サウナ・水風呂・流れ星



 汗が一筋流れた。

 その汗は、暗いサウナの中にか弱い光をもたらすオレンジ色に照らされて、星のように瞬いた。

 アタシはそれが綺麗だと思った。

 少なくともサウナにいる間は全てを忘れられる。アタシが落ちこぼれであることも、海賊になってしまったことも、そして、今、裸一つ、いやサウナと水風呂一つで宇宙を漂流していることも。

 いや、違うな。忘れられるっていうのは違う気がする。別に忘れちゃいない。アタシがバカだってことも、落ちこぼれだってことも、“何者”でもないってことも。何一つ、忘れちゃいない。

 けど、それでいいんだって思えた。

 ここにいれば、そう思える。今のアタシは“何者”でもなくて、その“何者”でもない、あるままでいいと思える。

 さっきまでサウナを地獄の牢獄だなんて言ったアタシはバカだった。サウナは最高の場所だ。好き好んでこの場所に入らないヤツはバカだ。間違いない。アタシももうこのサウナと水の往復を三回は繰り返している。こんなにも気持ちいいことがあるとは知らなかった。

 嫌なことは何一つ忘れていないけど、全てが肯定出来る気がする。例えば、このままサウナで漂流していても助からないってことも、それをどうにかする術がないってことも。でも、それでもここにいると、それでもいいのかなって思える。

 サウナに入って、水に浸かって、そしてエアルームでぼうっとする。そうしていると、ただそれでいいんだって思う。この銀河の中で、ただ光っている。そうして宇宙をたゆたう。

 その光が“何者”であろうと、誰も知ったことじゃないし、あんまり意味はないような気がした。


「アタシは“何者か”、か……」

「サウナにいる時、人は“何者”でもない」

 アタシの独り言に、返した声があった。アタシの隣に座り込んだ男からだった。

「サウナでは、“何者か”であってはならない。サウナは平等だ。誰しもが“何者”でもない。だから、みんな裸なんだ」


 裸なのは汗で服が汚れるからなんじゃないか。

 そう答えようかとも思ったが、不思議と彼の言う言葉には得体の知れない説得力があった。だから何も答えないことにして、別な質問をすることにした。


「あんた、名前は?」

「名前? なんでいまさら聞く?」

「これから漂流して死ぬって言うのに、一緒に死ぬ相手の名前も知らないんじゃ、なんかマヌケじゃないか。……アタシはラプラ。ラプラ・ヴォル。あんたは?」

「……サドー」

「ふうん」


 サドー。その名前の不思議な響きをかみしめた。

 ヘルジン軌道星系にはない響きの名前だ。

 どうしてこの男がサウナで漂流していたのかはわからない。半分はアタシたちがこいつの貨物船を襲ったせいだろうが、しかし、なぜサウナにいたのだろうか。少なくとも刑罰でなかったということは今なら分かる。

 偶然だったのだろうか。いや、このサウナ狂のことだ。どうせ死ぬときはサウナで、とか考えていたに違いない。

 アタシたちはここのまま漂流して死ぬのだろう。けれど、こうしてサウナに入って、水に浸かって、それで死ぬ。それは決して悪い死に方ではないように思えた。

 すくなくとも、このサウナ狂と死ぬのは悪くはない。

 隣に座ったサドーの方に少しつめた。拳一つ分の距離だけがあった。


「別にここじゃ死なない」

「え……?」


 ふいにサドーはそう言い放った。死に際に気を遣って言ってくれているのだろうか?

 そんな疑問を浮かべていると、サドーはアタシの疑問をやっぱり見抜いたように、にやりと不敵に笑みを浮かべた。


「ここから移動する術はある」

「今なんて?」

「だから、ここから移動することは出来るって言った」


 本当なのだろうか?

 だとすれば、なぜサドーはサウナ一つで宇宙を漂流していたのだろうか。あるいはアタシの小型船を修理する術でもあるのだろうか。しかし、どう見てもこのサウナでそれができるとは思えない。


「どういうこと?」


 アタシは疑問をそのままぶつけることにした。また、サドーは不敵に笑った。どうやらくせらしい。それ、かっこいいと思っている?

「これだ」

 そう言ってサドーが持ち上げたのは、彼の首に掛かっているペンダントだった。アタシがわけも分からずいると、彼は続けた。あっ、またニヤリってやった。ちょっとかわいく思えてきた。


「“ニュートンのりんごドライブ”」


 その言葉にアタシはハッとなった。

 ――“ニュートンのりんごドライブ”。

 それは太陽系人が、光速を越えるために作り出した叡智だ。太陽系人独自のその発明は、決して他の星系の人間に明かされることはなく、どのような機構のものなのか全くの謎だ。宇宙の謎の一つとされて、あちこちで埒もない噂が流れているが、未だその正体は明かされていない。


「……それが太陽系人の“ニュートンのりんごドライブ”だっていうわけ?」

「そうだ。俺は機関室でこの“ニュートンのりんごドライブ”の担当だった。たまたま仕事をサボってたところで、襲われたんでな。身につけたままだった」

「そんな小さなものが?」

「大きさは、あまり問題じゃない」

「“ニュートンのりんごドライブ”って推進器じゃないの?」

「そうとも言えないこともない」

「ずいぶんもったいぶる」

「拗ねるなよ。今説明する」


 アタシがにらみ付けると、それを気にしたふうでもなく、サドーは話を続けた。不敵な笑みは消えてない。


「“ニュートンのりんごドライブ”っていうのは、別に推進器ってわけじゃない。こいつは何かを“引き寄せる”力を生む機械だ」

「“引き寄せる”?」

「そう、“引き寄せる”。こいつは持ち主の求めたものを引き寄せる力がある。例えば、宇宙船のパイロットがどこそこの星へ行きたいと強く求めれば、その星へ引き寄せられる。それこそ、光速を越えるスピードで」

「……それで求めた星の方が移動しちゃうことはないわけ?」

「それこそが“ニュートンのりんごドライブ”って名前の由来だ。こいつは質量の大きな元の方へ質量の小さなものを引き寄せる」

「由来? ニュートンって? それにそれじゃあ、ただの万有引力の法則でしょう」

「その万有引力を、特定のもの同士結びつけて、強くする。その結びつきは光速を越える。それがこの機械だ。ニュートンってのは太陽系で最初に万有引力に気が付いた男の名前で、地元じゃ結構な有名人だ」

「……ようするに、あんた、それでアタシを呼び寄せたってわけ? 水風呂欲しさに」


 さっきよりもじとっとサドーをにらみ付けた。

 いくらアタシがバカでも気が付く。サウナしかなくて干からびそうになっていたサウナ狂が欲しがるものは何かっていうのも。

 この男は願ったのだ。“ニュートンのりんごドライブ”なんていう摩訶不思議装置に願った。

 ――水風呂が欲しい。

 そんなバカみたいな願いを。

 要するにそれに巻き込まれて、アタシは宇宙を漂流するはめになったのか。アタシがツイないというよりも、サドーがそう願ったからじゃないか。誰のせいでこんなめに……。

 いや、よく考えれば、彼が欲していたのは水風呂だったから、ヘルジン軌道人なら誰でも良かったはずだ。ということは、こうして漂流するはめになったのは、やっぱりアタシがツイてないからに違いないのか。

 だが、なぜだか、それが妙に気にくわなかった。


「……サウナと水風呂。それがあれば気が紛れる。孤独でもいいって思える。でも、ラプラがいてくれて良かったって思う」

「なんで? アタシはついででしょ?」

「孤独じゃなくなった」


 サドーはそう答えると、バツが悪そうに目をそらした。さっきまで自信満々に“ニュートンのりんごドライブ”を説明していたときとは大違いな、困った顔。

 そうして真っ赤にした顔を浮かべたサドーに、今度はアタシがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。どうやら、この短い間にサドーの癖が移ったらしい。


「ふーん。要するにさびしかったのね」

「うるさいな。置いていくぞ」

「いいの? せっかく、“ニュートンのりんごドライブ”がアタシを連れてきたのに」


 にやにやとして、サドーをからかうと、ムッとしたのか、彼はタオルをぶんっと振った。かわいらしい抵抗だと思っていると、タオルが気流を作り、熱波がアタシを襲った。


「熱っつ! 熱っつ、これ! なに、これ!?」

「ふん、太陽系名物アウフグースだ。これでサウナの体感温度を上昇させる」

「なにそれ、最高じゃん」


 アタシはすっかりサウナの亡者と化していた。サドーと同じように。

 彼はアタシの言葉に気を良くしたのか、またニヤリと不敵に笑った。結構、単純なやつだな。


「なら、アウフグースで有名なサウナに行くか」

「それ、どこにあるんだ?」

「太陽系の金星という星だ」

「行けるの?」

「行けるさ、“ニュートンのりんごドライブ”は求めるものを引き寄せる。ラプラが強く願えばな」

「じゃあ、そうする」


 アタシはその小さなペンダントを手にとって、一つだけ願い事をした。

 ――願わくば、サドーが孤独でありませんように。

 そう願うと、不思議とアタシの体の輪郭ははっきりとした気がした。

 サウナの小さな窓の外、星々は点から線へと変わって、アタシたちは流れる星となった。

 ぐるぐると回る銀河の中で、アタシたちのサウナは、今、確かな熱気を持った光を放った。



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サウナ・水風呂・流れ星 井戸川胎盤 @idonga

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