五十嵐博士の記録

みら

二〇×五年七月二十一日 最後の音声メモ

 ――二〇×五年七月二十一日、五十嵐X病研究チーム特設研究所。地下施設のため天気は不明。私、五十嵐X病研究チームリーダー五十嵐周正が、これまでのことを最後の音声メモとして記録する。

 X病研究チームリーダーを名乗ったが、この音声メモは学術的な記録ではなく、私が個人として残す、私的な記録である。


 ――(咳払いの音が入る)


 ことの始まりは、X病患者――私の養子である池田瑞希の実父、医学科時代の同期であり、友である池田創市が、娘を頼むという手紙と共に私に託したノートである。

 二〇×一年四月十五日のことだった。池田から久しぶりに連絡があり、私は彼の家を訪れた。

 しかしながら彼は不在で、私のことをおじさんと呼び慕う瑞希に迎えられ、池田の部屋へと通された。呼んでおいて不在とは……と、若干の腹立たしさを感じたことを覚えている。『X病治療関する調査結果および考察』と書かれたノートと一枚の便箋を彼の机の上に見つけたのは、その時だ。

 便箋には「五十嵐へ」と。

 私宛であった。

 その手紙は、今でも保管している。

 まったく、不器用なやつだったよ。手遅れになる前に、私を頼ってくれればよいものを……。


 ――(しばしの沈黙。後に咳払い)


 池田はその手紙の中で「常識を覆すことを識った。しかし同時に自分にはもう時間がないと知った」「瑞希を頼む」と書いていた。

 初めて読んだときは、何のことか分からなかった。

 だが直後に彼が橋の崩落に偶然巻き込まれて即死したという連絡が来て、瑞希以外に身寄りのない彼の葬式を私があげることになり、弁護士から法的に効力のある形の遺言状に私の名前があることを聞き――。

 池田が、自分の死を悟っていたのだと理解した。

 今になって思えば、あの時彼は自身の研究成果を一部すでに実践していて、その過程で自分の死を知っていたのかもしれない。

 私も、妻を病で亡くした身だ。

 医師でありながら身内の病を治せぬ無念はわかっているつもりだ。

 身寄りのない瑞希を引き取り、治療のための研究を引き継ぐことにした。

 本来ならば男一人の私が、少女を引き取るのは難しいことである。しかし池田が弁護士に託していた遺言と、X病患者である瑞希の特殊性、医師であり医学博士であるという私の肩書きが幸いした。恐らく池田はそこまで見通して、私にノートと瑞希を託したのだろう。

 そうして私に渡されたノート、彼の知識であるが、彼の手紙に会った通り、私はこれに自身の常識を壊された。

 ノートはX病の基本的な情報の記録で始まっていた。たとえば後天的にDNAが書き換わることであるとか、免疫系の機能に異常をきたすことであるとかといった既知の情報が書かれていた。

 それから、現代医学では効果を認められていない療法、たとえば民間療法のようなものの研究に変化した。初めて読み進めていたときは、医学を学んだものがこのようなものに頼るほどに絶望し、錯乱してしまったのか……などと落胆したものである。

 しかし、それは間違いだった。池田は絶望も錯乱もしていなかった。その代わり、静かな狂気に囚われていたのだ。

 彼はノートの上で、私にこう伝えてきた。

 真理を識った。教えてもらった、と。


 精神の移植・交換技術。

 人体複製技術。

 時空というものの本質。

 人類以外の知的生命体の存在。

 神と表現されるものの観測方法。


 これらの単語は、ノートに実際に書いてあった単語たちの一部だ。

 にわかには信じがたい、空想の中にしか出てこないような単語の羅列であった。そして、それら単語の羅列をくだらないと切って捨てることができないほど説得力のある体系化された理論やその証明――めまいがするほどの現実的な非現実の情報が付随していた。

 事実、私は信頼できる医師たちの前で、ノートに残された理論と手法を用いて、精神の交換を実演してみせることができた。

 こうして発足したのが、五十嵐X病研究チームである。

 皆、希望に満ちていた。未知の知識の解明・実現による、今まで救えなかった患者を治療できる未来を目指した。

 本当に、あの時は……。


 ――(わずかな沈黙)


 瑞希の話をしよう。

 瑞希は明るく可愛らしい子だった。そして気丈な子だった。自身は死に至る病であり、父も母も親戚もなく、特設研究所の外に出られないにもかかわらず、いつも笑顔であった。

 私の姿を見かけるなり「おじさん!」と明るく笑いながら、ぺたぺたとスリッパの足音を立てて私のもとへ駆け寄ってきたものだ。

 そういえば、養父となった後も結局、ずっとおじさんと呼ばれていたな……。池田には勝てんかったか。

 彼女のことを好いていたのは私だけではない。

 彼女に勉強を教えてくれとせがまれた研究員――山本は、わざわざ小学生用のドリルや参考書を自費で買ったうえで勉強を教えていた。「病気が治った後、他の子と一緒に学校に行ったときについていけなきゃダメでしょう」と笑っていたのを覚えている。

 彼女の病室に花を飾った矢野は、お返しに折紙で作った花をもらったと笑っていたか。

 そんな彼女だから、皆、最期まで彼女を救おうと頑張ったのだろう。

 彼女の新しい、健康な体を作成して、そこへ精神を移すという最終目標を実現するために。研究チームを作って約四年間で、精神交換技術を安定させ、人体複製技術を実現するほどに、死力を尽くせたのだろう。

 あと、一年あれば……。


 結論を言おう。

 私たちは間に合わなかったのだ。

 ショゴスの特性を利用して、人体を複製することはできた。だが、そうして複製した人体は安定しておらず、一定期間の後に崩壊した。

 そしてその欠点を克服する前に、瑞希にタイムリミットが来てしまったのだ。


 だから……。


 ――(金属の扉を乱暴に叩く音)


 もう少し待っていてくれ。


 精神交換技術は確立できていたが、彼女の精神を移す先となる体を用意できなかった。新鮮な死体でもあればその場しのぎにはなったのかもしれないが、都合よく手に入れることなどできなかった。

 だから、私は、私たちは、彼女の精神を保持するため最終手段を行使した。彼女のオリジナルの体を、人ではないものに作り替えたのだ。

 半分は成功だった。彼女の命を長らえることに成功できた。

 しかし、半分しか成功しなかった。

 彼女の体に、人間とはかけ離れた特徴が表れた。腕に肉塊が隆起し、体のあちこちに口や目が生え、頭には角が生えた。

 肉体の外的変化は想定の範囲内であった。

 人の枠を超えるほどの身体能力を得るところまでは予想していた。

 だが、彼女のクオリアが劇的に変化してしまうとは想定していなかった。

 私たちの声が化物の声に聞こえると、私たちの姿が異形に見えると叫び、暴れ、研究員を殺し始めた。


 ――(金属の扉を乱暴に叩く音)


 もう少し、もう少しだけ待ってくれ。


 こうして私たちは失敗したのだ。どうにか瑞希を正気に戻す方法を模索したが、現在実行可能な解決策は存在しなかった。

 幸いなのはこの研究所を、変化した彼女が出られないように、また外から部外者が入ってこないように内側から閉じられたことだろうか。私が出ることも叶わなくなったが。


 ――(金属の扉を乱暴に叩く音。金属が歪む音)


 私はこれからあのドアを開けて瑞希に会う。


 ――(引き出しを開く音。固い金属質のものが引き出しに当たる音)


 きっと瑞希のことだから、寂しがっているだろう。

 友に託された大切な娘だ。そして、私の娘だ。

 大人として、治せなかった医師として、化物にしてしまった者として、養父として責任を取らねばならない。


 ――(撃鉄を起こす音)


 ああ、そうだ。

 これを記録しているレコーダーは、この研究施設内、つまりは内側から鍵をした、地下の閉鎖空間に残されるものである。

 この場所を知っている者も私で最後だ。だからこれは、本来ならば誰にも聞かれることはない。私の自己満足で終わる音声記録である。

 でも、もしも誰かが、この音声を聞いているのならば――様々なことが想定できて、とても一言で表しづらいが、どのような展開であれ間違いなく、これを聞いている君はとても危険な状況置かれている。どうか、一目散に逃げて欲しい。私と友が識ってしまった、手を出してしまったものは、人類には早すぎる代物だったのだから。

 

 では、これにて五十嵐周正最期の記録を終わる。


 ――――(レコーダーが机に置かれる音)

 ――――(革靴の足音)

 ――――(ドアノブを回す音。その後、ゆっくりと鉄製のドアが開く音)


 やあ瑞希、待たせてしまってすm――――(打撃音、水音、銃声、湿気のある打撃音、骨の砕ける音、銃声、湿気のある破裂音、圧壊音、咀嚼音、肉が千切れる音、大きな肉の塊が崩れ落ちる音)


 ――――(しばしの沈黙)


 ――――(素足で床を歩く音、重たい何かを引きずる音、粘度のある水音)


 ――――(ぺたりと小さな音。恐らく子供くらいの何かが座り込んだ音)


 お、じ、さ……ん。ど、こ――――(以降、雑音)

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