夢現

鹽夜亮

夢現

三月三日

 私はある病により、薬に頼りはじめた。病に対してこの薬の効果は絶大だが…如何せん、その分副作用も強い。私は今も、緩やかな睡魔に苛まれている。重力に惹き付けられるような倦怠感も私の周囲を揺蕩っている。身体を起こしておく、ということそのものに苦労する日が来るとは、まさか思わなかった。私は、この手記をリハビリと療養中の暇つぶしと…それから私の睡魔と倦怠感との戦いのための武具として用いようと思う。


三月四日

 眠い。眠いのだ。まだ抗える程度ではあるが、日に日に確実に睡魔が強まっている。これはよくない兆候なのだろうか。だが、症状そのものは至極安定している。


三月五日

 手記を書き始めてまだ三日目だが、ついに睡魔が抗いがたいものにまでなりつつある。十三時ころ、昼食を終えた私はパソコンに向かおうとしたが…そのままぱたりと倒れ込んだ。次に時計を見たのは十五時ちょうどだった。二時間もの間、私は不格好に床の上で眠っていた。眠ったというより、気絶したと言った方が正しいのかもしれない。

 元来、私は仮眠をとるときも、二十分そこそこで自然と目が覚める体質をしていた。そもそも、仮眠をとること自体もすくなかったが…まさか唐突に二時間も眠ってしまうとは。薬というのはなんと魅力的で、同時に恐ろしいものであろう…。


三月六日

 この睡魔に抗うことは不可能だ。昨日の一件と、今日の様子から鑑みて、私はそう判断した。特に予定があるわけでもない日は、睡魔や倦怠感にされるがままに流されてみようと思う。それが私にとって良い事なのか悪い事なのかは、正直なところ今はわからない。


三月七日

 夜はきっちり七時間半の睡眠をとっている。にもかかわらず、昼間に数時間私の意識は消失する。不思議なことだ。総合すると、約十五時間程眠っているときすらある。

 今日は、特筆することがある。今まで、この急激な睡眠に陥った時、夢をみることはなかったのだが、今日の夕暮れ時、いつも通りぱたりと倒れこんだ私は夢をみた。気絶が少しは睡眠に近付いたのかもしれない、というのは冗談が過ぎるだろうか。

 ただ一点、夢の内容について気になることもある。夢の内容がとんでもない悪夢だったことだ。万一薬の影響という可能性も捨て切れないだろうから、今日から夢を見た場合はその内容も記憶している限りこの手記に残そうと思う。以下に本日のものを記す。


「夢」

 視点はゲーム内の主人公。友人であるらしい三人の霊を現実に存在する友人F氏の操るキャラクターと共に追いかける。場所は洞窟のようなところで、霊の服装は皆一様に白装束。追いかけて行くと、鳥居のある地下に続いている真っ暗な通路にたどり着く。そこで、霊の一人を倒す。それと同時に他の二人の霊も消え、「クイ」と呼ばれる幽霊が現れる。勝ち目は到底なく、逃げに徹する。「クイ」は全身包帯のようなものに捲かれており、やたらと背が高い。最後は追いつめられ、「クイ」が画面一杯にアップで表示され、ゲームオーバー。夢の中の私は、「クイ」に既視感を持っている。


 以上が今回見た夢の内容である。視点は完全にゲーム内の一人称であった。また、「クイ」と呼ばれる怪物について、現実の私には一切心当たりはない。特にこういったホラー映画を見た訳でもゲームをプレイしたわけでもなかったため、唐突にこのような夢をみたことは不思議に思う。「クイ」は「悔い」なのか、「杭」なのか…。


三月八日

 特筆することもなく、日々が過ぎて行く。現実は至って平穏だ。睡魔との抗争には、どうにか慣れ始めている。もちろん、それを制するという意味ではなく、共存するという方向においてであるが。

 最近の私からは、どうも意欲というものが枯れ尽きているように感じる。それは食欲やら何やら…まあ詳細はあえて語らずともよかろう。睡眠欲が高揚しているのは確かだが、他の欲は軒並み影を潜めている。これも薬の影響なのだろうか?

 先日、ゲーム内の視点で繰り広げられるホラー映画じみた悪夢を見たが、今日も同じようなものを見た。またここに記録を残しておこう。


「夢」

 先日のものと同じく、基本的に視点はゲーム内の主人公の一人称。

 舞台はどこか欧米風の村。牧場のようでもある。家々は離れており、村のちょうど中心の位置には集会所のような場所がある。雰囲気としてはコテージ型の宿泊施設に印象が近い。

 私は男性の友人(現実では特定できず)と共にいる。集会所の中で殺人事件が起きる。村の人々は一度その現場に集まり、各々家に閉じこもることになって話合いは終わる。

 家に帰り、集会所の方向を窓から見ていると、真っ黒なロングコートを着て鴉のような仮面を被った人物が、ゆっくりと扉を開け、こちらへ向かって歩き始めたのが見えた。私と友人は「犯人はあいつだ!」と確信し、とにかく隠れて、隙を見て家から逃げ出そうとする。

 家は広く、地下室までもある。仮面の人物は窓から室内に侵入しようと、ゆっくりと家中の窓を巡りだした。私たちはその様子を見てパニックになりながらも、仮面の人物が出現しない窓を探し、家中を駆け回る。二手に別れて安全な出口を探すが、努力も虚しく、どこでも窓から外を覗くと仮面の人物が見え、脱出できない。

 私たちは地下に逃げ込む。この地下室には、不思議な事にいくつか窓があり、森林へと続いている。やっとの思いで仮面の人物の見えない窓を見つけ、私は脱出する。しかし、すぐに仮面の人物が現れ、ゲームオーバー。

 その後も何度も同じような展開でゲームオーバーを繰り返す。夢の中の「現実」の私はゲームの電源を切るが、恐怖が払拭できず、夢の中の「現実」でも恐怖が続く。


 以上である。さて、特筆するとすれば、先日と同じくゲームを舞台にしていること。それと「仮面の人物」である。この風貌にはどこか見覚えがあり、私は起床してからパソコンと向き合い、何かヒントになりそうなワードをちりばめてインターネットで検索をかけてみた。すると、「仮面の人物」の正体は存外簡単に掴めた。

 それは正真正銘、どう見ても「ペスト医師」そのものだった。正体がわかった瞬間、私はぞわりとした不可思議な恐怖感に襲われた。私の知らないところで、私の知らない何かが「ペスト医師」を夢に登場させたことが、人間の不思議を思わせると同時に狂気の片鱗を見たような気がした。それにしても、なんとも不気味な夢だった。


三月九日

 恐ろしい。恐ろしい!恐ろしくてたまらない。悪夢を見続けているにしても、それにしても今日の夢は、あまりにも病的すぎた!私の病は悪化しているのか?それとも、私は元々何かがおかしいのか?ああ、もう今日は何もできそうにない。今も狂人を目の前にしたときのような悪寒となんとも言い表す事のできない恐怖がぬぐい去れない。親に置き去りにされた子やぎのようにただただ震えながら、私は今この手記の前に座っている。


「夢」

 マークシートにタイプライターで打ったような文章、もしくはネットの掲示板で数人がやりとりしているような雰囲気の文章が見える。全体的に支離滅裂で、どこか精神的な異常を感じさせる文章が並んでいる。ところどころの単語や文字が—で訂正されている。

印象に残った単語は「共依存」

印象に残った訂正された文字は「し」

 掲示板では、ある女性が大丈夫か否か?ということについて話し合われている。誰かが、彼女は○○症(病名は伏せる)ではなく共依存の段階にいるので、まだ大丈夫だという発言をする。それに対して異論は特に出なかった模様。

 場面が変わり、件の女性が高速道路に乗り、どこかへと向かおうとしている。この場面でも、私から見ると全ての出来事はマークシート(機械的?)のような紙の上で起きている出来事のように見える。イメージとしてはパラパラ漫画のそれに近い。

 女性の車は左から右(私の視点からみて)に順調に進んで行くが、途中で唐突に何かを呟く(吹き出しのように紙の上に表示される)と、突然速度をあげて暴走する。

 やはり彼女はダメだったのだ、もう事故を起こすだろう、と夢の中の私自身の主観が判断し、異様な恐怖感を伴いながら夢は終わる。


 あまりにも不気味にすぎる。共依存という単語や、「し」、どこか病的な視点など、現実の私自身には理解がおいつかないことばかりだ。「し」は「死」なのだろうか…。夢の最後の恐怖感は、こうして手記を綴っている今も続いている。私の精神的な病は、やはりどこか悪化しているのかもしれない…。


三月十五日

 ずいぶん手記と向き合うのをおろそかにしてしまった。というのも、あの悪夢以降、夢を見なかったからだ。ここ数日の日常では、やっと副作用に慣れつつあり、最近は多少の外出をすることもできるようになった。あの夢を見た時は、もう私はダメかもしれないと思ったものだが、あくまで夢は夢でしかなかったのだ。変に不安に思う方がかえって健康に悪いのかもしれない。

 ただ、全体的な睡眠時間は増加傾向にあり、そこだけが少々の不安要素だ。 


三月十六日

 毎日、もう十五時間眠っている。不快感はなく、睡眠時も起床時も気分はよい。これだけ過眠状態になれば、頭重や吐き気が出てもおかしくはないと思うのだが、不思議なものだ。

 さて、今日は久しぶりに夢を見た。だが、この手記に今まで綴ってきたような悪夢とは趣が随分と異なるものだった。


「夢」

 私は現実の私と完全に同一のものである。

 私は自宅で、コーヒーを飲んでいる。お気に入りのカフェで購入した豆のようで、大変幸福な気分で。湯を沸かし、豆を挽く時間も、優雅に柔らかい空気を纏いながら過ぎて行く。ゆっくりとハンドドリップで淹れ終えたコーヒーはすばらしい香りを漂わせ、口に含めば格調高い苦みとほのかな甘みが広がった。私は一口でひとしきり感動し、また一口、そして一口とゆっくりそれを飲み進めて行く。

 時計の針は、十五時三十八分を指している。


 ただこれだけの夢だ。悪夢でもなければ、馬鹿げたゲームでもない。ただコーヒーを飲むだけの夢。なんと平和なことか…。なんと幸福感に満ち満ちていたことか。夢の中で過ぎる時間の、なんとゆったりとした恍惚に満ちていたことか。

 寝起きの気分ももちろんよかった。

 起床後、私が早速新しいコーヒー豆を買いに出かけたのは、もはや書かずとも自明の理だろう。


三月十七日

 昨日に引き続き、夢を見た。また現実的なものだ。これにも何か意味があるのだろうか?夢というのは、理解しがたいものだとばかり思っていたが、そうでもないのだろうか。

 夢は無意識の願望充足のために用いられる、とどこかで学んだような気もする。そう考えると、私の願望が現実的な形で夢として現れはじめていると考えるのも面白いかもしれない。


「夢」

 私は、近所の神社に暗い中一人で訪れている。腕時計の針はとうに二十時を回っている。人気もなく、特に何かが特別であるわけでもない神社の境内の中で、スーツを着た私は石のベンチにすわり、深呼吸をする。清廉な空気が肺にしみ込み、吐き出す時には汚れた心や疲れが抜け落ちて行くように思えた。なんとも気分がよかった。

 ゆっくりと瞳を閉じる。どこかで鳥が鳴いている。頬を撫でる柔らかい夜風は、森から木と土の確かな香りを運んでくる。森の中にあるこの神社は、自動車の騒音や生活音とは無縁で、非常に静かだ。

 ただベンチに座り、瞳を閉じたまま私は何も考えないように努める。脳裏に浮かぶあれやこれや、仕事や何か他のことなど、それらを優しく今は出て行くようにと仕向ける。スマートフォンは車に置去りにしていた。こうしていると、どこか、自らが清くなったような気がしてくる。

 時間にして二十分ほどだろうか。ゆったりとした時間が過ぎ去り、私は本殿に背を向け、車へと歩き出した。暗闇の中に確かな存在感を示しながら佇む社殿を一度振り返り、鳥居を出るところで目が覚めた。


 夢に登場した神社も車も、実際に存在するものだ。ただ、夜にその神社を訪れた経験はない。夢の中では、素晴らしい心持ちだった。是非今夜にでも試してみようと思う。

 今、時計は十七時五十分を指している。あと二時間もすれば、ちょうど夢と同じ時刻だ。どうせなら同じ時刻に行ってみるのも悪くないだろう。ありがたい事に、今夜は天気もよい。少しの厚着をしてさえいけば、寒さに震えることもないだろう。


三月十八日

 昨夜は素晴らしい経験ができた。夢をきっかけに、夜の神社を訪れてみたが、まさに夢の中の私が感じたことそのままが現実として私の前にあった。ストレスも何もかも、夜風に解けいっていくような気持ちだった。

 今日もここ数日と同じように、現実的な夢を見た。


「夢」

 私は車を運転している。オーディオからは私の愛して止まないギターの轟音と浮遊感のあるボーカルの声が聞える。助手席には、見覚えの無い女性が乗っている。

 女性は、黒髪をセミロングほどに伸ばしており、黒を基調とする服装をしていた。顔の造形は…残念ながら覚えていない。ただ、夢の中の私も今手記を書いている現実の私も、この女性に非常に惹かれる思いがする。

 天気はまっさらな晴れ。どうやら、甲州街道を私は長野方面へと向かっているようだ。大きな木曾の地酒の看板のあるヘアピンカーブを登る。愛車は、私の手足のように動き、心地よい。

 景色はそのまま甲州街道を進んで行く。ちょうど茅野市に至るトンネルの前あたりで目が覚めた。


 ただ運転しているだけの夢というのも、なんとも不可思議なものだ。夢の中で存在したほぼ全ては、実際現実にあるものである。ただ助手席でもの言わずに座っていた女性だけが、存在しない。古い知り合いや通りすがった人々なども思い返してみたが、私には全く覚えがない。

 ただ不思議なのは、顔の造形すら覚えておらず、会話さえしていないのにその女性に夢の中の私も現実の私も酷く魅力を感じ、惹かれているということだ。


三月十九日

 少々、不気味に思う。ここ数日常に現実的な夢を見ている。現実的というより、ほぼ現実と区別がつかない程の。最初のうちは気にもとめなかったが、こうして何日もそれが続いていると、どこか不気味な感じがしてくる。

 ただ一つ、昨日と本日の夢には特異な点がある。現実には存在しない、あの女性がまた現れたということだ。


「夢」

 私はコーヒーを淹れる支度をしている。ただ、いつもと違うのはその豆の量が二人分であるということだけだ。湯を湧かしながら、席に座ると、正面には件の女性が座って微笑んでいる。

「コーヒー豆、いい香りね。貴方の趣味は、好きよ。」

「ありがとう。お気に召して何よりだ。」

 その女性と会話をしたのは夢の中でも初めてだった。湯が湧くと、いつも通りゆっくりとコーヒーを落とした。ただ二人分、という点だけがいつもと異なるコーヒーを。

「ねえ。不安じゃない?」

 コーヒーを飲みながら、唐突に女性が口をひらいた。

「不安さ。今日も明日も。どうせ明後日も。そしてその先も。」

………。夢はここで終わった。


 最後の問答が、強く強く印象に残っている。彼女の特段美しいはずではないのに、どうにも魅力的な声、どこか揺蕩うような、眠気を帯びたような口調。そして「不安」を訪ねる質問。それに答える私。…この夢は、何を示唆しているのだろう。

 確かに、私はいつも、不安なのかもしれない。また彼女に会って話がしたい。今回も彼女の顔だけがどうしても思い出せない。私は、彼女の顔が見たい。


三月二十日

 彼女はいったい誰なのか?その問いが私の脳裏をぐるぐると巡っている。実生活はというと、睡眠時間は増えていく一方だ。体調に他に変化はない。

 起きている数時間は、彼女について考えることが増えた。予知夢…?いや、馬鹿げている。思春期じみた幻想を持つのはよそう。


「夢」

 私は何か酷く丁寧に、緊張しながら書き物をしている。いつも座っているテーブルの、正面には彼女がいる。頬杖をつきながら、気怠げに髪の毛の先をくるくると指でもてあそぶ姿が印象に残る。

「貴方、几帳面そうな見かけによらず字が汚いのね。」

「見た目はさておき、君も同じだろう。もし私がそうならば。」

 ふふ、と彼女が笑う。

「そうね、そうに違いないわ。何か飲む?」

「ああ、たまには紅茶を…たしか…」

「場所はわかるわ。貴方は書き物を続けて頂戴。」

 彼女がゆらりと立ち上がる。迷う事無くコンロの横にある戸棚をひらくと、紅茶パックのストックの中から適当に二つ取り出し、私と自分用にそれを淹れた。

「ねえ、眠いわ。」

 紅茶を啜りながら彼女が呟く。その言葉につられて時計を見ると、十四時ちょうどを指し示していた。

「眠るにはまだ早いだろう…。昼寝にしても、君はさっきまで寝ていたばかりではないか。」

「でも、眠いの。それに、貴方も同じでしょう?もし私がそうならば。」

 彼女は悪戯好きな子どものように言う。私はそれを見て苦笑しながら、どこかに吸い込まれて行くような睡魔を感じた。…。


 霞む雲を掴むようにおぼろげに頼りなく、私は彼女の正体に気づきつつある。私の推測のそれが、真実であるかどうかはわからない。

 彼女の顔は、今日の夢ではっきりと確認できた。特に美人でもなければ、何か強い特徴があるわけでもない。強いて言えば、眠そうに気怠げなその瞳だろうか。

 今私は、「特に美人ではない」とはっきり書いた。だが、もう一つ付け加えておこう。夢の中の私も、現実の私も、もはや彼女の虜のようになっている。彼女は、抗いがたい魅力という引力を持って、私を夢の世界へと引きずってゆく。私は、彼女を一目でも多く見ていたい。一瞬でも多く、彼女と時を共にしたい。

 分かっているのだ。……。これは馬鹿げている。あまりにも。


三月二十一日

 今日の夢が恐ろしいのか甘美なのか、私には判断がつけられない。判断がつけられない、程のところまで私はきてしまっている。それに私自身が驚いている。もはや多くを語る必要はないだろう。夢を記す。


「夢」

 いつものテーブル。目の前には大量の抗うつ剤と抗不安薬。お気に入りのウイスキー。正面には、彼女とその前に置かれたペティナイフ。

「終わりにしましょうか。疲れたでしょう。貴方も。」

 いつも通り、気怠げに彼女は私に諭す。彼女の放った言葉が、私の喉元に、その美しい白く細長い指のように絡み付く。

「……。最後に教えてくれないか。君の望みは…。」

「貴方と一つになること。それだけよ。」

 私はその言葉を聞くと、安心したように頬をほころばせた。彼女は頬杖をつきながら、微笑んでいる。

「終わりにしよう。」

 私は目の前に無造作に置かれた大量の薬を、ウイスキーで流し込んだ。

 朦朧としていく意識の中で、ついに無様にテーブルに突っ伏した私の手を、彼女が慈しむように撫でる。

「ええ。これで終わりよ。貴方も、私も。」

 強烈な睡魔の中で最後に私の網膜に焼き付いたものは、彼女の病的に白い手がペティナイフを握り、それが彼女の首へと向かっていった一瞬間だった。


 私も彼女も、夢の中で死んだ。しかし、現実の私はこうして生きている。…生きている。何者にもなれず、回復も遅々として進まないままに。


三月二十一日

 なぜ、今日の日付で、私が今書こうとしていたことがこの手記には既に記されているのか、皆目検討もつかない。混乱しているのか。薬のせいか、病のせいか。


三月二十一日

 三度目だ。今日も、もう既に記されている。

 …もし極楽も地獄もないのであれば、人は死んだ瞬間を繰り返すという。

 もう、終わりにしよう。ただ、思い残すことは、目の前に彼女とペティナイフがいないことだけだ。

 薬とウイスキーは既に支度した。紅茶を飲みながら、遺書もしたためた。

 この手記を書き終えたら、私は、彼女と永遠に一つになることを選ぶ。


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