サクラ散る
結城藍人
サクラ散る
それは「完全なる植物」と呼ばれた。
耐暑性、耐寒性、耐湿性、耐乾性のすべてに優れ、世界中のどこでも栽培が可能。根には一部の豆類と同じように窒素固定作用があるので肥料が無くとも荒れ地で育つ。
耐病性にも優れ、あらゆる病原菌を寄せ付けない。昆虫だけに効果のある神経毒が表皮に含まれるので、害虫も寄せ付けない。
そして、通常の植物の数倍の光合成能力を持つことから、地球温暖化への対策として有望なだけでなく、窒素酸化物などの有害物質も取り込んで空気を浄化する能力を持つ。それどころか、根から地中の重金属などの有害物質を取り込むこともできる。取り込まれた有害物質は実の中に凝縮させて木の外に排出される。その実さえ処理すれば、環境汚染を浄化できるのだ。
放射性物質への耐性すら持つので、放射能汚染された地に植えると、実さえきちんと回収すれば、数年でその地を浄化することができる
遺伝子工学の精髄として生み出された、夢の完全植物。
ただし、有害物質をすべて実に凝縮するという仕様であるが故に、唯一できないことがある。普通の植物ではできるのに、できないこと。それは、種子によって子孫を
しかし、それは欠点とは見なされなかった。普通の植物でも「株分け」や「挿し木、接ぎ木」といった栄養繁殖によって、まったく同じ性質を持つ植物を殖やすことができるのだ。この完全植物は生長力、生命力も非常に強く、栄養繁殖も簡単に行えた。
そして、その寿命に限界は無いとされた。老化遺伝子自体は持っていたが、栽培の結果、老化遺伝子の発現が確認されなかったのだ。
これらのことが確認され、いくどかの実験栽培の結果として、環境への悪影響も観測されなかったことから、この完全植物は急速に世界中に普及することになった。
実験栽培の少なさを危惧する声も多かったが、それ以上に世界の環境危機の方が深刻だったのだ。
そして、この完全植物は、人類の期待に完全に応えた。地球温暖化の危機は解消され、深刻な環境汚染は浄化された。世界は美しい空気と水を取り戻し、人類は科学技術のもたらす果実を、環境汚染という代償なく賞味することができるようになった。
その普及は急速だった。一般に植樹が認められるようになってから、世界中に完全植物が植えられるようになるまで、二十年とかからなかった。
もとより植物ではある。生長力が高いとはいえ、その生長には時間がかかった。植えられてから、環境浄化に必要な能力を完全に発揮できるようになるだけの大きさに育つまで十年はかかる。そして、それ以上は生長しない。
だが、それでも三十年。たった三十年で、世界は環境汚染の危機から救われたのだ。
そして、世界中にこの植物があることが普通になった。人々は、この完全植物を、常に身の回りにあるものと見なした。生まれてから死ぬまで、この完全植物に囲まれて暮らす。それが当たり前のことになった。
この完全植物は、元になった植物とは違って常緑樹だった。しかし、年に一度、春になる前に落葉し、一斉につぼみをつけて美しい花を咲かせる。そして、その花が一斉に散ったあとに実を付ける。食べることはできないが、人類にとって有害な物質を封じ込めてくれる実を。そして、再び青々とした葉を茂らせるのだ。
そして、その名前は、元になった植物の名をそのまま受け継いでいた。完全植物は、こう呼ばれていた……「サクラ」と。
サクラが人々の生活に欠かせないものになってから、時が過ぎた。生まれた子が育ち、親になり、その子も育って親になる。それが何度も繰り返され、世代が積み重なっていった。百年、二百年……世界にはさまざまな問題が起きたが、サクラは常に世界の汚れを浄化し続けた。
そして、六百年が過ぎようとしたある日、最初のサクラが枯れた。
「何という失態だ! 記念樹を枯らすなどとは!!」
記念館の館長は頭を抱えていた。
世界で最初に実験農場に植えられたサクラ。それは世界の浄化と繁栄を象徴するものとして、記念館にされた実験農場と共に記念樹として保存されていた。
「それで原因は? 水を切らせたか? 逆に誤って与えすぎたか? エアコンの誤動作で冷やしすぎたか、熱しすぎたのか?」
完全植物とはいえサクラも植物。通常の植物よりは強いとはいえ、過度の乾燥、加湿、高温、低温の環境にしてしまえば枯れてしまう。だから、それらのうちのどれが原因なのかと問うた館長は、原因を調査していた研究者の返答を聞いて絶句した。
「老化……だと!?」
「寿命、と言ってもよいかと思います。老化遺伝子の発現を確認いたしました」
答える研究者の顔は蒼白だった。
「サクラは完全植物ではなかったのか!?」
悲鳴のように問う館長に、研究者は白い顔のままで首を横に振った。
「今まで確認されていなかっただけです。サクラには寿命があったのです」
「六百年……六百年もたって、それが確認されるとは……」
呻く館長に、追い打ちをかけるように研究者は言った。
「ほかのサクラを調べたところ、やはり老化遺伝子の発現が確認されました。このままで行けば、向こう二十年で世界中のサクラは全滅します」
「ぜ、全滅!?」
研究者と同じような顔色になった館長に対して、研究者は現実を突きつけた。
「世界中のサクラは、ほぼすべてが、たった二十年の間に植えられたものです。そして、サクラは基本的にすべて栄養繁殖で殖やされたものですから、遺伝子はすべて同じ。生物学的特徴は変わらないのです。寿命も同じであると考えるべきでしょう」
それを聞いて頭を抱えた館長は、呻くようにつぶやいた。
「何ということだ……大至急、かわりとなるサクラを栄養繁殖によって殖やさなければ、世界は大混乱に陥るぞ」
だが、半ばひとりごとのようにつぶやかれた館長の言葉に対して、研究者の口からはさらに非情な宣告がなされた。
「いえ、残念ながら、それは不可能です」
「どういう意味だ!?」
「調査の結果、世界中のすべてのサクラで既に老化遺伝子の発現が確認されました。老化遺伝子が発現している個体から栄養繁殖を行った場合、その老化遺伝子が発現した状態で生長が行われることが判明しています。つまり、寿命が最長でも二十年しか無いということです」
「サクラが充分に生長するまでには十年が必要……つまり、新たに繁殖させても事実上十年しか保たないというのか?」
「はい、残念ながら……」
「なぜだ!? 普通の植物ならば、老化した個体からでも栄養繁殖で若い個体を作れるのではないか?」
「サクラは自然の植物ではありません。遺伝子工学によって作り出された植物なのです。栄養繁殖に際して劣化が起きないように、親個体の持つ遺伝子を忠実に引き継ぐようにプログラムされていたのです。今回の場合は、それが逆に仇になってしまったのですが……」
それを聞いた館長は背筋に冷たいものが走るのを感じつつ、問い返した。
「今、世界には『若い』サクラは一本も無いのだな?」
「……はい。そんな必要はなかったのです。完全植物だと思われていたサクラを繁殖させる必要などは誰も感じませんでしたから。この六百年間に何らかの要因で枯れたサクラは片手で数えるほどしかありません。代替のサクラを植える必要が無い程度の損耗しかなかったのです。ですから、世界中を探しても樹齢五百八十年以上のサクラしかありません」
「何ということだ……」
絶望的な宣告に、館長は自分の足元が崩れ落ちたように感じていた。
と、そのとき、館長の頭の隅にひとつの考えが
「ん、待てよ! 元々からしてサクラは遺伝子工学によって生み出された植物ではないか。それなら、遺伝子工学によって若い個体を新たに作り出せばよいのではないか?」
だが、それに対する研究者の答えは、歯切れの悪いものだった。
「理論上は可能です。サクラの
それを聞きとがめた館長が問い返す。
「理論上は、だと?」
それに対して、研究者は苦い顔でうなずいた。
「はい。現実には
「……必要が無かったからか」
使う必要が無い技術は失われる。二十世紀中盤に存在価値を失った巨大火砲の製造技術が、二十一世紀には既に失われていたように。
頭を抱えた館長に対して、研究者は励ますように言った。
「試行錯誤すれば、必ず成功します。二十年の……いや十年は生長の時間が必要ですから、その分を引いて十年になりますが、それでも、十年あれば
「……そうだな」
その言葉に気を取り直した館長は、すぐに秘書を呼んで監督官庁の大臣に面会のアポイントメントを取るように命じた。状況を説明して、研究を始めなければならない。
「このまま放置すれば世界が終わる。何とかしなければならんのだ。すべてのサクラが散る、その前に……」
――――
ソメイヨシノの寿命が約六十年で、日本各地のソメイヨシノが一斉に枯れ出す時期にきているという話から思いつきました。
お楽しみいただけたのでしたら幸いです。
サクラ散る 結城藍人 @aito-yu-ki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
突発的エッセイ/結城藍人
★8 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます