最期に
結文
今、私達が生きている世界の何処か……「限られた人だけが知る」粗末な小屋から、一枚の張り紙が溶けるように消えた。
常時募集案件、と題されたその張り紙は、最早必要が無くなったからだ。一人の女性が記された「依頼」に着手し、無事遂行したからである。
但し、この張り紙が消えたからといって、粗末な小屋霧のように消滅した訳では無い。小屋は今でも街外れに、海沿いに、人気の無い山間に建っている。
真ん中に置かれたテーブルの上、そこに新たな依頼書を滲むように浮かび上がらせ……着手する人間を、小屋はいつでも待っている。
私達がいつもと変わらぬ食事を摂っている時。私達が通勤もしくは通学に溜息を吐く時。私達が空想の中にだけ在る「別世界」に思いを馳せる時――。
全く同時期に彼ら……「執行者」と呼ばれる影の存在が、各世界毎に定められた輪廻限界数を保つべく、「別世界」で死闘を繰り広げているのだ。
私達は忘れてはいけない。私達は此方の世界で生まれ、こちらの世界で死ぬべき生物である事を。
私達は目撃したはずだ。死ぬべき世界を捨て、異なる世界に活路を見出した者の末路を。
私達は知っている。例え刃の輝く追跡を免れても、行住坐臥一分一秒寸刻を置かず、見えぬ恐怖に殺気を滾らせ、必死に生きる者の哀れさを。
私達は「この世界」で努力し、成功を収め、失敗し、最期を迎えなくてはならないのだ。抗えぬ超常的作用――例えば私達は、この作用を神仏と呼んで崇める傾向が多い――によって、据え置かれた輪廻の中を生きて行くのだ。
あぁ、命を終えたら「別世界」に生まれたい……。
言葉、思念の持つ力は実に恐ろしい。このような願いを一定の度合い以上抱き続けると、本当に「籍を置くべき輪廻」を逸脱し、「籍を置いてはならない輪廻」に自らをねじ込んでしまうからだ。この罪深き現象を、私達は通称「転生」と呼称する。
転生した者の行く末を……私達は一人の男と、二人の女を通じて学ぶ事が出来た。大抵は惨たらしい終わりを迎えるか、先述したようにいつ何時襲って来るか分からない追っ手に震え、毎晩武器を抱いて眠る事を強制される。
私達は、もう理解しているのだ。私達の一部……輪廻を逸脱しようとする者に対し、「別世界」が怒り狂っている事を。怒れる世界をなだめすかし、何とか崩壊という選択肢を与えないよう努力するのが執行者達である。しかしながら彼らの内、一体何人が「自分達の存在理由」を完全に理解しているかは不明だ。
私達の技術力、思考力如きでは、未だに平行して存在する「世界群」の観測が不可能である。無限に存在する世界群の中……私達の暮らす世界と隣り合う、双子のような世界が「今回の舞台」であった。他に存在する世界は種々の差が余りに大きい。
「ヒト」という生物種が暮らさぬ世界。これが「どちらかと言えば」普通である。私達が粘菌と呼ぶ生物だけが生きる世界がある。巨大な岩石がポツンとあり、そこだけで全ての生物が循環する世界がある。単為生殖が出来る虱が一匹、気軽に飛び回る空虚な世界がある。暗黒の中で暮らす音波生物だけが生きる世界もある。
これらの生物は「転生」を求めない。求める思考が無い、と表現するのは余りに暴論である。彼らは気の遠くなるような年月を悩み、苦しみ、そして充足を悟ったのだ。
私達「ヒト」が充足を知り、笑顔で生きて行く日々はいつ訪れるのか。
これだけは如何なる存在も結論出来ない。否、結論する事自体が不毛であると知っているのかもしれない。
お気付きだろうか? この瞬間、またしても一人の「転生者」が現れたのを。この転生者――若い男だ――は醜い程の安寧欲に駆られている、元の世界で努力という努力もせず、「あぁ嫌だ嫌だ」と首を吊った大馬鹿者だ。
人一倍上を望み、人一倍ものぐさな彼はこう叫んだ。
「今度こそ、人並みの生活を送るぞ!」
その後に男は辺りをほっつき歩き、無知蒙昧な奴隷の少女を欺して子を孕ませるだろう。少女を「今こそが幸福というものだ」と洗脳し、農業の真似事を始めるに違い無い。
そして――男は殺されるのだ。男が暮らしていた世界から遙々やって来た「執行者」によって。
私達は賢い生物のはずだ。
猛り狂う猛獣の尾をわざと踏み付けるような真似はしないはずだ。
この世界での「努力」を始めよう。
身の丈に相応しい、僅かに輝く幸福を求めて歩き出すのだ。
もし――ここまで平和的警告文を読んでなお、更に「別世界」への移住を要求する豪の者がいるのであれば……。
今日から貴方は、「転生者」である。
ここでは無い、異世界の何処か隅の隅で――。
次のように言いながら、誰かが貴方の命を絶つだろう。
「死ね。貴方には、前の世界が相応しい」と。
Yurika 文子夕夏 @yu_ka
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