番外編4 ただ訳もなく
七瀬の大学受験が終わって約一か月後。
第二希望ではあるものの、大学の入学準備を無事に終えた七瀬は、リウンと桜を見に遠出をした。
有名な桜の名所であるその山奥は七瀬の地元よりもさらに田舎で、桜と紅葉の季節にだけ人がごった返す。
その日は天候にも恵まれ、青天に桜の薄紅が映える空気の澄んだ一日だった。
「これが桜。私の国の、春の花」
「サクラ。ナナセの国の春」
七瀬は桜の木の下に立ち、リウンに花の名前を教えた。
するとリウンはすっかり七瀬ではなく桜に心を奪われた様子で、その名前を繰り返していた。
黒髪を短く刈ったリウンは七瀬が選んだ濃紺のアイビー・シャツとテーパードパンツを合わせて着ていて、そのすらりとした端整な姿は周囲にいる他の誰にも負けないくらいに格好良かった。
桜の下からリウンを見て、七瀬は自分もめいっぱいお洒落と化粧をしてきて正解だったと胸をなでおろす。
スモーキーピンクのシフォンスカートに白地のブラウスを合わせて、大学のために練習した化粧をした七瀬の姿は、多少はリウンと釣り合うものになっているはずだった。
(私の趣味で決めた行先だけど、楽しんでもらえてるみたいで良かった)
ちょうど見頃を迎えていた桜をリウンと眺めるだけで、七瀬は十分に幸せになった。
しかしそれとは別に人混みの中ではなく落ち着いた場所での時間も欲しかったので、七瀬は帰りには貯めていたお小遣いを使って観光列車の二人席を予約していた。
◆
「すごい。電車じゃなくてホテルみたい」
七瀬は車両に乗る前は、現代日本に生きる者として異世界からやって来たリウンをエスコートしてあげるつもりでいた。
しかし古風に装飾された観光列車の車内が想像していたよりも豪華だったので、七瀬はリウンの案内を忘れて、ありきたりな言葉ではしゃいでしまった。
床は上品な臙脂色の絨毯が敷かれていて、壁は落ち着いた木目調。
カーテンは高級感のあるダマスク柄の布で、照明もランプシェードのように明かりのように優しく、深緑色の座席はほど良くやわらかそうに見えた。
「これも、電車? 動く乗り物?」
普通の電車には幾度か乗っているリウンも、目を丸くして不思議そうに車内を見回す。
そこで七瀬も自分に課した役目を思い出して、特急券の座席番号を見直した。
「そう電車だよ。えっと、私たちの座席は3Bと4Bだね」
七瀬はリウンと手をつないで、予約した座席に移動した。
さっそく二人並んで座ってみると、ふかふかな見た目通りに座席は座り心地がよく、背もたれを倒せばこれまたリウンを置いて眠ってしまいそうなほどにリラックスができた。
(いやでも、この列車には食事の販売もあるんだから、そこには行かないと)
七瀬は少し寝てしまったところで慌てて目を見開いて、起き上がった。
気づけば列車は動き出して、隣のリウンが覗きこんでいる車窓の向こうでは、夕日に染まる田園風景がゆっくりと流れていた。
リウンは遠くの山の端の、薄紅色の一画を指さして七瀬に尋ねた。
「ナナセ。あれも、サクラ?」
「うん、そう。桜。桜はいろんなところで咲いてるからね」
同じ方向に窓の外を見て、七瀬は答えた。
緑豊かな土地を進む電車の揺れはおだやかで、心地良かった。
「ね、食べ物を売ってるところも行こうか」
七瀬がリウンの服の袖を引っ張ると、リウンは頷いた。
「うん。行く」
これから行く場所をわかっている様子はなかったが、リウンは七瀬について来た。
七瀬はリウンと一緒に席を立ち、金細工を模した取っ手の扉を開けて、ラウンジカーへと移動する。
客室と同じように優雅な内装のラウンジカーには、女性のアテンダントが立っているバーカウンターがあって、食事やアルコールの販売をしていた。
売っているのは地鶏の燻製にチキンカレー、名産品の柿や苺を使ったお菓子、地酒の飲み比べのセットなどで、未成年でなければぜひ飲酒したくなるようなラインナップである。
「うーん。飲み物はワイナリーが作ったっていう葡萄ジュースにするとして、何を食べるかが迷うな……。リウンは、この中に好きなものある?」
売店のメニューの多彩さに迷った七瀬は、リウンの方を見る。
「俺、多分、サンドイッチ好き」
じっくりとメニューを読んで、リウンは答えた。
そのリウンの答えを受けて、七瀬は自分の分も決めた。
「じゃあリウンはサンドイッチで、私はカレーね。燻製とチーズは半分こにしよう。それとデザートは干し柿の和菓子で」
「はい。かしこまりました」
七瀬が注文をすると、バーカウンターに立つアテンダントの女性は笑顔で商品の準備をしてくれた。
「お待たせいたしました」
手際よくトレイに商品を並べて、女性は七瀬に内容の確認をしてくれた。
(ちょっとお高いだけあって、ちゃんと美味しそうだな)
七瀬は支払いを済ませて商品を受け取り、見本の写真と変わらぬ美味しそうな品々に味への期待を高めた。
「片方、持つ」
「うん、ありがとう」
注文した品が多くトレイが二つに分けられたので、リウンと七瀬で一つずつを持ってラウンジ席へ行く。
ラウンジ席はバーカウンターの隣に設けられた飲食用のスペースで、重厚な雰囲気の円卓やソファ風の席が置かれた大人っぽい空間だった。
他にも客は入っていたが、二人用の席がちょうど良く空いていたのでそこに向かい合って座る。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
七瀬は席に着くと、葡萄ジュースが入ったガラスのコップを手にお礼を言った。
「俺も、楽しかった」
リウンも同じように、コップを手にして微笑んだ。
ついでに七瀬は、リウンに新しい言葉を一つ教える。
「こういう誰かと飲み物を楽しむときは、乾杯って言うんだよ」
「カンパイ?」
「そう、乾杯」
七瀬はリウンのコップに、自分のコップをふれさせる。
「カンパイ」
嬉しそうな顔をして、リウンも七瀬の真似をする。
乾杯を終えたところで、二人は見つめ合いながらコップの中身を口にした。
(うん。アルコール入ってないのに、酔えそうな気がするくらい美味しい)
学生には高い飲み物だったので、七瀬は大切に一口目を飲んだ。ご当地のワイナリーが作った葡萄ジュースは濃厚な果実の甘みが凝縮されていて、後味も風味豊かで飲み応えがある。
「カンパイって、おいしい」
リウンも言葉を間違えながらも、気に入った様子で味わっていた。
「鶏肉とチーズは半分ずつね」
七瀬はそう言って、まずは黒地の皿の載った薄くスライスされた鶏の燻製を手に取り、口に放った。
綺麗な茶色にいぶされた地鶏は独特の香りが食欲を誘い、かための肉は噛めば噛むほどに鶏の旨みが口の中に広がる。
食べやすい大きさに切り揃えられた白いチーズは、地元の牧場の牛乳を使ったモッツァレラチーズで、もっちりとした食感と淡泊な味わいがくせになった。
添えられているオリーブオイルとハーブの塩の香りと塩辛さも、チーズの旨みを引き立てている。
(鶏肉とチーズ。一緒に食べても贅沢な味がする)
七瀬は地鶏の燻製にチーズを重ねて、同時に頬張ってもみた。すると燻製の肉の味の濃さとチーズの淡泊さがちょうど良い具合に絡み合って、まろやかな美味しさを生み出した。
(冷めないうちにカレーも……)
半ばリウンと会話するのを忘れながら、七瀬はおつまみ類をひととおり食べると、カレーをスプーンですくって口に運んだ。
家のカレーとも学食のカレーとも違う、スパイスがたっぷり使われたカレーはほど良い辛さの中辛で、白米とルーの比率もぴったりで食が進む。
(何食べても美味しい売店で良かった)
いつの間にかカレーを食べ終えていたので、七瀬は残しておいた葡萄ジュースをゆっくりと飲んだ。辛いカレーの後に飲む上品な甘さのジュースは、また格別の美味しさがあった。
「ナナセは、どこにいてもよく食べてる」
好物らしいサンドイッチを手にしながら、リウンは優しい表情で七瀬を見ていた。
「美味しいものは、どこにだってあるからね」
頬を少々ほてらせながら、七瀬はデザートの和菓子の載った皿を手にする。
リウンの彫りの深い整った顔に凝視されることには前よりは慣れてはきたのだが、七瀬はそれでも時折気恥ずかしくなることがあった。
(だって異世界に行って帰ってくるっていうものすごい出来事でもなければ、私はリウンに特別に大切にしてもらえることはなかったんだし)
七瀬は栗あんの詰められた干し柿を切り分けながら、リウンの方を見た。
するとリウンは、七瀬に言った。
「俺は、どこにいてもナナセが好き」
リウンは特に深い意図はなく、七瀬に好意を伝えてくれていた。
だから七瀬も思ったままに、その言葉に答えた。
「私もね、どの世界にいてもリウンが好きだよ」
ラウンジカーの横長の車窓の向こうでは、夕闇に包まれた田園が流れていた。
出会いに理由がないように、別れももしかしたら理由もなく訪れるのかもしれない。
リウンも七瀬も、もしかするともっと大切な何かを知ってしまうときが来るのかもしれない。
咲いた桜は、そのうちに散る。
永遠はないから、先のことはわからない。
それでも今日この日は、リウンは七瀬のことが、そして七瀬はリウンのことが好きだった。
狂王の支配する異世界にいた、運命の人は不憫でした。 名瀬口にぼし @poemin
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