冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と

あさぎり椋

冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と

 夜闇に紛れ、首筋に牙を突き立て、生き血をすする。近世ルーマニアであろうと、ここ現代日本であろうと、吸血鬼ヴァンパイアのやり方は変わらない。

 ――そのはずだった。


(なん、で……)


 地面に激しく蹴り倒され、アラタは困惑した。

 現状を回想する。真夜中の公園、ときおり明滅するおぼろげな街灯の下、ひとりたたずむブレザー姿の少女を見つけた。

 周囲に人気ひとけは無く、まさに格好の標的。その後ろ姿に、音も無く襲い掛かり――反撃をくらってこのザマだ。


「なに、貴方。いきなり噛み付くなんて、さかりついた犬じゃあるまいし。名乗りなさい」

「お前……」

「ん? 人に名乗らせるなら何とやら、ってことかしら。私はリノよ。貴方達が呼ぶところの、いわゆる


 十代半ばと思しき見目の少女――リノは腕組みをして、咳き込むアラタを尊大な態度で見下ろす。

 捕食態勢に入った吸血鬼ヴァンパイア膂力りょりょくは、同じ年頃の人間程度など軽く捻り倒せるものだ。それを文字通り一蹴するなど、およそ常人の少女とは思えない。

 ダメ押しとばかりの最後の単語が、不可解な状況を一層ややこしくしていた。


「……今、なんつった?」

「厳密には少女型人造人間ガイノイドね。歯型がつくほどヤワじゃないわ」

「頭イカれてんのか」


 アラタは立ち上がりつつ、思わず罵詈ばりをついていた。

 まったくワケが分からない。人間からすれば、吸血鬼ヴァンパイアとて似たようなものだろうが――とんだ電波女に声をかけてしまったか、と後悔がぎる。

 とはいえ、自前の牙が彼女の肌に刺さらなかったのも事実。皮膚ではなく、まるで鉄に噛み付いたかのような歯応えがあった。手術で何か埋め込んでいるのか。それとも――


「で、貴方は何者?」

「……アラタ。吸血鬼ヴァンパイアだ」

「へえ」


 そっちがロボットなんて名乗るならばと、相応に返してやる。無愛想な応え方とは自覚しつつも、つまらない失敗のせいで半ばヤケになっていた。

 対するリノは微塵も疑う気配は無く、無表情でコクコク頷く。


「理解した、それでいきなり首に噛み付いてきたと。つまり貴方は選択を誤ったということね。私、力士十人くらいなら軽く張り倒せるから」

「道理で蹴りが重い」


 正直なところ、彼女の言を信じれば、いろいろと辻褄は合ってしまう。狐じみたツリ眼に同じくらいの上背、黒い長髪の少女姿――知らない内に、ロボット技術はここまで発展してましたとでも? 笑えない冗談みたいな状況に、アラタは天を仰いだ。


「あら、やけに気に病むのね。この街なら、他にも血を吸う相手なんていくらでもいそうなのに。それとも、そんなに私が気に入ってた?」

「……ただの自己嫌悪だ」


 アラタは大きなため息をついてから、思うところを訥々とつとつと語った。得体知れずの電波娘には、ちょうどいい与太話だ。

 人間社会になじみすぎたせいか、この十六歳まで吸血をためらってきた自分。いざ事に及ぼうとも手際は悪く、失敗続きの臆病者。挙げ句の果てにとんでもない標的を選んでしまい、今宵の醜態である。一族の面汚しもいいところだ。

 人間ではなく、かと言って吸血鬼ヴァンパイアとしてロクに血の一滴も吸えないならば、 かつて先祖は己の身体を霧に変じる能力を持っていたというが、自分にとっての存在意義こそ、そこにあるのに掴み取れない霧のように思えてならない。

 ――と、洗いざらいぶちまけたところで、リノは初めて薄い笑みを浮かべた。


「青臭い。ほんの数回の失敗が何よ、まだ子供のくせに」

「黙れ。俺には重要な問題なんだ。存在意義なんて、プログラム通りに動くしか能の無いロボットに何が分かる」


 ひときわ辛辣な響きが、夜の冷気を震わせた。受けてリノは目を細め、さしものアラタもバツの悪そうに視線を逸らす。

 さすがに言い過ぎた、と自省する。赤の他人に対する『何が分かる』ほど理不尽な言い回しも、そうは無い。


「えぇ、分からないわ。自分が何者かなんて、今の私には無価値な問いだもの」


 彼女は錆びた滑り台に寄り掛かった。そこには不快感も、怒りを示す所作も無い。明後日を向く目には、何の色も見てとれない。


「どういう意味だよ?」

「私が生まれたのは、ほんの一週間前なの。年老いた『博士』が研究の成果として、共に日々を過ごすために私を造った。そして彼は、その次の日に亡くなった」


 冷やりとした言葉が流れる。人の死を語るには相応の寒々しさが、今の公園にはあった。


「それは……」

「長年の研究の末に私を完成させ、満足して力尽きちゃった、ってところかしら。奉仕の為のロボットが、奉仕の対象を翌日に亡くすなんて、滑稽でしょう?」


 それでは、私の存在価値はどこにある? ――自嘲という行為がロボットにも可能であると、アラタは初めて知った。


「と言っても、するべきことは決まってるんだけどね」

「え?」

「死ぬ予定なの」


 返す言葉を、アラタはすぐに探し当てられなかった。

 彼女曰く、博士の死を感知した時点で、その後を追って自壊するプログラムが設定されているのだと言う。博士なる老人は、死出の伴が欲しかったのか。あるいは己のオーバーテクノロジーが――言わば『娘』が衆目に晒され、いたずらに社会を騒がせるのを嫌った、そんなエゴによるものか。死人に口無し、今となっては分からない。

 もちろん、そこには当然の疑問がある。


「……その割には、まだ動いてるじゃないか」

「そうね。博士の死は理解している。思考アルゴリズムも正常に動作している。――けれど未だに、死に場所なんてものを探して、彷徨ってる私がいる。どうしてかしらね」

「俺に聞かれても。ずいぶんと感傷的なロボットもいたもんだな」


 二人は、どちらからともなく薄く笑った。

 それと同時に、アラタは胸に隙間風が差すような心地を覚えた。何者でもないことに悩む吸血鬼ヴァンパイアと、何者でもなくなってしまったロボットが、街の片隅で出会った。街には歩けば肩がぶつかるくらい大勢の人間がいるのに、どうしてこんなにも寂しい気持ちになるのだろう。

 そんな彼の心中をよそに、リノは口を開いた。


「……ねえ、お願いがあるの。私の血を吸って?」


 不意な提案に、アラタは目を瞬いた。


「は? ……いや、ロボット、なんだろ?」

「そうよ。つまりオイルのこと。大丈夫、飲んでも完全に無害の植物性だから」


 そういう問題かよ、とアラタが戸惑っていると――リノは襟元をはだけさせて右肩を露出し、そこからガシャンと右腕を外してみせた。往年のSFコメディ漫画に登場するロボットの女の子が、ふざけて首を外すように、いとも容易く。


「……マジかよ」


 半信半疑が確信に変わる驚愕。唖然としたまま、月並な呟きが漏れた。

 いたずらっぽく誘うリノの笑みを見るに、どうやらからかっているつもりらしい。癪なものを感じつつも、おそるおそる近付く。生体的に見えるのは表面だけで、中身は精巧な機械部品で構成されていた。それらに紛れ、動脈のような管が通っている。

 それと同じくらい、白く艶めいたうなじにも目を惹かれる。雪色にシミ一つありはしない。そこだけ見れば、人間の少女と何も変わらない。


「私の血を貴方の一部にして。私がこの世界にいたことを、無性に、誰かの思い出に残したくなったの」

「……俺も、人外だから?」

「どうかな」

「言っとくけどな。今の吸血鬼ヴァンパイアは長いこと人間と混じってて、大して長命でもないんだぞ。永く思い出を残すなら、それこそロボットの方が向いてるかもな」

「もう、意地が悪いのね。そんなことはどうでもいいの。……貴方だから言ってるんじゃないの」


 ツンと膨れつつ、リノは夜風になびく黒髪を梳いた。

 気を取り直し、アラタは彼女の内部構造を睨む。例の太い管につんつんと触れ「ここか?」と確認し、「そこよ」と返す声。


「穴開けても大丈夫なのか」

「駆動系に異常があれば、ある程度は他で埋め合わせて応急修復できる。人間の血小板みたいなものね」

「……そりゃ、ハイテクなことで」


 深呼吸をした。夜の底冷が嘘のように身体は火照っていた。これが、自分にとって正真正銘の初めてなのだ。

 やり方は本能が知っている。彼女の後ろ姿に密着するよう立ち、自前の牙を突き立てる。刺さる瞬間、それまで落ち着き払っていた彼女の身体がびくりと震え、少しだけためらった。

 が、そこで退いてはこれまでと同じ。アラタは意を決して――『血』を吸い始める。


「……んっ。初めてさん、なんだか、下手ね。くすぐったいったら」


 悪態の一つも返してやりたかったが、今は口が使えない。妙に早鐘を打つ胸の内も、それを許さない。

 ちらりと上に視線をやると、小さく細かな吐息を繰り返すリノと目が合った。まるで私がリードしてやるという風を気取っておいて、なにか怖がってる子犬みたいな顔。

 ――なんだ。ただの強がりじゃないか。

 再び行為に意識を集中。胸打つ早鐘が、自分のものだけでないことにも気づく。心臓に相当する部品があるのだろうか。彼女にとっても初めての状況に、どきどきしているのか――どこまで、人間くさいロボットだ。

 ほんの十秒、ほどだろうか。やがてアラタは顔を離した。


「……ふふ。耳、真っ赤。おもしろい」

「うるせぇ、冷血ロボ。今さら気取っても遅ぇんだよ」


 口悪い指摘に、リノの笑いが少しぎこちなくなった。

 初めての『血』は、機械の味がした。初めて血を吸う相手が女の子のロボットだなんて、そんな闇の眷属ナイトウォーカーは古今東西さがしてもいないだろう。とんだ笑い話だ。

 けれども、寒空の下には得も言われぬ満足感があった。彼女でなければ、自分の茫洋とした存在感を握り締めることができただろうか。初めての相手が他の誰でもない、彼女で良かった。そんな気がする。

 リノは自分で右腕を元に戻し、振り返った。


「ねえ、アラタ」


 白い吐息と共に。初めて彼女に、短い名前を呼ばれた。


「この街の人口がどれくらいか、知ってる?」

「何だよ、いきなり……五十万人くらいだっけか?」

「そんなものね。万の人間が蠢くコンクリートボウルの中で、偶然、ロボットと吸血鬼ヴァンパイアが出会ったのよ。なんだか、幻想的ファンタジィだと思わない?」

「……俺は喜劇的コメディだと思ってたよ。そっちの方がいいな」


 見解の違いがおかしくて、再びどちらからともなく、二人は吹き出した。冷えて錆びついた遊具の園に、楽しげな笑い声がこだまする。


「私の人工知能にも、測れない出来事があるのね。水平線の向こう側が全く見通せないように。……いい勉強になったわ」


 滑り台の支柱を名残惜しそうに一撫でし、リノは出口へ歩いていく。アラタはそれを黙って見つめ続けた。

 これからどこへ行くのだろう。どこであれ、引き止めるつもりは無かった。自分が自分の道を行くように、それは彼女の選択なのだから。


「さよなら。臆病な吸血鬼ヴァンパイアさん」

「じゃあな。変てこロボット」


 時にして、十分そこそこ。

 ひとときの夢だったと思うには、残された余韻はあまりに鮮烈だ。奇妙な出会を牙が覚えている。鋼鉄の肌の冷たさも。赤くない血の無機質な味、そして去り際に見せた笑顔が心に焼きついて離れない。

 この街はあまりにも広く、人が多すぎる。そんな中で、再び彼女と巡り会うことは無いと思う。

 けれど生涯、この夜を忘れることも無いだろう。







 ――あれから数週間が経つ。

 ロボット少女の死体が見つかったという奇妙なニュースは、今のところ聞いていない。

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