冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と
あさぎり椋
冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と
夜闇に紛れ、首筋に牙を突き立て、生き血を
――そのはずだった。
(なん、で……)
地面に激しく蹴り倒され、アラタは困惑した。
現状を回想する。真夜中の公園、ときおり明滅する
周囲に
「なに、貴方。いきなり噛み付くなんて、
「お前……」
「ん? 人に名乗らせるなら何とやら、ってことかしら。私はリノよ。貴方達が呼ぶところの、いわゆるロボット」
十代半ばと思しき見目の少女――リノは腕組みをして、咳き込むアラタを尊大な態度で見下ろす。
捕食態勢に入った
ダメ押しとばかりの最後の単語が、不可解な状況を一層ややこしくしていた。
「……今、なんつった?」
「厳密には
「頭イカれてんのか」
アラタは立ち上がりつつ、思わず
まったくワケが分からない。人間からすれば、
とはいえ、自前の牙が彼女の肌に刺さらなかったのも事実。皮膚ではなく、まるで鉄に噛み付いたかのような歯応えがあった。手術で何か埋め込んでいるのか。それとも――
「で、貴方は何者?」
「……アラタ。
「へえ」
そっちがロボットなんて名乗るならばと、相応に返してやる。無愛想な応え方とは自覚しつつも、つまらない失敗のせいで半ばヤケになっていた。
対するリノは微塵も疑う気配は無く、無表情でコクコク頷く。
「理解した、それでいきなり首に噛み付いてきたと。つまり貴方は選択を誤ったということね。私、力士十人くらいなら軽く張り倒せるから」
「道理で蹴りが重い」
正直なところ、彼女の言を信じれば、いろいろと辻褄は合ってしまう。狐じみたツリ眼に同じくらいの上背、黒い長髪の少女姿――知らない内に、ロボット技術はここまで発展してましたとでも? 笑えない冗談みたいな状況に、アラタは天を仰いだ。
「あら、やけに気に病むのね。この街なら、他にも血を吸う相手なんていくらでもいそうなのに。それとも、そんなに私が気に入ってた?」
「……ただの自己嫌悪だ」
アラタは大きなため息をついてから、思うところを
人間社会になじみすぎたせいか、この十六歳まで吸血をためらってきた自分。いざ事に及ぼうとも手際は悪く、失敗続きの臆病者。挙げ句の果てにとんでもない標的を選んでしまい、今宵の醜態である。一族の面汚しもいいところだ。
人間ではなく、かと言って
――と、洗いざらいぶちまけたところで、リノは初めて薄い笑みを浮かべた。
「青臭い。ほんの数回の失敗が何よ、まだ子供のくせに」
「黙れ。俺には重要な問題なんだ。存在意義なんて、プログラム通りに動くしか能の無いロボットに何が分かる」
ひときわ辛辣な響きが、夜の冷気を震わせた。受けてリノは目を細め、さしものアラタもバツの悪そうに視線を逸らす。
さすがに言い過ぎた、と自省する。赤の他人に対する『何が分かる』ほど理不尽な言い回しも、そうは無い。
「えぇ、分からないわ。自分が何者かなんて、今の私には無価値な問いだもの」
彼女は錆びた滑り台に寄り掛かった。そこには不快感も、怒りを示す所作も無い。明後日を向く目には、何の色も見てとれない。
「どういう意味だよ?」
「私が生まれたのは、ほんの一週間前なの。年老いた『博士』が研究の成果として、共に日々を過ごすために私を造った。そして彼は、その次の日に亡くなった」
冷やりとした言葉が流れる。人の死を語るには相応の寒々しさが、今の公園にはあった。
「それは……」
「長年の研究の末に私を完成させ、満足して力尽きちゃった、ってところかしら。奉仕の為のロボットが、奉仕の対象を翌日に亡くすなんて、滑稽でしょう?」
それでは、私の存在価値はどこにある? ――自嘲という行為がロボットにも可能であると、アラタは初めて知った。
「と言っても、するべきことは決まってるんだけどね」
「え?」
「死ぬ予定なの」
返す言葉を、アラタはすぐに探し当てられなかった。
彼女曰く、博士の死を感知した時点で、その後を追って自壊するプログラムが設定されているのだと言う。博士なる老人は、死出の伴が欲しかったのか。あるいは己のオーバーテクノロジーが――言わば『娘』が衆目に晒され、いたずらに社会を騒がせるのを嫌った、そんなエゴによるものか。死人に口無し、今となっては分からない。
もちろん、そこには当然の疑問がある。
「……その割には、まだ動いてるじゃないか」
「そうね。博士の死は理解している。思考アルゴリズムも正常に動作している。――けれど未だに、死に場所なんてものを探して、彷徨ってる私がいる。どうしてかしらね」
「俺に聞かれても。ずいぶんと感傷的なロボットもいたもんだな」
二人は、どちらからともなく薄く笑った。
それと同時に、アラタは胸に隙間風が差すような心地を覚えた。何者でもないことに悩む
そんな彼の心中をよそに、リノは口を開いた。
「……ねえ、お願いがあるの。私の血を吸って?」
不意な提案に、アラタは目を瞬いた。
「は? ……いや、ロボット、なんだろ?」
「そうよ。つまりオイルのこと。大丈夫、飲んでも完全に無害の植物性だから」
そういう問題かよ、とアラタが戸惑っていると――リノは襟元をはだけさせて右肩を露出し、そこからガシャンと右腕を外してみせた。往年のSFコメディ漫画に登場するロボットの女の子が、ふざけて首を外すように、いとも容易く。
「……マジかよ」
半信半疑が確信に変わる驚愕。唖然としたまま、月並な呟きが漏れた。
いたずらっぽく誘うリノの笑みを見るに、どうやらからかっているつもりらしい。癪なものを感じつつも、おそるおそる近付く。生体的に見えるのは表面だけで、中身は精巧な機械部品で構成されていた。それらに紛れ、動脈のような管が通っている。
それと同じくらい、白く艶めいたうなじにも目を惹かれる。雪色にシミ一つありはしない。そこだけ見れば、人間の少女と何も変わらない。
「私の血を貴方の一部にして。私がこの世界にいたことを、無性に、誰かの思い出に残したくなったの」
「……俺も、人外だから?」
「どうかな」
「言っとくけどな。今の
「もう、意地が悪いのね。そんなことはどうでもいいの。……貴方だから言ってるんじゃないの」
ツンと膨れつつ、リノは夜風になびく黒髪を梳いた。
気を取り直し、アラタは彼女の内部構造を睨む。例の太い管につんつんと触れ「ここか?」と確認し、「そこよ」と返す声。
「穴開けても大丈夫なのか」
「駆動系に異常があれば、ある程度は他で埋め合わせて応急修復できる。人間の血小板みたいなものね」
「……そりゃ、ハイテクなことで」
深呼吸をした。夜の底冷が嘘のように身体は火照っていた。これが、自分にとって正真正銘の初めてなのだ。
やり方は本能が知っている。彼女の後ろ姿に密着するよう立ち、自前の牙を突き立てる。刺さる瞬間、それまで落ち着き払っていた彼女の身体がびくりと震え、少しだけためらった。
が、そこで退いてはこれまでと同じ。アラタは意を決して――『血』を吸い始める。
「……んっ。初めてさん、なんだか、下手ね。くすぐったいったら」
悪態の一つも返してやりたかったが、今は口が使えない。妙に早鐘を打つ胸の内も、それを許さない。
ちらりと上に視線をやると、小さく細かな吐息を繰り返すリノと目が合った。まるで私がリードしてやるという風を気取っておいて、なにか怖がってる子犬みたいな顔。
――なんだ。ただの強がりじゃないか。
再び行為に意識を集中。胸打つ早鐘が、自分のものだけでないことにも気づく。心臓に相当する部品があるのだろうか。彼女にとっても初めての状況に、どきどきしているのか――どこまで、人間くさいロボットだ。
ほんの十秒、ほどだろうか。やがてアラタは顔を離した。
「……ふふ。耳、真っ赤。おもしろい」
「うるせぇ、冷血ロボ。今さら気取っても遅ぇんだよ」
口悪い指摘に、リノの笑いが少しぎこちなくなった。
初めての『血』は、機械の味がした。初めて血を吸う相手が女の子のロボットだなんて、そんな
けれども、寒空の下には得も言われぬ満足感があった。彼女でなければ、自分の茫洋とした存在感を握り締めることができただろうか。初めての相手が他の誰でもない、彼女で良かった。そんな気がする。
リノは自分で右腕を元に戻し、振り返った。
「ねえ、アラタ」
白い吐息と共に。初めて彼女に、短い名前を呼ばれた。
「この街の人口がどれくらいか、知ってる?」
「何だよ、いきなり……五十万人くらいだっけか?」
「そんなものね。万の人間が蠢くコンクリートボウルの中で、偶然、ロボットと
「……俺は
見解の違いがおかしくて、再びどちらからともなく、二人は吹き出した。冷えて錆びついた遊具の園に、楽しげな笑い声がこだまする。
「私の人工知能にも、測れない出来事があるのね。水平線の向こう側が全く見通せないように。……いい勉強になったわ」
滑り台の支柱を名残惜しそうに一撫でし、リノは出口へ歩いていく。アラタはそれを黙って見つめ続けた。
これからどこへ行くのだろう。どこであれ、引き止めるつもりは無かった。自分が自分の道を行くように、それは彼女の選択なのだから。
「さよなら。臆病な
「じゃあな。変てこロボット」
時にして、十分そこそこ。
ひとときの夢だったと思うには、残された余韻はあまりに鮮烈だ。奇妙な出会を牙が覚えている。鋼鉄の肌の冷たさも。赤くない血の無機質な味、そして去り際に見せた笑顔が心に焼きついて離れない。
この街はあまりにも広く、人が多すぎる。そんな中で、再び彼女と巡り会うことは無いと思う。
けれど生涯、この夜を忘れることも無いだろう。
――あれから数週間が経つ。
ロボット少女の死体が見つかったという奇妙なニュースは、今のところ聞いていない。
冷たい夜の迷い子達と、赤くない血の思い出と あさぎり椋 @amado64
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます