左回りの女神様
ここ最近はダートの競馬が盛り上がってますよね。
サウジやドバイで日本馬が勝つようになり、ケンタッキーダービーで日本の馬が勝ち負けの争いをするようにもなりました。
地方と中央を合わせたクラシック競走も始まりました。
そして、ダートグレード競走では地方馬が中央勢を打ち負かすことも増えてきましたね。
2023年のジャパンダートダービーでも、大井競馬生え抜きのミックファイアが中央勢を打ち負かし、無敗でクラシック三冠を達成しました。
そのシーンを見ながら、わたしは少し前まで大井に所属していた、ある馬のことを思い出していました。
サルサディオーネは中央にいた頃からずっと応援していた馬でした。
わたしと同じ青森生まれで逃げを得意にしてた彼女。
左回りのダートではしぶとい根性を見せるものの、反面右回りはまるで駄目。
重賞だと2着3着はあるけど、勝つにはまだ少し足りないのかなというイメージで。
このまま中央ダートだと頭打ちになってしまうんだろうかと思っていたところで、彼女の地方競馬への移籍が発表になりました。
地方競馬ならもっとやれると喜んだのも束の間のこと。
移籍先が右回りの大井競馬と聞いて、右回り駄目なのに……と不安な気持ちが出てきます。
賞金があるから編入先はオープンクラスですし遠征に出ればいいだけなのですが、大井で走るときはまず厳しいんだろうなあと。
年齢も年齢だし、どっかで一花咲かせられたらいいなあと、期待と不安の入り混じったような感情でいたのを覚えています。
そして移籍初戦がダートグレード競走のTCK女王盃と聞いて、不安は増すばかり。
強い中央勢にくわえて、地方勢もなかなかのメンバーが揃いました。
中でも、気合の入った逃げ馬のクレイジーアクセルがいるのに気が気でないわたし。
前年のダートグレード競走クイーン賞をぶっちぎりで逃げ切ったクレイジーアクセルがいるということは、ハナ争いは避けられそうにありません。
それでも当日は用事を済ませ、いそいそとモニターの前に陣取りました。
勝てなくても、きっとなにかを掴んでくるに違いない。
そう思うしかありませんでしたが……。
ゲートが開くと、クレイジーアクセルがロケットスタートを決めました。サルサディオーネはというと少し立ち遅れ。
それでも、すぐにリカバーして2番手を追走します。すぐ後ろには中央勢のマドラスチェック。
ペースはかなり速い様子。これを見たわたしはもう諦めモード。
「間違いなく前2頭で共倒れだわ。仕方ない……」
思わず、そんな言葉が口をつきます。
直線に入ってマドラスチェックに抜かれ、後続もわっと押し寄せてきます。
クレイジーアクセルもサルサディオーネも無抵抗のままズルズルと下がるばかり。
かくして、移籍初戦は見るも無惨な大敗となってしまいました。
次で巻き返しができたらいいのだけど、どうかなあ……と思うしかありません。
しかし、巻き返しのチャンスはすぐにやってきました。
3週間後、船橋の重賞報知グランプリカップに、彼女の姿がありました。
南関東限定の重賞とはいえ、牡馬との混走。おまけにタービランスやベンテンコゾウなど、かなり強いメンツが出走表に名前を連ねていました。
それでも、わたしは彼女の頑張りに少し自信を持っていました。
得意の左回りなら中央時代から牡馬が相手でもいい内容で走れていましたし、逃げが打てれば十分やれると思ってました。
前走で何かを掴めていたなら、ここで出すだろうとも。
それに、今回は中央から岩田騎手が乗りに駆けつけるとのこと。岩田騎手は彼女を重賞で2着に導いてくれたこともありました。
パドックの彼女は前走より調子が良さそうに見えますし、大外枠に入ったこと以外はすべてが良い流れに乗っているように感じます。
これはもう、必勝体制だと思ったわたし、応援と呼ぶには少し多めの金額を彼女の単勝に突っ込みました。
後はもう、全てがうまくいくように祈るだけです。
ゲートが開くと、彼女は猛然とスタートダッシュを決め、左斜め45度の角度で馬場の内側に切れ込んでいきます。
その姿を見た途端、わたしは「前走で掴んだんだな」と。
今回も逃げたい馬は他にいましたが、彼女は何が何でも先頭を取り切るんだという気合を表に出してました。
「これが掴めたんなら、きっと大丈夫」
わたしはそう思うと、画面の向こうの彼女に視線を送ります。
彼女はそのまま先頭を奪い切ると、気分良さそうに後続を引き連れて向正面へ。
後ろでは有力どころが激しいポジション争いをしている中、彼女だけマイペースで逃げを打っています。
「これなら大丈夫」と「後ろから差されるかな」との思いが頭の中を行ったり来たり。
そうしてるうちに3コーナー。すぐ後ろにはタービランスをはじめ有力どころが束になって襲いかかってきます。
そのまま4コーナーに突入。タービランスがすぐ後ろに迫って来ます。
彼女はと見れば、岩田騎手の手は動いているものの、がっちり追ってるというわけでもない様子。
「これならいけるか!?」
そう思った途端、胸の奥がドキンと鳴りました。
直線に入って彼女がスパートをかけると、タービランスが引き離されて行きます。
懸命に追い上げるタービランスに後ろからヤマノファイトが追い込んできますが、サルサディオーネも根性で粘り込みを図ります。
そのまま1馬身半のリードを保って、彼女は先頭でゴールに飛び込んできました。
こうして、重賞ウィナーとなった彼女を見ながら、わたしは喜びというよりもホッとしていました。
地方に転厩してきてよかったなあ……と。
中央にいたままであれば、おそらくここまでにはならなかったのではないかなと思ってましたから。
それがハンデ戦とはいえ牡馬の一線級に勝てたことで、わたしもなんだか自信がつきました。
これなら地方でやっていけるな、と。
地方重賞を勝った彼女が次に目標にしたのは、ダートグレード競走。
次に出走してきたエンプレス杯は逃げを打てずに大敗してしまいましたが、続くマリーンカップでは後に長くコンビを組む矢野騎手に導かれ、中央所属のメモリーコウ以下を完封して勝利。牝馬同士のダートグレード競走でも結果を出しました。
6歳の牝馬がここに来て結果を出したことを喜びつつ、もうひとつ上を目指せたらいいなあとは思いつつ。
でも、この上はきっとJBCなんだろうなあ……とも。
この年のJBCは大井競馬場で行われることが決まってました。
普通ならホームだし地の利もあるしなんとか好勝負をと思うところですが、彼女が普段暮らしている厩舎は大井競馬場ではなく、千葉の印西にある小林分場なのです。
大井へはレースのときだけ1時間半くらいかけて輸送されてくる……というわけで、あまりホームとは言いづらい状況でした。
その上彼女は右回りが苦手。
JBCレディスクラシックに出走が決まりましたが、「無事に戻って来いよ」としか思えませんでした。
当日になっても「せめて左回りならなあ」とパドックを見ながらぼやく始末。
人気も15頭立ての10番人気とほぼノーマーク扱い。
彼女はそんな低評価を覆そうと、果敢に先頭を切って逃げたのですが……。
結果は7着。見守っていたわたしも直線の入り口でもう天を仰ぐしかありませんでした。
どこかで巻き返せたらいいのだけれど、とは思いましたが、果たして6歳の秋にこれで次があるかどうか。
わたしには見当もつきませんでしたが……。
しかし、巻き返しのチャンスはすぐに訪れました。
次の月、船橋のダートグレード競走クイーン賞。
アッシェンプッテルやメモリーコウなどの中央勢に混じって堂々の3番人気。
得意の左回りならチャンスはあるということなのでしょう。
わたしもそれに乗っかることにして単勝を買い込み、モニターの前に陣取りました。
ゲートが開くと、彼女は好スタートを決めて先頭に立ちます。
そのまま気分良さそうに向正面に入って行きます。
後続はついていくのがやっとの様子。ペースは明らかに速めを示してます。
3コーナーからの勝負どころで後ろが追いつこうとペースを上げてきても、彼女の手応えにはまだ余裕がみられました。
そうして直線に入った彼女がラストスパートに入ると、後続は追いつくことができません。
そのまま先頭でゴールした彼女の姿を見て、わたしは言いようのない感動にかられていました。
「こりゃあすげえ。強くなったなあ……」
そう言わずにはいられないくらいの勝ち方、
こりゃあ来年も間違いなく走るし、牝馬限定なら主役を張れるんだろうなあ、と。
そう思ったら、来年の活躍が楽しみになりました。
明けて7歳になった彼女は走り続けます。
2月の報知グランプリカップは一番人気に応えられず掲示板止まり。とはいえ牡馬との混走では致し方なかったかもしれません。
続くエンプレス杯はマルシュロレーヌの強襲に遭って2着、マリーンカップはテオレーマの3着となかなか勝てないレースが続きました。
かしわ記念では牡馬の一線級が相手とあって掲示板を外してしまいましたが、その後のスパーキングレディーカップからスパーキングサマーカップをはさんで日本テレビ盃まで重賞3連勝を決めてしまったのです。
3戦目の日本テレビ盃はクリソベリルやダノンファラオといった中央の牡馬の一線級も参戦してましたが、彼らを引き連れて少し速めのペースで先頭を切る彼女はとても格好良く見えたものでした。
この頃になると『サルサ姐さん』というニックネームもつくようになり、勝った直後はファンから「姐さん強いなー」とか「きっぷの良い逃げのサルサ姐さんかっこいい」なんてコメントやSNSの投稿を目にするようになりました。彼女に新たなファンがつくことはわたしにとっても嬉しいことで、「強いでしょ?かっこいいでしょ?」とコメントを見ながらニコニコしたりしてました。
そうしてるうちに、彼女の次走がJBCレディスクラシックと発表になりました。当然のようにファンの皆さんは「牡馬相手であの勝ち方できるんだから牝馬同士なら余裕じゃん」と言って盛り上がってましたが、それを見てるわたしの頭の中に、こんな言葉が浮かんでいたんです。
「あれ、ことしのJBCって金沢だったよね……?」
JBC競走は毎年開催地が変わりますし、開催地によっては距離も変わります。彼女が普段過ごしてる小林から金沢までの長距離移動だって普段慣れないことですし、何より彼女の苦手な右回り。
「たぶん、出るだけになっちゃうかなぁ……」
そんな思いが最後まで消えませんでした。
どうにか頑張ってほしいと思いながら見たレースでは、4コーナーでもうズルズルと下がっていくばかり。モニター越しで見守ってたわたしも頭を抱える大敗。
「やっぱ右回りだもん。しゃあない」と切り替えるにしても、7歳という年齢が気にかかります。もうどこかのタイミングで引退を考えてもいい頃合い。ここかその次あたりがいいタイミングなんじゃなかろうかと、勝手に思ったりもしてました。
次のクイーン賞では一番人気に推されましたがダイアナブライトの強襲に遭って2着。「次はないんだろうなあ」と引き上げる後ろ姿を見ながら思ったものでした。
……が、引退のお知らせも登録抹消の通知もやって来ないまま、年が明けてしまいました。
この年のJBCは左回りの盛岡。まさか現役続行かなとうっすら思いはじめたところで行われる2月の川崎記念。
そのパドックに、8歳になった彼女が姿を表したのです。しかもピカピカの馬体で。
とても8歳に見えない出来に神々しさまで感じてしまうくらい。
勝手に引退だと思って次走報を見ていなかった自分を恥じ入ったことは言うまでもありません。
パドックを周回する彼女を見て、「こうなりゃ最後までついてくか」と、わたしも覚悟を決めました。
そして強敵揃いだとわかりつつも、単勝を買いこんだのです。
川崎記念はロケットスタートで先頭こそ奪ったものの後続につつかれる厳しい展開。3コーナーで先頭を奪われると堪えきれない様子で下がりますが、最後まで諦めずにゴールに飛び込んできました。
牡馬のトップクラスが相手では9着も致し方ないことではありましたが、直線でズルズル下がる一方ではなかったことに安堵しつつ、牝馬同士ならまだやれるなと感じていたのです。
そうして迎えたエンプレス杯もマリーンカップもショウナンナデシコに差し切られての2着。彼女に衰えは感じませんでしたが、ここに来て勝てないのは少し辛いものがありました。
せめてどっかで勝てたならと思っていたところに、陣営は彼女を1400メートルのダートグレード競走さきたま杯に出走させて来たのです。
牡馬との混合戦、はじめてのコース、久々の1400メートル。
少し不安もありましたが、彼女を信じてモニターの前へ。
好スタートからシャマルやサクセスエナジーなど名うての短距離巧者を引き連れ、彼女は先頭をかっ飛んで行きますが、リードはわずか。
シャマルと並んで直線に入って来ますが、交わされそうになり「ここまでか」と思ったその瞬間、彼女の根性に火がつきました。
直線に入るとグイッとひと伸びしてシャマルを振り切り、追い上げてきたティーズダンクをアタマ差でしのぎ切ったところがゴール。ここまで戦ってきた相手を思えば負けるわけには行きませんでしたし、そのとおりに根性を見せて勝ちきってくれました。
モニターの向こうにこんなコメントが走ってました。
「姐さんじゃないな。女神様だ」
わたしも同感でした。
その後一戦を挟んだ彼女の姿は、真夏の盛岡にありました。
交流重賞のビューチフルドリーマーカップ。JBCを見据えて長距離遠征とコースの下見に来たのです。
同じように南関東から遠征してきてる馬もいましたが、ここまで戦った相手よりは確実に実績のないメンバーに全員同じ斤量。
当然単勝オッズは1.0倍の元返し。勝ち負けよりもどうやって勝つかくらいしか見どころがありません。
そのレースは5馬身差をつける圧勝で、長距離遠征も初コースも難なくクリアというところを見せてくれました。
あとはJBC本番まで無事に過ごせれば。そんな思いで毎日を過ごしていました。
本番前に迎えた日本テレビ盃は同じ8歳で船橋のフィールドセンスに差し切られましたが3着は確保。
前哨戦をまずまずでクリアして、いよいよJBC本番を迎えることになりました。
盛岡のパドックに現れた彼女は、素晴らしい出来に見えました。
おそらく最後の大舞台になるだろうJBCに万全の出来で臨んできたことは、一目見ただけでわかりました。
と同時に、一緒に周回してる中央勢の出来もいい事にも気づいたわたし。
逃げや先行を得意とするのが多く、そのどれもが良い仕上がりで来ていました。
たぶん、相当に厳しいレースになるだろうと覚悟せざるを得ません。
「……しゃあない。最後までついてくって言っちゃったもんなあ」
そんな言葉とため息をひとつ、苦笑いと一緒に飲み込んで単勝を買い、モニターの前に座りました。
あとはもう、彼女らしい走りができるよう祈るだけです。
彼女はスタートを決めて先頭に立ったものの、今までのようなリードを取らせてもらえません。
3コーナーで後続に追いつかれますが、明らかに後ろの方が手応えがいい。
「ああもう……」
諦めとも絶望ともつかない気持ちが襲ってきます。
4コーナーで2頭に交わされ、直線の入口でわずかに抵抗するように見えたものの、彼女の頑張りはそこまででした。
ゴールしたときは9番手。これが精一杯と言うには寂しい結果。
でも、これでわかった気がしたんです。
もう、現役で勝てるほどの力はなくなっちゃったんだなって……。
次の月は浦和のゴールドカップに出走しましたが、直線で売り出し中のスマイルウィに交わされて2着。
この時彼女の鞍上は長くパートナーを務めた矢野騎手ではなく、山崎騎手がいました。
そして矢野騎手は勝ったスマイルウィに乗っていたのです。
「もう、そういうことなんだろうなあ……」
そうつぶやくより仕方ありませんでした。
年が明けて正月気分もすっかり抜けた2月のある日。彼女が川崎のエンプレス杯を最後に引退すると発表がありました。
「そっか、いよいよかぁ……」
ホッとしたような、寂しいような、なんとも複雑な気分になりました。
7年近くも見続け、応援し続けて来た仔が引退する。
ここまで大きなケガもなく走れたこと。大井に移籍してから3年連続で地方競馬の4歳以上最優秀牝馬のタイトルを獲得してたこと。
強敵揃いのダートグレード競走でも先頭切って逃げを打ってたこと。
いろんなことを思い出してしまいます。
それでも、引退レースでも彼女はいつものように走るはず。
だから、わたしもいつものように応援しようと決めました。
エンプレス杯のパドックでも彼女はいつも通り。ラストランだと感傷的になってるのはわたしたち人間だけなのかもと思うくらいに。
レースもいつものようにスタートを決めて先頭に立ち、「あたしについて来られるならついて来な」と言わんばかりの逃げを打ちます。
4コーナーまで先頭をキープしていた彼女でしたが、直線で交わされるともう抵抗する余力はありませんでした。
5番人気で5位入線。最後まで頑張りました。
エンプレス杯から数日後、彼女の引退式が大井で行われました。
モニターの向こうには「サルサ姐さんお疲れ様」とか「姐さんありがとう」といったコメントが流れています。
そこにわたしもコメントを入れました。
「お疲れ様。最高にかっこ良かったよ」って。
それから彼女は生まれ故郷ではなく、様似の牧場に嫁いでいきました。
そして次の年、オルフェーブルを父親に持つ仔が生まれたと聞きました。
今頃は子育てに忙しくしていることでしょう。その仔が競馬場で走る頃には、彼女が走ってた頃とはダート競馬を取り巻く環境が変わっているかもしれません。
あの当時より注目を浴びる舞台になっていたらいいなと思いますし、そこで彼女の仔が主役を張れるならこんな嬉しいことはありません。
そして、左回りだけでなく右回りでもきちんと結果を出してくれる仔であったなら、もう最高なんだけどなとも。
その日が来るのを、楽しみにしたいと思います。
思い出のお馬たち @nozeki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。思い出のお馬たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます