ローマ派とパレストリーナ
パレストリーナって、「OTTAVA」や「古楽の楽しみ」で耳にしたことがありますし、それにシューマンにも結びつく名前なんですよ。
なぜなら。シューマンがハイデルベルクで出会った高名な法学者であり、加えて音楽家と言っても言い過ぎではないティボー教授の著作が、たしかパレストリーナを中心に書かれていたと思うの。「音楽の純粋性について」というもので、シューマンのユーゲントアルバム(子どものためのピアノ曲集)の付録、音楽のモットーのなかで、ティボー先生の本を読むように勧めていたと思います。だから、ちょっと興味はありました。
パレストリーナは、1500年代に70年近い人生をイタリアで送った人。音楽家の家に生まれたんじゃなかったかな。彼は郷里であるパレストリーナ教区のオルガニストをしていました。そうなんです、パレストリーナというのは地名です。レオナルド・ダ・ビンチがビンチ出身であるのと同じなのですね。
とにかく、ここに生まれたのが幸運でした。もちろん、音楽家として頑張っていたに違いないのですが、この教区からローマ教皇が誕生したのですからね。
パレストリーナ出身、ユリウス3世となったローマ教皇は、郷里になかなかできる音楽家がいるので呼び寄せようとなったのでしょう。それで、パレストリーナはサン・ピエトロ大聖堂の会員で作られる聖歌隊の楽長に任命されたのでした。
教皇が変わったのを機にローマを去るなど紆余曲折あって、しかし、何代か後の教皇に厚い信任を寄せられる大家となったパレストリーナ。サン・ピエトロ大聖堂で再び活躍するようになったのが、40代後半のことでした。以降生涯ここが彼の職場でした。
さて、いよいよ、前回の話にリンクする、トリエント公会議の話です。
ヴェネチア派の音楽は派手すぎる、もっと教会にふさわしい音楽にするべきだ。ことばがちゃんとわかる音楽にすべきだ。そんなことになっていましたね。
ポリフォニーは、わかりにくいから、グレゴリオ聖歌に戻ってモノフォニーにすべき。こんな声があったのでしょう。危機感を覚えたパレストリーナは、彼の代表作のひとつ「教皇マルチェルスのミサ曲」を大勢の教父たちのまえで披露したのですね。音楽としての素晴らしさに、列席した重職者たちも心を奪われたことでしょう。ポリフォニーの音楽が、荘厳であり言葉がきちんと伝わるように作れることを証明した、というわけです。
講座では、少しその「教皇マルチェルスのミサ」を聴かせてもらえました。
なんという清々しさ。よどんだ空気を一変させるような、秘めた力を持つような!
パレストリーナのほかの曲も、聴いてみたいものです。
時代の流れの中に音楽家はいるわけで、ローマ派の代表パレストリーナの音楽はどんなか少し知識を得て満足です。言葉でわかったことが、感覚的にわかってきたら、楽しいと思います。
参考:「教皇マルチェルスのミサ」全曲
https://www.youtube.com/watch?v=a1MCIi-zqFw
資料室 沓屋南実(クツヤナミ) @namikutsuya
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