ドリームテラー
綴
第1話 謝られても困る
―——ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい…ごめん……ごめんね…
その謝罪が自分に向けられたものなのか、他の誰かに向けられたものなのか。
今わかるのはその声が、罪悪感と恐怖と後悔で紡がれていて、だんだんと遠くへと消えていったという事だけだった……。
そしてその同時に空っぽなこの心に、ぽちゃんと一滴の水がおちて揺らめいだ。
「ごめん、ごめん……ッ!」
ゆらめきの世界をさまよっていた自分の頬にあたる、生温かな水の流れに気が付き、空虚の暗闇からそっと目覚めた。誰かが横たわった自分を支えている。覗き込むように首は垂れているが、その目は強く後悔で閉ざされていて、幾度となく涙が雨のように自分の上に落ちてきていた。
「……あの……」
声をかけると、自分を支えていた手が離れ、逃げるように壁の端にと移動した。 おかげで後頭部を床にぶつけ、その衝撃の痛みで完全に目が覚める。
頭を押さえながら立ち上がると、床が黒に染まっていることに気が付いた。床だけじゃない、壁も天井も黒色だ。ただ、穴の開いた壁にろうそくがゆらりゆらりと燃えて、この場を照らしているだけ。
ここはどこかの建物の中なのだろう、ということ以外、何もわからない。
涙を流していた人は、まだ大人になりきっていない青年だった。はっきりとした歳は分からないが、こちらをみて怯えているようにも見える。
「ごめんなさい!」
「え?」
目が合うと両手で自分を守るように構え、恐怖に支配された様子の青年はただ謝罪を繰り返している。しかしなぜ謝られているのか分からない。何かあっただろうかと思考を巡らし、そこでふと、自分の記憶がないことに気が付いた。
「……あの」
「ひッ」
「自分は……誰? 貴方は、なぜ謝っているの?」
肩を震わせていた青年はその言葉ですぐに察したのか、すくっと壁から立ち上がると、おそるおそるこちらに近寄ってきた。
「な、なにも覚えていないのか………?」
「はい」
頷くと、彼は深いため息を吐いた。安堵かそれとも諦めか……。
「俺は、リキ……」
明かりの傍に寄ったことで彼が見えた。
リキという青年、薄汚れたパーカにジーパン。髪はくせ毛なのかそれとも掻き毟ったせいなのかボサボサでところどころはねている。目の色は暗くてよくわからない。彼に自分は誰かと尋ねると知らないと答えた。
「知らない?」
「あぁ、名前知らないんだ……ごめん 」
「なぜ謝っていた?」
「……それは、その……」
言いよどんだ彼を庇う様に、その重い音は響いてきた。悲鳴のように聞こえる声、助けを求めるような声、まるでそう耳元で叫ばれたかのような絶叫だった。
こちらに向かう何人かの足音、リキは自分の手を握って走り出し、逃げるぞ! と叫んだ。
何度か後ろを振り向き走るが、暗闇が遠ざかるだけで何も見えない。
「何から逃げているの?」
「いいから!!」
黒い壁、床、天井、道。
ただひたすらまっすぐ駆け抜けていくと、穴に落ちた。
「うわああぁっ」
「!」
ブロックのように四角く開いた穴の中に飲み込まれるように落ちると、酷い匂いと感触に包まれた。体の半分は何か不思議なものに埋まっていてなかなか身動きが取れない。この深い穴には上で揺らめく蝋燭の明かりが届いていないため、この謎の感触の正体がなにか分からない。ただリキはこの場所の拒絶が酷く嘔吐しながら嫌だいやだといいながら出口を探している。
「ここはどこ?」
「はああ?! 何、悠長に言ってんだよ! 見てわからないのか!?」
「ごめん」
「ああもう出口! 抜け道ないのかよ!」
彼は吐き気に耐えながらも手の届く範囲の壁を叩いたり、引っかいたりしてどうにかこの場からでようとしている。
同じようにマネして壁を触れようと移動したところ、素足に何かが触れた。
「……?」
「ひっ!」
それが何かを確かめる前に、リキが小さな悲鳴を上げて震えだした。
上に何かがいるらしい、上を見上げた。
「……?」
明かりに照らされた死体が空を浮いた。そしてそれはやがて何者かにこの場所に放り込まれるように落ちてきた。目の前に浮かぶ死体。顔の半分がつぶれた女性だったもの。
それに触れようとしたとたん、目の前に大きなメイスが死体をすり潰した。何度も何度も肉片になるまですり潰した後、青年のほうにそれの矛先が向いた。
「ひぃっ! 助けて! 助けて!!!」
懇願するように大きな長いメイスから逃げ回るリキ。空を見上げてもメイスが謎の力で浮いているだけだ。
「助けて! 助けてくれ!!」
肉片の海を逃げ回ってついに自分にしがみついてきたリキ、そのとたんメイスの攻撃がやんだ。
しばらくメイスが停止した後、静かにその場を去っていった。
「……な、なんだ…鬼がまるで俺たちの姿を見失ったみたいな…」
「鬼?」
「いただろさっき、とげとげ持ってさあ! 殺しに来てただろ!!」
「メイスなら見えたけど……」
「み、見えなかったのか?」
オニの姿など見えなかった。そしておそらく、鬼も自分の姿が見えないのだろう。そしてなぜか自分に触れたリキの存在も見えなかったようだ。
「……と、とにかく……やつらのゴミ捨て場から出よう」
「リキ」
「なっなんだよ」
一瞬びくりとしたリキに首をかしげながら、下を見た。
「足の下、なにかある」
「ほ、ほんとか……!」
「うん」
「……」
「……」
お互い沈黙する。リキは気まずそうに何か思案した後、覚悟を決めたように上を向いて深呼吸して、堪えきれなかったのかまたそっぽ向いて嘔吐した。
「わ、悪い。お前にこんなこと頼んでいいかわかんないけど、その「何か」をとってくれ」
「……」
粉々に打ち砕かれた死体の中に、躊躇なく潜り、足の下に合った違和感を探る。
それは床につながれた輪っかのようなもので、力を込めてそれをとるとごぼりっと謎の音を響かせ、肉片たちをすごい勢いで吸い込んでいった。
だんだん肉片の水位がさがり、ぷしゅこーとまた謎の音を放つとそれは止まった。
体の半分を埋めていた死体はすべてわずか十センチの穴の中に吸い込まれていった。べとべととした体をみる、先ほど白色の面影もなく、ワンピースは上から下まで全て赤黒に染まっていた。リキは呆然と見ていたがしばらくして正気に戻ったのか何かに気が付き走り出した。
「階段がある!」
横壁に開いた部屋の中に階段があった。
まだ少し気分悪そうにしながら彼は階段を上がっていく、その後ろをついていく。狭い階段だけど光る石が壁にありなんとかコケることなくあがりきることができた。
「ここは……?」
上りきった先の天井を横にずらすと、広い部屋にたどり着いた。
その部屋はろうそくではなく電気がついていて明るい。
「……リキ」
「え?」
「パーカーのフードに目玉が入ってる」
「うぎゃああっきめえ!!」
リキは急いで服を脱ぎ捨てる。
それをみることなく、壁の方に目を向け、あるものに釘つけになった。
壁に飾られた立派な額縁に飾られた一枚の大きな絵。
「……!」
リキもそれに気が付いたのか、こちらにやってきて絵を眺めた。
人々が生活しているその天上に舞う大きな白い羽を広げた天使達。
「……シェムハザ」
「え? あ、この文字?」
ふと口に出た言葉をタイトルと勘違いしたのか、リキはへえ、といった。
彼が指した文字を指さして読む。
「エグレーゴロイ」
「? って、どういう意味だ?」
「見張りの天使たちって意味だよ」
二人が驚いて後ろを振り向けば、白衣を着たメガネの男性が立っていた。
「僕の部屋へようこそ。下の階の住民さん」
「あ、あの、俺たち……そのたまたまきてしまって」
「そう怯えなくていいさ。僕は他の上の階の住民とは違う。しかし臭いな。あの細道使ってきたんだな」
彼は歩き出し、とある扉を開けると、そこにはシャワールームが広がった。
「入ってきてよ。僕の部屋が汚れるし。服もあげるからさ」
「あ、ありがとう」
「僕の為だからいいけど、……えっと君は男? 女?」
「わからない」
記憶がないことを伝えると男は首を傾げた。
「股をみれば一発じゃないか竿がついてりゃ男だよ」
ワンピースを持ち上げ股をみた、そこには黒いスパッツでよくわからない。その様子を見てメガネの男はあきれた様に顔を背けながら言った。
「たぶん女だよ、後から入りなよ。服取ってくるからうろちょろせずここで待っててよ」
リキの方を見て、「君は男だよね?」「当たり前だよ」というやり取りをしたあと、彼は別の扉の向こうへと去っていった。リキはお風呂場へと入っていく。
やることがなく、ぼうっとしていると白い明るい羽が飾られているのが見えた。
「……?」
美しい綺麗な羽、どこか懐かしく温かい。
そこに手をやると、羽が白い小さな光となり自分の中に入っていった。
―——ごめんなさい。
なぜかまたその声が聞こえたような気がした。
「ああ、さっぱりした。お前もはいったらどうだ?」
リキが出てきた。パーカーの服が黒のジャージに変わった。どうしようかと思案しているとメガネの男が戻ってきて
「ほら、服。下着のサイズまでわからないからノーブラになるけどここまで調達した僕に感謝してよね」
灰色のロングパーカーを渡され、それを受け取ってお風呂を浴びに行った。
蛇口をひねれば少々熱いお湯が流れ出て体についた血肉を落としていく。
このシャワールーム鏡がなく、自分の姿が見れないが、目にかかる髪の色が白であることがわかった。
体をふき、着替えて部屋に戻るとメガネの男が椅子に座って神妙な顔をしていた。何か言おうと口を開いたとき目が合う。
「お帰り。いい湯だったろ? 僕が長い月日をかけて作ったからね」
「つくった?」
「そうだよ。記憶喪失なんだっけ? 名前ないと不便だな……そうだなエルと呼ぶよ」
「エル……いいね」
頷くと彼は、満足げな顔でソファに座るようにと勧めた。リキの隣に座ると話をすすめた。
「エル、ここがどこか知ってる?」
「いいえ」
「ここは【地獄】だよ」
地獄、ただし、ここは【地獄に立つバベルの塔】だと、彼は続ける。
その言葉に少しだけ胸がざわついたが、なぜかエルはまだわからなかったのだった……
ドリームテラー 綴 @spell01
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