トリエント公会議

私たちにとって親しいモンテヴェルディのヴェスプロだけでなく、ほかにもヴェネツィアの聖マルコ大聖堂の音響を最大限に生かす曲はたくさん作られたのでしょう。

オルガン、器楽、歌。16世紀以降は、2名のオルガニストに加えて新たに常勤の金管楽器奏者、弦楽器奏者が雇われるようになりました。

大増員されたプロの音楽家たちは、美しい響きを求めてさらに精進したことと思います。

しかし、それに水を差すような出来事が。

ヴェネチア派の絢爛たる音楽は、トリエント公会議(音楽は多くある議題のひとつ)では問題視されたんだそうです。

その議事録によると、演奏は品のないものだったとか、聴いている人たちの態度も悪いなどなど。おしゃべりしたり、音を立てたり、目に余る好き勝手なふるまい。本当なら問題ですよね。教会ですからねえ。

ヴァチカン、ローマ教皇は全く気に入らなかったわけです。

とくに気に入らなかったのは何か。

器楽や多声のおかげで肝心な神を讃える「ことば」がよく聴きとれない、ということだったそうです。確かに、言葉の意味がわからいほどに聴き取れないとしたら、許せないのもわかります。

私は古い音楽はひとくくり、バッハ以前でまとまっているので、実際、どうなのかわからない。こんな人が、こんな専門的な話に首をつっこんでしまったのですが、これからは、ちょっと気にしながら聴くとしましょう。

わからないことがあっても、そこは一応西洋史専攻だったので、歴史への興味だけでずいぶん食いつけます。

当時の教皇の秘書の記録が残っています。それによると。

・歌手たちの歌い方に、敬意がこめられていない。

・享楽的で歌謡曲のよう、教会で聴く音楽としては耳障り。

・教会の重職者たちのまえで、声の調子やテクニックの使い方に嬉々としている歌手たちを不快に思われた。

などなど、具体的な不満があったんですね。

教皇は皆のまえで、「受難の場面にふさわしい歌い方があるはず。礼拝の内容に合う音楽でなければならない。よくわかるように音楽は作られなければならない」と諭された。

これは、うがった見方をすれば、神を冒涜するというよりも、主役を音楽家に奪われて面白くないような。

さて、さて。

教皇が納得する音楽とは? それは音楽の発展に逆行しないのか?さて、ヴァチカンに仕えるローマ派の音楽家たちはどうしたのでしょう?

次回はパレストリーナについて、書きます。

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