ヴァンの朝

 フェアリーサーカス団のテントには、メインステージの他にも、団員の楽屋兼団員の部屋や、風呂やリビング、そして、キッチンまで備え付けられている。一体、このサーカステントは、どれくらいの大きさなのだろうかと、不思議に思うのだが、外から見ると、キャンプ用のテント程しかないないという、何とも変わったテントなのだ。


 そんなテントで、軽快にまな板を叩く音が響いている。


「ん〜・・・、眠い・・・」


 そう言って、ぬいぐるみを抱き抱え、眠い目を擦っているのは、『眠り姫』ことネロだ。しかし、この華麗な包丁さばきは、彼女によるものではない。ネロはたった今、団員のお食事処であるキッチンに顔を出したばかりなのだ。ならば、誰がトントントンとまな板を鳴らしているのか。それは、実に意外な人物であった。


「ネロか。珍しいな、お前が朝に起きてくるなんて」


 渋い声でそう言ったのは、なんとヴァンだった。ダメージジーンズに、英字がプリントされた黒のTシャツと、ハードロッカーみたいな格好の彼が、きっちりとエプロンを締め、キッチンに立ち、料理をしていたのだ。


「なんか・・・起きちゃった・・・ねぇ、ヴァン

〜、今日のご飯なに〜?」


 寝ぼけているのか、手にしていたアメリカンバイソンのぬいぐるみに抱きつき、目を瞑りながらうわ言の様に呟いている。


「わかめの味噌汁に、焼き魚だ。後、おひたしもあるぞ」


 ヴァンは、真剣な表情で食材と対峙している。その為、椅子に座る途中で寝てしまったネロに気付かずにいた。


「ZZZ・・・」


「もう少し待っていろ、もうすぐで出来るからな」


 少し強面のヴァンは、料理のことになると周りが見えなくなってしまう傾向がある。それが、彼のいいところでもあり、難点でもある。


「ふぁ〜・・・、ヴァンのあんちゃん、おはようさ・・・ってうわぁ!なんやっ!何でこない所でネロが寝てんねん!」


「ん?ハンドか?おはよう。何だ、ネロは寝てしまったのか」


「なんや、ずっとここにおった訳やないんやな。いや〜、ほんまにビビったで」


「ネロのやつ、珍しく起きて来てな、おそらく、また寝たんだろう」


「ほんま、寝ぼすけなやつやなぁ・・・」


 ハンドとヴァンに言われてるとは知らず、ネロはすやすやと安らかに寝息を立てている。


「ハンド、ネロを部屋に連れてってやってくれないか?俺はこの通り、手が離せないんでな」


 手を止めることなく、ネギを切るヴァン。その瞳は、ネギのみを見詰めている。


「いやいや、ヴァンのあんちゃん。ネロを連れてくって、この馬鹿でかいぬいぐるみも一緒に持っていかなあかんのですよ?」


「それくらい知っているぞ?いけるだろ?」


「さすがに、無理ですわ!」


 ネロが抱き枕にしているアメリカンバイソンのぬいぐるみは、本物とまではいかないにしても、相当の重さがある。そんな物を抱えて、ネロは部屋からここまで来たのだ。


「頼んだよハンド」


「いや、俺の話を聞いてくださいよ!」


 味噌汁のいい匂いが漂っている。

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