最終話


 あなたは地面にしみをつくって、あの子の贈ったものを置き去りにしてそこにいる。今回もたくさんの施しをして、魔女らしく好奇心にしたがって研究をして、たくさんのものに愛されていたのに、誰も頼らないままでまた同じ結末をめぐる。

 すこしは違いがあったのかもしれない。あなたが弟子を取ったのはこれまでで初めてだった。あなたがなまえを得たのも、だれかのために必死になったのもはじめてだった。だけれど、結局あなたはそうやって地面のしみになっている。

 だれでもよかった。弟子でも、緑でも、黄色でも黄緑でも、なんでもよかった。あなたはすべてから求められる水(もの)であるのに、あなたがいなければこの世の誰もが存在できないのに、なんど繰り返してもあなたは変わらない。変わり切ることができない。どのような形になったとしても本質は同じ、まるであなたの媒体のように。

 あなたが落としていったしずくが、みるみるうちに集まっていく。元に戻るように、けれど全く同じにはならないで、あなたとすこしも違わないかたちを象っていく。

「可愛い子。代替わりが激しいのはあなただけよ」

 地面にぽつりと残ったものを拾う。瞼を閉じれはしずくがおちる。あなたの媒体であり、あなたが最期にながしたものとおなじそれが、頬を伝い、やがて跡形もなく消える。



   ***



 目を覚ますと、世界は赤かった。赤だけではなかった。黄色から赤に、赤から青に、青から黒、だんだんと色を変えていくそれは、空なのだとわかった。じわりと胸に熱が広がる。なんだろう、と思う前に、わたしがなぜ生まれ、これから何をするべきであるのかをすべて理解した。

「おはよう、可愛い子」

 知らない誰かの声がした。体を起こすと緑の髪をした女がわたしを見下ろしていた。赤い夕日を背負って、輪郭がほんのり染まっている彼女の顔は見えにくかった。

「私はヒスイ、緑の魔女よ。よろしくね」

 出された手は細くしなやかだった。それを握ると、すこしの力で引っ張り上げられる。立ち上がってもなお、彼女はわたしよりも高い位置にあった。握っていた手が離れて、私の顔や髪を撫でてくる。片方の手の中に握られていた、彼女の媒体で作られた首飾りがわたしの首にかけられた。じわりと温かいそれに、また体で熱が蠢いた。

 距離が近くなったために、彼女の顔がよく見えた。口の端っこをあげて、目が細くなっている。

「あなたは、夕日の反対側にある透明の街に住んでいるわ。トクサという弟子がいて、街の人間たちに媒体で施しをしながら暮らしているの」

 街の場所はわかる。遠くにある媒体が、わたしの住処を教えてくれていた。施しをするのもわかる。魔女はつねに魔力を使っている必要があるし、人間に魔術を行使することは研究にも繋がるからだ。だけれど、弟子のことは知らない。どういうものかはわかっている。ただ、弟子を取っていたのは先代の魔女で、わたしがともに暮らしているわけではない。わたしはうまれたばかりなのだ。なぜ、わたしがこれまでも一緒にいたように話すのだろう。

 その通りに尋ねると、彼女は髪を耳にかけながらいった。

「トクサはもともとわたしの弟子なの。ほかの媒体も扱えるようになって欲しくて、弟子にとってもらったのよ。引き受けてもらえないかしら」

 質問の答えにはなっていなかったけれど、わたしは頷いた。他の魔女からの依頼は受けて当然のものだ。人間たちが生活するには、他の街に住む魔女の媒体がなくてはならない。

 彼女はありがとう、と柔らかい声で言って、それから思いついたように目を見開いて、首を傾げた。

「あなたの名前はなに?」

 なまえ。呼び名のことだ。わたしの存在を表すもののことだった。わたしは口を開こうとして、とっさに喉を抑えた。なにかが詰まったような感覚がしたからだった。いまのはなんだろう。わたしの呼び名はさきほど生まれた瞬間からあって、淀みなく答えられるはずだった。そもそもわたしの街を知っている彼女だって、どう呼ぶべきかをわかっているはずだ。尋ねる必要はないだろうに、それでも彼女はわたしが声を出すのを待っている。

 手をずらすと首飾りにあたった。わたしは息を吸った。こんどはきちんと声が出た。

「とうめいのまじょ」

 それは何も間違ってはいなくて、どうしようもなく正しいはずだった。それなのに、なぜか、ちがう、と強く思った。体のどこかが、それは違うのだと訴えかけてきた。透明の魔女とは、透明の街にいる魔女という意味で、「わたし」の名前ではないのだと。そんなことばが、ふわりと頭に浮かんだ。誰に言われたのだろう。わたしは、目の前の彼女としか言葉を交わしたことがないのに。

 透明の街にいる魔女なのだからそれでいい。そのとおりだ。なのに、そう考えれば考えるほど、わたしの胸は水が沸騰するように熱くなる。その熱は喉を通り、頭に回り、そして眼球にまで降りてくる。首飾りを握る。温かい。俯いてみえたわたしの手は、夕日に染まって赤かった。似たような光景がちらつく。

 これはなに。この熱はなに。尋ねても、緑の魔女は答えをくれなかった。

「……今回は」

 今回は?

「すこし、違うのかしら」

 顔を上げると彼女はさきほどとは違った風に口元をあげ、目を細めていた。



                              

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そしてうまれる おかみ @okaming222

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