ワンダー・フーズ ~Walking Carrot~

棚尾

第1話



「ニンジンが二本足で歩いて人を襲っているだと」


 部下から報告を受けたフレデリック・クリックは、思わず聞き返した。たちの悪い冗談としか思えなかったからだ。

 イギリス政府保健省直轄せいふほけんしょうちょっかつ特殊防疫部隊とくしゅぼうえきぶたい第一即応部隊隊長だいいちそくおうぶたいたいちょうであるフレデリックの仕事は、この国にもたらされるあらゆる生物災害へ対処することだ。BC兵器によるテロや、外国からの有害細菌や疫病への即応とともに、もう一つ重要な役割を担っている。それが、イギリスが保有する超高度AI《ビーグル》が作製する、遺伝子調整生物の環境漏出を防ぐことだ。


 この世界には人間の知能を超えて、人類社会へ多大な影響を及ぼしている道具たちが既に存在している。《ビーグル》は世界に39基ある超高度AIの一つで、生物のデザインに特化している。様々な農作物を作製し、世界の食糧事情を劇的に改善させた実績を持ち、現在でも、新しい品種の制作に余念がない。


「ロンドン市街にある新品種作製試験場での漏出案件です。数はおよそ500株。現在、警察の協力のもと封鎖戦を構築、近隣住民の避難を行っています。

 実験品種名は《マンドラゴラ》。地球外惑星を含む、自然繁殖が望めない環境で、自律的に生育環境を構築し繁殖する性質を付与されたニンジンです。栄養価が高く、甘みも強くて、とても美味しいと試験場から脱出に成功した職員の証言が出ています」


 部下が試験場の監視カメラの画像を示す。そこには、人間にとびかかる二本足のニンジンが映っていた。大きさは50センチほどで色は様々だった。あらゆる栄養素を網羅する多様性を持っているらしい。定番であるβカロテンの赤、アントシアニンの紫、クロロフィルの緑、大根のように真っ白いやつもいる。実験作物である証なのか、3つ黒い丸印が顔のように表面に塗られていた。なるほど、これで叫び声のひとつも上げればマンドラゴラだ。

 このロンドンの街には近年様々なフォークロアが生まれつつある。例えば黒い霧とともにフランケンシュタインの怪物が徘徊しているであるとか、昔ながらのものアレンジしたものだ。だが、どんな奇天烈なフォークロアでもこんな毒々しい不思議な生き物なんて出てこないだろう。シュールな光景に思わずめまいがした。


「アポトーシスプログラムによる対処ができていないのはなぜだ」

「それが、当該植物は人への寄生が確認されており、その影響の評価が完了していないため、実行できないようです。現在影響評価とプログラムのアップデート中です」


 ビーグルの作製する実験生物には漏れなくナノロボットが注入されている。今回のように不慮の漏出事故が起き場合、細胞を自壊させるプログラムを実行させるためだ。だが、人への寄生が確認されたこの状況では、宿主やどぬしである人間まで壊しかねない。


「こいつらは、なぜ二本足で自律して人を襲うんだ。それを予測して対処できなかったのはなぜだ」

「通常植物は人や昆虫であったり、風などの自然現象を利用し、受粉を行い繁殖しますが、それが望めない環境で自ら生殖相手を探し、生育可能な環境にたどり着くため、このような性質を持っているようです。人を襲っているのは試験場の生育環境では物足りなくなり、新たな苗床なえどことして人間を選んだからだと思われます。職員は適宜間引きしていたそうですが、予測を超えて急激に繁殖して手に負えなくなったそうです」


 人間や動物のように相手を探して生殖を行う植物。自律行動を促すため、ある程度与える栄養を絞っていたのだろう。そのせいで、人間を新たな苗床に定めたとは、皮肉な状況だ。人間は豊富な栄養素を抱えた魅力的な血袋だ。繁殖速度を考えると、寄生された人間の安全は時間の問題に思えた。


「なるほど。これ以上の被害拡大を防ぐ。我々の役割は時間稼ぎと寄生された人間の救出だ。総員第一種防疫装備で出動する」


 人への寄生が確認されているとなると事態はより深刻だった。たかだか植物に、人類の安全が脅かされるなど冗談ではない。




 現場へ到着してみると、想像していた状況より、一層シュールな光景が広がっていた。


 規制線の内側で、警察の機動隊がバリケードを構築し襲い掛かるニンジンたちと激闘を繰り広げていた。警察の装備では、何とか押しとどめるので手いっぱいのようだ。足の生えたカラフルなニンジンたちが次々と体当たりを仕掛けている。銃撃を加えているが、効果的な打撃を与えているようには見えない。機動隊員のうちの一人が、体当たりにバランスを崩した。そこを狙いすましたかのように、ニンジンたちが殺到する。

 両足どころではなく、手のような器官が生えたニンジンたちが、その身体を引きずり出していた。完全な捕食者としての行動だった。

 慌てて、他の機動隊員が引っ張り返す。銃撃でニンジンたちを吹き飛ばして、何とか引き戻した。


 機動隊員の足に、ニンジンの赤い手が引っ付いたままだった。しかも根を張っているように見える。体液が絞られているのか、皮膚の表面がふやけて筋肉がしぼみ始めていた。このままでは、足を失いかねない。フレデリックは、周りの隊員に機動隊員の身体を抑えるよう指示すると、赤い手を力任せに引っこ抜いた。


「うぎゃああああああああああ」


 この世のものとは思えない悲鳴が響き渡った。神経深くまで張った根を無理やり引っこ抜いたのだ。想像を絶する痛みだったのだろう。機動隊員は失神している。


「これはまさに、マンドラゴラだな」


 マンドラゴラは引っこ抜くときに、この世のものとは思えない悲鳴を上げる。そして、それを聞いたものは失神し、最悪死に至るという。

 これが現代によみがえった新たなフォークロアだった。


「交配による進化を遂げている個体も見られます。これは、まずい状況ですよ」


 当初の報告では足しか生えてなかった。より効率良く人体を捕獲するように進化したのかもしれない。この爆発的な速度での環境適応こそ、《ビーグル》製の農作物の特徴だった。これでは、どのような個体が生まれているか想像が付かない。


「警察の機動隊を下がらせろ。第二から第四分隊は防衛線を構築、ひと株たりとも外に逃がすな。第一分隊は私とともに、試験場へ突入、寄生された被害者を救命する」


 無人機の使用は、今回見送っている。この国で採用している無人機のほとんどが、《ビーグル》の技術を導入した生体部品を含む有機端末だからだ。しかも小回りが利くような代物でもないから、寄生されるのが目に見えていた。


「総員、神経強化パッチを使用。順次作戦行動開始だ」


 機械による自動化が進んだ世界でも、この国では人間たちがある程度の優位性を維持している。体質をいじることへの躊躇ためらいをなくしたからだ。その一環が、この生体パッチである。一時的に特定の神経発火や、遺伝子の活性を増強、生身の人間の性能を最大限に引き出す。治療目的以外での遺伝子の書き換えは許容されていないが、生身の機能を一時的に強化することは一般に広く普及している。

 防疫部隊の隊員たちが寄生を防ぐため、全身に厚手の防護服を着込み、刃の広い大振りのマチェットと柄の長い捕獲網を手にする。

 銃弾なんて、痛覚も神経も通っているかも怪しい植物に利くか不明だった。だから、接近線で手足を切り落とし、ひとつずつ捕獲することで対処する。支援火器として、火炎放射器もひとつずつ各分隊へ配備していた。


「突入!」


 試験場は、ここから二区画ほど先だ。直線距離にして1マイルほど、近隣住民の避難は完了しており、試験場に取り残されている者は五名と情報が入っている。優先事項は被害者の救命と、その場で安全を確保し時間を稼ぐことだ。そうすれば、いずれ《ビーグル》によりアップデートされたアポトーシスプログラムが、ニンジンたちを駆逐する。

 マチェットを携えた隊員たちが、ニンジンたちを切り払いながら進んでいく。強化された視神経が、ニンジンの体当たりの軌道を見極め難なく回避し、手足を切り落とす。

 効率の良い身体稼働は機械化されたサイボーグにも劣らない。ましてや、本能のままに襲い掛かるだけのニンジンたちに遅れをとるはずがなかった。


 隊員同士でカバーリングしながら、半マイルほど進むとニンジンたちの様子が変わった。

 手足を持った個体は相手にしてきた。だが目の前の集団は、四本足と呼ぶにふさわしい姿をしていた。頭の葉っぱをゆらゆら揺らして、まるでこちらを威嚇いかくしているかのようだ。

 犬の集団とも見えなくはない。その中心には、一匹のゴールデンレトリーバーがいた。背中にニンジンを張り付けている。寄生されたのだ。おそらく何らかの事情で飼い主と避難できなかったのだろう。その犬の性質を学習し模倣したニンジンたちは、群れを形成している。飼い犬からどういう情報を読み取ったのか、ただの植物とは思えないい進化を遂げていた。


「うわあ、こいつはどうします」


 部下の一人が戸惑った様子で声をかける。防疫部隊の権限では、防疫上必要と判断された動物に対する殺処分の権限がある。ただ、マスコミや動物愛護団体に何を言われるかわからない。それにフレデリックは愛犬家だった。隊員たちもそれを知っている。


「こんな状況で何を言っている。冷静に対処しろ。制圧開始だ」


 今までのニンジンたちに比べて、明らかに俊敏な動きをしていた。四本足の低い姿勢からの突撃にマチェットでは対処しにくい。しかも、群れは高度な連携を組み、隊員たちを翻弄していた。

 一匹が注意を惹きつけ、もう一匹が死角に回り込み隊員の一人がニンジン犬に引き倒される。防護服のおかげですぐに寄生されることはないが、犬のようにふるまうニンジンたちが殺到する光景にはゾッとしたものがあった。

 大型犬の群れに囲まれて、本来人間が勝てる道理などないのだ。だが、人間がこの星の覇者に君臨しているにはそれ相応の理由がある。

 自然を威圧してきた文明の炎が、ニンジン犬たちを焼き払った。

 多くのニンジン犬たちが火炎放射器のの炎に呑まれる中で、あのゴールデンレトリーバー犬だけが器用に後ろに飛び回避行動をとっていた。

 それに追従するように群れも後退を始める。そいつが明らかに、群れのリーダーだと思った。


「支援しろ!」 


 フレデリックが炎をかき分け、前進する。防護服は簡単に火が付くような素材ではない。

 立ちふさがるニンジン犬を一匹下から切り上げる。そのまま、マチェットを地面に突き立て、膝を沈めて狙いを定めた。一息で、たわめた膝のばねを開放する。強化された肉体が、犬にも劣らない機動で、一気に距離を詰めた。突き出した両手は、ゴールデンレトリーバー犬の胴体を抱え込むように捉え、そのまま地面に引き倒す。

 リーダーを取り巻くニンジン犬たちは、追従する部下たちが近づけないようにカバーしていた。

 フレデリックは腰のポーチから鎮静剤と注入器をを取り出すと、手早くカートリッジに充填、腕の中で暴れるゴールデンレトリーバー犬に注入する。

 まだ、体温が高い。ニンジンたちは寄生し栄養を絞りとるだけの性質から、利用することへと進化していた。そのおかげで、生きている。

 神経までコントロールしているとなると、脳の隅々までこのニンジンの根が張っているかもしれない。ニンジンを無理矢理引っこ抜くことは危険だった。

 犬は目を閉じ、すやすやと寝息を立てている。


「この子を抱えて、お前は下がれ。すぐに研究施設へ運んで寄生状況を解析させろ」


 控えていた部下にゴールデンレトリーバー犬を引き渡す。人数が減るのは痛いが、こんなところで放置する訳にはいかなかった。


「隊長! あれを、空を見てください!」


 言われるがままに見上げた先に、それはいた。黒い翼で大空を羽ばたくそれは、カラスに見えた。だが、身体はどうみてもニンジンだった。犬のふるまいをする個体が発見された段階で、予測されていた事態だ。

 飛行速度は遅いように見える。ニンジンの本体は他に比べて細く見えた。まだ、数も少ない。カラスに寄生してその性質を学習し、それを模倣するように進化していた。


「待機中の第二即応部隊に出動要請。空に飛んでいる、あのニンジンどもを一つのこらず撃ち落とすんだ」


 両手両足を持つニンジン。陸を四本足で進むニンジン。空を飛ぶニンジン。人類のかわりに色とりどりのニンジンが世界を席巻する光景が想像できてしまった。

 予断を許されない状況で、人間に寄生した個体が、その性質を学習したとき獲得するものは何だろうかと考える。人類が他の動物より抜きんでている性質。それは環境をコントロールする知性だ。


「ニンジンどもが知性を獲得して、人類にとって代わるか。笑えない話だなこれは」


 人間は倫理や社会に縛られるから、自らの身体を直接進化させることに躊躇がある。だが、ニンジンたちにはその躊躇がない。それが、ニンジンたちの優位性だった。

 



 フレデリックたちの部隊は試験場までたどり着いた。事前情報で、取り残された要救助者は、生育実験室に隣接した事務室にいることがわかっている。


「また、洒落にならないヤツが出てきたな」


 体長が人の倍ほどはある熊のようなニンジンだった。不意の遭遇で、すでに部下二人が突き飛ばされて昏倒させられている。

 横幅の狭い建物の通路で、火炎放射器を使うことは、はばかられた。部下の一人が、マチェットで切りかかる。だが、手足を切断するには至らない。また一人、巨体の反撃に突き飛ばされた。

 単純な質量が、こちらの攻撃手段を上回っているのだ。いくら、身体能力を上げているとはいえ、身体の大きいモノが勝つのが自然の道理だ。


「いったん後退するぞ。広い場所に誘導して焼き払う」


 幸いなことに、この熊ニンジンたちはそこまで俊敏な動きを見せてはいない。動けなくなっている部下に肩を貸して、後退していく。

 この試験場で、最も広い場所は生育実験室だ。屋外ではなく、室内の閉鎖環境であらゆる環境を構築できるのが特徴で、《ビーグル》が作製した実験品種を生育させる場所である。

 さらにここでは、生育だけでなくナノロボットを活用した遺伝子の書き換えによる、品種改良も行えるような設備も整えている。

 施設内の様々なセキュリティ認証機器は体内の埋め込み機器インプラントからの緊急信号ですっ飛ばしている。これも防疫部隊に許された緊急特権だ。一時的にあらゆる機器の使用権限さえ与えられる。


 生育施設に続くクリーンルームを進み、二重扉を蹴破って生育実験室の中に入る。


 部屋に入って感じたことは、まず気温の高さだった。熱帯を思わせる温度は植物の活動を促進させる。太陽灯の白光がまぶしく、部屋を隅々まで照らしていた。

 普段は整然としているのだろう。天井から吊るされた生育棚には二本足のニンジンが歩き回っていた。天井に近い高いところを、翼の生えたニンジンが飛んでいる。壁際の土だまりには巨大なニンジンが突き刺さっていた。

 それだけなら、まだ良かった。生育室に備え付けのロボットアームが、白い花が咲いたニンジンたちに何か手を加えていた。人間が作った道具を使って品種改良しているのだ。どこからか、水を運んできているものや、腐葉土をそこら中にぶちまけているものもいる。

 ファンタジーのような幻想的な雰囲気などない、清潔な空間に作られた人工的な異世界。

 この環境は、知性を獲得したニンジンたちが操作した結果だった。  


「悪い夢を見ているようだな」


 防疫部隊の隊員たちは、現在の生態系がいとも簡単にひっくり返されると知っている。人間は生身では野生動物の多くには勝てないのだ。道具を使い、環境をコントロールするという優位性が揺らぐとき、人間が他の生物に征服されるという悪夢が出来上がる。


「見るに堪えません。まとめて焼き払います」


 火炎放射器を携えた部下が前に出るが、フレデリックはそれを制する。


「ダメだ。あれを見ろ」


 生育棚の間からこちらに歩み寄る人影があった。この状況でまともに動ける生存者なんて期待できない。白衣をまとった青年男性は、この試験場の職員だとわかる。ただし、その首元にはニンジンが張り付いていた。


『た……ただちに……不当な虐殺を……中止しろ』


 人間の声を発した。寄生した人間の声帯を利用しているのだ。


『我々は……ただ生存権のみを主張する……対話を求める』


 困惑した隊員たちをよそに、フレデリックが前に出る。手袋を外し防護服から顔の部分だけ脱いで、人間寄生ニンジンに対峙する。


「時間を稼ぐ。本部からの通信は絶やすなよ」


 隊員たちがうなずく。防疫部隊では、既存の価値観が殴られることなど日常茶飯事だ。

 地面に埋まっていた巨大ニンジンが動き出した。ご丁寧に脇に人間寄生ニンジンを二人控えさせている。火炎放射器を使えないようにするけん制だ。


「俺がこの作戦を指揮している責任者だ。話を聞こう」

『我々は、君たち人間の傲慢さを非難する。我々はただ生存のみを要求する』


 人間寄生ニンジンは徐々に口が回るようになっていた。たいした適応能力だった。あらためて、この種を作り出した《ビーグル》の能力の高さに舌を巻く。明らかに宇宙環境でも単独で生き残る適応能力だった。


「それは出来ない相談だな。人間の社会にお前らを受け入れる余地などない」


 ニンジンたちの望みは種の保存だった。生き物としての当然の要求だが、受け入れらるはずがなかった。知性を獲得しつつあるニンジンなど、人間社会で与えられる場所がない。人類知を超えた超高度AIですら、与えられているのは道具としての地位だ。すでに人類社会は他の知性体を受け入れるほど、柔軟な構造をしていない。


『その傲慢さを非難する。この世界は既に歩みを止めた君たちだけのものではない。より先に進化するものが、競い合い生きていくのだ。歩みを止めた存在で他の進化の可能性を潰す君たちを非難する」

「随分達者なことを言うが、ようは人間がこの世界の環境を握っていることが、人間たちの都合でいいようにしていることが気にいらないのだろう。生物の多様性や環境保護を謳ったところで、それは人類のためだけのものだ。そこに異論の余地はない」

『ならば、明け渡せ。その座を放棄しろ。なぜ、その場にいることを当然としているのだ』

「お断りだ。道具を使い、環境をコントロールすることで人類は生存圏を拡大し、社会を築き上げてきた。それが人類の進化の歴史だ。それを否定することなんて認められない」


 例え硬直化していても、それは積み上げた人類の進化の歴史だった。ぽっと出のニンジンにそれを否定される訳にはいかなかった。


『環境を支配することなど我々にもできる。それは君たちだけの特権ではない。歩みを止めたものなど、その場にふさわしくはない』

「なら、生存競争だ。同じニッチをめぐって争うってハラなら、死ぬ気で殴りあうしかない。それが自然の道理だ」


 超高度AIは、人類とそのニッチを棲み分けた。だから共存できる。だが、人類がニンジンたちに用意しているニッチは食糧としての位置づけだ。それ以上のものなど、用意してやれない。


『その驕りを、傲慢さを非難する。その存在を否定する』 


 交渉決裂だった。同じ場所を奪い合うなら、殴りあうしかない。今までも、人に害をなすからという理由で生物種が滅びた。人類に有用であるからという理由で狩りつくされた生物種があった。ただ娯楽のためだけに滅ぼされた生物種もある。

 人類はその傲慢さのままに、自然界のニッチさえコントロールする。共存を選ぶも、選ばないも、今は人類にその主導権があるのだ。


「本部から災害緊急体制レベル3が発令されました。10分間だけ《F因子》ならびに《ブラックドッグ》の使用が許可されます」


 寄生されたゴールデンレトリーバー犬を研究施設に送った甲斐があった。解析によって危険度が引き上げられたのだ。

 部下からの報告を受け、フレデリックは腰のポーチからカートリッジを取り出す。握った指先から生体情報を認証させてロックが解除したそれを、首筋へ押し当てる。


「人間は傲慢だ。だが、俺はそれを肯定する」


 時間稼ぎはお互いさまのはずだった。ニンジンたちはこの間にも封鎖線を超えて、種を伝播させようとしているはずだからだ。

 フレデリックの身体が異様な盛り上がりを見せた。皮膚細胞が初期化され、筋肉や神経などの幹細胞に生まれ変わり、さらなる分化を始める。肥大した筋肉と、それを保護するように硬質性をもった灰色にくすんだ皮膚が覆い、最適な神経伝達を行うための強靭な神経網が出来上がる。すべてが巨体化する肉体を最適に動かすために構築されていく。

 出来上がった異形は、古くはフォークロアに語られるフランケンシュタインの怪物だった。

 《F因子》は、《ビーグル》が作り出した人類未踏産物レッドボックスだ。宇宙空間をはじめとする極限環境で、単独で生存できるように身体を作り変える、遺伝子を含む複数の生体因子である。体表面の細胞を幹細胞に初期化し環境適応するように分化させる働きを持つ、万能の適応因子だ。

 フレデリックが使用しているのは、時間経過とともに分化した細胞がアポトーシスする制限付きのものだ。だが、防疫目的であれば十分な時間でもある。


『傲慢だ。君たちは傲慢だ。度し難い。傲慢だ』


 人間は傲慢さのまま、自らの身体に手を加えることさえ、躊躇をなくす。効率的な環境のコントロールと、自己改造による環境適応により、そのニッチを盤石にする。

 それが人類と呼べるのだろうかという問いがあるが、フレデリックは肯定する。

 環境をコントロールし進化してきたのが人類であるならだ、体内環境すらコントロールすることを否定する道理はない。それは、確かに既存の進化の歴史の先にあるものだ。

 フレデリックが、巨大なニンジンを強化再形成された手刀で真っ二つにする。さっきまでしゃべっていた個体と、脇に控えた人間寄生ニンジンを当身ひとつで昏倒させた。そのまま三人抱え込み、壁を突き破り事務室に踏み込んだ。中には二人倒れていた。情報通りなら、取り残された人々の安全は確保されたことになる。

 部下たちが呼応するように火炎放射器で周りのニンジンたちを焼き払っていく。

 圧倒的な力だった。これが人類が持っている生物種としてのポテンシャルだった。道具を使い環境を制して、自らの身体すらコントロールすることで力を引き出していく。星の支配者としての傲慢さが、ニンジンたちの世界を破壊していった。

 ニンジンたちが逃げ惑う。少数の隊員たちではすべて対応するには時間がかかるし、取り逃がす可能性もあった。だから、フレデリックはもう一つの、人類未踏産物を起動させる。

 ポーチから、黒い霧が吹きあげた。それは意思を持つかのようにふるまい、ニンジンたちを取り囲む。

 《ブラックドッグ》の正体はナノロボットの群体だ。取りついた生物の細胞構造を解析し、その場でもれなく崩壊させる機械群体。これの前では、動植物から微生物やウィルスまで、あらゆる生物が死滅する。防疫に用いられる対生物最終兵器だ。


『こんな行いが許されると思っているのか。その地位は、お前たちだけの力で保っていると思っているのか。それは傲慢だ。いつかそれが、崩壊するときがくる』

「それはもう、知っているんだよ。人類はいつそのニッチを覆されても不思議はない。けれど、今はその時ではないし、俺たちはあらゆる手段でこの地位を守るだけだ」


 すでに道具は人類の知能を超えた。だが、今はニッチを棲み分けている。これが揺らぐことになれば、人類は必死に抵抗するだろう。傲慢でも、種の保存と進化の歴史の中で、肯定されてきた営みだ。


「本部から、アポトーシスプログラムの再構築が完了したとの連絡です。これで終わりですね」


 ニンジンたちが黒ずみ崩壊していく、体内のナノロボットが細胞をアポトーシスさせているのだ。アポトーシスプログラムが起動した今、試験場の外でも同様のことが起きているだろう。もう《マンドラゴラ》の悲鳴は上がらない。生まれつつあった新しいフォークロアはここに消滅を迎えたのだ。

 フレデリックの肉体からも《F因子》で分化された部分だけが剥がれ落ちる。

 このニンジンたちと人類に違いなど、見た目など些細なものでしかない。ただ、今の人類にとって都合が悪く、そのニッチを奪おうと反逆してきただけだ。


「人類の地位は安泰からほど遠い。だからこそ、それを守るためのあがくんだよ」


 フレデリックは人体がその形を失う可能性についても承知している。すでにこの身で味わっているからだ。けれども自分が人間じゃない怪物だと思っていない、あくまで人類側だ。

 この防疫という仕事にしがみついているから、そう思えるのかもしれなかった。人類の行いを傲慢だと思いつつも肯定しているのは、自分がその社会の一員だと思いたいからだ。


 フレデリック・クリックは人類としての地位を保つために仕事に励む。ただの一人で人類に挑むのは無謀だと知っているし、何より人類という地位を自ら手放すことなどしたくはない。

 ふと、あの寄生されたゴールデンレトリーバー犬を思い出す。後で会いに行こうと決めた。生存競争に巻き込まれた犬一匹を、自らの選択で救ったと思いこみたい傲慢さが、今の彼には必要だった。


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