王子様なんかじゃない。
深水えいな
王子様なんかじゃない。
放課後、ひとけのない校舎を歩く私を一人の女子生徒が呼び止めた。
「あのっ、私、佐藤と言います」
佐藤さんかあ。私は目の前の女子をじっと見つめた。
小柄で華奢でフワフワの髪。お砂糖とスパイスと素敵なものでできてるって感じの、とっても可愛い子。
でも、初対面だし、呼び止められる覚えはない。どこかで会ったっけ?
そんなことを考えていると、佐藤さんは顔を真っ赤にして叫んだ。
「突然ですみません。
えっ!?
困惑した私は、ポリポリと頭をかいた。
「あの私、こう見えても女なんだけど」
「知ってます。でも翼さまはこの学園の王子様ですし」
必死にまくし立てる佐藤さん。大きなため息が出る。
ここは私立の女子高。男子がいないせいか、ボーイッシュな女子を密かに「王子様」と呼んで崇拝する女子が少なくない。
かくいう私も、背が高く、ショートカット。一年生で唯一バレー部のレギュラーに昇格したこともあり、めでたく「王子様」なってしまったというわけ。
「いないよ」
「じゃあ私なんかどうですか!?」
真剣な目の佐藤さん。でも……。
「ごめんなさい」
頭を下げると、丸い瞳から大粒の涙があふれる。
「そうですよね。私なんか……私なんか……王子様につり合わないですよね。ごめんなさいっ」
「あっ」
泣きながら駆けていく佐藤さん。ちょっと罪悪感。
でも、きっとあの子なら大丈夫。だって可愛いもん。他にもっといい人が見つかるよ。
可愛いもん。女の子らしくて、フワフワしてて。私とは違って。
はーあ。私だって、本当は王子様になんてなりたくない。可愛いものが好きだし、可愛いものが似合う女の子になりたい。
でも無理だよね。頑張ったって背が縮むわけじゃない。
王子様は、お姫様にはなれないんだから。
***
「翼くーん、おまたせっ」
輝く夏の日差し。人混みをかき分けて、
白いレースのワンピースに麦わら帽子という、少女漫画の表紙から飛び出してきたような格好。
ツヤツヤした長い黒髪。雪のように白い肌。うるんだ瞳に長いまつ毛。さくらんぼ色の唇。相変わらず可愛いなぁ。
私は久しぶりに会う幼馴染のあまりの可愛さにめまいを覚えた。
これで男子だっていうんだから信じられない!
夏希は、幼稚園から中学校までずっと同じ学校に通ってた幼馴染で、いつの頃からか、女の子の格好をして暮らしてる変わった男の子。
でも夏希が言うには、別に男の人が好きなわけでも女の子になりたいわけでもないんだって。
ただ自分は、女の子の格好のほうが似合うからこの格好をしてるんだって。
実際に夏希は、女の私よりずっと可愛いし女の子の格好が似合ってる。
別々の高校に進学してからはしばらく会っていなかったけど、久しぶりにこうして夏希に会うと、可愛さに磨きがかかったような気がして、なんだかくらくらする。
「大丈夫? 熱中症?」
夏希が心配そうな目で私を見上げてくる。
うるうるとした子猫のような瞳。吸い込まれそう。
「ううん、大丈夫」
「そう? 良かった。それより翼くん、それ高校の制服だよね?」
夏希が私のセーラー服姿を見てニッコリと微笑む。
「う、うん」
もしかして、土曜日なのに制服なんておかしいのかな。
お洒落なんてよく分からないし、着ていく服が無いからこれにしたんだけど。
スカートの端をちょいとつまみ上げる。
「変?」
「ううん、すごく似合ってる。可愛いよ」
夏希ったら、相変わらずお世辞が上手いんだから。
「まあ、学校では『王子』とかいう変なあだ名つけられてるけどね。この間女の子に告白されたし」
「告白!? えっ、すごーい。どんな子?」
「んー、可愛い子」
目をパチクリさせる夏希。
「可愛い子なのに断ったの? 翼くん、可愛い女の子が好きなんじゃないの?」
「いやいや。一応これでも私、女だし」
「ふーん、そうなんだ」
夏希がうつむく。へんなの。
「夏希は制服はどっちで通ってるの?」
「女子の制服だよ。中学の時とおんなじ」
「そうなんだ。見たかった」
夏希の制服姿はさぞかし可愛いんだろうな。確かブレザーだっけ。
風に揺れるチェックのスカートを想像する。何だかすごくいい感じ。
「でもそのせいで『姫』とかいうあだ名、つけられてるんだ。おかしいよね、ボク男の子なのに」
不思議そうに首を傾げる夏希。いやいや、何もおかしくないのだけれど。
「ボクも制服着てくれば良かったなー。そうすれば、二人で制服デートできたしさ」
自然に手を繋いでくる夏希。白く華奢な指。体に電流が走る。
「う、うん……」
可愛い。
私の幼馴染は可愛い。男の子なのに、私なんかよりずっと。
可愛いくて、お姫様で……小悪魔なのだ。
私と夏希は待ち合わせの後、近くにある映画館にやって来た。
「この映画、結構怖いね」
夏希が身を寄せてくる。心臓がバクバク鳴って止まらない。
「う、うん。アクション映画だって聞いてたんだけど、結構血が出るみたい」
事前に席の予約もしてなかったし、着くのが遅かったせいで、残ってた席は二つの席の間に肘かけのないこのカップルシートだけ。
必然的にソファーみたいな席で身を寄せあって映画を見ることになって。
私としては、映画の内容よりも隣にピッタリとくっついてる夏希のほうが気になって仕方がない。
右腕に感じる夏希の温もりに気を取られていると、突然スクリーンの中で血しぶきとともに男の首がスポーンと飛んだ。
「ひえっ」
思わず夏希に抱きついてしまう。
「翼くん、大丈夫?」
びっくりした顔で私の頭をなでなでしてくる夏希。砂糖菓子みたいに甘い香りと温もり――。
あわわわわわわわ!
「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ……ごめんねっ」
大げさに身を離してしまう。全身から汗が吹き出した。
どうしよう。夏希、びっくりしたよね。
私みたいな大きい女に抱きつかれても嬉しくないよね。ずっとバレー部だったせいか、筋肉質だし。うう、恥ずかしい。
あーもう、映画の内容なんて頭に入って来やしないよ!
「あー面白かった。次、どこ行こっかー」
満足げな顔で伸びをする夏希。
良かった。途中で私が抱きついた事なんて、ちっとも気にしてないみたい。
夏希は白いスカートをひるがえしてピンク色の可愛い建物へと駆けていく。
「翼くん、次、あそこ行きたい。スイーツバイキング!」
全く。可愛いなあ夏希は。
「うん、行ってみよう」
二人でおとぎ話にでてくるような可愛い扉を開けると、メレンゲやカスタード、バニラビーンズの甘い匂いがふわっと漂ってきた。
「わあ」
見わたす限り、一面のスイーツ。
「うわぁ、可愛い。あのケーキ美味しそう。あのチョコも」
目をキラキラさせてはしゃぐ夏希。
テーブルの上には可愛いショートケーキやフルーツタルト、アップルパイにマカロンと、色とりどりのスイーツが並んでる。
白いワンピースと相まって、夏希はまるでスイーツのお姫様みたい。
店内にはお洒落でキラキラした女の子たちがたくさんいて、お喋りしたり、歓声を上げながら写真を撮ったりしてる。
最近流行りのインスタ映えっていうのかな。ピンク色の壁紙とテーブル。リボンやハート、フルーツで飾られた可愛い店内。
可愛いけど、なんだか凄く場違いな所に来たような気がして、ちょっと落ち着かないな。
「どうしたの? 甘いもの嫌いだっけ」
子猫のような瞳が見つめてくる。
慌てて首を横に振った。
「ううん。ただ私、身長も大きいし、可愛くないし、こんな所にいても浮いちゃうなって」
「もう、そんな事気にしてるの? そんなこと言ったらボクなんて男の子だし」
ぷぅと頬を膨らませる夏希。
それがまた、私なんか手が届かないほど可愛いくて。真っ赤なラズベリーみたいに、甘酸っぱい気持ちで満たされる。
いいなぁ。私も夏希みたいに可愛いかったら良かったのに。
しみじみとスイーツに夢中になってる夏希の顔を見つめる。
「って、あれ?」
身を乗り出す。
「夏希ったら、ほっぺにクリームついてるよ」
私が腕を伸ばし、柔らかいほっぺに触れると、夏希の体がビクリと震えた。
「あ、ごっ、ごめん。ありがと……」
桃色に染まる頬。蜂蜜みたいに潤んだ目。
白いレースから伸びる繊細な手足がモジモジと動く。
まるで微熱でもあるみたいに、夏希の頬は熱くて……触れた私の指までチョコレートみたいに溶けてしまいそう。
おかしい。何だろう、これ。何か変。
心臓の鼓動が早くなって、言葉が出ない。
胸が苦しくて、キュッとなって、のぼせ上がったみたいに熱くなって――。
せっかくのスイーツバイキングなのに、なんだか胸がいっぱいで、ろくにケーキも食べられなかった。
「はーあ、美味しかったねー」
「うん、お腹いっぱい」
外に出ると、もう空は夕焼け色。二人きりの時間が楽しければ楽しいほど、時間が経つのは早くて、もうすぐお別れの時間。
燃える西空を、雲がゆっくりと通り過ぎていく。
明日からはまた別々の学校。あの太陽が地平線まで落ちたら、私たちはまた離れ離れになってしまう。
そう考えたら、もう高校生なのに、子供みたいに泣きそうになった。
「ねぇ、まだ時間ある? 最後にさ、海でも見に行こうよ」
思いきって切り出すと、夏希は少しはにかんでうなずく。頬が夕焼けに染まって少し赤い。
「うん」
砂浜の上で、白いスカートをひるがえしてクルリと回る夏希。まるで映画のワンシーンみたい。
「ボクも、まだ帰りたくなかったんだ」
天使みたいな笑顔に、胸が苦しくなる。
「夏希は本当に可愛いね」
二人で夕暮れの浜辺を歩きながら、ぽつりと呟く。
「翼くんだって、可愛いよ」
微笑む夏希。ズキリと胸が痛くなった。
澄んだ瞳を見ないように、私は目を逸らす。
いつもそう。夏希はお世辞が上手い。それがどんなに人を傷つけるかも知らないで。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ?」
「嘘。可愛いくないもん」
そんなつもりじゃないのに、声が荒くなってしまう。
「可愛いって言ってるじゃん」
頬を膨らませる夏希。私はついに吐き出した。私がずっと感じてた、どうしようも無い気持ちを。
「夏希には分かんないよ。可愛い夏希には、可愛いくない私の気持ちなんて」
言ってしまって、後悔する。
夏希が悲しそうな顔をしていた。傷ついたように目を見開いてる。
「どうして、そんなこと言うの?」
「だって」
言葉に詰まってうつむく。
違う。夏希を傷つけたいわけじゃない。
ただ私は怖くて。
夏希があんまり可愛いから、自分には手が届かないんじゃないかって。
釣り合わない。隣にいる資格なんて無いんじゃないかって、ずっと怖くて――。
泣き出しそうな私の手を、夏希が強くにぎった。
あたたかな温もりが伝わってくる。
「ウソじゃないよ。翼くんは可愛いよ」
潮風が夏希の長い髪をゆらす。
「だってボクは、可愛いものが好きなんだから」
波音がざわめく。ウミネコの鳴き声が高くなる。夕陽に染まる頬。夏希の目はまっすぐ私の目を射ぬいた。
「翼くんは可愛いんだよ。だってボクが好きな女の子なんだから」
ウソだ。
ウソだ。夏希が、私のことを?
そんなの、信じられない。
信じられないけど、嬉しくて――。
「ウソだぁ」
ポロポロと涙があふれ出す。止まらない。
子供みたいに泣きじゃくる私に、夏希は優しい声で語りだす。
「ホントだよ。ほら、覚えてない? 小さいころ、翼くんが変なおじさんに追いかけられたって泣いてて」
「そうだっけ?」
「うん。それで、翼くんはもう男の人はキライだって言ってて」
昔のことを思い出す。
確かに、変質者に追いかけられたような記憶はぼんやりとある。
――ってことは、待てよ?
「まさか、私が男の子は嫌いだって言ったから、夏希は女の子の格好をしてるの?」
びっくりして尋ねると、夏希は不機嫌そうにすねてみせる。
「そーだよ。元々お洒落とか可愛い物とか好きだし、楽しいからってのもあるんだけど、きっかけはそう。まさか忘れてたの?」
まさか――夏希が女の子の格好で暮らしているのは私が原因だったなんて!
夏希は不安そうに首をかしげる。
「翼くんは、ボクのこと嫌い?」
「き、嫌いなわけないよ」
「じゃあ、好き?」
甘ったるい上目づかい。ああ、ずるい。可愛い。本当にずるいなぁ。
「す……すきだよ」
つい恥ずかしくて小声になってしまう。
「良かった」
夏希はクスリと笑うと、私をきつく抱きしめた。
柔らかくて、甘くて、骨の髄までとろけてしまいそうで――幸せな感触に息もできない。
「ボクにとっては、翼くんはいつだって可愛いお姫様だよ。みんなには、王子様だって思われてるかもしれないけど」
涙がポロポロとあふれる。
「おかしくない? 夏希もお姫様なのに」
「おかしくないよ。お姫様が王子様と結ばれなきゃいけないなんて、誰が決めたの?」
とびっきりの笑顔。
「お姫様がお姫様と結ばれたって、いいんだよ」
「……うん」
そっか。そうなんだ。
本当に。かなわないなあ、夏希には。
夏希が私の涙をぬぐう。
「今度は二人で一緒に制服デートしようね。それで、一緒にお洋服とか化粧品とか選んだりするんだ。きっとすっごく楽しいよ」
「うん」
きつく抱きしめ合う。
きっとどこに行っても二人なら楽しい。そんな予感がした。
「そうしようね」
***
そしてまた、いつも通りの夏希がいない女子校の日常に戻った。だけど――。
「あれ? 王子様、雰囲気変わった?」
「なんか可愛くなった?」
そんなウワサ話が聞こえてくる。
変わった……かな?
自分ではよく分からない。
少し伸びた前髪をちょい、と弄る。
でもなんだか、周りの景色はいつもと少し違って見える。
キラキラと鮮やかに輝いて、何もかもが綺麗で、踊り出したいような気分。
だって次の土曜日には夏希との制服デートがある。そう考えるだけで、毎日がなんだか楽しいから。
きっと甘い魔法にかけられて、王子様はお姫様に変わってしまったに違いない。
【完】
王子様なんかじゃない。 深水えいな @einatu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます