第2話01 この世界について私が考える、いくつかのこと




 じっとしていてつまらなくないか、ときかれ、黙って首を横に振る。

 本でもあればそれで時間を潰しただろうが、ないので静かに膝を抱えている。

 ただ、別に暇を持て余している訳ではなかった。


 この世界には、たくさんの〝考える余地〟がある。

 たとえば、社会のことや政治のこと。そういった、私の手に余る事柄。

 たとえば、私たちはどこから来て、どこへ行くのか、なんていう考えてもすぐに答えの出ないような問い。

 はっきりした答えはなくて、だからこそ評論家や批評家、哲学者といった人たちがいるのだろう。

 難しいことは、そうした人たちの領分だ。


 私はただ、漠然と、ふと気になったことについて考える。

 答えは出なくてもいい。考え続けることに意味がある。

 そうしているうちに時間は過ぎていくから。


 だから、私は今日も考える。


 たとえば、今日の晩ご飯。

 たとえば、明日の授業について。


 たとえば、あの子のことを。




               * ―― emi




 ――見られている。


 最近ことあるごとにそう感じるのはきっと、気のせいでもなければ自意識過剰からくるものでもないだろう。

 だって、振り返れば、ほら――


「……どうしたの、恵実えみ?」


 声をかけられ向き直ると、お箸を咥えたかなちゃんがいぶかしげな顔でわたしを見つめていた。


「え、あ、うん……」


 曖昧に頷くと、これまで意識していなかった教室の喧騒が戻ってくる。


 目の前には、まるで不機嫌そうに眉根を寄せる叶ちゃん。

 わたしが気もそぞろでちゃんと話を聞いていなかったからか、それとも他の理由からか。拗ねているのかもしれないし、ただもぐもぐしているだけかもしれないけど、ふくれっ面をしていた。


 わたしは後ろを気にしつつ、声を潜めて、


「……最近、なんか見られてるみたいで」

「見られてるって、誰に」


 叶ちゃんがいっそう眉間の皺を深くする。目つきが悪くなり、まるで睨んでるみたいだった。つり目がちなのもあってよけいにそう見える。


 仁森にもり叶ちゃん。

 顔立ちもスタイルも良く美人で、おまけに成績も優秀。腰まである黒髪はきれいで憧れるし、後ろで一房だけ束ねている赤いシュシュもアクセントになっていて可愛らしい。

 そんな彼女だからこそ、そうしたコワい表情が玉に瑕だった。


 まあ、叶ちゃんは大体いつもこんな顔をしていて、別に怒っているわけではないようなので、あまり気にしないことにする。

 それより。


「……委員長に」

乙見おとみさん?」


 叶ちゃんが珍しく目を丸くする。きょとんとして可愛らしかったのは一瞬、すぐに疑うような眼差しをちらりとわたし、の後方――委員長の方に向け、目を細めて、


「……ほんとだ」


 小さくつぶやき、呆れとも驚きともつかない吐息をもらした。


 叶ちゃんがすぐ納得するほどにこちらを見ているのかと確認したい衝動に駆られるも、振り返れば目が合うのは確実なのでここはグッと堪える。だって、気まずい。

 代わりにわたしは口を開いた。


「ね、見てるよね? 最初は偶然だと思ったんだけど……ほら、委員長ってぼんやりしてること多いから」


 その視線の先にたまたまわたしがいたのだと思っていた。でも。


「何度か目が合うようになって……。間違いなくわたしのこと見てるの。……なんでだと思う?」


 委員長とは同じクラスというだけでまったくといっていいほど接点がない。まともに口をきいたことすらないのだ。それが、なぜ?


 叶ちゃんは怒っているような困っているような顔になり、


「あのロボット委員長に睨まれるくらいだから……何か、目を付けられるようなことでもしたんじゃない?」


 と、答えになっていないような返事をよこした。


「その覚えがないから困ってるんだよ……」


 別に無視していればいいだけなんだけど、なんというかこう、見られていると思うとその視線が気になってしょうがないし、見まいとすればするほど意識してしまう。


 ロボット……そう揶揄されるくらい、笑っているところを一度も見せたことがない鉄面皮っぷり。無表情で、無口。一応委員長だから必要事項は口にするけど、それ以外の会話はまるで無駄と思ってるみたいに冷め切った目でお喋りするクラスメイトたちを見ている。

 それだけでも充分なのに、委員長は一年生の時から常に学年トップの成績を保持していて、運動もそれなりに出来るっていうからこれはもうロボットだろうと――実はわたしもちょっぴり思っている。


「……まあ、」


 叶ちゃんはお弁当をつつきながら、独り言のようにつぶやく。


「嘘みたいな完璧設定で、おまけにあの見た目だから割と人気も高いけど、でも誰にも興味ないって感じの委員長に注目されてるんだし、悪くはないんじゃない?」


 どういうポジティブな受け止め方したらそうなるんだろう。

 そういう特別な人の目に留まるっていうのは確かに珍しいことで、マンガなんかだとそこから関係が発展していくこともあるんだろうけど――


 ……乙見さん、女の子だよ?


 と、わたしが解けない謎に眉をひそめていると、


「おまたせー」


 購買にお昼を買いに行っていた純直すなおちゃんが戻ってきた。

 運動部だからか、二つに結んだ髪を揺らしながら軽やかなステップで机の間を縫ってくる。両手に持った惣菜パンがなんだか微笑ましい。


「おや、どしたのん、二人して変な顔。仁森さんは元からだけど」


 言いながら近くの椅子を引っ張ってきて腰掛ける。叶ちゃんがまた顔をしかめた。


「何よ元からって。眼科いきなさいよ無神経おんな。あ、ひとのおかず取るなっ」

「冷凍食品の味がしますな」

「せめていただきますとか美味しいとか言いなさいよ無遠慮おんな」


 いつものことなんだけど、二人のこうしたやりとりになぜか胸のうちがざわざわして落ち着かない。一触即発、とまではいかないまでも、叶ちゃんの口の悪さにはひやりとする。


 一方の純直ちゃんは気にした様子もなく、買ってきたパンの包装を破り、笑顔でかぶりついた。そして言う。


「口直し口直し」

未善みよし、あんたねえ……」


 叶ちゃんの目元がひきつった。


「まあまあ……」


 そちらを宥めつつ、わたしは自分のお弁当箱の中から卵焼きをつまむ。


「はい、純直ちゃん」

「あーん。……んむ。やっぱりえみりーのおかずが一番だね。ざっつ手作り。ぬくもりがあるよ。万人受け狙ったレトルトよりよっぽど」

「あたしになんか恨みでもあるのあんた?」


 美味しそうに頬張る純直ちゃんを見ていると、さっきまでのあれこれはいつの間にか気にならなくなっていた。




               ↓↓↓




「純直ちゃん先戻ってていいよ。あとはわたしやっとくから」

「そう? ありがとえみりーっ、じゃあお先ー!」


 放課後、部活のある純直ちゃんを送り出し、一人で教室の後片付け。

 ゴミ袋を校舎裏まで運べば仕事は終わり。

 十分かそこらの短い時間――


「……はあ……」


 鞄を取りに教室へ向かう道すがら、気付けばため息がこぼれていた。


 掃除中、同じ部活の子に声をかけられ、うずうずしていた純直ちゃん。それを見かねて残りを引き受けたけど……。


 少しだけ、後悔してる。

 せっかく一緒にいられる時間だったのに。

 今頃、純直ちゃんとお喋りしながら歩いていたはずなのに、と。

 最近……まあ今に始まったことじゃないけど、クラスが違った昨年よりはマシだけど、純直ちゃんといられる時間は少なくなっている。

 掃除当番とはいえ貴重な時間だったのになぁ……。


「うー……」


 悶々としながら、のろのろと廊下を歩く。

 誰もいない教室に戻り、鞄を回収。

 そのまま、帰ろうとした時だった。


「……あ」


 音もなく、突如として目の前に現れた。


 わたしより頭一つ分高い背丈、上から見下ろす無機質な眼鏡。すらりとした体型だけど出るところは出ていて、頭の上で束ねたポニーテールがよく似合っている。

 冷たい表情で、彼女――乙見さんは、固まるわたしを一瞥して、


「…………」


 何も言わず、横を抜けて教室に入っていった。


 ……え?


 しばし、動けなくなる。

 恐る恐る振り返ると、委員長は自分の席に向かい、鞄に机の中身を詰めていた。


 偶然、だろうか?

 わたしが掃除当番で遅くなったのは偶然だけど、委員長は?

 ……確か委員会か何かがあったと思うけど……。

 最近感じる視線のことを考えると――


「……ごくり」


 と、固唾を呑む。


 まさか、わたしのことストーカーしてるのでは……?


「いやいや……」


 ふと浮かんだ可能性に戸惑っていると、帰り支度を整えた委員長がこちらを見た。

 わたしはつい警戒し身構えてしまうのだけど、


「…………」


 さようならの一言もなく、委員長は再びわたしの横を抜けていく。

 拍子抜けして気が緩んだのも一瞬、


「ちょっ、ちょっと待って……!」


 思わず、彼女を引き留めていた。


「……何か?」


 振り返った彼女に見つめられる。その視線が制服を掴むわたしの手に落ちた。

 あまりに淡白な反応にわたしは言葉を失って、頭の中が真っ白になる。何も言えないまま、大人しくその手を離した。


「えっと……」


 勢いというか反射的にというか、思わず引き留めてしまったけど……「なんでいつもわたしのこと見てるんですか?」とかきくのもなんだか変だ。ちょっと気まずい。

 一方、わたしの方はこうも悩んでるのに、委員長ときたら相変わらずの無表情。気まずさなんて微塵も感じさせない。


「いや、その……乙見さん、わたしに何か用でもあるのかなー……って」


 悩んだ末、ほとんど単刀直入な質問になってしまった。

 その結果、まじまじと見つめられる。

 いつもの、あの視線だ。

 上からの威圧感というか目力のようなものに圧され、わたしはぎこちない動きで顔を逸らした。


「あ、の……な、なんかわたしにききたいことでもあるのかなぁって……」


 すると、彼女は言ったのだ。


「君――、」


 わたしのことを透明な眼差しで見つめ、静かに、だけど子どものような無邪気さを感じさせる声で。



「未善さんのこと、好きなの?」



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片想いのカタチ 人生 @hitoiki

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