交わして通わせて

 ライトグリーンのベッドカーテンをめくると、ふかふかの掛布団に包まれた湖夏くんと目が合った。


「体調、どう?」

「大丈夫……とは、言えないかもしれません」

「ん。素直でよろしい」


 持ってきた丸椅子をベッドの隣に置く。座ると、ちょうど目線が大きめの枕に頭を乗せた湖夏くんとぴったり合う。

 頭を撫でてあげる。熱い。それに、汗でしっとり濡れている。


「ごめんなさい。心配をおかけしたくなかったんです」

「心配なら、してたよ。ずっと」

「そう……ですよね。つまらない見栄を張って、本当にごめんなさい」

「反省してよね。授業もまともに聞けないくらい追い込むなんて、どうかしてるよ、ほんと」


 額の汗を花柄のハンカチで拭いてあげる。湖夏くんはされるがままにしている。でも、なんだか嬉しそうだ。


「キミが大丈夫って言うから、信じて見ないふりしてた。次また無茶したら、その時は全力で止めるからね」

「はい。お願いします」

「違う違う! 止めてくださいーじゃなくて、止めなきゃいけないコトにならないよう気をつける!」

「えっ? ……あ、そうですね。確かにそうです」

「もう、湖夏くんって意外と天然よね」

「あはは……誉め言葉として受け取っていいんですよね?」

「好きにすればー?」

「はい、わかりました」


 湖夏くんは、いつも通りだ。これまでだって、今日だって、湖夏くんはずっと、湖夏くんだ。

 ただ、私がまだ、湖夏くんの全部を知らなかった。ただそれだけのことなんだ。


「やっぱりさ、言わなきゃ伝わんないことって、あると思うんだ。別に、アスペルガーとか、えーでぃ……さっきのやつとかの話を聞きたいんじゃなくて、湖夏くんから、自分はこうだ、って。今回みたいに、つまづいてから気づくんじゃ、遅いと思うから」

「そうですね。努力します」

「ん。よろしい。さて、まずは……そうねえ。さっきセンセイが言ってたの、当たってる? なんか違うとこあったら言ってよ」

「ええと、いえ。間違いは無かったと思います、けど」

「けど?」

「動機の部分が抜けていたかな、と。アスペルガーは打ち明けたのにADHDの話はしなかったのはなぜか、という問いに対する解答としては、不足というか、論点がズレていると思いました」

「相変わらず、湖夏くんの話はIQ高いわねえ」

「ありがとうございます」


 ペットボトルを1口。ゆっくり大切そうに飲み下す。いや。もしかして、次の言葉を躊躇っているのかな。

 彼の体温で温まった毛布に手を入れて、彼の手を手繰り寄せた。ぎゅっと握る。きゅっと握り返される。


「受け入れられないと、思っていました」


 彼の本音が重い口をついて出た。


「障害者の彼氏なんていらない、って、すぐに振られるものだと。あ、えと、もちろん万華鏡さんならもう少し波風立てないように表現を工夫すると思いますが」

「わかってるわかってる。続けて」

「はい。と言っても、あとは三藤先生の想像通りです。万華鏡さんは僕の予想に反して、親身に話を聞いてくださいました。ADHDの話をしなかったのは、必要ないと思ったからです。僕自身の生き辛さを僕の言葉で伝えれば、万華鏡さんは受け入れてくれる。そう確信を持てたので」

「ずいぶん高く買われたわねえ」

「そうですか?」


 子供のような無垢な瞳で見つめられると、守らなきゃって気分になる。けど、彼と私は同級生だ。むしろ湖夏くんの方が誕生日が早いから、私の方がちょっとだけ年下。


「自分で言うのもアレだけどさ。きっとこれからも、私は何度だって間違える。バカだから、私。その時は遠慮せずに、違うって言ってほしい。間違いをなくすのは無理だから、間違えてもすぐ直せるように」


 彼氏と彼女は対等だ。顔の良さとか、頭の良さとか、お互い長所も短所もあるけど、それとは関係なく。


「私の好きな食べ物、覚えてる?」

「万華鏡さんの、ですか? いももちですよね」

「あれ、嘘なんだよね」

「え……えええっ!? ええと、では、本当に好きなものは?」

「コールスロー」

「……ああ、確かに最近はよく食べてますよね。ですが、なぜそんな嘘を?」

「だってさー、好きな食べ物はコールスローです! って、どっからどう見たって健康に気を遣ってますアピールじゃん? ピチピチのギャルがコールスローよ? スイーツ好きが闊歩する女子社会においては共感ゼロのヒエラルキー最底辺なわけよ。いももちってチョイスなら、そっから話膨らませたりできるし? まあわりと好きだけどね、いももち。1番ではないかなー。28番くらい?」


 今回は、流れもあるけど、私のワガママで無理やり聞き出す感じになっちゃったから。お詫びってわけじゃないけど、なんていうか、湖夏くんにはホントのことを知ってて欲しくて。


「湖夏くんも、言いたくないことまで全部さらけ出さなくていいからね。キミがあえて言わない選択をするなら、それはきっと言わない方がいいことなんだろうし。信じてるから、湖夏くんのこと」

「はい。僕もなるべく隠し事はしないよう心がけます」


 湖夏くんが笑うと、つられてこっちまで笑顔になる。


「ええと、そうですね。では、まずは……」

「うん」

「実は、普段もそこまで聞いてないです。授業」

「うん。……ん?」

「過集中、ええと、すぐに集中してしまうんですよね。先生の話を聞くか、ノートを取るか、問題について考えるか、どれか一つに集中すると、他のことが出来なくなってしまうんです。基本的には後で見直せるように板書を優先しますが、黒板をあまり使わない先生の時は、ノートは諦めて暗記に徹することもあります」

「え、ええ……なにそれ……湖夏くん、一体どんな脳みそしてるのよ……」


 どんなカミングアウトが来るかと思ったら、なんか拍子抜けだ。いや驚いたけど、思ってたのとはだいぶ違う。


「なんていうか、秘密、って感じじゃないわよね」

「そうですね。秘密……意識的に隠していることは、あまりないかもしれません」

「ならどーして保健室で寝込んでるのかなー?」

「ごっ、ごめんなさい。反省してます」

「ん。よろしい。しっかし、アスペルガーのことは付き合ってすぐ話したのに、勉強しすぎて疲れてるのは誤魔化すって、私なら逆だけどなー。疲れたー、ってすぐ言っちゃうもん」


 湖夏くんは、ばつが悪そうに眼を背けた。

 重ねた手をきゅっとすると、湖夏くんははっとこっちを見て、目を伏せた。


「きっと長くは続かないのだと、諦めていました。いずれ終わるなら、早い方がいいと。万華鏡さんは誰にも明るく接するので、そういったものに偏見は持っていないだろうとは思っていましたが、付き合うとなると話は別ですから」


 意を決して話してくれている。そんな雰囲気だ。


「湖夏くんがあの日、すぐに打ち明けてくれた理由ね」

「はい。でも、万華鏡さんは親身に接してくれました。なにが不得意なのか、どこが問題なのか、自分のことのように、一緒に考えてくれました。惚れ直すというのは、きっとこういうことなんだろう、と。愛しています、万華鏡さん」


 相変わらず、こっ恥ずかしいことをぬけぬけと言う彼氏だ。でも、なんだか久しぶりに聞いた気がする。


「湖夏くんってば、お熱ねえ」

「おおお! 勉強になります」

「違う! そうじゃないっ!! 洒落ってわかるならせめて笑ってー!!」


 まったく。こっちまで熱くなってきたじゃない。


「はー、喉乾いたわね。飲み物貰っとけばよかったわ」

「飲みますか?」

「うん。お願い」


 関節キスくらい慣れたもんだ――と思った矢先、湖夏くんは自分で口をつけた。

 彼はそのままこちらを向く。瞼は閉じている。どうやらペットボトルからではなく、湖夏くんの口から飲ませてくれるらしい。

 湖夏くん、キミはどこまで私の想像を超えれば気が済むんだ。


 爽やかなスポーツドリンクの香りが鼻を抜ける。

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彼氏がアスペルガーで何が悪いんですか? 井戸 @GrumpyKitten

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