来週こそは霊園を訪れよう。五右衛門の大好きだったものをいろいろ持って、会いに行こう。


 そうと決めたら、不思議と少し元気が湧いてきた。灯りを点けようと俺が立ち上がったその時、見計らったかのようにまた着信音が鳴った。


 今度は携帯電話じゃない。滅多に鳴ることのない、家電の方だ。


 見覚えのない番号に首を傾げつつも恐る恐る出てみると――相手は、淡々と朗々の狭間といった感じの口調で告げた。



『夜分失礼いたします。角宇野カクウノ交番の者です。こちら、伊勢イセカイさんのお宅で間違いないでしょうか?』



 交番?

 交番って……警察!?


 待って待って待って!

 警察が、何で俺に電話してくるの!?


 俺、何も悪いことしてないよ!?

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