俺と依子さんのハッピーエンドは続く

「ママー!」


 水色の虎に跨がっていた小さな女の子は、勢いよく飛び降りると依子さんの元へ駆け寄る。依子さんは前に出てしゃがみこみ、走り寄った女の子を抱き上げた。


「良い子にしてた? けい

「うん。虎さんと一緒にいたから怖くなかったよ」

「そう」


 目を細めた依子さんは佳に優しく頬を当てる。くすぐったいのか佳は首を引っ込めたが、嬉しそうに笑っていた。

 仲睦まじい母娘の姿に俺も頬が緩む。と、そこで接近してくる気配があった。振り返れば水色の虎と、楠木がすぐそばに居る。

 改めて見て気づいたが、楠木は若干背が伸びて大人びた顔つきになっていた。ゴテゴテとした髪飾りのないストレートな黒髪も落ち着いた印象を与えている。

 ただ、ゆらゆらと揺れる右袖が視界に入るたび、自戒めいた気分になる。


「なんですかージロジロ見て。依子姉様に言いつけますよ~」


 当の本人はまったく気にした風もなく、いつものように俺を茶化してくる。水虎のアヤカシはムッとしながら楠木を一瞥して、すぐに俺の方を向いた。虎は器用に口角を上げて相好を崩す。


「さすが禍津祓いの旦那。アヤカシ五十体ぶっ倒した伝説は伊達じゃないですね!」


 憧憬と賞賛のこもった視線を向けられ、俺は少したじろいでしまう。


「あのですね、ローさん。何回も言ってますけど、それは誤解なんです」

「そうよ~馬鹿虎。こう見えて番頭は軟弱っていうかへたれっていうか根がいじめられっ子だから。そんな大それたことできないのよ」


 楠木が言葉を引き受けたように続ける。しかしこれ、擁護してくれてるのか?


「不必要な被害を減らしてくれてたって聞いてますしね? やさしーお人なんです。まぁウチの元職場を半壊させたのは事実だし、腕前は確かだと思いますけどぉ。今は水に流してるんで認められますけどぉ」


 うん、これは擁護に見せかけてけなされているだけだ。五年経っても楠木の皮肉屋っぷりは相変わらずだった。

 ただ、以前と同じように接してくれるのは俺にとって救いでもある。変に気負わないのは、楠木の優しさ故だろう。

 するとローさん――本名ロー・リャンファンという水虎のアヤカシが歯を剥き唸り出した。


「おい、女! 旦那を侮辱する言動を慎めって言ってるだろ!」

「はぁ? 思い込みじゃないですかぁ? ていうかあんたこそいつになったらウチの名前覚えんのよ!」

「うるせぇ! てめぇなんか女で十分だ!」

「だったらウチも馬鹿虎で通すわ!」


 虎から放出される妖気が膨れあがる。水色の体毛が総毛立ち、尻尾の尖端が炎のように揺れた。もちろん色は水色だ。

 対する楠木も腰の後ろに装着したホルスターからナイフを抜き出す。左腕一本ながら、利き腕同然に動かしていた。


「やめなよ二人とも……」


 一触即発の雰囲気に思わず割って入る。しかし俺に構わず、二人は睨み合い殺気をぶつけ合っている。


「あのね、俺達はアヤカシと人間の仲違いを収めるために手を組んでるんだよ? それを忘れないで二人とも」

「「だってこいつが!」」


 駄目だこれ。俺がうなだれていると、楠木と虎はまた罵詈雑言を放ち始めた。この二人はいつもこうだ。

 なんとか収拾を付けようと考えたとき「ふえ……」とか細い声が聞こえた。


「けんか、してるの?」


 ローさんと楠木がピタリと止まった。二人が振り向いた先には、依子さんに抱かれた我が娘――佳の、涙を浮かべた不安げな顔がある。


「虎さんとお姉ちゃん、けんかしてる?」

「あなた達、うちの娘がこう言ってるのだけど」


 娘の異変に反応して、依子さんの双眸がすっと細められた。底冷えのする声に、ローさんと楠木がビクリと身体を震わす。


「水色の毛皮はさぞ貴重でしょうね、ロー・リャンファン」

「あ、姐さん……!」

「未熟な後輩はもう少し訓練が必要か。一ヶ月コースいく?」

「ひぃ……!」


 依子さんの鬼気迫る眼力にあてられて、二人は顔面蒼白になる。他人事ながら俺も身震いしそうになる。

 母親の立場になってからというもの、依子さんの凄みは増す一方だ。逆らえる奴はそういないだろう。


「あとたーくんも。護法番の番頭なんだからもう少し威厳を持って。それじゃ示しがつかない」

「……はいすみません」


 もちろん俺も例外ではない。

 怒られて獣耳を垂らすと、依子さんは腰に手を当てて嘆かわしげに首を振る。


「そもそも番頭っていう呼び名がたーくんに相応しくない。あなた達、彼のことはこれからボスと呼びなさい。私はマム」

「「イエスマム!」」


 ローさんと楠木が声をハモらせて背筋を正す。なんでそういうときだけ仲がいいのか。

 すると、ころころとした笑い声が響いた。佳は機嫌を直したようで曇り顔がすっかり晴れている。楠木とローさんはほっと一息ついていた。

 どんなときでも依子さんにかかれば、皆が彼女のペースにハマってしまう。かつて俺を変えた依子さんが、今はもっと多くの人とアヤカシを変え始めている。それを改めて実感した。


 ――ほんと、俺だけじゃうまくいかなかっただろうな。


 俺と依子さんは今、人とアヤカシの争いを防ぐ逢魔おうま調停組織「護法番ごほうばん」を切り盛りしている。その性質から人とアヤカシが別け隔てなく所属しているわけで、何かと軋轢も生じやすい。空中分解に至らないのは、ひとえに依子さんの手腕のおかげだろう。

 そもそも今までは、人とアヤカシがこんな風に会話することもあり得なかった。まして楠木は腕一本をアヤカシに奪われているし、水虎のアヤカシも人間に仲間を惨殺された過去を持つ。

 そんな二人が、喧嘩しがちとはいえ同じ目的のために手を組んでいることは奇跡に近い。

 依子さんのおかげだけじゃなく、きっと、いろんなことが変わり始めている。


 俺は少しだけ、依子さんと二人きりだった頃を懐かしく感じた。

 再会してすぐの頃は毎日が激動だった。<祓い屋>を始めた影響で色々な揉め事に巻き込まれた。

 一番の事件は、かつて依子さんのつがい役を担った土御門宗吾さんが俺たちに合流したことだろう。彼は組織を離反し、脱走したり廃棄扱いになったアヤカシ喰いを保護する活動を始めていた。その余波で陰陽寮や外国から来た祓魔師連中と大規模衝突することもあったのだけど、今では遠い過去に思える。


 その間にも依子さんの出産があったり、一命をとりとめ隔離されていた楠木を連れ出したりと目まぐるしく日常は変化していった。今でこそ組織は安定しているが、色んな危機もあった。切り抜けられたのは皆のおかげだ。

 ……本当は、俺なんかが長になる筋合いはないんだろう。それぞれが自分の意思で動いたわけで、俺が率いたわけじゃない。宗吾さんが頑として受け入れないので役を担っているけど、料理当番くらいがちょうどいい。

 時折、重責に押し潰されそうになることもある。俺はやっぱり、情けない半妖だから。

 でも、何とか耐えてやっているのは、恩返しをしたいという理由もあった。

 あのゲーム好きな引きこもりのアヤカシが、今も変わらず引きこもっていられるように。


「ところでたーくん。相談があるんだけど」

「ん? なに?」

「そろそろ二人目が欲しい」


 森の中で、ブフォ、と吹き出す音が響く。三人分。

 残り二人のうち一人は澄まし顔をしているし、もう一人の女の子は「二人目~?」と首を傾げている。


「ああああ佳ちゃん! 虎さんに乗って駆けっこしようか!」

「いいですねぇ! ようしお姉ちゃんも勝負しちゃうぞぉ!」

「ほんと!?」


 目を輝かせた佳は依子さんに下ろしてもらうと、早速ローさんの背中に跨がる。「しゅっぱーつ!」というかけ声と共にローさんは山を下っていった。楠木は俺に、時間を稼ぐとアイコンタクトして後を追っていく。


「なにあれ」

「……気を遣ってくれたんだと思うよ」


 乾いた笑いが漏れる。依子さんもちっとも変わらないな。


「急なのはもう驚かないけど……その、欲しい、の?」

「次は男の子がいい」


 依子さんがぴったりと俺にくっついてくる。舞い上がる気分を抑えようとしたが、つい尻尾をぶんぶんと振ってしまった。

 しかし俺がまごついていると、依子さんはムッと唇を尖らせる。


「たーくんは欲しくないの」

「そ、そんなことはないよ? ただ、ボブさんとの仕事も順調そうだしさ」


 依子さんは組織を離反したアヤカシ喰いの世話をしつつ、魔臓宮の機能停止術の検討を進めている。

 依子さんの場合は妊娠という形を利用して魔臓宮を停止させたが、誰にでも使える手段じゃない。俺たちはどうにかできないかと研究した末、宿という方法に辿り着いた。これは天才的な技術を持つ法武官だった宗吾さんの功績が大きい。

 そして、もし俺の力が解析できれば魔臓宮の機能停止だけでなく、妖力遮断効果を持つ武器を作ることもできる。そうなれば、アヤカシ喰いを生む負の連鎖も止められるかもしれない。

 まずは呪符で魔臓宮の機能を削ぐ案を試しているが、少しずつ成功例が出ているらしい。

 今が順調だからこそ、仲間を救うために奔走する依子さんの足止めになってしまわないか心配だった。


「仕事とか、一区切りついてからでも――」

「へぇ。たーくんのくせに私の言うこと聞けないんだ」


 やべ、と思ったときには既に喉元にナイフが突き付けられていた。

 アヤカシ喰いを引退して速度は落ちてるはずなのに、なぜかこういうときだけまったく見切れない。


「従うか、食べられるか、どっちか選びなさい」

「お、俺の体、美味しく感じないのでは?」


 既にアヤカシ喰いを引退した依子さんは、アヤカシの血肉を得たところで何も変化はない。当然、食欲や味覚だって元に戻っているはずだ。

 それでも、依子さんは妖艶に笑う。


「食べたいところがそこだけだと思う? 他にもたくさん、色々あるんだから」


 背筋をゾゾッと、冷たいものが走る。

 同時に、胸の高鳴りを覚えた。

 依子さんの底なしの欲に、俺はつい心を動かされてしまう。

 全てを欲するこの女性に、魅了されてやまない。


「私はたーくんがいないと生きていけないの。だからちゃんと、私を満たしてね」

「……了解です。依子さん」


 俺は彼女の手を握りしめて、笑いかける。依子さんはナイフを下ろして満足げに微笑んだ。

 俺はこれからもずっと、彼女のために生きるだろう。

 どんなことがあろうと、どれだけの年月が経とうと、それはきっと変わらない。


 ☆ ☆ ☆


 これは一人の半妖と、一人の女の歪んだ恋の物語。

 彼らのねじ曲がった愛が、ねじ曲がった世界のことわりを正す物語。

 そして、後世に語り継がれる、一組の夫婦の物語。

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アヤカシ喰い依子さんの非常食 伊乙志紀(いとしき) @iotu_shiki

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