2002年晩秋 エピローグ(2/2)「凛々しくて勇ましくて美しい君」

2002年晩秋。千裕さんはすっかり白髪の好々爺。うちもかなり髪の毛に白いものが混じっていた。もううちも仕事からは引退していた。自動車学校にたまに顔を出すのも今じゃ学校理事長もやっている礼子さんと茶飲話するためだった。


「なあ、チセさん」

「なんですか。千裕さん」


うちは何故か初々しい高校生時代に戻っていた。セーラー服。そういえばあの時の服装やったねえ。

そして千裕さんも20代頃の背広着姿でした若々しく勇敢な人になっていた。


「わしがチセさん見初めたのはいつか話してなかったなあ」

「市電でしょ。何かやらかした人を千裕さんが追いかけて来て、うちが犯人を転ばせてやったらあなたまで転んじゃって。うちのせい?って思いましたもの」

「なんや、チセさん気付いておったんやな」

「市役所で濡れ衣の火の粉を払った時はぜんぜん繋がってませんでしたけどね。運動会の時に何やら見た事があるなあと思うて。でも思い出せなくて。……結局数日後にああ、あのドジだけど勇敢な人ってなりました」

「ハハハ。バレてたか」

「見初めたってうちのこのセーラー服姿、そんなによかったですか?」

「凛々しくて勇ましくて美しい子やあなとは思うたけど。チセさんはすぐその場離れたし、もうわしは市役所勤めしていて年齢離れてるから関係ないなあと忘れてた。チセさんに再会するまですっかりな」

「忘れてましたか」

「忘れてたな。それがチセさんが市役所勤めになってわしが部長と喧嘩になって一時会計課に飛ばされた時やったな。隣の課にあの凛々しくて勇ましくて美しの君がいて驚いた」


するとうちはあの野暮ったい女子事務服姿になっていた。あー。この格好は思い出したくなかったわ。と思ったら自動車学校の教官をやっていた時の制服姿に変わった。ブレザー風の上衣にスラックス。礼子さんがあれこれ口出しで出来たものでカッコよく美しい女子教官制服が生まれた。


「ハハハ。千裕さん、話を盛ってません?」

「いやいや。今だってチセさんはわしにとって一番美しい人じゃ。凛々しく勇ましくて美しい人じゃ。だから好きになった」


そういうと千裕さんはうちの方に改めて向き合った。またうちと千裕さんは初めて出会った頃の姿になっていた。


「わしと一緒になってくれて本当にありがとう。チセさん。チセさんは春海や守雄くん、冬ちゃんの未来を見てゆっくり来たらええんや。その時また一度会って話をしておくれ。チセさんが良ければまた一緒になるも良し。そうでなくても親友じゃ。あの世があるならそうなればええし、ないなら凛々しく勇ましくて美しいチセさんにあったあの瞬間から最期に見たチセさんの記憶を持って旅立つだけの事。こんな素晴らしい人生を送れて本当に良かった」

「うちこそあの出会いを忘れんでくれてありがとう。千裕さん。愛してます、今までもこれからもずっと、ずっと、いつまでも」

うちは千裕さんに近付くと抱きしめた。


うちはここで目が覚めた。ここは葬儀場。千裕さんは一昨日うちを残して旅立ってしまった。

千裕さんとの最後の夜を娘の春海とその夫の守雄さん、孫娘のミフユちゃんと過ごしている。


夢に見た会話。実際にあったかのよう。千裕さんの最期はあっさりしたもので灰ヶ峰の山中にある見晴らしのいい自宅で夕方「ちょっと疲れたなあ」と言って縁側寄りのチェアに座って目をつぶった。

うちが「じゃあ、コーヒーでも淹れましょうかね」と台所に行って戻ってきたらもう心臓が動くのを止めていたのだった。


外の空気をすいたくなってそっと部屋を出ると通用口のドアを開けて出た。

灰ヶ峰の方を見ると快晴の夜空が広がっていたのをうちは見上げていた。


「お母さん」


春海がうちがいない事に気づいて心配になって見に来たらしい。


「あの人が灰ヶ峰の家に来る日はいつも晴れとったのよ。快晴の夜空は千裕さんの旅立ちにはぴったりなんよ」

「知ってるよ、お母さん。お父さんが月見に来てくれた日の事とか展望台に登って求婚された話してくれた時の話っていつも空は晴れてたって言っていたよね。お父さんはこの灰ヶ峰の空に愛された人だったんだなあって思ってた」


そういうと春海も灰ヶ峰の方を見上げた。いつも変わらない山並みが私達を見守ってくれていた。

あの人が行ってしまうそんな日の前の夜だから晴れ渡っているのだろう。

千裕さん、うちはさよならは言いません。また逢う日まで少しだけ待っていて下さいね。

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チセさんと運転免許証 早藤 祐 @Yu_kikaze

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